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 騒ぎから脱した後、市壁を飛び越えて外へ出た黒髪の男、ジン=ロークハインドは近郊の森まで一直線に駆け抜けていった。途中、踏み固められた山道から逸れて獣道に入る。深い積雪と合わせてとても歩けるような道ではなかったが、鬼人と呼ばれた彼の足取りに淀みはない。

 幾らか開けた場所に出た。中央に鄙びた果実の成った樹があり、それに背中を預けて座る老人と簡易の天幕内で横たわる少女が見えた。

「ソイツが例の」

「血を流したか、小僧」

 しゃがれた声。責めるでもない感想の言葉に、ジンは握ったままだった直刀を払って血を飛ばす。だが寒さで凍結しつつある血はそのまま刀身に残り、拭ってみても意味はなかった。仕方なく無理矢理鞘へ納めると、老人の前にどかりと腰掛けた。

「護国卿というのを見てきた」

「どうだったね」

「ただの小娘だった」

 ふん、と笑う老人の顔には凄みがあり、つい先程常人離れした戦いを見せつけてきたジンを威圧するようでもあった。既に八十を超えている筈の肉体は尚も強靭そのもので、一目で彼が古強者であると分かる。

「もう二十年前になるか、このアストリアが王を失ったのは」

 白髪の老人の口調は淡々としていて、感情を読み取るのは難しい。

「当時は各地に植民地を作り、その莫大な収入で覇権国家として名乗りを上げていた、我らレーベンフォルト連合国に、影が差したのもその年だ」

「なにがあった」

「北方の小さな植民地で独立運動が起きた。当時、誰もが馬鹿げた反乱だと一笑していたが、戴冠したばかりだったアストリア王にとっては余程の屈辱だったのだろう……大艦隊を率いての鎮圧に向かった。妻や親族まで引き連れての遠出だ。内外に余裕を見せつける為でもあり、戦力差を考えればそう馬鹿な行いとも言えなかった」

 だが負けた。王は死に、同行していた親族も、兵の一人として帰ってこなかった。

「相手がどんな秘術を使ったのかは未だに不明だ。だが海上で起きたその現象はこの地にまで及び、女神の加護が断ち切られた」

 もうずっと昔、この大陸にある『大災厄』が降り注いだという。すべての土地が侵され、人を、生命を拒絶する地獄へと変貌させた。ジンのような鬼人を始め、明らかに人の枠を超えた力を持つ存在や、その力を行使する術が各地に生まれたのも同時期と言われている。

 レーベンフォルト連合国が獲得したのは、女神という存在と、権能だ。

「女神の加護によって守られていたこの地にはるか昔の地獄が表出し、人口の半数が失われた。その時の混乱に乗じて各地の植民地が次々と蜂起し、西のローゼリアは国土の三分の一をも奪われるという屈辱を味わった」

 植民地に多額の投資をしていた貴族や商人は多かっただろう。場合によっては植民地へ本拠を移して活動していた家もある筈だ。そして、

「その混乱の中、アストリアの王族が途絶えたか」

 まるで冗談のようにな、と老人は言う。

 悪い冗談だ。本当に。

「王と女神、二つの柱が国を支えてたんだろう? ただでさえ弱った所に柱の一つを失うなんてことになれば、結果は見え透いてるな」

「そうだ。アストリアは弱った。西のローゼリア、北のイザリオ、東のレイオスよりも、遥かにな」

 外敵に侵され、一切の余裕を失った三国は、だから、

「手負いの獣に見境はない。アストリアは、味方から喰いモノにされたのだ」


   ※  ※  ※


 最初は気圧され、緊張していたレミア=シュタットレイの語りは、次第に熱を帯びたものとなっていった。

「共に手を取り合うべき時に奴らはっ、あろうことかこの国を食い荒らしたのだ!」

 拳を叩きつけられて机が揺れる前に、フィオメルはカップを回収して口を付けた。こちらに合わせてくれたのだろうか、紅茶の香りが鼻腔を満たし、心が穏やかになる。

 はてさて、当初の威圧もどこへやら、すっかりこちらを信用しているようだった。

「フィオメル殿、アナタの齎してくれた話が実現すれば、それはアストリアにとって天恵にも等しいものとなる。南方諸国の海洋同盟、是非我が国も参加したい……あぁいや、その方向で検討したい」

