91. ちっちゃな老婆たち LES PETITES VIEILLES
2版XCI、3版CXV
ヴィクトル・ユゴーへ À VICTOR HUGO
4部構成 十二音綴4行詩節 ×9 + ×3 + ×3 + ×6 脚韻ABAB
I
古都の路地、曲がりくねったその場に於ては、
何もかも、恐怖さえも魅惑にひっくり返る、
私は監視、運命的な気分に従って、老いては
いようが魅惑的な、奇抜な存在を見つめる。
Dans les plis sinueux des vieilles capitales,
Où tout, même l’horreur, tourne aux enchantements,
Je guette, obéissant à mes humeurs fatales,
Des êtres singuliers, décrépits et charmants.
こんなズタボロの怪物たちとはいえ、嘗ては女性よ、
エポニーヌ、はたまたライース!壊れたり、せむしになったり、
ひねくれていても、愛そう! まだ備えている魂を。
穴の開いたペチコートの下に、あるいは冷たい布地の下に
Ces monstres disloqués furent jadis des femmes,
Éponine ou Laïs ! Monstres brisés, bossus
Ou tordus, aimons-les ! ce sont encor des âmes.
Sous des jupons troués et sous de froids tissus
みな這い進む、邪悪な風に鞭打たれて、
乗合馬車がカラカラいうのに震えながらも、
聖遺物のように、ぎゅっと脇に抱えて、
花や判じ絵を刺繍したちっちゃな手提げを。
Ils rampent, flagellés par les bises iniques,
Frémissant au fracas roulant des omnibus,
Et serrant sur leur flanc, ainsi que des reliques,
Un petit sac brodé de fleurs ou de rébus ;
歩むことちょこちょこと、操り人形さながら、
傷ついた動物のように、自身を引き摺り歩いて。
あるいは、踊りたくもないのに踊っている、憐れな鈴か
そこに無慈悲な悪魔がぶら下がる!すっかり折れて
Ils trottent, tout pareils à des marionnettes ;
Se traînent, comme font les animaux blessés,
Ou dansent, sans vouloir danser, pauvres sonnettes
Où se pend un Démon sans pitié ! Tout cassés
しまっても、ドリルのように刺さるその目は、
夜中に水を湛える穴のようにきらきらと。
その目の神々しいこと、幼い少女のような
光り輝くもののすべてに驚き、笑う人。
Qu’ils sont, ils ont des yeux perçants comme une vrille,
Luisants comme ces trous où l’eau dort dans la nuit ;
Ils ont les yeux divins de la petite fille
Qui s’étonne et qui rit à tout ce qui reluit.
……お気づきだろうか、たいてい老婆の棺桶は
子供のものくらいに小さいという。
これら変わり映えしないビヤ樽に、博識な「死」は
奇妙で魅惑的な味の象徴を納める、
— Avez-vous observé que maints cercueils de vieilles
Sont presque aussi petits que celui d’un enfant ?
La Mort savante met dans ces bières pareilles
Un symbole d’un goût bizarre et captivant,
そして垣間見るとき、愚かしい亡霊が
パリのざわざわとした絵画を突っ切って行くのを
思えてならない、この壊れやすい存在が
ゆっくりと新しい揺りかごへと移動していると
Et lorsque j’entrevois un fantôme débile
Traversant de Paris le fourmillant tableau,
Il me semble toujours que cet être fragile
S’en va tout doucement vers un nouveau berceau ;
幾何学の瞑想に耽る訳でもあるまいが、
これら不一致な部材各々の形相からして、
職人は何度変更しなければならないか、
これら全ての身体が納まる箱の形なんて。
À moins que, méditant sur la géométrie,
Je ne cherche, à l’aspect de ces membres discords,
Combien de fois il faut que l’ouvrier varie
La forme de la boîte où l’on met tous ces corps.
この瞳こそは百万の涙でできた井戸である、
坩堝の中の金属が冷えたスパンコールか……
この神秘的な瞳は無敵の魅力を持っている
厳しい不幸を以て育まれた者にとっては!
— Ces yeux sont des puits faits d’un million de larmes,
Des creusets qu’un métal refroidi pailleta…
Ces yeux mystérieux ont d’invincibles charmes
Pour celui que l’austère Infortune allaita !
