第5話 平打ちですわ
「はい」
ジョシュアは、ダイアナの腰の鞘を、両手でつかんだ。
「せーの、で」
「せーの!」
ダイアナは、渾身の力で柄を引いた。
明らかに、ソウルクレイドルはやる気がない。働く気がゼロである。
この意志を持つ剣は、布団から出ない登校拒否児のように、鞘から出ようとしなかった。
「きゃーーっ!」
剣を抜こうと踏ん張った左足が、見事に滑った。つるーんと。
ダイアナは、つんのめるようにして、右前へ倒れた。
振り下ろされた木刀が、さっきまでダイアナの頭のあった場所を、ぶん、と空振りする。
ハンターが、前へ出た。
青いマナをまとった細身の片刃が、空振りした木刀を跳ね上げる。返す刃の峰が、部員の首筋へ、とん、と落ちた。
部員は、膝から崩れた。
二人目の杖を弾き、その脇腹を蹴り倒す。三人目の鉤棒をかわし、剣の柄頭を、首の付け根へ打ち込んだ。
あっという間に、山岳部員は三人が床に転がった。
「ぐあっ!! くそっ……」
そのあいだに、別の部員たちが、倒れたダイアナへ殺到していた。
「いまだ! あの女をやれ!」
ジョシュアが、両手を広げた。
緑の光が、薄い膜のように広がる。振り下ろされた木刀と杖が、膜に当たって跳ね返った。
その背後で、鉤棒が唸った。
ごっ、と鈍い音がした。
「あっ」
鉄の柄が、ジョシュアの右肩を、したたかに打っていた。
ジョシュアは、膝をつかなかった。緑の膜も、消えなかった。
「殿下!」
剣を抜けずに転倒するという辱めをものともせず、ダイアナはすぐさま起き上がった。
しなやかな肢体を震わせ、もう一度、柄を握る。
引いた。
すぽーーん。
今度は聖剣ソウルクレイドルが、勢いよく鞘から飛び出した。
さっきまでの強情が、嘘のようだ。まるで、何かに腹を立てたようだった。
勢いあまったダイアナは、今度は仰向けに、後ろへひっくり返った。
「きゃああーーっ!」
派手に、こけた。
ハンターは、さらにふたりを蹴り倒していた。さすがは学園の実力者だ。
大柄な上級生が、咆哮とともに襲いかかる。ハンターは、振り下ろされた棍棒を剣でいなし、前へつんのめった上級生の背中を、靴の裏で蹴り飛ばした。
「美しくないね。実に」
床に倒れたままのダイアナへ、腕を押さえたジョシュアへ、残りの部員たちが一斉に得物を振り上げた。
カツ! カツ! カツ! カツ!!
その足元の床板に、鋭い刃の苦無が、一列に突き立てられる。
「うおっ、なんだこれ!」
部員たちの足が、止まった。
「サキさん!」
倉庫の梁から、黒と白のメイド服が、ふわりと舞い降りた。
「お待たせいたしました」
サキはジョシュアと一瞬だけ目を合わせ、部員たちの真ん中へ、煙玉をひとつ放った。
ただの煙玉ではなかった。
どかーん、と大爆発した。
そのうえ、赤い催涙の粉が、少し飛んだ。
「ぎゃああ! 目が、目があぁっ!」
「げほっ、げほっ、げほっ!」
部員たちは目と口を押さえ、床の上をのたうち回った。
ジョシュアは、両手でダイアナを素早く引き起こした。
そこへ、煙を突き抜けて、ふたりが襲いかかってきた。
ダイアナは、剣を振った。
ひと振りだった。
ふたりは、まとめて薙ぎ倒された。
「ふべえっ!!」
「ご安心なさい。峰打ちですわ!」
「殿下。両刃の剣に、峰はございません」
「……では、平打ちですわ!」
倒れたふたりは、白目をむいていた。
ハンターは、大柄な上級生ふたりに挟まれ、じりじりと下がっていた。
ジョシュアは、ハンターの右半身を庇うように、緑の盾を出した。
見るや、ハンターは、左の大男へ斬りかかった。
感動的なほど、素早く、正確な一撃だった。
切っ先が、厚手の制服のジャケットだけを、襟から裾まで切り裂いた。
大男の上半身が、あらわになった。
その下から、女もののブラジャーが、むき出しになった。
淡い桃色の生地に、繊細な薔薇のレース。
倉庫が、一瞬だけ、静かになった。
大男は、自分の胸元を見下ろした。
それから、ダイアナを見た。
ダイアナも、見た。
「あら……素敵な刺繍ですわね」
心から、そう言った。
「う、うわああああっ!!」
大男は両腕で胸を抱きしめ、内股で入口へ駆けていった。
誰も、止めなかった。
ハンターが、片眼鏡を指で押し上げた。
「……見なかったことにしよう」
「いえ、記録いたしました」
寄ってくる部員の足元を、鋭い蹴りで払いながら、サキが言った。
