78. 憂鬱
2版LXXVIII、3版LXXX
SPLEEN
憂鬱詩群 脚韻ABAB
時に、低く重い空が蓋をするようにのしかかって、
魂は呻吟、長い倦怠に苛まれてきた。
その空は、地平線から地球をまるまる包み込んで
夜よりも悲しい黒い陽を注いできた。
Quand le ciel bas et lourd pèse comme un couvercle
Sur l’esprit gémissant en proie aux longs ennuis,
Et que de l’horizon embrassant tout le cercle
Il nous verse un jour noir plus triste que les nuits ;
時に、大地が湿った地下牢と化して、
そこを「望み」がコウモリのように、
臆病な翼で壁をバタバタ叩こうとして
そして頭をぶつける、腐った天井に。
Quand la terre est changée en un cachot humide,
Où l’Espérance, comme une chauve-souris,
S’en va battant les murs de son aile timide
Et se cognant la tête à des plafonds pourris ;
時に、雨が計り知れない爪痕残せば
広大な牢獄の鉄格子に似て見える、
悪名高い蜘蛛の物言わぬ群れが
私たちの脳の奥深くに網を広げる、
Quand la pluie étalant ses immenses traînées
D’une vaste prison imite les barreaux,
Et qu’un peuple muet d’infâmes araignées
Vient tendre ses filets au fond de nos cerveaux,
突然、鐘が怒りに燃えて跳ね上がり、
天に向かって恐ろしい咆哮を投げつける、
故郷を失ったさまよえる魂たちのように
誰ともなく何処までも泣き喚き始める。
Des cloches tout à coup sautent avec furie
Et lancent vers le ciel un affreux hurlement,
Ainsi que des esprits errants et sans patrie
Qui se mettent à geindre opiniâtrement.
……そして長い長い葬列、太鼓も御囃子もない、
わが魂をゆっくりと通り過ぎていく。敗残の
「希望」は涙を流し、残虐で専制的な「憂い」、
ひれ伏したわが頭蓋骨に立てる、その黒旗を。
— Et de longs corbillards, sans tambours ni musique,
Défilent lentement dans mon âme ; l’Espoir,
Vaincu, pleure, et l’Angoisse atroce, despotique,
Sur mon crâne incliné plante son drapeau noir.
訳注
Espérance: 女性名詞。54. 『修復不能』に既出。阿部良雄訳では、最終節の Espoir「希望」と区別のため、「期待」とする。但し阿部訳も54.『取り返しのつかぬもの』第6節は「希望」とする。ここは揃えた方が判り易いと思うし、詩人が「期待」→「希望」と書き分けたのなら、54. 『修復不能』も合わせるべきであろうし。そこで、Espoir を「希望」とし、こちらは「望み」とする。
battant: 普通に「叩きつける」で良い筈だが、「ばったん」に近い響きが気に入った。再現を試みる。
araignées: 蜘蛛を英語圏では概ね spiders と呼ぶのに対し、ギリシア神話のアラクネー Arachné (古代ギリシャ語 Ἀράχνη / Arákhnê) に由来するこの言葉が、ラテン語圏では支配的なようだ。オウイディウス『変身物語』に見るアラクネーは優れた織り手で、機織りを司る女神アテーナーをも凌ぐと自慢する程であった。そのためアテーナーと織物勝負となり、腕前自体は女神も認めたものの。神々を侮辱する描写をしたので、その怒りを招き、作品を壊され打ち叩かれた。辱めを受けたアラクネーは縊死、これを憐れんだ女神により蜘蛛にされたと伝わる。
geindre: 専ら「唸る」「呻く」と訳される。しかし西洋の鐘は、構造的には鈴を大きくした形なので、梵鐘の殷々たる響きはなく、むしろ甲高い声に聞こえる。これを模したフランツ・リストの練習曲「鐘」も、「唸る」感じには聞こえないので、少し弄ってみた。
Angoisse: 阿部良雄訳では「苦悶」とする。ここでは押韻を兼ねて題名に関わりそうな語句にした。
drapeau noir: 黒旗は元来、回教徒の旗印であった。骸骨の意匠を付加して海賊旗としたものを Jolly Roger という。詩句には「黒い旗」と記すのみ、とはいえ詩人が意図したのはこれだろう。




