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第百七十五話 「恋しい日常」

 薄暗い室内。

 吹き抜ける隙間風。

 同時に舞うホコリと不快なカビの香り。

 ガラガラとうるさい音が絶えず鳴り続け、僕の耳を忙しなく苦しめている。

 さらには座り込んでいる木造りの床は不規則に揺れていて、たまに少し腰が浮くくらいドンッと打ち上げられることがあった。


 僕は今、そんな馬車の荷台に揺られている。

 正確には、同行者のランと一緒に南方行きの馬車に乗って旅路を進んでいる。

 竜王軍の侵域はどうやら遥か南方へあるらしく、国と大陸を跨いで向かう必要があるらしい。

 当然その長い道のりをすべて歩きで乗り越えられるはずがなく、道すがら寄った小さな集落から馬車に乗ることにした。

 ちょうど南方の国へ向かう行商人の馬車があり、安い乗車賃で乗せてもらえたのでそれは僥倖だったけれど……

 客を乗せる用に作ってはいない馬車なので乗り心地はすごく悪かった。

 ただのホコリっぽい木造りの床に、木箱の荷物が積まれていて、その隙間に押し込まれるように僕たちはべた座りしている。


 するとその時、車輪が石に躓いたのか……

 ガタッ! と今までで一番大きく荷台が揺れた。

 その拍子に右肩にランの華奢な肩がぶつかってくる。

 狭い室内に妙な空気が迸り、思わず僕たちは目を見合わせた。


「……あんまりこっちに寄らないでくれよ」


「……」


 そう発言した僕に、ランは相変わらず冷たい視線を向けてくる。

 そしていつにも増して不機嫌そうに返してきた。


「それは女性であるわたくしのセリフではないですか?」


「いや、命狙われてる僕のセリフでしょ」


 僕はつい数日前に、このラン・ラヴィに暗殺されかけた経験がある。

 そして彼女はいまだに僕の命を狙っており、竜王軍に始末してもらうために僕を侵域に案内しているという間柄だ。

 だからいつランが僕を殺しに来たって不思議ではないのである。

 こうして狭い荷台で窮屈な思いをし合っている時でさえ、僕は油断できないということ。

 という旨を一言で伝えると、ランは呆れたように小さな息をこぼした。


「わたくしに殺される気はしないと息巻いていたくせに……」


「あの時はちょっと見栄を張ったっていうか、かっこつけたとこがあったし、それにこんな状況になるなんて思わなかったからさ」


 さすがにこの密着した状態でナイフとかピュッて出されたら、いくら僕でも対応しきれない。

 いつ殺されてもおかしくないこの状況で、肩がぶつかっただけでも心臓がキュッとなるのだ。

 だからできればあまりこっちに寄ってほしくなくて、先ほどのセリフを口にしたのである。

 するとランはこちらの危機感とは対照的に、まるで殺意のない様子で呆れた。


「少なくとも人目につくような場所であなたを殺す気はありませんのでご安心を。だから変に狼狽えるのもやめてください」


「なんで人目につく場所で殺すつもりはないんだ? そういうの気にしなさそうだけど……」


「わたくしの第一目標は“あなたを殺すこと”ではなく、“あなたを殺すことで竜王軍からの任務を完遂させるため”です。もし任務を達成できても見返りを受け取れる状況でなければ意味はありませんので」


 まあ確かに。

 明らかに誰が殺したかわかる状況で僕を殺すのはリスクが大きい。

 せっかく竜王軍から見返りを得られるのに、永久的に地下牢に収容されたり死罪にでもなったら元も子もないし。

 だからこういう状況で僕を殺すつもりはないようだ。


「じゃあ道中は変に警戒する必要はないってことか。そこは安心だな」


「それはどうでしょうかね。竜王軍の侵域がある南部大陸まで道のりは長いですから、それまでに一度もその機会がないという可能性は限りなく低いと思いますよ」


「……」


 ようはその機会があれば問答無用で殺すとランは言っている。

 改めて隣で膝を抱えて座る白髪女が、僕の命を狙っている敵であることを実感した。

 やはり念のために端に寄って距離をとっておこう。

 こんな旅路があと何日続くのだろうと密かに辟易していると、僕はふとあることに今さら気が付いた。


「そういえば南方から来たって話は本当だったんだな。全部が全部、僕を欺くための嘘ってわけじゃなかったのか」


「嘘を信じさせるなら、僅かな真実を織り交ぜると効果的だと言われていますから。南部大陸の方から来たこと自体は怪しまれる情報にはなりませんので、それを交ぜただけに過ぎません」


