第1話 夜にしましょう
『僕が悪かったことにしてください』を最後までお読みくださった皆さま、ありがとうございました。後書きでお約束した、同じ世界の後日譚です。
本編から二十年。王都には王立の学園ができ、ジョシュアも、少しだけ違う場所にいます。
今度は学園の謎解きコメディです。ひとつの事件が、全6〜7話で完結します。
本作から読み始めた方も、どうぞそのままお楽しみください。本編の結末に触れる部分がありますので、先に本編を、という方はページ上部のシリーズ「グランディア王国記」からどうぞ。
王立シンシア学園、生徒会室。白い校舎。金色の窓枠。
壮麗な石造りの建物には、明日のグランディア王国を支える若者たちが机を並べ、剣を競い、魔術に磨きをかけ、日々研鑽に励んでいた。
おおいなる実力主義を掲げ、ランク別ながらきめ細かい教育を施す。
新女王シンシア即位後、すぐに本校シンシア学園は大聖堂横に建設され、開設からはや二十年が経過しようとしていた。
やわらかい午後の光が、磨かれた長机の上に落ちている。窓の外では中庭の噴水が音を立て、遠くで剣戟の音がしていた。誰かがキャンパス内で訓練をしているのだろう。
王女ダイアナ・カレン・ラ・グランディアズは、優雅に紅茶を傾けていた。
大陸一の美人と名高い母親譲りの美しい顔は、その輝く白さも相まって彫刻のような神々しさと若いみずみずしさを際立たせる。そして何より、学園最高峰の実力を示すSSS級の雙龍の紋章が胸元に光っていた。
王族の血統のみに許される、白地に金色が縁どられた豪奢な制服。聖職を示す、同じく白地に金色のネクタイ。艶やかで、栗色の長い髪。腰には王家伝来とされる聖剣ソウルクレイドル。第三王女という肩書きにふさわしく、背筋はまっすぐで、所作には一分の隙もない。
それがたとえ、たるみ切った生徒会の一室で、ひなたぼっこをしながらティーカップを手に、優雅に足を組んで飲み干した瞬間であってもだ。
こういうときの自分は、たいへん、様になっている。
ダイアナはそう思っていた。
「ジョシュア。おかわり」
「はい……!」
銀髪の古代エルフが、書類の山の向こうからかわいい顔を上げて素直に応じた。
「南方より舶来のチョコレートもございます」
「よろしくてよ。ぜひ、ちょうだい」
ジョシュア・ロイズ。ダイアナの、忠実な近侍兼護衛。首元に黒い首輪、青い宝珠。白い制服に緑マナ使いを示す濃緑のネクタイをわずかに緩めている。
そして、なにより整ったかわいい顔、少し長い耳、透き通る白い肌。
小動物のようにちょこちょこしているが、決して背は低くなく、脚も長い。
ただし、彼の制服の襟もとには、「Cランク」を示す、若葉と棍棒をかたどった残念な銅の紋章がついていた。実力主義のこの学校において、Cランクは奴隷に等しい扱いを受ける。そして、決闘を含む実力試験でその身に力を宿していることを証明できなければ、上のランクへ昇格することはできない。
豪華な生徒会室の片隅、彼に宛がわれている粗末な机の上には行事予算の申請書が四十七通、各部活の部費の決算報告や精算書類が二十二通、学園での事件で発生した備品破損届が──ダイアナが先週派手にやらかした訓練場の壁の穴の分を含めて──九通、積み上がっていた。
ジョシュアは淹れた紅茶で湯気の出ているポットを右手で持ち上げ、黒インクのしたたりそうな羽根ペンを左手で走らせ、くりくりとした若草色の瞳は三通目の書類を読んでいた。
「あなた、相変わらず器用ですのね」
「そうですか……」ジョシュアは馬鹿にされたと思って一瞬、しょんぼりとした顔を見せた。
「褒めていますの」
「ありがとうございます、ダイアナ様」
彼は気を取り直して、ダイアナのカップに紅茶を注ぎ、中に砂糖を二つ落とし、ソーサーに銀色の匙を添え、ダイアナの座る生徒会長のデスクの埃を払った。それから自分用の粗末なデスクに戻り、背中を丸めて廃品のような椅子に座る。
山のように積まれた羊皮紙を取り上げて読み込んで、止まっていた左手を動かし、羽根ペンを取り、小さな文字で器用に書類の数字を訂正した。ほんの数十秒の出来事だった。
その間、ダイアナはチョコレートを口いっぱいに頬張り、こぼれたチョコが、白い袖にガッツリとついた。
「あらいやだわ…… ちょっと、ジョシュア」
慌てて立ち上がったジョシュアはそっと袖を拭く用の白紙を渡す。そして、おずおずと尋ねる。
「あの……ダイアナ様。こちら、決裁しても、よろしいでしょうか」
ダイアナはうなずき、満足げに紅茶を飲んだ。
わたくしの采配は完璧である。常に。この学園の生徒会において、これほど円滑に業務が回っている机は他にない。もちろん自分の指導の賜物だ。