II
今はなき「フラスカティ」の恋愛中な「ウェスタの巫女」め。
タレイアの巫女かよ、哀れ!その台詞付け役は
その名を知って埋められる、名高い浮かれ女
嘗てはチボリの木陰に花開いた
De Frascati défunt Vestale enamourée ;
Prêtresse de Thalie, hélas ! dont le souffleur
Enterré sait le nom ; célèbre évaporée
Que Tivoli jadis ombragea dans sa fleur,
その全てが私を酔わせる!しかし、これらか弱い生き物の中には、
痛みを蜜にしてしまう者もあるかと思えば、
翼を貸してくれた「献身」に、さらに求めた者も居るとは。
力あるヒッポグリフよ、私を天に連れて行け!とか。
Toutes m’enivrent ! mais parmi ces êtres frêles
Il en est qui, faisant de la douleur un miel,
Ont dit au Dévouement qui leur prêtait ses ailes :
Hippogriffe puissant, mène-moi jusqu’au ciel !
一人は不幸に慣らされた、祖国によって、
もう一人は夫から、苦しみを背負わされ、
もう一人は聖母、心刺された我が子によって、
その全員の涙、ほとばしれば大河にもなれ!
L’une, par sa patrie au malheur exercée,
L’autre, que son époux surchargea de douleurs,
L’autre, par son enfant Madone transpercée,
Toutes auraient pu faire un fleuve avec leurs pleurs !
III
ああ!私は何度、ちっちゃな老婆の後を追ったことか!
一人は、中でもとりわけ、太陽が沈んでいって
赫赤たる傷そこら中から空を血塗れにする時間、
物思いに耽りつつ、ベンチに腰を下ろして、
Ah ! que j’en ai suivi de ces petites vieilles !
Une, entre autres, à l’heure où le soleil tombant
Ensanglante le ciel de blessures vermeilles,
Pensive, s’asseyait à l’écart sur un banc,
コンサートを聴くために、金管の響き朗々と、
兵士たちが時折、私たちの庭園に溢れさせる、
そして、生き返ったように感じる黄金の夜よ、
都会に住む人々の心に勇気を注ぐ。
Pour entendre un de ces concerts, riches de cuivre,
Dont les soldats parfois inondent nos jardins,
Et qui, dans ces soirs d’or où l’on se sent revivre,
Versent quelque héroïsme au cœur des citadins.
この人は、背筋を伸ばし、誇り高く、ルールを守って、
この活気に満ちた好戦的な歌を熱心に聴き取った。
目は時々、老いた鷲の目のように開いて。
大理石の額は、月桂冠のために誂えられたようであった!
Celle-là, droite encor, fière et sentant la règle,
Humait avidement ce chant vif et guerrier ;
Son œil parfois s’ouvrait comme l’œil d’un vieil aigle ;
Son front de marbre avait l’air fait pour le laurier !
IV
そんな貴女方は歩む、克己的に、文句も言わずに、
生きている都市の混沌を横切って、
情の深い母親、娼婦、聖人などと好きなように、
嘗ては誰もがその名を挙げて。
Telles vous cheminez, stoïques et sans plaintes,
À travers le chaos des vivantes cités,
Mères au cœur saignant, courtisanes ou saintes,
Dont autrefois les noms par tous étaient cités.
貴女方こそは在りし日の恵みであり、栄光であって、
なのに誰も貴女方を認めない!無礼な酔っぱらいが、
通りすがりの貴女方を侮辱する、嘲笑の睦言もて。
貴女方の踵にじゃれ付くは、臆病で下品な子供が。
Vous qui fûtes la grâce ou qui fûtes la gloire,
Nul ne vous reconnaît ! un ivrogne incivil
Vous insulte en passant d’un amour dérisoire ;
Sur vos talons gambade un enfant lâche et vil.
存在することを恥じ、縮こまった影となり、
恐れおののき、背を丸めて壁際を歩くか。
そして誰も出迎えてくれない、異邦人の運命!
人類の残骸よ永遠なれとでも言おうか!
Honteuses d’exister, ombres ratatinées,
Peureuses, le dos bas, vous côtoyez les murs ;
Et nul ne vous salue, étranges destinées !
Débris d’humanité pour l’éternité mûrs !