ダイアナは、さらに三人を次々に打ち据え、蹴り倒した。
背後からダイアナを狙った部員は、サキに蹴り倒され、ジョシュアの出した蔦に足を絡めとられて、床に沈んだ。
もはや、ダイアナの周りに、立っている敵はほとんどいなかった。
あっという間だった。
床で呻く部員たちと、その向こうで腕組みをして戦況を眺めているグロヴナーだけが、取り残されていた。
「どう? グロヴナー侯」
ダイアナは、剣先を下げた。
「素敵な歓迎をしていただいたようだけど」
「君も、馬鹿ではないだろう」
ハンターが、剣をグロヴナーへ向けた。
「さあ。我ら生徒会に降参したまえ。すべてを説明してもらおうか」
グロヴナーは、静かに笑った。
それから、大きな声で笑い始めた。
「ハハハ……ハハハハ! ハーっハッハッハ!!」
ダイアナは、白い指でグロヴナーを指さした。
「……ジョシュア。あの人、頭がおかしいのかしら」
「殿下! 指をさしてはいけません!」
*
グロヴナーは、胸元から、赤茶けたオーブを取り出した。
拳ほどの大きさだった。表面が、鈍く脈打っている。
ジョシュアは、ぎょっとした。
「あれは召喚のオーブ! お気をつけて!」
サキが、鋭く警告した。
グロヴナーは、見たことがないほど険しい顔で、一歩前へ出た。
オーブを、高く掲げる。
「忌まわしき不浄の理――禁じられしこの術を、今この身に許す」
倉庫の空気が、重くなった。
「異界に沈む者よ。代償は、くれてやろう。さあ――来い」
オーブが、赤黒く光った。
「危ない!」
ジョシュアが、横からダイアナを突き飛ばした。
オーブから、衝撃波のような赤黒い光が放たれた。
光は、ジョシュアの右肩を貫いた。
そのまま倉庫の奥の石壁に当たって、石を砕いた。
開いた穴から、朝の光が差し込んできた。
「きゃーーっ!」
不意に突き飛ばされたダイアナは、床を転がっていた。
ジョシュアは、立っていた。
撃ち抜かれた肩から、血が流れ出していた。白い制服のジャケットが、見る間に赤く濡れていく。
「あ……ぐ……っ」
ダイアナが直撃を受けていたら、即死していたかもしれない。
「小細工はやめたまえ!」
ハンターが、素早く三歩踏み込み、グロヴナーへ剣を振り下ろした。
その剣の先に、それが現れた。
空気が、縦に裂けた。
濃い紫に縁取られた裂け目が、床から梁の近くまで、ゆっくりと口を開けていく。内側は、黒かった。光という光を、吸い込んでいく黒だった。
《ゲート》。
「な!? 次元の狭間!?」
ハンターは剣を引き、飛び退いた。
「グロヴナー侯! 貴様、学園で禁忌の術を!!」
「さあ?」
裂け目の向こうで、グロヴナーが肩をすくめた。
「学園の掟だ、生徒会がどうだ、俺には関係のないことだ……このミノタウロスにでも、お説教してやってくれ」
「魔獣ミノタウロス! 来ます!」
整った顔を警戒で引き締めたサキが、機先を制して、手裏剣を《ゲート》へ投げ込んだ。
だが、手裏剣は、裂け目に届く直前で失速し、床に落ちた。
裂け目の奥から、重い足音がした。
ごつ。
ごつ。
ゆっくりと、それは現れた。
赤茶の鎧に身を包んだ、双角の巨体だった。
牛の頭。熱い鼻息。両手に、大人の胴ほどもある石の柱を握っている。
角の先が梁に当たって、がり、と鳴った。
「……魔獣ミノタウロスか。面倒だね」
ハンターは、緊張でわずかに震える手で、ネクタイを緩めた。
「本気でいかなければ、やられる」
「ミノタウロス?」剣を構えたダイアナが、鋭く訊いた。「誰ですの?」
横から、ジョシュアが答えた。
「あれは、異世界の存在です。失われたミノタウロスの魂が、召喚師と契約した器――肉体を得て、動き出すのです……」
ジョシュアは、両手を緑のマナで包んだ。
右肩から、血が袖を伝った。それでも、両手だった。
緑の光が、聖剣ソウルクレイドルの刃へ、するすると移っていく。白い刃が、淡い若草色を帯びた。
「せいぜい、楽しんで行ってくれたまえ」
グロヴナーは、片頬で笑った。
床で呻く部員たちを蹴り起こし、引きずるようにして、倉庫から出ていった。
ハンターに打ち倒された部員たちも、まだ起き上がれない仲間の肩を担ぎ、退散していく。
サキの姿も、いつの間にか消えていた。
がらんとした倉庫に残ったのは、三人と、一体だった。
魔獣が、石の柱を、ゆっくりと持ち上げた。




