57. 或るマドンナへ 〜スペイン風の奉納品〜
2版LVII、3版LIII
À UNE MADONE
ex-voto dans le goût espagnol
マリー・ドーブラン詩群ここまで 対句
おそらくこの詩は、聖心 Sacred Heart と呼ばれる捧げ物 Ex Voto をモチーフにしている。後書きと、参考文献の欄にWikipediaへのリンクを張っておいたので、馴染みのない方は「聖心」から御覧じろ。
私は貴女に捧げたい、聖母よ、わが恋人よ、
私の苦悩の奥底に、地の下深くの祭壇を、
先ず我が心の一番暗い隅を掘り下げる、
世俗的な欲望や嘲る目から遠く離れる、
艶やかな壁龕、紺碧と黄金に彩られ
そこに立つ貴女、「奇跡の彫像」となれ。
磨かれた「詩句」、純粋な金属の格子もて、
水晶の韻をそこに精巧に散りばめて、
貴女の頭に大きな「花輪」を作ってあげよう。
わが嫉妬のうちに、はや死すべき聖母よ、
貴女の「外套」、裁ち方ならまあ解る、
ゴツゴツと硬く、重く、裏地は疑惑、
それは監視哨のように、貴女の魅力を封じ込めて。
「真珠」の刺繍の代わりに、わが「涙」のことごとくを込めて!
貴女の「ドレス」は、打ち震え波打つわが「欲望」にて、
織り成せるわが「欲望」たるは、高くも低くて、
襞の高みに打揺らぎ、谷へ下れば鎮まり返り、
白と薔薇色の貴女の体を、キスでくまなく覆い。
「敬意」を込めて奉る、美しい一足の「靴」を
サテンの、貴女の謙虚な神聖な両足を、
柔らかい抱擁の中に閉じ込めるような、
忠実な木型がその形容を変えぬような。
もし我が勤勉なる技芸の総力を凝らしてもなお、
「足台」となる銀の「月」を彫ること叶わぬなら、もう
わがはらわたを噛める「大蛇」を押し込むは
貴女の踵の下。踏みにじり、嘲笑うは
貴女、勝利の「女王」、贖罪の実を結ぶだろう、
この怪物は憎しみと唾棄で膨れ上がろう。
我が「想い」、「蝋燭」よろしく立ち並べ給え、
「処女の女王」の花咲き乱れる祭壇の前、
青く塗られた天井に映り星と輝く、
常に燃え盛る目で貴女を見守る。
して我が内なるもの、なべて貴女を慈しみ、讃えるよう、
ことごとくが「安息香」、「薫香」、「乳香」、「没薬」となろう、
白く雪かぶるような山巓の貴女に向かって絶え間なく、
わが嵐のような「魂」が、「蒸気」と化して立ちのぼる。
Je veux bâtir pour toi, Madone, ma maîtresse,
Un autel souterrain au fond de ma détresse,
Et creuser dans le coin le plus noir de mon cœur,
Loin du désir mondain et du regard moqueur,
Une niche, d’azur et d’or tout émaillée,
Où tu te dresseras, Statue émerveillée.
Avec mes Vers polis, treillis d’un pur métal
Savamment constellé de rimes de cristal,
Je ferai pour ta tête une énorme Couronne ;
Et dans ma Jalousie, ô mortelle Madone,
Je saurai te tailler un Manteau, de façon
Barbare, roide et lourd, et doublé de soupçon,
Qui, comme une guérite, enfermera tes charmes ;
Non de Perles brodé, mais de toutes mes Larmes !
Ta Robe, ce sera mon Désir, frémissant,
Onduleux, mon Désir qui monte et qui descend,
Aux pointes se balance, aux vallons se repose,
Et revêt d’un baiser tout ton corps blanc et rose.
Je te ferai de mon Respect de beaux Souliers
De satin, par tes pieds divins humiliés,
Qui, les emprisonnant dans une molle étreinte,
Comme un moule fidèle en garderont l’empreinte.
Si je ne puis, malgré tout mon art diligent,
Pour Marchepied tailler une Lune d’argent,
Je mettrai le Serpent qui me mord les entrailles
Sous tes talons, afin que tu foules et railles,
Reine victorieuse et féconde en rachats,
Ce monstre tout gonflé de haine et de crachats.
