第百八十七話 「確かな自信」
(……うそ)
信じがたい光景がランの目に飛び込んできて、思わず絶句する。
竜王軍に……もっと言えばバイパーに騙されていたとわかってランは絶望した。
そしてレザールが確かな殺意を向けてきて、自分の命はここまでだと悟った。
育て屋のあの男が勇敢にも立ち向かっていったが、どうせすぐにふたりとも食い殺されてしまうと。
そう思って、何もかもを諦めていたのに……
「いきなり眼ぇ光らせたと思ったら、気持ちわりぃ動きしやがって……!」
育て屋は防ぐことしかできていなかったレザールの攻撃を、完璧に躱し始めたのだ。
今もレザールの息つく間もない猛攻を、危なげなく躱し続けている。
明らかに彼は変わった。人間として、冒険者として、大きな一歩を踏み出した。
戦闘においての知識や経験がまるでないランでも、見ただけでそれがわかった。
(小国の軍であれば、単身で転覆が可能と言われている竜王軍の幹部に、たったひとりで渡り合っているなんて……)
いや、渡り合えるようになったのだ。
この戦いの中で。
自分の大事な居場所を守りたくて。
ロゼは未来でも見えているような動きでレザールの攻撃を確実に避けていく。
その姿を見ながら、ランは自責の念に駆られてまた項垂れた。
(この人は、自分の大切なものを守るために、限界の先に辿り着くことができたのに……)
あの時、自分はラヴィを救うことができなかった。
傷だらけで苦しむ彼女を治してあげることができなかったのだ。
あの男を見ていると、何も変えられなかった自分がとことん嫌いになっていく。
自分とあの人で何が違うのか。同じ人間のはずではないのか。
やはり所詮自分は、軍からも追い出されて、竜王軍にも騙されて、大切な存在を取り戻すこともできない無価値な存在だ。
ランの自己嫌悪は深まるばかりである。
しかし同時に、ランは心の片隅で、彼を変えた“何か”を知りたいと思った。
――――
――右肩での体当たりが真っすぐ来る。
その予想の通り、レザールがその強固な肉体を生かして砲弾のように突っ込んで来た。
あらかじめそれを予見して、横に飛ぶために脚に力を入れていた僕は、余裕を持ってそれを回避する。
「チッ……!」
レザールが顔をしかめる姿が横目に流れていく。
それをぼんやりと見ながら、僕は味わったことのない全能感にいまだに浸っていた。
相手の内側が見えるだけで、ここまで戦いやすくなるなんて思わなかった。
あくまで『神眼』のこの力は、敵の次の動きが読めるというだけ。
僕自身の身体能力は微塵も変わっていない。
だから多少、敵の攻撃を避けやすくなるくらいかと思っていたけれど、ここまで完璧に攻撃を見切れるようになるなんて驚いた。
それに副次効果もかなり大きい。
最適な回避行動が取れる分、余計な動きがまったく生まれない。
最小限の動きと体力で攻撃を避けることができ、体力温存に繋がっている。
そして何より……
「――ッ!」
レザールの左の貫手を掻い潜った直後、僕は右手のナイフで反撃の一撃を振るう。
伸ばされた奴の左腕を斬りつけると、『ズバッ!』と硬質の皮膚が裂けて鮮血が散った。
レザールは宙に舞う己の赤い雫を見ながら、怒りを示すように歯を食いしばる。
さっきまでは武器に支援魔法を施しても、浅い傷しか付けることができなかった。
でも今は、その硬質の外皮を裂いて深い傷を刻めるようになっている。
その訳は、魔獣の体内に流れている“魔力”の動きも見えるようになったからだ。
相手の内側が見えるようになって初めてわかったことがある。
どうやら魔獣の体は、魔力が多く流れている箇所は物理的に頑丈になるらしい。
そして基本は万遍なく流れているため、肉体が鋼のように固くなっているのだ。
これこそ上位種の魔獣が人間以上にタフで、剣や砲弾をものともしない理由となっている。
けど、万遍なく流れている魔力も、時折不規則になったり偏りが見えたりする。
それは体の動きや感情の起伏に伴って起きることで、魔獣側も無意識にやってしまっていること。
そして当然、魔力が少なくなった箇所は柔らかくなり……
僕はその位置を、この神眼で見極めることができる。
――左脚の付け根。
僕は魔力が少なくなっている箇所を見つけ、そこをナイフで斬りつけた。
ズバッ! と確かな手応えが右手に伝わってくる。
「ぐっ……! そんな安物のナイフで、なんで俺の体が斬れんだよ……!」