実際のところ、ダイアナは今日、書類を一枚も読んでいない。
庶務や雑用に、彼女はミリも関心を払わなかった。興味がないのである。
*
学園の中庭から、大きな声が聞こえた。
「何かしら?」
ダイアナは窓に寄った。噴水の脇の石畳を、男子生徒が一人、引きずられるようにして歩かされている。がっしりした肩幅。日に焼けた首筋。山岳部の制服。
「ヴィクラム……?」
ヴィクラム・ダール。四年生。ヴィシー山岳団──正しくは山岳騎兵養成部、通称ヴィシー山岳団──の中核選手だ。体力には自信があっても魔法は不得手でCランクに甘んじてはいるが、いずれ立派な山岳兵として騎士団に登用されると嘱望される生徒である。無骨で無口で、朝がとんでもなく早くても文句を言わず、いつも黙々と大きい背嚢を背負っている男。
その彼の耳を掴んでいるのは、鋭い目をした長身の魔女だった。
青いとんがり帽子を乗せ、シックな深く青いローブに、ワインレッドのマントを背負っている。
奥を、幌のついたヴィシー山岳団所有の荷馬車が倉庫へ向けてゆっくりと走っていく。
「どうしました?」ジョシュアが顔を上げた。
「メルビン先生。何か起きたのかしら?」
「え。山岳部顧問の? あの先生は……とても、お優しい方です。何かあったのでしょう」
最前線で戦う魔術院での従軍経験も豊富にある、青系の攻撃魔法の教師だ。たまにヒステリーを起こすとモノでも生徒でもなんでも凍らせたり動きを止めたりし、怖れられていた。女王が信頼する人物で伯爵家の出とも言われているが、三十代半ばになっても嫁がないので、陰では『行き遅れの猛禽』などという蔑称で呼ばれている。
「ヴィクラム。メルビン先生に耳を掴まれて、連行されていますわね」
「そのようですね」
ジョシュアは眉をひそめていった。
「メルビン先生は厳しい方ですけれど、あれは、ただの説教ではありませんわ」ダイアナは腕を組んだ。「ヴィクラム……ああ、ヴィクラム。彼は、そんな悪いことをする人間ではありませんのよ。そんなに頭もよくないですし」
「殿下。一言余計です」
「わたくし、知っていますの。あの子、休みのたびに郊外へ帰って、石切り場で働き、妹の学費を稼いでいるのです」
「そうなんですか」
「去年、北限のフローズンキープ(砦)遠征で、激戦があってわたくしの脚が疲れたとき、黙って背嚢を二つ背負って歩いてくださった、優しく気の利く大男ですわ。お駄賃を差し上げたのよ」
「……あれは、ただの学年の遠足だったのでは?」
「なにか」
「いえ」ジョシュアは書類をめくった。「さすが、王女ダイアナ殿下は、皆さまのことをよく見ておられます」
「当然のことですのよ」
ダイアナは胸を張った。そのまま、ティーカップをつまんで持ち、のどを潤す。
その通りである。ダイアナは、人を見る目には自信があった。
それが正しいか間違っているのか、結果は別として。
*
生徒会室の重みある両開きの扉が、バーンと勢いよく開いた。
小柄な一年生が転がり込んできた。栗色の髪をふたつに結い、目を真っ赤に泣き腫らしている。制服の胸元には、Cランクを示す銅の徽章。
「ダイアナ様……! どうか! どうか、お助けください……!」
「あれ、マーサさん! どうしました」ジョシュアは同級生の姿を見て、腰を浮かせた。一年Cランクで、机を並べて学ぶ、穏やかで素朴な女の子だった。
「兄が……兄のヴィクラムが、部の、ヴィシー山岳部の帳簿を誤魔化しておカネを着服したと……あの優しい兄が、そんなこと、するはずがないのに……!」
「ちょっと。落ち着いて、マーサ。何があったのか、教えてちょうだい」
「兄が……!」
彼女は床にへたり込み、しゃくり上げた。
ジョシュアが彼女の腕を丁寧に取り、待合用の赤いふかふかの長椅子に座らせる。
「兄? 誰のこと?」
「ダイアナ殿下。彼女の兄は、さっきメルビン先生に耳を引っ張られていたヴィクラム先輩です」
「あ、ああ、そうでしたわね」
「兄も……Cランクです。この学園では、一度でもCランクの生徒が疑われでもしたら、それで『終わり』なんです」
「終わり……ね。そんな悲観をしないで、マーサ」
椅子に座ってなお、マーサは泣き崩れる。ダイアナは、マーサの肩に、優しく手を置く。
「兄をしょっぴくのに証拠なんて、要らないんです。誰も、わたしたちの話なんて聞いてくれない……!」
ダイアナの手が、ぴたりと止まった。
もう片方の手の紅茶のカップが、受け皿に戻された。かちり、と硬い音がした。
彼女はゆっくりと立ち上がった。栗色の髪が、午後の光の中で揺れた。
