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神醒躯導スピリデウス  作者: ↑
儚華天楼
8/19

夜を毀す者

中央大祭終日である今日も今日とてまた繰り返される祝宴に潰される事になりそうだった。

 なんでも最後の夜宴は夜を徹して行われるのが慣わしと聞く。

 恐らくは目前に迫るであろう危機も知らずに暢気なものだと、ダネルは思う。

 祝宴の合間、テラスに面する木立の下に集う四人。

「―――――確かにここにきてから、嫌な空気は感じます。初めは気のせいかと思っていましたけど」

「やっぱりフィーラもそうか」

この地に漂う不穏な空気だけがいや増しているのを彼等は皆感じ取っているのだ。

「それに、ミディの庭での一件もあるしな」

「あんた笑ってたじゃない」

「あんまり騒ぎたくなかったんだよ。下手に警戒されたらやりづらいだろが」

 太守に後ろ暗い所があるとして、あの場で深く追求すればこちらが疑っていると触れ回るようなものだ。

「だったら最初からそういってくれれば良かったのにー」

「悪いな、その位は弁えてるもんだとばかり」

 返す言葉もなく睨みつけるミディを余所にウェルバはおもむろに話を切り出す。

「さて、あの小娘につまらん事を吹き込んだ人物がいると仮定して…該当する奴は誰だ?」

「ヤアジヤ卿は。なにせここの実質的な権限はこの人が握ってるんだし」

 卿は執政官として先代当主から二代に渡って仕えてきた忠臣である。そのような人物が今更「浮界レボホト」の立場を揺るがすような行動に出るものだろうか。

「あの爺さん、良くも悪くもてめえの庭しか見えてない役人気質の典型って感じだしなあ。わざわざ危ない橋を渡ってまで何かするような理由もみえてこないし…そう、動機っていえばヨラム卿だ」

「何だって?」

 ウェルバのあげた意外な人物の名に驚くダネル。

「奴さんああみえて太守の分家筋にあたる結構な身分らしいぜ。つまり、ツェファンヤの家に跡継ぎがなかった場合、あいつがここの太守になってたって訳だ」

「ちょっと待ってよ、ならなんでそんなご身分の人間が召使みたいなことやってんの!?」

「身内同士の醜いいがみ合い。よくある話だろ」

 その途端、ミディは何かに思い至ったらしく両手を叩き合わせた。

「あーあー!そっか、ここ「浮界レボホト」だもんね!事件さ、習ったことあるよ。そうか、ナダフってあのナダフかあ」

「?何だ?」

 首を傾げるウェルバ。

「学院で教わったはずだよ。閉鎖環境における典型的な組織腐敗の一事例ってやつ。あんた覚えてないの?」

「俺に勉学の成果を問うか」

強張る元神童の表情に、かつて華やかなりし才気の面影は一片たりとも残っていなかった。

「…まあいいや、ダネルもフィーラも知らなそうだし説明したげる」

 至法院より自治権が委任された当初、太守領はツェファンヤだけでなく他四つの分家も加わった実質的な共同統治の形をとっていた。各門家がそれぞれ主家をあらゆる面で支える磐石の体制により、長らく浮界レボホトの安寧は保たれていたのである。

 事態が変わるのは神歴にして925年、第四代太守ナハト・シムイ・ツェファンヤの時代。この年、次期太守の座を担うナハトの嫡子が謀殺されるという一大事件が起こる。

 当初は不慮の事故と思われた太守継子の死は、調査が進むにつれあろうことか太守の座を狙う四家の共謀による企てである事が明るみに出たのだ。

 結果として事件に直接関与したとされる三家の当主は死罪、残された一族郎党は揃って浮界を放逐された。そんな中、ナダフ家だけは証拠不十分で処罰こそ免れはしたが政務から遠ざけられ没落の一途を辿る事になる。こうして経緯を経て今のようなツェファンヤ家の独裁体制は確立された。

 尚、一連の事後処理は極めて速やかに行われておりこの事件を煩わしい分家勢力を排除しようとした太守本人の陰謀とみるむきも多く、また表沙汰にはなっていないが事件には特区の存在を厭う太教院の思惑も絡んでいたらしく浮界レボホトが外部からの干渉を嫌うのもここに端緒をもつという。

「―――机上で習った歴史と一致しなかったけど、流石は由緒ある古都だよね」

「身内同士の争いって、なんだか殺伐としてるな」

真世界エデンたってね、色々あるわけよ」

 ダネルにしても今さら聖領に過度の幻想を抱いている訳ではないがこういう話題には流石に辟易せざるを得ない。

 人が人である限り、神治の世とて体制腐敗は避けられないという事か。

「まあそういう訳であの兄さん、成りに似合わず相応のコネはあるんだ。あの扱われようから察するに今でも事件は後を引いているようだけど」

「だけど、それってもう60年以上も昔の話だろ?」

「ここじゃ時間なんて止まってるようなもんなんだろうよ」

 ウェルバの云うとおりこの浮界レボホトは降り積もる時を溜め込む貯蔵庫のような場所だ。そこに生きる者達は皆、厚みを増す過去の重石に身を押し潰されていく。

「この地は時経た負の念まで受け継いでしまっているのですね…」

 そう語るフィーラをみやり、ウェルバは内心で自問する。過去のくびきに囚われる生き様と未来を鎖された生き様と、一体どちらがましなものか?

