第二百八十八回 豊前小倉で綾機は化け猫と暮らしけり
寛永二年の初夏のある日のこと、男の娘忍者の鳥山秋千代は久々に男装した。
総髪の 少年山伏の姿。
秋千代は筑前博多から隣国の地である豊前小倉に走った。
豊前小倉には、秋千代が独鈷屋の半玉(芸子見習い)をした頃に友人になった綾機がいる。
綾機は昨年の夏まで、秋千代と同じく独鈷屋の半玉であり、死んだ秋千代の父親の友人であるという金子屋なる小倉の商人に引き取られた。
豊前小倉に秋千代がつけば、金子屋という店が見つかった。
* *
店先から一人の猫目の娘が、いきなり飛び出してきた。
「すみませんが、どちらさまでしょうか?」
「僕は、秋千代と申します。こちらに白縫さまが、いらっしゃるとうかがいました。あとは綾機さまもいらっしゃるとか。秋千代が来たと白縫さまにお伝えいただければ、お会いくださるはず」
それくらいの関係性になったたはずだ、と秋千代は思う。
猫目の娘はおじぎした。
「これはご丁寧に。あたしはこの金子屋の奉公人の雫と申します。以後、お見知りおきを」
「早速ですが、白縫さまに取り次いでもらえませんか?」
そう秋千代が言うと、雫は溜め息をついて、ゆっくりと両手を組んでみせて、思案投げ首といた風情を見せた。
「少々お待ちくださいね」
「はい」
「急なお客さまが来たときには、白縫さまがお着換えする時間をかせぐように仰せつかっております」
「お着換え?」
ふと博多にいた頃に白縫と綾機が睦言をこをしているらしき最中に、秋千代は部屋にたずねてしまった時のことを思い出した。
ポンと手を叩く。
「もしや・・・」
ニャアと猫目の娘の雫は笑う。
「おそらく秋千代さんのお考えなさったとおりかではないか、と。本当に白縫さまは綾ちゃんさまと仲がよろしうございます」
「はあ」
秋千代は、あまり詳しく話を聞かない方がよい気がした。
たった今いそいで着換えを終えたばかりといった様子の白縫が、店を飛び出してきた。
「やいやい、馬鹿猫、金花奴。余計な事を言うな」
雫は言う。
「また馬鹿猫とはずいぶんなご挨拶ですね? 馬鹿はろくなことを言いませんよ、白縫さま」
「時間をかせぐだけの会話というのはね、【木戸たちかけし】だ。気候・道楽・旅・知人・家族・健康・仕事といった話で流す」
と、白縫。
そういう時間をかせぐだけの会話というのは、秋千代も独鈷屋で教わった。
溜め息。
「白縫さま、お久しぶりです。秋千代です。お元気そうでな何よりです」
うんうん、と白縫はうなずいた。
「久しぶりだね、秋千代。今日は山伏姿でいったい何の用事かな?」
秋千代の説明。
「いやね、白縫さまの縁者、虚呂平が博多の貧しい民を救うように博多の商人たちに働きかけて、博多の商人たちはされを助けました。
白縫さまがお礼をおっしゃるために大坂からまた博多にいらっしゃるとうかがいましたので、お迎えに参りました」
「お迎えとな?」
「白縫さまが虚呂平さんにお伝えになった日から、なかなか博多にいらっしゃらないから、これはもしや白縫さまが綾ちゃんのいる小倉で沈んでいるのではないか、と」
白縫は目を閉じた。
「・・・」
店から同じ独鈷屋の半玉だった綾機が姿を見せた。
「あ、秋ちゃんだ」
秋千代はたずねた。
「こいつはいったいどうなっているわけ、綾ちゃん? また白縫さまが博多にいらっしゃるという話だから、博多でみんなお待ち申し上げているのだけど?」
小さく綾機が舌を出す。
「あたしが引き留めている」
「え?」
「上方に戻った白縫さまは幸徳井さまに随分とお気にいられたそうです。
定村の名跡をすぐ復活させるのは無理であっても、白縫さまを婿養子にしようという縁談が色々ともちこまれるようになり、あたしも白縫さまも困ってる」
「はあ」
「そんな折に、虚呂平が博多で貧しいひとたちを助けるよいことをやって、そのために、博多の商人たちが助けてくれるということが起きたワケだ。
白縫さまは、虚呂平の縁者として、博多の商人たちにお礼わ言わなければいけないという名目をつけて、幸徳井さまから一ヶ月のお休みをいただいたというわけなの」
秋千代は首をかしげた。
「白縫さまは、虚呂平さんのやることを博多の商人たちが手伝ってくれたことに、博多の商人たちに恩義を感じている?」
「少しは」
と、白縫。
それはそれとして、と綾機は言う。
「せっかく二人で過ごせる時間ができたのだもの。博多の商人の皆さまへのお礼のあいさつ回りは、一日とは言わないけれども、三日も走り回れば何とかなりそうに思う」
注意を惹くためにポンポンと秋千代は手を叩いた。
「待ちましょう。
博多の商人たちにお礼を言うということで、白縫さまは朝廷の陰陽頭の幸徳井さまから、長いお休みをいただいたわけですよね?」
「然り」
「いやいや、博多の者たちも、側年に評判になった白縫大臣がまた博多にいらっしゃるという話ですから、みんな首を長くして白縫さまをお待ちしておりますよ」
呟くように白縫は言った。
「不思議だ」
「え?」
「小倉には三日ぐらいだけいるつもりだったのに、綾機と一緒にいると、あっという間に時間が過ぎてしまう。これはいったい何の術か?」
「さあ?」
そいつは独鈷屋で学ぶ芸子の手練手管だ、と秋千代は思った。