僕自身もここまで善戦できるようになったことに驚きを禁じ得ない。
魔獣の体の中でこんなことが起きていたなんてまったく知らなかった。
思い返せば、冒険者時代に強い魔獣と戦っている時も、思いがけず“良い一撃”が入ることがあった。
固くて切り裂けなかった外皮に、驚くほどすんなりと刃が通り、勝てた経験がある。
あれももしかしたら、魔力が弱まった部分を偶然切り当てていたってことだったのかな。
これからはそれを、意図的に狙って引き起こすことができる。
「……面白い!」
新しく広がった景色に高揚感が止まらない。自然と笑みがこぼれてしまう。
でも決して油断はするな。
生物としての格は依然として向こうの方が断然に上。
気を抜けば瞬きひとつの間に命を刈り取られる可能性だってある。
前のめりになりすぎるな。高揚感に浸っても溺れるな。自分の方がまだ弱いと頭に刻め。
「さっきからうざってぇ眼だな! ならこうしてやるよ!」
レザールは僕の動きが変わったことが、眼に関係していると見抜いたらしい。
唐突に近くにあった砂の溜まり場を蹴り上げ、砂塵と埃を洞窟内に舞い上げる。
随分と原始的な目くらましだが、即席で思いついたにしてはいい勘をしている。
実際、僕の視界は不明瞭になり、レザールの姿も隠されてしまった。
これでは確かに神眼の本領は発揮できないけれど……
「【視覚強化】」
視覚強化の支援魔法。
暗いところや水中、悪天候の中でも明瞭な視界を保つことができる。
蹴り上げた砂で目くらましされても、この魔法があれば見通すことができるのだ。
砂塵で隠されていたレザールの姿が鮮明になり、奴が左側から回り込んで右の貫手を突いてくる一手が投影される。
僕は地面を軽く蹴って一歩だけ後退し、爪の一撃を余裕を持って躱した。
「なっ――⁉」
視界を潰したことで確実に当たると踏んでいたのだろう。
自信を持った一撃が空を切り、レザールは蛇のような目を大きく見開く。
目の前を横切ろうとする奴を今一度見据え、“右首筋”の魔力が薄くなっていることを見抜いた僕は、そこを目掛けてナイフを突き刺そうとした。
入る、と思った刹那――
「ク、ソがァァァ‼」
眼前のレザールが咆哮し、体の内側で信じがたいことが起き始めた。
今までに見たことがない細胞の動き。魔力も暴走したように駆け巡り出している。
その変化は記憶にないパターンのため、何が起きるかまったく予想できなかった。
ナイフが首筋に触れるその瞬間、レザールの肉体から突風のような衝撃が放たれ、僕の体は紙のように吹き飛ばされてしまう。
「うっ……!」
その衝撃があまりにも強く、洞窟の外まで投げ出されてしまった。
幸い地面は柔らかい砂だったので、何度か砂面を弾んだのちに無事に着地する。
服に付着した砂を払いながら立ち上がると、洞窟の方からひとつの影が飛び出してきて、砂を噴水のように巻き上げて目の前に降り立った。
それは、顔以外を完璧に鱗で多い、竜的な特徴が色濃くなったレザールだった。
「……本能解放ってやつか」
本能解放。
上位種の魔獣にのみ許された力。
秘められた本能を解放することで、肉体の変質と身体能力の大幅な上昇が起きる。
いわゆる“奥の手”というやつだ。
竜王軍の幹部に就いているような魔獣だから、当然できるだろうとは思っていたけど。
本能解放を行う直前、体の中であんなことが起きていたんだな。
またひとつ学びになった。
「まさかひとりの人間のためにこれを使うことになるとは思わなかったぜ、育て屋」
竜的な特徴がより色濃くなったレザールが、獰猛な笑みを浮かべる。
そして完全に竜化した物騒な手でこちらを指し示してきた。
「癪だがさっきの言葉は撤回してやる。てめえは強い。ここにひとりで来た理由も納得できた。自分ひとりで俺ら竜魔族に勝つ自信があったからそうしたんだろ」
まさか先ほどの台詞の訂正をされるとは思わなかった。
こちらこそ癪だけど、竜王軍の幹部であるレザールに力を認められて少し気持ちが浮つく。
ただ、ひとつだけ僕からも訂正させてもらいたかった。
「最初から自信があったわけじゃないよ。ひとりでやるしかなかったから、ほとんど自殺行為みたいな気分でここには来たんだ」
ふと、ついこの前再会したダリアとの会話が脳裏をよぎる。
『あの町で育て屋を続けたいっていう僕の我儘ひとつで、大勢の人に迷惑をかけるわけにはいかないんだ。これは僕ひとりで、なんとかするべき問題なんだよ』