Tu verras mes Pensers, rangés comme les Cierges
Devant l’autel fleuri de la Reine des Vierges,
Étoilant de reflets le plafond peint en bleu,
Te regarder toujours avec des yeux de feu ;
Et comme tout en moi te chérit et t’admire,
Tout se fera Benjoin, Encens, Oliban, Myrrhe,
Et sans cesse vers toi, sommet blanc et neigeux,
En Vapeurs montera mon Esprit orageux.
最後に、貴女のマリア役を果たすため、
そして愛と蛮行を混ぜ合わせるため、
黒い欲望!「七つの大罪」に数えられるうち、
悔恨の処刑人、私は鋭利な「ナイフ」を7本持ち、
鋭敏で、かつ鈍感な曲芸師のようにして、
貴女の愛の深さを狙う的にして、
全て突き刺す、貴女の喘ぐ「心臓」へ、
啜り泣く「心臓」へ、血を流す「心臓」へ!
Enfin, pour compléter ton rôle de Marie,
Et pour mêler l’amour avec la barbarie,
Volupté noire ! des sept Péchés capitaux,
Bourreau plein de remords, je ferai sept Couteaux
Bien affilés, et, comme un jongleur insensible,
Prenant le plus profond de ton amour pour cible,
Je les planterai tous dans ton Cœur pantelant,
Dans ton Cœur sanglotant, dans ton Cœur ruisselant !
訳注
ex-voto: エクス ヴォート(Ex Voto)とはラテン語で「奉納品」をいう。教会で願掛けをし、その願い事が叶った時に奉るもの。多くは「絵馬」と訳されるが、奉納する時点も目的も姿形も異なるので、少し変えた。というか、形は全く際限ない。例えば、『1662年の奉納品』(Ex-Voto de 1662)と呼ばれるものは、治癒の奇跡を描いた一幅の絵である。
他にも船の模型やら義足やら人形やら、検索すれば多種多様な Ex Voto が見られる。このような「エクス・ヴォート」を巡る事象については、岩井洋『出現・奇跡・奉納』が詳しいけれど、払い下げについては触れられていない。
https://tezukayama.repo.nii.ac.jp/record/1695/files/bungakubu39_08_Iwai.pdf
ただ、此処では聖心 Scared Heart と呼ばれる、心臓を象った捧げ物をいうのであろう。Ex Voto sacred heart として検索すると、売り物の「心臓」が大量に出てくる。奉納以外にもお守りとして、また蒐集の対象にもなるようだ。奉納品が払い下げになることもあるらしい。
画像はオックスフォード大学の Amulet コレクションにある Sacred Heart Ex-Voto, France と題されたもので、説明によると
聖心の信仰は 11 世紀にまで遡ることができます。これは17世紀、フランスの修道女マルグリット=マリー・アラコックが救い主イエスの幻視を体験し、その中で救い主イエスは彼女に語りかけ、茨と炎に絡め取られ十字架に覆われた心臓を見せたことで人気を博しました。彼女は、自身と祖国を聖心の崇敬に捧げ、聖心の祝日を制定しました。
マルグリットの死後 30 年が経過した 1720 年、マルセイユの司教は、ヨーロッパ全土に蔓延していた疫病からこの地域を救おうと、教区を聖心に奉献しました。街は疫病の流行からすぐに回復し、聖心は危険や病気から身を守るために身に着けられる人気の紋章となりました。
という。この「心臓」に剣を突き立てた意匠のものもあり、「スペイン風」とはそのことであろう。Ex Voto で検索しても売り物しか見つからなかったが、別の形で見つかった。カトリック教会では「悲しみの聖母」という信仰があり、祝日があり、マリア美術の主題になる。その信心業が「聖母マリア7つの悲しみ」である。それぞれ独立して描かれることもある。
1. シメオンの予言
ルカによる福音書2章
34 するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。
35 そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。-それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。
2. エジプトへの逃避
マタイによる福音書2章
13 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
3. 幼子イエスをエルサレム神殿で見失う
ルカによる福音書2章
43 ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
44 そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、