「マーサ」
「は、はい……」
「顔をお上げなさい」
ダイアナはマーサの前に膝をつき、その頬の涙を、自分の袖でぬぐう。
ジョシュアはマーサの頬に茶色いチョコレートがべったりつくのを二度見した。
ジョシュアは、ダイアナに白いガーゼハンカチを差し出した。ダイアナは受け取ると、マーサの頬をハンカチで拭き直した。
「その『終わり』とやらを決めたのは、誰?」
マーサが、涙で濡れた目を見開いた。
「答えなさい。神が決めたの? 法が決めたの? それとも──この学園の、誰かが、勝手に決めたの?」
「……わ、分かりません……」
「わたくしにも、分かりませんわ!」ダイアナは立ち上がった。「Cランクだから終わりだなんて……誰かが、勝手に決めたのですわ。ならば、わたくしが勝手に、覆せます!」
彼女は聖剣ソウルクレイドルの柄に手をかけ、高らかに宣言した。
横で、ジョシュアはぽかんとした。
「ヴィシー山岳団の帳簿、このダイアナが調べます! いますぐ連中の倉庫へ乗り込んで、全部ひっくり返して、関係者全員からお話を伺うのですわ!!」
「あの……お待ちください」ジョシュアが、静かに言った。「まず、帳簿を見ましょう」
「……帳簿?」
「はい。ヴィシー山岳団の帳簿を見ませんと、倉庫に行っても何を調べたらいいのか分かりません」
ダイアナは不服そうに口を開き、それから閉じた。そしてまた開いた。
「……そ、そうね。まあ、いいでしょう。ええ、それも、わたくしの作戦のうちですわ」
「はい」
ジョシュアは、伏目がちにうなずくと、もう積んであった書類からヴィシー山岳団の決算報告が挟まった帳簿を広げていた。つい先週、行われた決算の書類だ。
ジョシュアはマーサを「必要なことがあったら、何でも相談してください」と声を掛け、慰めながら、そっと生徒会室から帰した。
*
「うーん、これは何かが起きてますね……」ヴィシー山岳団の決算報告書。四年分。「おや?」
「どうしたの?」
「おかしいですね。このヴィシー山岳団決算書」
「それが何か?」
「ヴィシー山岳団の顧問、メルビン先生の魔印も蝋印もありません……メルビン先生は、今期の決算書を、ご覧になっていないんでしょうか? 偽造ではないようだけど……」
ジョシュアは書類の束を長机に並べ、両手をかざした。指先に、淡い緑の光が灯る。古代エルフのドルイド術──精霊に問う、そして、対話する。穏やかで静かな魔法だ。紙に残った筆圧、インクの層、書かれた順序。それらが、彼にだけ見える形で浮かび上がる。
ダイアナは横から覗き込み、うんうん、と頷いた。何もわかっていなかったが、きっと何かが出てくるのだろう。
「殿下」
「なに」
「昨年度の携行糧食。前期からの繰り越し分、四十。購入数、四百二十。消費報告、四百六十。在庫、ゼロ」
「ちょうど、ゼロ。さすがはヴィシー山岳団。合っていますわね」
「いえ。合いすぎています。在庫がゼロなわけがないのです……おかしいです」ジョシュアは別の紙を引き寄せた。「山岳部は、遠征のたびに必ず余剰を出します。天候で行程が変わりますから、当然、多めに持ちます。三年前は三十七余りました。四年前は五十一。ですが、先週終わった昨年度の決算だけ、きっちり在庫がゼロです」
「……つまり?」
「余っているはずのものが、なかったことにされています。あるいは、最初から買っておらず届いていなかったものが、届いていた、そしてきっちり全部使い切った、という帳簿になっているんです」
ジョシュアは指を滑らせ、数字を追った。
「登攀索も同じです。前期繰越四十四、二百巻購入、二百四十四巻消費。防寒具、繰り越しの在庫が十着、新しく九十着購入、百着支給して全部消費で在庫がゼロ。雪晶石やマナを貯蔵する宝珠など、値の張る消耗品はどの品目も全部、きれいにゼロで終わっています。帳簿の上では、このヴィシー山岳団には、何も残っていないことになりますね」
「では、倉庫は空っぽですのね」
「いえ、さっき……ヴィクラムさんがメルビン先生に連れられて行ったとき……」ジョシュアはふいに顔を上げた。そして、正面から美しいダイアナの顔を見た。「あ!」
「どうしたの、ジョシュア」
「ヴィクラムさんは……ハメられているかもしれません!」
ダイアナは、ぱん、と手を打った。
「では、いますぐ! ヴィシー山岳団の倉庫へ乗り込みましょう!! 正面から堂々と! わたくしが第三王女として、生徒会長として、この手で正々堂々と扉を──」
「夜にしましょう」
「……夜」
「はい。それまで、倉庫に出入りする幌馬車などは見張っておきましょう」




