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【黒田騒動】新・白縫物語【栗山大膳】  作者: 足音P
付録 栗山大膳誠忠録
280/324

第二百八十回 林羅山は栗山大膳の学問の師なり

 前回に、栗山大膳には武勇伝らしい武勇伝は一つもないといったことを私は書いた。

 取り消すつもりはない。


 まず、海中にを犬追いかけて犬を斬ったという話を、栗山大膳の武勇伝として、栗山大膳の息子の栗山大吉は、『西木紹山居士碑銘』に堂々と麗々しく刻んでいる。

 犬殺しを私は武勇伝にカウントしない。


 つぎに、黒田長政の療馬術の師である若槻伝右衛門を、長政の命で栗山大膳が上意討ちしたという武勇伝を福山日南は村の古老から聞き取ったそうだ。

 黒田長政が有名な【動物のお医者さん】を家臣に命じて殺害するような無体な真似をしたのか?

 しかし、低劣な犬殺しを武勇伝として残す『西木紹山居士碑銘』にすら、若槻伝右衛門の名前はない。

 万が一に事実であっても、老いた獣医に斬りかかったようなことを私は武勇伝にカウントしない。


 また、家中の血気盛んで無礼な斎藤五右衛門実俊を栗山大膳が討ったという武勇伝が『西木紹山居士碑銘』にあるとも福本日南は喧伝した。

 しかし、『西木紹山居士碑銘』においては「命〇〇〇害之(〇〇〇に命じてこれを害した)」とある。

 家来に殺させたことは別に大膳の武勇伝ではない。


 なお、栗山大膳が【明智光秀】に習って十六歳の時には多くの武芸に習熟したという『博多細伝実録』の話もある。また『博多細伝実録』には、六十歳を超えた栗山大膳が銃の名人として巨大亀を射殺する話もある。

 しかし、栗山大膳が生まれる前に【明智光秀】は死んでいる。栗山大膳は数えで四十三歳のときに黒田騒動で南部藩に配流されていて筑前にはいない。

 卜庵老人が若い頃に一時的に大膳を名乗っていたのではないかという説を私は支持する。

 逸話集の『武将感状記』に栗山大膳は、鳥獣の達人として名前が挙がのも、卜庵老人(栗山備後利安)のことであろう。


 卜庵老人の息子の栗山大膳は、武術関連の交流の記録は一切に残っていないが、学問の師である林羅山との交流の記録は多く残された。


   *  *


 林羅山は、江戸幕府の御用儒学者(朱子学者)である。

 名は信勝、通称は又三郎、道春。

 一介の浪人の子だったが、学問が得意で、近世儒学の先駆である藤原惺窩に入門した。

 公開の講義を京都で行って出世の足掛かりをつかんだ。

 慶長五の関ケ原の戦い年以降、黒田長政が江戸に滞在中、林羅山は黒田忠之と栗山大膳を教導した。

 寛永二年においては、江戸幕府の三代将軍である徳川家光の侍講になっている。


 朱子学の話をする。

 古今東西を問わず、生物学上の適応集中と言うべきか、戦乱の世の終った後、結束力で生き残った社会では内部コミュニケーションの重要性を唱え、無制限に人や者を集めて天下を取る支配者の出た社会では上位者の日常的権威が強調される。

 大藪教授の経営組織論の用語を用いひれつな策略策略、柔軟型組織を志向するか、厳格型組織を志向するか、という問題。

 宋代の朱子学は後者であった。

 多文化共生社会においては、言葉の意味内容も相互理解につながる内部コミュニケーションが困難になるからである。

 ゆえに、わかりやすい【上下の別】を絶対の正義と唱え、それ以外の正義の内容については被治者とのコミュニケーションを拒絶する〔上下定分の理)。

 卑劣な策略や残虐な暴力などで、新たな支配者が生まれても、三代続けばいかなる悪をなそうとも正統の王朝になる。

 圧倒的な強者に抵抗することなく上位と認めて無条件に従う。

 そうしなければ戦乱の世が続き、さらに多くの生命が失われてしまう。


   *  *


 朱子学の儒者である林羅山は、かの方広寺鐘銘事件で、「国家安康」の文字が家康の名を二つに分けている等と指摘して、豊臣家を滅亡させる大坂の陣の演出に加わった。

 中江藤樹は林羅山を【曲学阿世】と非難したそうだが、朱子学の教えからすれば。平和で安定した秩序をつくることが最大の目的である。

 平和のためであれば、普段に絶対と声高に主張する形式を投げ捨てるのも、当然である(これはホッブズの議論に重なる。自分の上位の命令はいかなる悪でも自分の生命身体に危難が及ばない限り実行せよ、全ての罪は命令した者に帰せられるだろう、とホッブズは説いた。正義感から革命政府に逆らう者が殺される時代だった。もちろん、戦後平和主義が中長期的には社会全体正の義の観念を破壊しつくす危険があることは論を俟たない。さりとて、圧倒的強者の生まれている時に、無益な反抗で人が死んでいくことを座視できるのか? そういう問いに心の傷まない者は、ついに戦後平和主義を批判しえない)。


 栗山大膳は、上の者として完璧を装うために腐心した。

 忠之が江戸にいる間に筑前で最上の地位に立つ大膳の意見が完璧でなければならなかった。

 自らの権威づけのため、下の者との意見交換といったコミュニケーションを徹底的に拒んだ(少年時代に栗山大膳は、黒田長政の異見会の取次役を務めたのに、誰一人として武辺者の友人はいない)。

 そして、最終目的である平和で豊かな暮らしを達成できないと【見切り】をつければ、従来に自分の言ってきたことを突然に投げ捨てた。


 かの『西木子紀事』において、栗山大膳は【見切り】の重要性を説いている。

 ━━小さきことに迷ひては大志成就せぬなり、少しの踏み違ひは苦しからずと見切り左強くこれふり候へば、そのこと成就し、その上は緒人が知ることなれども、その時に至り、仁政をもっぱらにして、万民を撫育し、庶民安逸となれば、一端の儀は大志の御計事の内と稱美し、大智英才の君主とも言へるなるべし━━

 普段の自分が周囲に絶対と押しつける形式も、究極の目的は、平和で豊かに暮らすためのものである。

 それさえ実現できれば問題なし。

 確かに、もともとの朱子学はそのような平和最優先の教えであろうと私は考える。


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