 竜王軍の侵域は南部大陸の最南端にあると言われている。

 その話が今一度持ち上がって、ランが南方のバークチップ王国から来たという話を思い出した。

 てっきり僕に伝えてきた情報のすべてが嘘だと思っていたけど、一部は真実が織り交ぜられていたらしい。


「じゃあ、治癒師をしていたっていうのも本当のことなのか?」


「あなたには関係のないことです。第一、わたくしのことを知って何か意味があるのですか?」


「別に。旅路の退屈を紛らわすためのただの会話だよ。変な他意があるとか勘繰りとかしてるわけじゃない」


 あと単純に、無言でいられるとなんか怖いから。

 そう思ってとりあえず会話の種を投げかけてみたけれど、ランはこちらを見ることなく、抱えた膝の隙間から床を見下ろしたまま返してきた。


「わたくしは別にまったく退屈だと思っていないので、会話は必要ありません」


「いや、あんたの方じゃなくて僕が退屈してるって言ってるんだよ。ていうかあんただって、こんなせせこましくて居心地悪い荷台でやることもないんだから、どうせ退屈してるんだろ? ちょっとくらい話に付き合ってくれても……」


「だとしても、あなたと話すくらいなら床でも眺めていた方が愉快です」


「……」


 どんだけ嫌われてるんだよ僕。

 テキトーな話をするのも嫌ですか。

 本当に本性をあらわす前のランとは別人みたいな性格だな。

 僕は横目にランの方を窺い、頑なにこちらを向こうとしない彼女を見て改めて感じる。


 どうして彼女は竜王軍になんか協力しているのだろう?

 いや、姿勢的には協力ではなく、あくまで竜王軍を利用している立場なのか。

 自分の目的を達成するために、竜王軍と交渉して、育て屋を潰す手伝いをしているだけ。

 だとしてもそれは結果的に人類への裏切り行為以外の何物でもないので、人への恨み無しにできることではない。

 僕への拒絶心を見てもわかる通り、明らかに“人間”を露骨に嫌悪している。

 なんでランはこんなにも人を嫌っているのだろう?

 どうして竜王軍の言うことなんて信じているのだろうか……?


「……何をジロジロ見ているのですか。不愉快です」


「こめかみに目でもついてるのかよ」


 なんでこっち向いてないのに、僕が横目に見てることがわかったんだよ。

 育て屋で戦った時も思ったけど、妙に喧嘩慣れしてる動きだったし、人の視線にも非常に敏感だ。

 絶対、治癒師だったなんて真っ赤な嘘だな。

 最初は本当に清純で真っ直ぐな治癒師に見えたのになぁ、なんて思い出してしまい、つい僕は呟いた。


「出会った当初は、『ロゼ様ロゼ様ー!』ってあんだけ親しみもって接してくれたのになぁ」


「……」


 ギッ! と鋭い視線が弓矢のように放たれるのを横から感じる。

 咄嗟に僕はさっと目を逸らして、勃発しかけた喧嘩を未然に回避した。

 怖いなぁ。別に馬鹿にするつもりとかなかったのに。

 まるで冗談が通じないことが改めて証明されて、下手なことは言わないようにしようと心に誓った。


 はぁ……育て屋さんで仲のいい人たちと心安らぐ掛け合いをしていたのが恋しい。

 旅に出てからまだ三日。

 だというのに僕はすでに、ホームシックというか育て屋の日常を恋しく思ってしまっている。

 またあの静かな家で、みんなとのんびりとした時間を過ごしたいなぁ。

 それに、僕が育て屋からいなくなったことは、みんなもうさすがに気付いてるよな。

 心配をかけさせてしまっているだろうし、成長の手助けを中途半端に放り出しちゃった子たちもいる……


 ――本当に、早く帰らないとな。

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