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ひっそりさよならできるかな

 窓を大きく開け放した寝室へ、執事がおどおどと遠慮がちに入って来た。

 フランチェスカは、げっそりとこけた頬に淡い微笑みを浮かべて見せる。


「こんにちは。こうして直にお会いするのは久しぶりですね。寝台に座ったままでごめんなさい。足腰がすっかり弱ってしまって……」


「いえいえ、そんな……。私の為にお時間を設けてくださり、ありがとうございます。あの……今日のお加減はいかがでしょうか」


「今は薬が効いて少し落ち着いていますの」


「さようでございますか……」


 それでも執事は落ち着かない様子だ。

 なんせ、結婚式のあとにフランチェスカが胃腸炎に罹って以来、まともに顔を合わせたことがなかった。

 彼の記憶の中のフランチェスカは婚約期間中の溌溂とした姿で、ガリガリに痩せこけた生ける屍ではない。

 部屋の中を清めるために焚かれたハーブオイルの香りがまた、余計な想像を掻き立てるのだろう。


「話は医師の……ロジャーだったかしら。彼から聞いています。私の希望を受け入れてくださり、ありがとうございますと、ブリッジ家の皆様へお伝えください。」


「承知しました。それで……その。書類はこちらになります」


「サラ、受け取ってちょうだい」


「はい。お嬢様」


 執事が持参した書類をサラが受け取り、画板にとめてフランチェスカへ渡す。

 受け取ったフランチェスカは書類の全てに目を通し、サラサラとそれらの全てのサインをした。


「修道院への寄付の件、受け入れてくださりありがとうございました。おかげで楽な方法で向かうことができます」


「いえ……。ご当主様もそれが一番よかろうと仰っておりますので」




 ***



 話しは数日前にさかのぼる。

 ブリッジ家の執務室に集まったのは、伯爵夫妻と息子のチャールズ、そして医師ロジャー。


「正直なところ、フランチェスカ様のご希望に沿うた方が、スムーズに事が運ぶと思われるのですが」


「ううむ……」


 フランチェスカを診察している医師から折り入って話があると言われ、三人が集まった。

 パトリシアとの逢瀬に出かけようとしていたチャールズは、引き留められて不機嫌な態度を隠さない。


「大変失礼ながら、もう次のご結婚の支度を始めておられている事は、誰の目にも明白でございます」


「え? そうなのか? 密かに行うよう指示していると言うのに!」


 本気で驚いている当主に、医師は曖昧な笑みを浮かべ、話をつづけた。


「どちらにしろ、この屋敷でフランチェスカ様が亡くなられると、一年程度喪に服さねばなりません。そうすると、正式なご結婚は一年後ということに……」


「そんな! 待てない。いや、待たせられない!」


 チャールズが椅子を蹴ってロジャーに食って掛かる。


「だから、国外の修道院へ『療養のために』送り出すのです。国外で治療の甲斐なく亡くなったのなら、ブリッジ家はフランチェスカ様のために手を尽くしたと格好がつきます。そして、旅立つ前にフランチェスカ様自ら離縁を申し出たと書類に明記しておけば、非難されることもないでしょう」


「そうか……」


「それで、ブリッジ家の今後の為にもう一つお話がありまして」


 ロジャーがカバンの中からリストを取り出す。


「これは?」


「フランチェスカ様の衣裳部屋にあるドレスとアクセサリーなどのリストでございます。婚約期間中、チャールズ様が買ってくださったもの全て、侍女が書きだしてくれました」


「ああ……そういえば、そんなこともあったな」


「チャールズ様。フランチェス様はこれらを全て売却して現金化し、それを修道院への寄付にして欲しいとのことです」


 最後まで聞いたところで、三人は怒り出す。


「は? 死にかけているくせにずいぶん欲の張ったことを言うのだな! こっちは不良債権を掴まされたというのに!」


 今度は伯爵が椅子を蹴倒す。


「そうよそうよ! 至らない嫁のくせに、こっちが慰謝料請求したいくらいだわ!」


 伯爵夫人も手にした扇を二つに折った。


「それでは、あのう……。フランチェスカ様に誂えたこれらを皆様、どうなさるおつもりで?」


「はあ?」


「どのご衣裳もチャールズ様がフランチェスカ様に着せて、公の場を歩いておられます。それをウェンディ様やパトリシア様へのお下がりになさるおつもりで?」


「は……」


 指摘されて、はたと気づく。

 手元に残しても使えないことに。


 三人が思考停止しているところを、畳みかけるようにロジャーはしゃべり続ける。


「正直に申しまして。縁起が悪くないですか? こういっちゃなんですが、今のフランチェスカ様はまるで何かに呪われているかのように不運の続きです。もはや不幸そのものでしょう。そんな人が身に着けたものを屋敷の中に置いておくのは、気味が悪くないですか? 私は怖くてたまりません」