『あんた、それってただの……』
ダリア、あの時お前は、こう言いたかったんだろ。
――それってただの、“意地”なんじゃないかと。
そう、僕は意地を張っていた。
誰かに頼ることでしか自分の居場所を守れない非力さに嫌気が差していたんだ。
自分だって英雄譚の主人公みたいになれる。育て屋で才能を開花させたあの子たちみたいに何かを変えられるはず。
それを証明したくて、無謀にもたったひとりで竜王軍に挑もうとした。
ダリアがひとりで、森王軍の侵域に入り込んだ時と同じように。
奇しくも似たようなことをした経験があったから、ダリアは僕の気持ちにも気付いたみたいだ。
「でも、あんたとの戦いの中で、自分の力に自信が持てるようになった。これからは意地を張らずに胸を張って、目指す先に向かって進んでいけるようになった」
だからそのことに関しては、レザールに少しだけ感謝をしている。
僕を徹底的に痛めつけて、自分の無力さと改めて向き合う機会を与えてくれたから。
『他人になんて興味あるわけないでしょ。だって今は、自分自身に興味津々なんだから』
コスモスみたいに自信満々に、あれだけのことを言えるようになったわけではないけど。
昨日までの自分よりかは、明らかに強くなれたと自負している。
「ハハッ! なら俺は育て屋を育てたってことになんのかよ! おもしれぇ冗談だなおい」
レザールは愉快そうに黒い砂漠に笑い声を響かせる。
次いで深々と刻んだ笑みをそのままに、蛇のような目で僕を睨んできた。
「だったら、俺がつけてやったその自信を、今度は俺自身でへし折ってやるよ!」
レザールは唐突に両手を地面につけて、“四足獣”のような体勢をとる。
直後、奴の側頭部から生えた二本の角が光り、高速で射出された。
「――っ⁉」
初見の技のため神眼に投影されず、反応が遅れてしまう。
咄嗟に体を横に倒すように躱そうとしたが、右腕を掠めてしまった。
「くっ……!」
自らの鮮血が散ったのを見てから、今しがた通り抜けていったものを一瞥した。
あいつ、自分の“角”を飛ばしてきた。
しかもただの角じゃない。槍のように大きく、渦巻いた形状と高速回転の動きで貫通力と破壊力を向上させている。
これがレザールの“魔獣特性”か……!
魔獣特性。
魔獣は体内に宿されている魔力を消費することで、超常的な現象を引き起こすことができる。
口から火を吹いたり、一時的に身体能力を向上させたり、体から毒液を発生させたり……
そしてレザールの場合は、角を槍のようにして射出する特性のようだ。
さらにそれが本能解放によって、威力と速度が極限まで高められている。
「ハハッ! しっかり当たったな!」
ついに攻撃が当たったことでレザールは大きく笑う。
僕は腕につけられた傷を押さえながら、焦らず冷静にまた構えた。
初撃は避けられなかったけど、一度見させてもらった。
奴が角を飛ばしてくる直前の魔力の動きを。
記憶したばかりのその動きが、レザールの体内で発生する。
瞬間、僕の視界に二本の角の射線が映し出された。
――右腿と額。
右脚を引いて首を傾けると、直後に右腿と額があった場所を角が通り過ぎた。
充分に対応できる速度だ。不測の事態で体を動かせない、ということさえなければ危なげなく避けられる。
しかし、僕が躱す様子を見ても、レザールは獰猛な笑みを崩さなかった。
「ハッ! だと思ったぜ! じゃあこいつはどうだァ‼」
レザールは四足獣らしい姿勢をそのままに、再び頭を突き出してくる。
体の内側で魔力が頭部に集中する光景が見え、角が射出される軌跡が神眼に映された。
僕はその射線から逸れるように横に飛ぼうとしたが……
刹那、レザールの頭部から、“何本もの角”が放たれる軌跡が、僕の眼に映し出された。
「うっ――!」
恐ろしい光景が目の前に広がり、思わず唸る。
数にしておよそ三十本。しかも僕の逃げ道をあらかじめ潰すように広範囲にばら撒かれている。
二本の角が飛んでくるだけかと思ったが、連続して何本も射出できるのか。
どうやらレザールは、僕の神眼を攻略する方法として、避けられないほど広範囲の“弾幕を張る”という手段に行き着いたらしい。
確かに攻撃の手段や射線などが事前にわかっていても、逃げ道を塞ぐように弾幕を張ってしまえば僕にも攻撃は当たる。
だったら……
――五本目と六本目!