 寸での所で明言を避けた国の指導者の傍ら、硬い表情で立つ中年の男が詫びるように顎を引く。

「四カ国で成り立つレーベンフォルト連合国から、単独で別勢力に属するというのは難しいでしょう。かといって、残る三カ国まで参加となれば市場規模が偏ってしまう。この問題をどうにかしない限りは難しいでしょうが、目算はありますか?」

 問いに答えたのは護国卿たるレミアではなく、傍らの男だった。

「アストリアが属するレーベンフォルト連合国は、女神の加護を共有する同胞としてのものですが、かつての覇権闘争を見ても分かるように、常に足並みを合わせている訳ではありません。何より、年に三度行われる奉献の儀による女神の争奪戦では、次の一年をどの季節で過ごすこととなるのかが決まる。友好の祭りとする以上に、国家間の鞘当てが行われております」

「この国は既に二十年もの間を冬に閉ざされていると聞いていたが、有能と言われた先代護国卿でも抗えないほどのものだったのですか」

 言ってから少しして、フィオメルは「失礼」と目を伏せる。今の言葉は現護国卿であるレミアを侮辱する言葉にも取れるからだ。失言というより、その護国卿の態度でこちらが上に立ちすぎているのを抑えようとした譲歩だった。男には意図が伝わったらしく、レミアの反応からはわかっているのかいないのか、といった具合だ。

「四人の女神がそれぞれ司る季節、春・夏・秋・冬。この中でも冬の女神セレアスは最も力ある女神と言われています。ですが……」

「強大過ぎる力を束ね、国の端々にまで分配するのが王の役目。王の居ないこのアストリアでは、最強の女神といえども力を制御しきれないんです。それに彼女は……先代の冬の女神は、四年前の暴動の最中に命を落としました」

 今その座に着いているのは、襲名三年程度の未熟者。

 二十年もの時間を掛けて国力を回復させた三カ国が、再び覇を唱えようとするならば、最大の力を振るえる冬の女神を求めてもおかしくなかった。だが当の女神は代替わりして大幅な弱体化だ。かくして三カ国は王無きアストリアに最も実りの少ない冬の女神を押し付けた。

 ただの冬であればまだ加護による実りがあった。二十年前の事件が全ての足を引っ張り、なんとか国を纏めあげた先代護国卿も流行病で倒れ、四年前にとうとう女神まで失った。国内の混乱に留まるならばまだしも、連合の象徴たる女神までも失わせたアストリアの立場は、非常に弱いものとなっているだろう。それが例え三カ国の行動が原因の一端であろうと。

「失礼します!」

 突如として扉が開け放たれ、身なりの整った男が駆け込んできた。彼は一度レミアの背後に跪くと、耳元に口を寄せ、何事かを伝える。レミアの瞳が大きく見開かれ、彷徨った焦点がどこかへ向かうより先に眼が伏せられた。

「………………フィオメル殿……アナタは、ここより遥か西方の地で数多くの戦いを潜り抜け、バラバラだった国々を纏め上げる海洋同盟成立の一役を担ったのでしたね」

「今や武人というより一介の商人に過ぎませんが」

 内密に情勢を調査するため身分を隠していた。それに気付かれたおかげであの歓迎だった訳だが。

「商人……そうですか…………。ならば傭兵という商品も、そちらでは扱っていますか?」

「あります。が、ここへの運搬などを考えればとてつもない金額となるでしょう」

「いいえ。どの道軍団規模を雇えるほどの余裕はアストリアにはありません」

 瞼が開く。未熟な統治者は、しかし強い意志を宿らせた瞳でフィオメルを見た。

「アナタを雇いたい。力を貸して欲しい」


   ※  ※  ※


 レミア領を出て西へ半日。馬を数匹潰すほどの速度でそこへ駆けつけたフィオメルらは、長い階段を昇り、巨大な神殿の前にやってきていた。辺りはすっかり暗くなり、篝火の光だけが頼りだ。長時間馬に乗ったことがなかったのだろうレミアは、足元をふらつかせながらも従者の手を借りてなんとか辿り着いている。

