79. 強迫観念
2版LXXIX、3版LXXXI
OBSESSION
憂鬱詩群
ソネット形式 脚韻ABAB CDCD EFF EGG
割と明らさまな自虐ネタであるのに、自分ではなかなか元ネタが判らず難儀した。種明かしは脚注で。
大いなる森よ、汝は我を、大聖堂も同然に脅迫する、
オルガン同様吠えたてる、忌まわしき胸中にて
悠久の弔いの部屋、其処はいにしえの呻きに震える、
返るは汝よばわる「深き淵より」のこだまにて。
Grands bois, vous m’effrayez comme des cathédrales ;
Vous hurlez comme l’orgue ; et dans nos cœurs maudits,
Chambres d’éternel deuil où vibrent de vieux râles,
Répondent les échos de vos De profundis.
大海よ、汝を嫌悪!跳んだり跳ねたりの、
その中に、わが魂は見い出せり、あの苦笑い
嗚咽屈辱なほ余りある、敗れ去りし者の、
声聞きつけたり、海の数知れぬさんざめきに。
Je te hais, Océan ! tes bonds et tes tumultes,
Mon esprit les retrouve en lui ; ce rire amer
De l’homme vaincu, plein de sanglots et d’insultes,
Je l’entends dans le rire énorme de la mer.
嗚呼夜よ、如何にか愛さん、満天の星なかりせば!
その光語らんとするは、痴れたる声を!
わが求むるは、虚空、闇、無垢のみを!
Comme tu me plairais, ô nuit ! sans ces étoiles
Dont la lumière parle un langage connu !
Car je cherche le vide, et le noir, et le nu !
されど暗闇、すなわち画布ともなれば
其処に我が片目より、何千となく萠え出づる、
世を去りし者共、親しげな視線を投げてくる。
Mais les ténèbres sont elles-mêmes des toiles
Où vivent, jaillissant de mon œil par milliers,
Des êtres disparus aux regards familiers.
訳注
Grands bois ...: シャトーブリアン『キリスト教神髄』(1802)以来、大伽藍を森へ例えることが常套となっていた(阿部良雄訳注)。その反転、当てつけ。とはいえ当てつけにしては大伽藍のアイテムを一々描写するため、読む方は森林より大伽藍ばかり意識せずに居られない。と同時に、1860年発表のこの詩は明らかに、#4.「万物照応」(1845 - 1846頃)に照応する1篇(小倉康寛『1860 年におけるボードレールの詩学の「成熟」』ほか参照 )。「自然とは、生きている柱の神殿」であったものが、ここでは「大伽藍のように迫り来る深い森」と化している。
De profundis: #30.「深キ淵カラ呼バワル」で扱った詩篇130番、ラテン語では De profundis clamavi ad te Domine. から始まるので、このように呼ばれる。
le rire énorme de la mer: アイスキュロス『縛られたプロメテウス』より
プロメテウス:おお、聖なる大空よ、迅き翼の風よ、大海の波の数知れぬ微笑よ、万象の母なる大地よ、一切を見る日輪よ、俺は貴様たちを呼ぶ。(内山敬次郎訳)
œil: 男性名詞「目」複数形 yeux
langage: #3「高翔」の最終節では「花や物言わぬものの声を」聞き分ける快楽に浸るのが、ここでは星の光が上から目線で、聞いた風な口を利く。
regards familiers: #4.「万物照応」では「人々の親しげな視線」に見守られ「象徴の森を通り抜ける」人が、今では他人の目がウザいばかり。




