76. 憂鬱
2版LXXVI、3版LXXVIII
SPLEEN
憂鬱詩群 対句
私の抱える思い出は、千年分よりなお多い。
J’ai plus de souvenirs que si j’avais mille ans.
大きな箪笥の抽斗、中には貸借対照表の他に、
詩、恋文、ロマンス、訴訟、
重い髪を巻きつけた領収証、
わが悲哀の脳ほど、秘密を隠すものではない。
ピラミッド、巨大な地下埋葬所に他ならない、
集団墓地よりも多くの死者が収容されている。
……私は墓所だ、月にさえ忌み嫌われている、
Un gros meuble à tiroirs encombré de bilans,
De vers, de billets doux, de procès, de romances,
Avec de lourds cheveux roulés dans des quittances,
Cache moins de secrets que mon triste cerveau.
C’est une pyramide, un immense caveau,
Qui contient plus de morts que la fosse commune.
— Je suis un cimetière abhorré de la lune,
そこに悔恨のように長い詩句を引きずる
親愛なる死者をいまだに苦しめている。
私は色褪せたバラでいっぱいの古い寝室、
そこに時代遅れの品物がゴロゴロ転がる、
そこに、哀愁のパステル画と青白いブーシェの絵、
一人、栓の抜けた香水の匂いを吸わせるばかりで。
Où comme des remords se traînent de longs vers
Qui s’acharnent toujours sur mes morts les plus chers.
Je suis un vieux boudoir plein de roses fanées,
Où gît tout un fouillis de modes surannées,
Où les pastels plaintifs et les pâles Boucher,
Seuls, respirent l’odeur d’un flacon débouché.
足を引き摺る日々ほど長々しいものなし、
なぜか雪が降る年の深い厚い積雪の下に
倦怠、陰鬱な好奇心の果実、
その身に不滅の均斉を持つ。
……今後、貴方はもう居ない、生きている物質よ!
茫漠とした懼れに包まれた花崗岩よ、
いまや霧深いサハラの奥深くで眠っている
不注意な世界に無視された老スフィンクス、
地図からも描き忘れられて気分は獰猛
沈みゆく夕陽に向かってのみ歌うよう。
Rien n’égale en longueur les boiteuses journées,
Quand sous les lourds flocons des neigeuses années
L’ennui, fruit de la morne incuriosité,
Prend les proportions de l’immortalité.
— Désormais tu n’es plus, ô matière vivante !
Qu’un granit entouré d’une vague épouvante,
Assoupi dans le fond d’un Saharah brumeux ;
Un vieux sphinx ignoré du monde insoucieux,
Oublié sur la carte, et dont l’humeur farouche
Ne chante qu’aux rayons du soleil qui se couche.
訳注
読んでみた限り、「現代性」を強調する美術批評家でもある詩人が、自分の好みを「懐古趣味」「時代遅れ」と貶されてキレた感じ。してみると、この題名が抱えるものは「鬱屈」より「憤懣」に近いのかもしれない。
pyramide: 元より世界七不思議に数えられたピラミッドが、ナポレオンのエジプト遠征以来、フランスで注目されるようになった。既に墓所であることは理解されていたものの、カタコンベのようなものと思われていたようだ。
pastels: 18世紀はパステル画の時代であったのに対し、フランス革命後まもなく廃れ、油絵に取って代わられた。しかし、この頃パステル画をよくしたウジェーヌ=ルイ・ブーダン(Eugène-Louis Boudin, 1824 - 1898)には、詩人が「空の王者」と賛辞を贈っている。
Boucher: フランソワ・ブーシェ(François Boucher, 1703 - 1770)フランスのロココ派画家。往年はフランス画家の代表ともされたのに、死後30年ほど経っての競売では値段がつかない程度。19世紀後半になってゴンクール兄弟の再評価から名誉回復を得るまでは、棄て去られた画家であった。詩人がどの絵を指してles pâlesと称したのか明らかではなく、青い服で色白の『ポンパドゥール婦人』を挙げておく。
vers: ver/vers は「虫」を指すので、「這い回る蛆虫」でもある。
les boiteuses journées: 「足が不自由な」「日々」というから、のろのろと過ぎて行く一日一日の擬人化と思ったが、自分が怪我をして「足が動かせない日々」のようでもある。