 彼女と出会ったオリヴァー神殿とは打って変わって、そこはいかにもな古い神殿だった。まず柱の数が多い。重たい石の天井を支えるには、これを作った当時、それ以外に方法がなかったのだろう。石材は何度も補修が施されているせいか判別しづらく、扉さえない。とても人の生活するような場所ではないが。

「女神の住む場所、か」

 踏み入った内部では、未だに混乱が続いているらしかった。騒ぎらしい騒ぎは過ぎたらしいが、警備もろくになく、事情を聞いて駆けつけてきたらしい者達が神官たちへ詰めかけている。

 仮にも国の最高権力者が来るというのに、それらしい用意もない。

「大丈夫か、レミア卿」

 背後で追い付いてきた者達に支えられて立つレミアへ声を掛ける。それで誰かが気付いたらしい。口々に何かを話し始め、やがて一人の男が歩み出てきた。数歩遅れて取り巻きたちが続く。

「これはこれはレミア卿。お早いご到着で何よりです……そちらの方は?」

「ボルドレイン卿か。すまない、自領を巡っていた時に話を聞いたもので、遅くなってしまった」

「いえいえ、それでこんなにも早くいらしたのですから大したものです」

 とりあえずの言葉を交わし、なんとか居を正したレミアは改めてフィオメルを手で示す。

「紹介しよう。この方は――」

「フィオメルと申します。西のローゼリアにて騎士の位を頂いておりましたが、先の戦いで主君を失い、この地で新たな主を求めていた所を、レミア卿に拾って頂きました」

「ほう、ローゼリアの騎士殿ですか。いや失礼、私はボルドレイン=ヒューイック。貴族院の議員を務めております。まあ、しがない貧乏貴族ですよ」

 ハハと笑うボルドレインへフィオメルは丁寧な礼で返し、一時沈黙。それをレミアが何の気なしに切り裂いた。

「ご謙遜なさるな、ボルドレイン卿。フィオメル殿、この方は議会でも最も古い歴史を持つ長老派の筆頭議員だ。そして、幼い頃から私を支えてくれた恩人でもある」

「光栄ですな、護国卿にそう言われるのは」

 品定めするような視線が彼以外からも突き刺さってくるのが分かった。臆すほど気弱でもないが、気分の良いものでもない。

「それにしても、ローゼリアから我がアストリアへ鞍替えとは……失礼ながら理由を聞いてよろしいですかな?」

「……幸い、主君を失う戦いの前に功績を上げ、かなりの恩賞を頂いておりました。ほそぼそと暮らしていくには十分過ぎる額です。それならばもういいかと一時は考え、こちらへ移住してきたのですが、やはり性分なのでしょうか、主君に仕えてこその騎士。レミア卿と出会えたのは幸運でした」

「態々このような枯れた国を選ばずとも、ローゼリアからなら北のイザリオにも行けたでしょうに」

 護国卿を前に一議員ごときが言うような言葉ではなかったが、レミアの様子からしてこれが普通なのだろう。一番の問題は彼女に気にした様子がないということか。

「確かにイザリオは豊かです。四カ国の中で最も水源が豊富で、非常に暮らしやすい環境であるとも聞きます。ですが、どうにもあちらの高慢ちきな大公達の下で生活するのは息苦しいと思いました。御存知ですか? イザリオの貴族らは、服を着させる者ならいざ知らず、服を用意する者、右の靴を履かせる者、左の靴を履かせる者、タイを締めさせる者、脱いだ服を集める者から畳む者まで、事細かに人を雇うのだそうです。質実剛健を尊ぶローゼリアの者として、それは流石に」