45 見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。
4. 十字架の道行きでのイエスとの出会い
ルカによる福音書27章
27 大ぜいの民衆と、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとが、イエスに従って行った。
5. ゴルゴタの丘でのイエスの磔刑
ヨハネによる福音書19章
25 さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。
26 イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。
27 それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。
6. イエスが十字架から降ろされる
マタイによる福音書27章
57 夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。
58 この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。
7. アリマタヤのヨセフによるイエスの埋葬
ヨハネによる福音書19章
40 彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。
以上「7つの悲しみ」を、シメオンの預言に基づき「胸を刺し貫く剣」として表現したイコンがあり、ボードレールはこれを意識して「スペイン風」と添え書きしたのであろう。
treillis: 金物の「格子」から「花輪」あるいは「冠」が作れるとは思えず、誤訳か誤記を疑った。四角い「格子」で丸い「花輪」「冠」は無理だろう?丸窓に嵌めるならまだしも。
……しかし、ふと「花輪の聖母」という語句を思い出して検索すると、果たして「四角い花輪」があるではないか。それが冒頭のブリューゲルとルーベンスによる『花輪の聖母子』である。おそらくボードレールも、これを見たことがあったのであろう。
Madone: 「聖母子」と訳されるのが La Madone au Chanoine であるから、この語は「聖母」そのもの。愛欲の対象とする女「マリー」を「聖母マリア」に重ねている訳で、これは題名共々、冒瀆に近い。毎回そんなギリギリを攻めなくてもと思うが、幸い(?)裁判の対象にはならなかったようである。
なお、イタリア語では Madonna といい、我々に馴染みの「マドンナ」は此方の発音に近く、Missa della Madonna(聖母のミサ)と言えばフレスコバルディの大作『音楽の花束 Fiori musicali』の一部をなす典礼曲集。Marienvesper とも呼ばれるモンテヴェルディ『聖母マリアの夕べの祈り (Vespro della Beata Vergine; SV 206, 206a)』も似たようなものだが、此方は題名に「処女マリア」を謳うせいか、 Madonna と呼ばれることはあまりないようである。いよいよ関係ないけれど、合衆国の歌手“マドンナ”に至っては波長が合わないというのか、出てきた時から大嫌い。あの小娘はマドンナじゃなくてマリリン(の追っかけ)じゃないのか?と最初に思ったからか、未だに歌を聞こうという気にはなれない。
le Serpent...: 創世記3章
14 主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。
15 わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
gonflé: 怪物が「膨れ上がる」までしか書いていないが、これを「足台と為し給え」という訳で、聖母は勇ましくも怪物を踏んで立つ形。
踏み心地が良さそうには見えないけれど、邪鬼を踏みつけにする図は仏像、特に四天王像や降三世明王像にも見られる。日本や中国では本来の意味が失われてしまったが、元になったヒンズー神像の約束事では、邪鬼と見えるものは他の神であり、その権能を奪い取った事を示している。
cœur: 「心」であり「心臓」でもある。英語の heart も、両者を区別しない。従って物理的に「お前の心臓を突き刺す」という表現で、心理的に「お前の心を刺す」という意味になる。
des sept Péchés capitaux,: 絵図のとおり『7つの大罪』は
強欲 avarice
憤怒 colère
嫉妬 envie
暴食 gourmandise
色欲 luxure
傲慢 orgueil
怠惰 paresse
であり、「悔恨 remord」は入っていない。内容からして(ポスターの左下、そっぽ向く女の図で示される)「嫉妬 envie」である筈だが、詩集『悪の華』に含まれる envie は1箇所のみ、jalousie も1箇所のみ。対して remord/remords は20箇所に及ぶから、これは書き損ねではなく、詩人が故意に書き換えたものであろう。と書いていたのだが、大きな見落としがあった。「剣7本」は上記の通り、「聖母マリアの七つの悲しみ」を表してもいたのだ。詩に書いたのは「七つの大罪」のみなので考え及ばなかったけれど、カトリック教会では常識なので、七つの大罪→剣7本→7つの悲しみ とする寓意を込めてある訳だ。とはいえ聖画にしても例えにしても、いくら何でも、酷くね?と思ってしまうのは、訳者が異教徒ゆえであろうか。