しかし、遠くから貴女方を愛惜もて見守る私は、
貴女方の不確かな足取りを危ぶみつつ見つめていて、
私が貴女方の父親であるかのように、いやはや!
貴女方の知らないところで、私は密かな快楽を味わって。
Mais moi, moi qui de loin tendrement vous surveille,
L’œil inquiet, fixé sur vos pas incertains,
Tout comme si j’étais votre père, ô merveille !
Je goûte à votre insu des plaisirs clandestins :
私は見る、貴女方の初々しい情熱が花開くのを。
暗くも明るくも、貴女方の失える日々を私が生きて。
いや増すわが心に愉しむ、貴女方の悪徳全てを!
わが魂の燦然たること、貴女方の美徳の全てにて!
Je vois s’épanouir vos passions novices ;
Sombres ou lumineux, je vis vos jours perdus ;
Mon cœur multiplié jouit de tous vos vices !
Mon âme resplendit de toutes vos vertus !
廃墟よ、我が一族よ、同胞の頭脳たちよ!
私は毎晩、貴女方に厳粛なる別れを告げる!
明日は何処に居るのか、八十代のイヴたちよ、
畏るべき神の爪が重くのしかかる?
Ruines ! ma famille ! ô cerveaux congénères !
Je vous fais chaque soir un solennel adieu !
Où serez-vous demain, Èves octogénaires,
Sur qui pèse la griffe effroyable de Dieu ?
訳注
plis: 「皺」「折り返し」「襞」などと訳される。くねくね曲がる古い狭いパリの路地をいうので、「九折」のように高低差があるわけではない
tourne: 原義は「回転する」転じて「変化する」と訳されるが、change ではなく turn over に近いようだ
roulant: これも「回転する」から来ていて、車輪の回転を指す。直前にある fracas は「騒動」「喧騒」をいうので、ゴムタイヤのない車輪が(当時としては)喧しい音を立てるものだったのであろう。普通に訳すと「走行騒音」とかになってしまい、「身を震わせる」原因にはなりそうにないので意訳
omnibus: 「バス」の語源となる「乗合馬車」は、当時としては賑やかというか、けたたましい存在だったようだ。その雰囲気を伝えるレコードが動画になっていたので、どうぞ
Éponine: ユゴー『あゝ無情』登場人物。いわゆる悪役令嬢が零落して後、暴動の最中に恋人を守って殺される。「エポニーヌ」という名前は、ローマ帝国に反乱を起こしたユリウス・サビヌスの妻、古代ガリア人エポニーヌに由来する。彼女は長年夫を守り、最終的に夫が捕らえられた際には夫と共に死ぬことを選んだことで、「偉大な愛国心と美徳の象徴となった」。 つまりボードレールは当時の流行に則って、この名を「美徳」の記号に用いた
Laïs: コリントのライスは、ペロポネソス戦争の時代に生き、当時最も美しい女性であったとされる。コリントは神殿娼婦の制度で知られており、娼婦 = 悪徳 の記号
petit sac: ハンドバッグの原型、Reticuleレティキュールと呼ばれた。もちろん超高級品で、それは盗られまいと必死にもなる
rébus: この頃、判じ絵すなわち謎々を問いかける絵が謎の流行を見せ、雑誌の片隅に連載されたりした。読み書きできる人は限られた
sonnette: 呼び鈴。英語では door bell。または(卓上・典礼用などの)振り鈴、あるいは自転車の鈴なども含む小型の鈴。marionnettes と押韻するために選ばれた単語とはいえ、ドアベルを「踊らせる」には少々無理があり、どちらかと言うと振り香炉に付ける鈴の印象。
se pend(re): 「首を吊る」でもある。大アルカナ#12「吊された男」は、「叛逆者」=「裏切り者ユダ」でもある
dort: 「眠る」「静まり返る」と訳される。この場合「淀んだ水」「揺るぎない水」が近いようだ
bières: アルコール飲料の「ビール」を、vieilles(棺)に掛けている。どう訳しても不自然なので、解り易くしてみた
le fourmillant tableau: 本章の主題にして前作の谺