 連合国内で最も気位の高い国として知られるイザリオの貴族らは、よく外部の者達からこうして馬鹿にされる。余裕や裕福さの現れであると当人たちは言うのだが、あまりにも馬鹿らしい。そんな仕事に就いて日々を過ごす民というのも何と表現すればいいのやらだ。

「それに枯れたなどとおっしゃいますが、ここ王都のあるミナス領や、交易路にもなっているガーリア領であれば十分に裕福な生活が出来るでしょう。問題は、どれだけ優れた方と手を結べるか、だと思います。なによりローゼリアとアストリアは、昔から敵国と国境を接している為、有事には轡を並べることもありました。私としては戦友という想いもあります」

 強行軍の最中に大まかな事情は聞いていたので、回答に困りはしなかった。事前の調査もある。フィオメルとしては、隣のレミアがうっかり口を滑らせないかが問題だった。

「なるほど、フィオメル殿はなかなかに聡いお方のようだ。そう。長く続く冬の中であっても活気のある町というのはあります。ローゼリアは勇ましい武人に恵まれていると聞いていましたが、これは素晴らしい。一度じっくりと話をしてみたいものですな」

「喜んで。ですが今は」

「そうですな。既にこの話は一部議員に伝えられ、対策が練られております。ただ、軍を動かそうにも議会の承認がなくては……しかし、護国卿がいらしたのでしたらすぐに動けますな」

 護国卿とは、王不在のアストリアを纏めるため、先代が作り出した役職だ。幾つか胡乱な言い回しで飾られているが、事実上王にも等しい権限を持つ。議会の決定でさえ、彼女一人が首を振れば否決されてしまうほどに。

 ただ、あくまで地方領主が王の代理をしているだけである以上、強権を振るうにも限度がある。議会の承認や軍の協力など、調整すべき事柄は数多い。

「事後承諾は可能ですか」

 フィオメルが問うと、自信有りげにボルドネスは答えた。

「問題ないでしょう。事が事でもあります。このままでは、四年前の再来となってしまうやもしれません。それだけは絶対に避けねばなりません」

「犯人の特定は出来そうでしょうか」

「……生憎と、見張りの者達は皆気絶させられていたようです。城下での聞き込みはさせておりますが、今のところ収穫はないとのこと。一つ、無関係かもしれませんが、ここ数日であまり見かけない、異国風の者達が増えたとの話があります」

 異国風の者達と言われ、フィオメルが真っ先に考えるのは先のレミアへの襲撃だ。彼女も同じことを考えたのだろう。止める間もなく口を滑らせた。

「実は今朝、異国風の男から襲撃を受けました。フィオメル殿の加勢で事なきを得ましたが、もしかすると繋がりがあるかもしれません」

「ほう……」

 あれだけぺらぺらと回っていた口が途端に閉じられた。おそらく程なくしてフィオメルと同じ見解に辿り着くだろう。

「とすると、犯人は異国の者達と考える線もありますね」

 だからフィオメルは先にそれを言い当てておく。ボルドネスの瞳が一層強くこちらを見たような気がした。フィオメルの真っ赤な瞳にも臆した様子がないことから、見かけ以上に胆力のある人間なのだろう。

「とりあえずは人の出入りを規制すべきでしょう。もう手遅れの可能性もありますが、普段見かけない者、異国風の者は理由をつけて一時拘束し、大荷物の馬車などにも調べを。早馬を走らせてレミア領と連携し、封じ込めを行うべきでしょうか。しかし、国外に連れ出すのであれば西か南へ向かうべき所を、なぜ内陸の東へ」

「それについて、少しばかり心当たりがありますな。なんでも……インバス領の領主が新たな王を外から呼び寄せ、我々を追い落とそうとしているとか」

「インバス領が!? しかしそれは…………いや、すまない。驚いた。インバス卿は長く護国卿体制に反対していたが、野心家とは思っていなかった」

 因みにアストリアでは各地の領主がそのまま領地の名前を襲名する習わしがある。レミア領の領主はレミア卿、インバス領の領主はインバス卿と呼ぶ。例外は王直轄地となるミナス領で、これは過去の歴史に関することなので割愛する。

