39.
XXXIX
ソネット形式 脚韻ABBA CDDC EEF GFG
ジャンヌ・デュヴァル詩群ここまで
わが名に於て、之なる詩句を授けよう。
運良く着地、遥かな時代に
一夜の夢を人の脳裏に、
大いなる北風に寵愛された帆掛け船よ、
Je te donne ces vers afin que si mon nom
Aborde heureusement aux époques lointaines,
Et fait rêver un soir les cervelles humaines,
Vaisseau favorisé par un grand aquilon,
不確かな寓話に等しく貴女の思い出、
打楽器乱れ打ちと鳴り読者を苛立たせる、
そして友愛と神秘の絆によって遺る、
言うなれば、わが高邁なる詩の韻に懸けられて。
Ta mémoire, pareille aux fables incertaines,
Fatigue le lecteur ainsi qu’un tympanon,
Et par un fraternel et mystique chaînon
Reste comme pendue à mes rimes hautaines ;
奈落の底から至高の天まで呪われた存在。
私以外に、応えるもの無し!
……貴女ともあろうものが、跡も儚い影のよう、
Être maudit à qui, de l’abîme profond
Jusqu’au plus haut du ciel, rien, hors moi, ne répond !
— Ô toi qui, comme une ombre à la trace éphémère,
群衆の上に軽やかな足取りと穏やかな眼差し
貴女を酷評した定命の愚民共よ、
これぞ漆黒の瞳の彫像、青銅の額の大天使!
Foules d’un pied léger et d’un regard serein
Les stupides mortels qui t’ont jugée amère,
Statue aux yeux de jais, grand ange au front d’airain !
Je te donne ces vers ... : この一行は、詩人なりの誓約であると見た。ハムレット及び亡霊が部下に口止めの誓約を求め、吸血鬼ラッスェン卿が旅の道連れオーブリーを誓約で呪縛するように、詩人はその名を以てする誓約により、自身の詩才を賭けて、恋人を永遠化しようとしている。賭けの結果は詩人の勝ちであると、我々は判定してよいであろう。神よ、傲慢の罪を赦し給え。
aquilon: ローマ神話の北風(の神)。ギリシャ神話のボレアースに相当。強い北風を受けた帆船は南へ走り、暖かい地へ着く事であろう。
現実のジャンヌ・デュヴァルは、ボードレールと別れた後、マネが肖像画を描いた1862年には梅毒から失明し始めていたそうで、その後は行方が知れない。その年に亡くなったかもしれない。写真家フェリックス・ナダールは1870年に会ったと主張するも、その時の写真はない。
qu’un: "a lot of" に当たる que un の省略形。ものがズラッと並ぶ感じ
tympanon: 建築物の切妻壁を指すこともあり、楽器の一種を言うこともある。古代ギリシャ・ローマの楽器は、手鼓 hand drum またはタンバリン。東欧でツィンバロン、アイルランドでハンマー・ダルシマーと呼ばれるピアノの前身を指すことも。楽器としての両者に共通するのは打楽器であることくらいで、音も外観も全く違う。19世紀当時は後者が優勢のようだが、詩人は「騒々しく叩きまくる」ロックンロールな印象を提示しているから、オーケストラ百人全員で手鼓を叩くことになる前者も捨て難い。それで訳者としては、坂本龍一の鍵盤よりも、ジョン・ボーナムのドラムが合っているのではないかと。
pendue: 「ぶら下がった、吊り下げられた」または「首を吊った」「絞首刑になった」を意味するこの一語は、てるてる坊主のように「吊り下ろす」動作または状態を言うようだ。その構図から「十字架上のキリスト」との対比を考え、ハイドン『十字架上のキリストの最後の7つの言葉』(1786)を思い出した。管弦楽曲の原曲から、弦楽四重奏版とオラトリオ版、クラヴィーア版が編曲されている。




