15. ドン・ジュアンの地獄落ち
藝術詩群
第2版・第3版とも XV
DON JUAN AUX ENFERS
表題は「地獄のドン・ファン」ほか複数あり
この詩は、ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798 - 1863)の絵『ドン・ジュアンの難破船』Le Naufrage de Don Juan などから影響を受けた可能性が指摘されている。
他にも複数のブログで様々な考察がされているので、後でランキングタグ欄に連鎖しておく。
地獄手前のアケローン、落ちてきたのはドン・ジュアン
オボロス銀貨の渡し賃、取るは渡し守カローン。
清貧なるアンティステネスが眼差しもて、
陰気な乞食、櫂を握るは復讐に燃える剛腕もて。
Quand don Juan descendit vers l’onde souterraine
Et lorsqu’il eut donné son obole à Charon,
Un sombre mendiant, l’œil fier comme Antisthène,
D’un bras vengeur et fort saisit chaque aviron.
はだけたドレス、垂れた乳房を見せつけた
女たち、身を捩らせる彼方に地天黒々と
犠牲の牛の大群も、かくやとばかりに詰めかけた
彼が背に鳴く声も、その尾を引くこと長々と
Montrant leurs seins pendants et leurs robes ouvertes,
Des femmes se tordaient sous le noir firmament,
Et, comme un grand troupeau de victimes offertes,
Derrière lui traînaient un long mugissement.
俺の給料をとニコニコせがむスガナレル
岸辺を彷徨う亡者共にあれよ、これよと
ドン・ルイは指す指も戦慄かせる
不敵にも白髪頭を嘲る息子、之なりと
Sganarelle en riant lui réclamait ses gages,
Tandis que don Luis avec un doigt tremblant
Montrait à tous les morts errant sur les rivages
Le fils audacieux qui railla son front blanc.
貞淑一途のエルヴィーラ、すらりと喪服に身も震え、
今なお、よりを戻したいだけ、あまりに不実な伴侶とは知れ、
初めて交わした愛の誓い、そのとき甘く輝いた
微笑みこそを今一度と、乞うばかりのその姿。
Frissonnant sous son deuil, la chaste et maigre Elvire,
Près de l’époux perfide et qui fut son amant,
Semblait lui réclamer un suprême sourire
Où brillât la douceur de son premier serment.
甲冑まとい突っ立つは、かの石像の大男
艫に舵の柄ひっ掴み、切り裂く流れも黒々と、
気にせぬ英雄、デッキに細剣、杖と突き
航跡見やるも、何一つとして見るともなし。
Tout droit dans son armure, un grand homme de pierre
Se tenait à la barre et coupait le flot noir ;
Mais le calme héros, courbé sur sa rapière,
Regardait le sillage et ne daignait rien voir.
アケローン:「三途の川」のようなもの。ギリシア北西部イピロス地方に実在。そのほとりに、ハーデースとペルセポネーを祭ったネクロマンシーの神殿ネクロマンテイオンがあった(エピラスの遺跡がそれだとする説は、今では疑問視されている)。神話ではカローンが死者の魂を冥界ハーデースへと渡す、地下世界の川ステュクスの支流と信じられた
オボロス銀貨:六道銭のようなもの。冥府の川ステュクスまたはアケローンの渡し賃として1オボロスを死者の口に投じられた。この銀貨はいつしか、死者が吸血鬼として動き出すのを防ぐまじないともされた
カローン:冥府の川の渡し守
アンティステネス:清貧を旨とした、ソクラテスと同時代の哲学者。もっともソクラテスには、わざとらしさを非難されてもいる
陰気な乞食:モリエール『ドン・ジュアン、あるいは石像の宴』では、森に居た乞食が「金を取るか、神を取るか」と、ドン・ジュアンの玩具にされる。「森に居た乞食」というのは、おそらく隠者 hermit を指すので、宗教家、ひいては神の冒瀆と見做される
地天:firmament は「天空」をいうが、冥府は地下とされるので、地面が天空のように、しかし黒々と頭上に広がることになる
鳴く声:mugissement は mugir(←muir) + ment から来ており、「モーと鳴く声」をいう
スガナレル:ドン・ジュアンの従者。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』のレポレッロに相当。モリエールの戯曲では、最後に独り酔っ払い「俺の給料!俺の給料!」と、そればかり嘆く
エルヴィーラ:ドン・ジュアン無二の妻。モリエールの創作と見られる
石像:モリエールの戯曲では、ドン・ジュアンが殺した騎士長の墓に立つ石像。モリエール以前は、必ずしも関係者の像ではない