「何を仰るか、護国卿! 奴めは二十年前の大混乱でさえも我々との協力を拒否し、他の領主を脅し付けてまで協力させ、あろうことか我が国が長年敵対しているパルドランとの交易まで始める始末! 議会の承認も無しにそのような外交を進めるなど、権力の簒奪にも等しい行為ですぞっ!」

 難民の受け入れを完全に拒否し、内側だけを徹底して守ろう独走するインバス領他二領と、各地の協力を要請しながらも各派閥がバラバラに活動し、足を引っ張り合っている中央との対立は民にもよく知られていた。褒められたものではないが、議会制というのはそういうものだ。即応性が求められる場面でも主義主張が違えばすり合わせに時間を要する。悪辣な者達は別としても、ほとんどの議員というのはある種の正義感を持っているものだ。自分が民を導く一役であるという自負がある。問題は、政治に絶対的な正解が存在しないこと。一部に得をさせるには一部に損をさせる事になる。誰もが損をしないというのは、それを先送りにして負債を積み上げることに等しい。それが無いと思える時こそ、知らず何かを踏みつけているものだ。そして様々な意見が尊重されるようになればなるほど、議会制というのは混乱を極めていく。

 彼らは総じて、正しいと思ったことを主張する。平均値としての正義ではない。主観による正しさだ。だから時として伝家の宝刀を抜く者が必要となる。反対意見を薙ぎ払い、踏み付け、地べたを這わせてでも同じ方向を向かせることが必要なのだ。

 二人の候補者に、一つの玉座。そして現在、王にも等しい権力を持つ護国卿の少女。

 今回の事件――女神の誘拐という事態は、様々な勢力の動きを活発化させるだろう。

「すまない、ボルドネス卿。彼とも知らぬ仲ではない……出来ればインバス卿と話せればいいのだが……」

「それは難しいでしょうな。第一、潜伏する密偵によれば今、インバス卿は領土を離れて所在が知れぬとのこと。よもや彼が女神を攫ったのではないかという意見も出ているのですぞ」

「不在? いえ……それにしても、密偵ですか」

「独走する地方領主を監視するのは当然です。こちらにも、インバスの放った密偵が数多く潜伏しているでしょう。そういうものなのです」

 レミアには予め、長老派の反応を見る為に他の勢力を擁護する発言をするように言ってあるのだが、様子を見ている限り、本心の一つでもあるらしい。ただ彼女が猜疑心を持っていると思われても面倒なので、フィオメルは彼らを養護する発言でレミアを制する。

「そうだな。すまない、ボルドネス卿」

 更には彼女があっさりフィオメルの言葉を呑んだこと、これまでの会話で長老派寄りな発言をしていたことで、彼らからの注目度を上げる。少なくとも護国卿の意志をある程度左右できる人物だと思ってもらえれば、今後は彼女を通さず話が出来るだろう。

 出会って間もないフィオメルを信じすぎている印象もあるが、彼女をよく知る連中であればそれほど疑問も持たない。実際、その通りなのだから。何となれば惚れているような素振りをさせれば格好の言い訳だ。ただそうなると注目から危険視に変わってしまう為、避けたくもある。

「しかし、随分と余裕があるように見受けられますね」

「そうですかな? いや、そうなのかもしれません。女神を攫った者達がどのような勢力であれ、仮に王の擁立を狙うインバス卿であったとしても、条件が揃わなければ王として御柱となることは出来ないのですよ。儀式の場所は各国が最高機密とするほどのもの。地方領主に過ぎない彼には知れる筈のないものですよ」

 まるでインバス卿が攫ったと言わんばかりだったが、そこでフィオメルは思い至る。この国では、女神の力を振るえるのは権力者に限られる。長老派の筆頭とはいえ一議員にすぎないボルドネスがどうかは不明だが、領主ともなれば確実に強大な力を持っている筈だ。そして攫われた女神は、それらの力を束ねる者。常人では到底攫うなど不可能な筈なのだ。だからこそボルドネスは最初からある程度の権力者が実行犯であると睨んでいた。