pailleta: それらしいものが辞書に見当たらない。paillette なら「スパンコール」なので、此方ではないか。スパンコールは輪状のビーズで、今日ではプラスチックだが、往年は金属製。キラキラした輪の形なら、なるほど瞳に見えなくもない。語順からすると坩堝 Des creusets を歌う形なのに、意識は最後の一語にあるとは、捻くれ者の詩人らしいと言えなくはないものの、つくづく面倒臭い御仁ではある。
Frascati: 「フラスカーティ」自体はローマ郊外の町の名。この名を冠した「カフェ・フラスカティ」が、1859年当時すでに廃業していたため「今はなき」と付ける。遺された絵を見ると、なるほど青空と見紛うほど高い天井の豪奢な空間。とはいえ「女性が出入りを許される唯一の賭博場だった」(阿部良雄)というから、単なるお洒落なカフェに留まらない施設だったらしい。
なお、このカフェは漫画『ヴェルサイユのばら』にしっかり登場するそうで、マンガ侮り難し。しかし goo ブログ自体が近々閉鎖になるらしく、あるいはこの記事も読めなくなってしまうのかもしれない。あゝ無常。
Vestale: ローマ神話に於ける竈の女神ウェスタに仕える巫女。処女でなければならず、禁を犯した者は生き埋めの刑に処された。スポンティーニの作曲により、オペラになっている
Thalie: ギリシア神話で喜劇を司るムーサ(楽芸の女神)の一柱。陽気な若い娘として描かれる。
souffleur: 英語 prompter に当たる劇場の黒子。出演者に台詞を教える人間カンペの役を担うため、見えない位置に埋没する。このことをウェスタの巫女の故事に被せ、「生き埋めにされている」と歌う。
Tivoli: ローマ近郊の都市。古代ローマ時代から保養地として知られ、貴族たちが遺した別荘の中でもリスト『巡礼の年』第3年(1883)に歌われたエステ荘が有名。但し発行年からして、『エステ荘の噴水』を含むこの曲集を詩人は聴いていない。『ダンテを読んで』を含む第2年『イタリア』(1858)なら聴いていたであろう。ウェスタ神殿は、古代ローマの中枢であったフォルム・ロマヌム(Forum Romanum)とは別に、チボリにも現存する。ところがややこしいことに、パリにも嘗てチボリ公園なるものが存在したので、此方の話ということも有り得る。というより、詩人はパリとイタリアを二重写しにしている。
Hippogriffe: グリフォン griffon と雌馬の間に生まれたという伝説の生物。 古くはウェルギリウスがそれらしい存在に触れるものの、ヒッポグリフの名と素性を明らかにしたのはアリオスト『狂えるオルランド』(1516)であった。後にÉphraïm Mikhaëlが散文詩Le Solitaire(1889)で歌っているのは、本作を踏まえての事かもしれない。
Hippogriffe, hippogriffe libérateur, emporte-moi plus haut que le ciel. (ヒッポグリフよ、解放のヒッポグリフよ、私を空よりも高く連れて行ってくれ。)
vermeilles: vermeil の複数形で「鮮紅色の物」を指す。ここでは夕焼けを「鮮紅色の傷だらけ」と見立てる。しかし夕陽夕焼けに「鮮紅色の」という言い方はしないので想像しにくく、同様の色を示す「赫赤」とする
cuivre: 「銅」であり、「金管楽器」でもある。英語では金管楽器に brass (黄銅)を充てるので、我が国でも「ブラス」というが、フランスで「ブラスバンド」とは言わないようだ。その前に「ラッパ」という方が我が国ではより一般的で、その方が詩句として良さそうだ。しかし「銅」から離れてしまうので、今回は見送る。
octogénaires: フランス革命が勃発した1790年前後に二十歳であった女性は、60年後の1850年には80歳を迎えた筈で、この零落した老婆たちは「革命の犠牲者」つまり旧体制側、王党派の人という事になろう。二月革命に加担したボードレールが、反動勢力の成れの果ての肩を持つのは、矛盾というより分裂的であり、現代的である。
la griffe effroyable de Dieu: 神の爪 la griffe de Dieu という表現が具体的に何を指すのか、検索したが最近の作品しか見つからないので不明。アダムとイヴが犯した「原罪」とは「死」の理由付けなので、「死が待っている」事と言えなくはないけれど、それは万人に同じこと。であるから、この人たちに特有の運命が待っていると、当時は了解されていた事項があるものと考える




