第二百八十一回 山崎屋伊兵衛は府内藩の出入り商人なり
栗山大膳が、寛永九年の黒田騒動時に、屋敷に立てこもった際に、大膳を救出するのは幕府の長崎奉行にして府内藩藩主であった竹中采女正である。
キリスト教関連の色情本においては、竹中采女正は長崎の町ではかわいい娘を見つけ次第、相手がキリシタンでないとわかっていても、
「貴様、キリシタンだな、キリシタンに違いあるまい」
という呪文を唱えて引っ捕らえる。
狙った女を縄で縛り、得意の【座禅転がし】の体位で征服する。
「貴様、キリシタンだな、キリシタンに違いあるまい」
魔法の呪文だった。
史実の江戸城の記録には、竹中采女正に女を取られた長崎町人の平野屋三郎兵衛門による告発が残されている。
竹中采女正は、平野屋の恋人の瑠璃の美しさに目をつけたところ、平野屋は瑠璃を連れて大坂に逃亡した。
「大坂には長崎奉行の竹中さまの力も及ばないだろう」
しかし、平野屋の親兄弟は長崎に残っていたので、竹中采女正はその家族をひっ捕らえて、大坂の平野屋と瑠璃に言ってよこした。
「親兄弟を殺されたくなければ、俺に瑠璃を寄越せ」
竹中采女正はやりたい放題であった。
すごい男だった。
泣く泣く平野屋に瑠璃を引き渡した後、江戸に上って竹中采女正を告発した。
━━采女正殿、わがままに遊びなされ、美女とだに聞き給いては、長崎中の町人妻女娘の嫌なくご所望なされ妾にし申し候━━
その告発が契機になり、黒田騒動の翌年に竹中采女正は切腹させられてしまった。
筑前の三大偽書に数えられることもある江戸時代の『箱崎釜破故』では、架空の人物の山崎屋伊兵衛が設定されている。
府内藩の出入り商人である山崎屋伊兵衛は、福岡藩より十人扶持を与えられ、福岡藩と府内藩のパイプ役になっている。
今回は本作においても竹中采女正と山崎屋が登場する。
* *
府内藩の大分城に竹中采女正は、出入り商人の山崎屋を呼び出した。
栗山大膳のいる福岡藩の様子を山崎屋は語る。
「いやはや、栗山大膳さまという方はなかなか大した御方です。
今の泰平に世に合って、て荒っぽい戦国の世から一早く抜け出して、『普通が一番、普通が一番』と大声で周囲に堂々と触れて回る御方です。
下の者からは【十人中に十人が褒める者】を弾き、【十人中に四人がけなす者】を取り立てる。
普通の者こそ普通に仕込みやすい。
白紙のまま【あしき事を見せぬよう】育てれば、下の者たちが命令一下に自分の手足のように動かせるでしょう」
「なるほど」
竹中采女正も下の者たちを思うがままに動かすのは好きだった。
山崎屋は言葉を続ける。
「私どものような商いの道でもある程度に大きな店では、下の者の気働きは始末に困ります。
上の者がが指示を出していないにも関わらず、下の者たちの気働きで仕事をうまくるようなことは好ましくありません」
「下の者の気働きで、上の者の間違いが帳消しにされるようなことがあれば、上の者の威光が弱くなって下の者たちを好き放題にできなくなる、か?」
ニヤニヤ竹中采女正は笑った。
「それもあります」
と、山崎屋はうなずいた。
さらに、付け加える。
「私は思うのですが、本当に上の者が大切にするべきことは、『違っていることが間違っているとわかることでしょう。
下の者の気働きによって、上の者の間違いが表に出ない。
本来に上の上がである主が知るべきことが隠される。
そのまま進むことは危うい。
上の者が何も言わない限り、下の者は余計な気を回すべきではない。命令されたこと以外に何も動かないぐらいが望ましく思いますな」
話を聞いていて、竹中采女正はふと疑問に思った。
「さすがに下の者が何も考えなければ、失敗が降るのではないか?」
山崎屋には彼なりの哲学があった。
「ありきたりの失敗には、どうすればよいのか、あらかじめ定めておきます。
下の者たちに考えることを許さず、あくまでも上からの指示どおりの操り人形として動いてもらうことが肝要かと存じます。
それでも、何か困ったたことが起きた時は、上の祖静を押し通して、人と金を注ぎ込んで踏みつぶす。数の力が大切」
「数の力か・・・」
「平生から余計と思われる人や金を抱え込んでおくことです。
こういうことを申し上げますと、余計な人や金がいるのではないか、と申す者もおります。
確かに、何かが起きた時にさっと頭を働かせて、さっと始末する知恵者も世の中にはおります。それは否みません。
しかしながら、ある程度の大勢の人の集まりの中で、知恵者を見つけたり育てたりして、知恵者たちに正しく細かいことを伝えて判断させるというのは、どれだけの時と手間がいるのでしょうか?
小さな集まりならば、ともかく、ある程度に大きな集まりならば、集め作るた金の力で押し通す方が、大抵の場合、終わってみれば、安上がりにつくと私は思います」
「なるほど」
そういうものかもしれない、と竹中采女正は思った。
* *
栗山大膳に覚悟はあったのだろうか?
寛永五年(一六二八年)の鳳凰丸事件時に栗山大膳は逃亡するように隠居し、その際に活躍して事態を収拾したらしい倉八十太夫のことを二十代で家老にしようと、藩主の黒田忠之が寛永六年に言い出すようになる(倉八家の子孫である倉八房戸氏から資料提供を受けて書かれた小説『主家滅ぶべし』においても鳳凰丸事件は十太夫が解決している。寛永六年には十太夫が三千石の加増。鳳凰丸の建造については黒田長政が許可を得ているので問題ないことは確認された。黒田騒動の審理時に井伊直孝がそれを指摘したことが『井伊直鷹覚書』に書かれている。その事実を知らなかった栗山大膳は、やはり鳳凰丸事件の時、パニック状態で博多から逃げていたのだろう)。
寛永六年、『西木紹山碑』によると、【官府執事諸侯】の命令で、栗山大膳は筆頭家老に復帰した。
おそらくこの時期に、筆頭家老の栗山大膳が倉八十太夫に頭を下げて忠之に意見をしようとしたということが実際にあったのだろうと私は思う。
倨傲とも剛直とも言われる栗山大膳は、周囲の意見を聞かず、最初すら圧倒的完璧であろうとし、失敗をしたら態度を翻す。
一つの方法論である。、
ただし、それなりのリスクがある。