 考えを巡らせていると、神殿内に駆け込んでくる人影が見えた。続報か、それとも別件か。

「失礼」

 ボルドネスは一言告げてその場を辞すると、先ほどの人物から伝言を受け取り、改めてこちらにやってきた。沈痛、といった表情で、聞こえた声は、幾分疲れたものに思えた。

「どうやら、攫ったのはインバス卿と考えるのが妥当なようです。護国卿、非常に残念ではありますが、軍の召集を考えねばならないでしょう」

「一体……何が?」

「パルドランが我が国へ侵攻を開始しました」

 話を聞いた一同に緊張が走る。女神の所在が知れぬ今、それに乗じたかのような敵国の侵攻。疲弊しきったアストリアがどれほど耐えられるのか、実情を把握していないフィオメルでは判断が付かないものだった。

「既に国境付近へ布陣し、小競り合いが始まっているとのこと。ルノアーデ領は西のローゼリアと共同戦線を張り、侵攻を食い止めているとのことですが、ローゼリアは今、帝国との大規模な戦いの最中。兵が不足していると、こちらへの援軍要請が来ております」

「すぐに派兵をっ」

「いえ……その前にやるべきことがあります」

「パルドランと交易を行っているインバス領への勧告、従わなければ派兵となりますか」

 動揺して何を言い出すかも分からないレミアの代わりにフィオメルは答えた。一度ボルドネスと目線を合わせ、少なくない緊張を読み取った上でレミアに向き合う。

「女神の件もあります。まずは軍の召集だけでも始めさせるべきでしょう」

「あ……あぁ…………」

「レミア卿。このままでは民が死にます」

「っ――!」

 焦点が定まった。

「最善の策を練るのが議会の務め。しかし、軍の召集となるとアナタの承認が必要です」

 統治者の許可無く戦力を集めるなど、反乱を企てていると言われても仕方ない。方策を練ろうにも、必要な物資を書類に纏めようにも、まずは承認が必要だ。統治者がこの件を認知しているという証拠が無ければ誰も率先して協力はしたがらない。

「…………わかった。勅令を出す」

 レミアのその言葉に、ボルドネスを始め神殿内でこちらを伺っていた者達が一斉に跪き、頭を垂れた。フィオメルは脇にズレて同じく跪き、彼女の言葉を待つ。

「各領主へ私の名を以って協力を要請し、地軍の編成を急げ! 議会の決定を待って派兵を開始する!」

「……天軍の召集はなりませんか」

「天軍の召集は王のみに許されたもの。護国卿に過ぎない私にその権限はない」

「しかし今、各地の領主らが保有する戦力も微々たるもの」

 覚悟の溜めを置き、

「アナタには、王となる資格がある」

「無礼者が!」

 激昂した声には、フィオメルでさえ驚きを覚えた。だが周囲の者達に緊張はなく、沈んだ空気だけが場を満たしていく。

「護国卿は王無きアストリアを護るべく、一時の権力者としての地位を預かっているに過ぎない。私は王にはならないっ。祖父のような独裁者には――っ!?」

 沈黙はその場の幕となった。

 気の遠くなるような沈黙の後、ボルドネスは心底残念そうに告げる。

「承知いたしました。ただし、天軍無き我が方に多大な血が流れることを、理解しておいて頂きたい」

 議事堂に向かいます、そう言ってボルドネスと共に数名の議員たちが神殿を去っていった。遠巻きに様子を伺っていた神官たちも姿を消した。

 フィオメルと、数名の、おそらくはレミアが取り立ててきただろう血統も持たない従者たちが、彼女を護るように背後に侍る。

「すまない…………っ」

 最後に漏れた言葉は、統治者たる護国卿のものではなく、ただの年端もいかない少女の、悲痛な嗚咽だった。





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