第二百八十二回 栗山大膳は福岡藩の筆頭家老なり
下の者の扱いについて、栗山大膳は以下のように発言したと『西古木紀事』は伝える。
━━悪しきことを見せぬよう万事心得、一家中を万事我が子のように教え候へば右手に箸を持つように善人に相成り君の楊に達し候もの候━━
栗山大膳は、余計なものを見ず自分の手足になって動いてくれる者たちが自分の下に集まることを理想とした。
厳格型組織の考え方の一種。
理屈としては、自分たちのやり方と違うやり方を学ばないというお手本を上は下に見せ続けるべきだということになる。
すると、上も他人から学ぶことが難しくなる。
そういった考え方で成功するのは、上が最初から完成された天才である場合に限定される。
しかし、そんな人材は少なく、失敗しやすい。
圧倒的大成功をおさめたいならぱ厳格型組織がよい。長く続けたいのならば柔軟型組織がよい。
状況確認や軌道修正のため正確な情報収集・伝達が必要な場合には、コミュニケーションは有用である。
上位者の権威づけ等のため、下の異見を取り入れることを栗山大膳は自ら禁じ手にした。
栗山大膳は、その専門分野で圧倒的に優れた才を持つものの、いったん専門から外れてしまうと、さしたる能力はなかった。
栗山大膳は専門分野の能力を使う機会を黒田忠之が福岡藩の藩主になってから与えられず、結果として失態が引き続いた。
結果として、筆頭家老の地位にあったはずの栗山大膳の人望はおそろしく乏しいものになった。
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栗山大膳が黒田忠之に対して反抗したという黒田騒動時には、屋敷の外部で大膳に味方して戦おうという心意気を示す者が誰一人としてもいなかった。
江戸から帰国した藩主の黒田忠之に栗山大膳は病気と称して屋敷に引きこもり、
「もしも仮病ならば、大膳を斬る」
と黒田忠之が怒った。
、忠之が武装してお見舞いに行こうとしたのを、小河内蔵允は止めた。
それを栗山大膳の支持者たちは、友情だとか騒ぎたてる。
、しかし、小河内蔵允は、
━━御意次第、大膳切腹し為す候とも、いかようにも申し付けるべし━━
と勧めた。
もう切腹させろ、と。
そんなことを言う小河内蔵允は、栗山大膳に好意的だったようには私には思えない。
なお、講談『栗山大膳』において、黒田美作も栗山大膳の親友扱いされ、黒田騒動時に黒田忠之を止めようとする場面が出てくる。
しかし、黒田忠之の小姓の吉田久太夫が福岡藩に提出した『栗山大膳記』によれば、当時に黒田美作は江戸留守居役だったので筑前にはいない。
━━(栗山大膳は)舌明にして学問を致し、その身栄にして傲り、琴・三味線・尺八・太鼓に悩みつつ宏才なる者にて、白きを黒きと言をなす━━
このようなことを口にする黒田美作を、栗山大膳の友人として扱うことは私には無理だ。
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筑前の三大偽書とも言われる『箱崎釜破故』において、【鵜来島密談事件】という逸話がある。
━━黒田長政が黒田忠之の乱暴さを嫌って廃嫡しようとしたが、栗山大膳は大組の嫡子たちを集めた、忠 之の廃嫡があれば全員で切腹すると言って栗山大膳は長政を思いとどまらせた━━
この『箱崎釜破故』の逸話も私は信じない。
もしも、栗山大膳にそれなりの人望があれば、黒田騒動時に栗山大膳と立とうとした者が一人ぐらいは出ていただろう。