射出される何十もの角のうち、五本目と六本目に狙いを定めてナイフを構えた。
すべて避けることができないのなら、受けても問題のない攻撃を選んで受けてしまえばいい。
これだけの本数の角を飛ばすとなると、やはりすべての攻撃が全力のものとはいかないようで、威力や回転が僅かに弱い角がいくつかある。
それならナイフではたき落とすことができるかもしれないし、最悪攻撃が当たっても致命傷にはならないはず。
そう判断した瞬間に、レザールの頭部から連続して角が放たれた。
槍の連投というより、もはや横殴りに襲いかかってくる豪雨である。
すべてを避け切るのは不可能。あらかじめそれがわかっていた僕は、五本目と六本目の角の軌道に立った。
そして体の左側を前にするようにナイフを構え、迎撃を試みる。
「ぐっ……!」
はたき落とすことはできなかった。
両手のナイフで二本の角に触れた瞬間、凄まじい回転でナイフが弾き飛ばされてしまった。
ただ、体の左側を前にして接触面を減らし、ナイフで角の軌道を少しずらしたことにより、左肩と左腿を掠めるだけで済む。
肉は抉られた。けど千切れちゃいない。
辛くも弾幕を掻い潜った僕は、すかさず地面を蹴ってレザールの方へ走り出した。
「チッ!」
奴は今度こそ笑みを崩し、接近する僕を迎撃するように角を連続で放ってくる。
ただ、さっきと違って弾幕を張る攻撃ではない。
あれだけの範囲を覆いつくす攻撃は、少しの“溜め”がいるようで、すぐに繰り出せるものではないようだ。
であれば、今の僕なら充分避けられる。
飛来する角を的確に避けながらレザールに迫っていく。
服の端すら掠らせずに猛進すると、奴は憤った様子で頭を突き出してきた。
「飯の分際で、これ以上歯向かうんじゃねえ‼」
あと一歩、というところでレザールの角がひと際強烈な光を放つ。
直後に放たれた角は、他とは比べ物にならない威力と速度を誇り、勢いのあまり一陣の突風をも巻き起こした。
けど、その軌道も僕の眼にはしっかり映っており、回転を抑えて速度を重視した攻撃であることも見抜いている。
レザール渾身のその角を、僕は避けると同時に右手で“掴んだ”。
「借りるぞ」
「――ッ⁉」
レザールが持つ強靭な外皮も、同じものでできたこの“角”なら容易に貫けるはず。
槍のようなその角を逆手持ちにして振りかぶり、魔力が少ない箇所を見極める。
と同時に、奴は避けるために左へ飛ぼうとした。
その逃げ先も、神眼によって見抜いている。
「【鋭利強化】!」
動きを先読みして角を振り抜くと、支援魔法の銀色の光を宿した矛が、奴の左胸を貫いた。
「ガッ……!」
胸から入った角は背中から抜け、黒い砂地に鮮血の絨毯を敷く。
いくら生命力の高い魔獣でも、心臓をひと突きにすれば生命活動は停止する。
レザールの体はぐらっと揺らぎ、力なく黒い砂漠にその身を預けた。
僕は息を切らしながら、息絶えたレザールの姿を見つめる。
「はぁ……はぁ……」
……勝った。竜王軍の幹部に。
誰の力を借りることもなく、自分の力だけで遥か格上の存在を倒せた。
雑用と支援しかできなかった、育成師の僕が……
「痛っ……!」
体の至るところに傷がつき、血も大汗のように滴っている。
それに神眼の力を使い過ぎた反動か、視界がぼやけて頭も割れるように痛かった。
全力を尽くして満身創痍になって、ようやく竜王軍の幹部ひとりを討伐。
あの子たちみたいにかっこよく、とはいかなかったけど……
「……才能、ちょっとはあるじゃん」
自分にもそれがあるとわかって、人知れず頬を緩ませた。
これで少しは、憧れているあの子たちにも近づけたかな。
――けれど、現実は無情にも牙を剥く。
「うわっ、レザールのやつ本当に負けてんじゃん!」
「……っ⁉」
予期せぬ声が後ろから聞こえて、僕は背筋を凍えさせながら振り返る。
そこには、幼げな少女の体に、薄紅色の鱗と角を生やしたような、小柄な竜魔族が立っていた。
そして神眼は、レザールと同等かそれ以上の魔力が、奴の体に内包されていることを伝えてきた。