 そして両手で己の身体を抱えてふるふると大げさに震えて見せた。


「確かに……」


「よしんば、フランチェスカ様がこの屋敷を去った後に売却したとして、その金を使った後何か不運に見舞われたりしたら……」


「わかった! よくよく、分かった! 彼女の希望通りにしよう!」


 伯爵は皆まで言わせず、即決した。


「ありがとうございます。現金化され次第、フランチェスカ様はサンニーニ修道院へ即、渡ることができます」


「うん? それはどういう意味だ?」


「フランチェスカ様のご病状でははとても長旅に耐えられません。なので、ヨド国教会大聖堂の大司教棟にある転移装置を使い、短時間で直接入島していただこうかと思いまして。それには多少のお金を積まねば出来ません。なので、工面していただきたかったのです」


 それでもヨド国の大聖堂は馬車で二時間ほどかかる。

 更に言うならばここからサンニーニ修道院まで馬車の旅で山越え谷越え二週間以上かかる上に最後は船旅だ。

 考えてみれば、起き上がれないほど衰弱しているフランチェスカに耐えられる旅ではない。

 下手をすれば、出発した翌日には息を引き取る可能性もある。

 国内で息を引き取ったとなると……ブリッジ家が無理矢理追い出したと噂になるだろう。


「転移装置で移動とは……そんなことが可能なのか」


「はい。サンニーニ修道院は医療修練の場でもあり、病の研究のために宗派を超えて連携しております故」


「ならば、そこでフランチェスカが回復するなんてことが……」


 ブリッジ家としては、『生きて戻られては』困る。

 それを言外に匂わせる伯爵に、医師は阿吽の呼吸で答えた。


「いくら何でもそれは無理です。ただ、穏やかに死を待つ……そんな場所へご案内することになります。その様な方のお世話をすることも、あそこでは修練の一つなのです」


「なるほど。分かった。全てフランチェスカの思うようにしてくれ」


「あと、ノートン家へは直前までこのことをお知らせしない方が良いかと」


「なぜだ?」


「実は、ノートン夫妻はフランチェスカ様を何としてでも取り戻し、どこかへ嫁がせようと画策しているようで、今必死に売り先を探しています。もしフランチェスカ様が他所の手に渡ったならば、不都合なことが起きるやもしれませんな」


「というと」


「もしも、ですが。別の治療法で少しでも回復なさった場合、ブリッジ家で冷遇されていたと噂になりませんか? 例えば、毒を飲ませていたなどと──」


 言われてみれば、ノートン夫妻は寄生虫みたいなやつらだった。

 フランチェスカさえいなくなれば、縁も切れると三人は考えた。


「わかった。執事以外の使用人には直前まで耳に入れないようにする。これならば漏れることもないだろう」


「ご配慮痛み入ります。これで心置きなくお渡りいただける事でしょう」


 医師がにこやかな笑顔を浮かべたまま告げた『お渡り』という言葉は、修道院へというよりも、あの世を指すように聞こえ、三人は一瞬背筋をふるりと震わせた。





 ***




「私に『もしもの事が』ありましたら……。これを証拠としてブリッジ家へ送ることとしましょう」


 フランチェスカが細い首を傾けて金のチェーンを引っ張り出す。

 それには指輪が通してあった。


「もしや……。結婚指輪ですか」


「はい。結婚式の時にチャールズ様が嵌めてくださったものです」


 式の直前までは、チャールズはフランチェスカを溺愛していた。

 だから、結婚指輪は彼の肝いりで作られたもので凝ったデザインだった。

 指輪の内側には結婚式の日付と互いの名前、そして外側には互いの瞳の色の宝石が一つずつはめ込まれている。


「これは、世の中で一つだけの指輪です。そして、私が存在し、チャールズ様の妻だったという証拠でもあります。これの持ち主がいなくなったなら、チャールズ様へお返しするのが筋でしょうから」


「フランチェスカ様……」


 そして、フランチェスカはそれまで被っていたナイトキャップを執事の前で外して見せた。


「フランチェスカ様! ああ、そんな……!」


 平民の少年のように短く刈り込んだ頭はとても小さく見えた。

 たまに大病を患っている時の処置として施されることがあると聞くが、ここまで思い切りよく髪を切り刻んだ姿は見た事がない。貴族の女性にとってあってはならない姿だ。


「このような頭をお見せしてごめんなさいね。私には長い髪は不要なの。看病する側も大変だし──」


「いえ、そんな、そんな……。そんなことは」


「最後の我がままなのだけど、出来ればこの姿をチャールズ様に見られたくないの。元気だったころの私だけを、記憶していてほしいから」


「つまりは……。チャールズ様にはもうお会いなさらないと言う事ですね」


「はい。出来る事なら、ひっそりと誰にも見られずに去りたいと思います」


「承知しました。ご当主様方にお伝えします」


「ありがとう。お願いね」


 執事はしんみりとした表情で書類を抱え、部屋を辞した。







「どう思う? ひっそりさよなら出来るかしら?」


「いやあ~。無理じゃないですか? あの人やこの人が黙っているわけないと思うんですよねえ」


「やっぱり?」


 ぱふんとフランチェスカは布団に崩れ落ちる。


「ああ……とにかくお腹空いた……。早く出立しないと飢え死にしそう……」


「気合いです。頑張ってください、フラン様☆」


「他人事だと思って~」


 リアルに見せるために、大絶賛減量中のフランチェスカは本当にヘロヘロのへろへろ状態だった。


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