「で、此処を出た分家の一つなんだけどな」

 分家の一つアクザブ家は追放直後より第八世界に降って、その末裔が現在SINに与しているとの噂がある。

「お前がいってた外との結びつきの可能性って、その線か」

「そ。今回の話の元々の出所もそういうところ。あくまで憶測の段階だから伏せといたけど」

「ウェルバ、そこまで知っててなんで思い出さないかな?」

「余計なお世話だ」

「けど、ヨラム卿ですらあの扱いじゃ太守が自身の意思で接触するなんて到底考えられないよ」

「ああ。だから、かつてのよしみってことでヨラム卿が太守の頭越しに事を進めてるのかも。案外、外の力を借りてここをのっとるのが狙いだったりして」

「ヨラム卿が?冗談いうな、あの人はそんな事考えもしないよ!」

「そうか?世が世なら自分が太守だったってのに、それを邪魔した年端もいかないガキの顔色窺ってアゴでこき使われてよ、内心不満たらたらだと思うぞ」

ダネルは青年の優しげな瞳を思い出す。あのほがらかな人柄は他者を欺く仮面だというののか。

「けれど、あの方の太守へのいたわりようは真実だとおもいますが」

「嬢ちゃんさ、太守だって悪い人ではありませんっていうんだろ?」

 皮肉まじりに語るウェルバに彼女は大真面目に頷く。

「ええ。今は重責を負ってご自分を見失っているだけでしょう」

「ほらな、嬢ちゃんにかかりゃ皆いい人でこの世は善人ばっかりになっちまう。そりゃ嬢ちゃんの善良さを他人に見てるだけなのさ。人間、自分を基準にして物事を推し量るもんだから」

「だからウェルバにはみる人みる人、みんな腹黒く映ってしまうわけよね」

「ははは、お前も結構いうよなミディ」

「ともかくさ、ヨラム卿が黒幕ってのは有り得ないと俺も思う」

「随分入れ込んでるじゃないかダネル」

「悪いかよ。俺は他人の言葉よりも先ず自分の目を信じたいんだ」

 ウェルバはやや真面目な口調で返す。

「いい心がけだが、人なんてのは色々と隠しておきたい事があるもんさ。…裏切られた時がつらいぜ、そういうの」

「あんたみたく猜疑心に凝り固まるよりかは遥かにましでしょうよ」

「へいへ……あとはパルオーシュか。外様って意味じゃ奴もまた怪しい」

「あの実力でほんの数年前までGRDNにいたのなら名前くらい聞いた事がありそうなもんだけど」

「なに、GRDNをざっと見渡せば腕利きなんて腐るほど埋もれてるもんさ。奴さん良い再就職先をみつけたもんだ」

「けど、たかだか元・一汎士じゃあ太守と接点ないでしょう?そもそもどういう経緯で取り入ったんだろ?」

「もしも経歴が嘘なら、どうなんだ」

「ふむ。確かにGRDNに入る分はともかく出る分には経歴操作はそう難しくないが…だとすると何もかも当てにならねーぞ。こいつの場合、動機、手法ともにどっちも掴めない」

「でもゲフェンノームとの関連がありそうな人物というなら――」

「ああ、奴さんが一番くさいよな」

「結局、どう纏まるんだよこの話」

「さてね…どれもこれも状況証拠ばっかりだ」

 問うダネルに匙を投げたとでもいった風に答えるウェルバ。

「けれど、見過ごせるほど些細な事でもない」

 言葉を継ぐミディ。

「誰も彼も怪しいっちゃ怪しいけど…」

ミディも続ける。

「ああ、どうにもしっくりこない。何か、ピースが一つ抜け落ちているような…」

「あると仮定して、そもそも何の為の造反なのかってことよね」

 手中に収める繁栄を危うくしてまでこれ以上望むもの、それは。

「つってもゲフェンノームが絡んでたら目論見ごとぶち壊しだろうがな、実際」

 その時、ダネルの頭にある推論が浮かぶ。

 もしも幼い少女があの言葉どおりに行動しているとしたら?

(「いっそ何もかも、消えてなくなってしまえばいい…」)

 逆であるなら。何かを手に入れるのではなく、手放す為に。

―――望みが獲得ではなく破壊なら。

「ダネル、何か?」

「…いいや、何でもないよ」

厭な考えを振り払って彼はそうフィーラに答える。

「ま、何にしてもこれ以上動きがとれないのも確かだ…」

一見物々しい警備こそないが太守邸一帯には障壁が張られている。

外部の人間が入ることは出来ないが同時に内部の者が出ることも不可能――彼等は浮界とその中にある二重の檻の中にいる訳だ。

艦隊には定期連絡を入れているが先方の通信機器頼りの送信であり、報告は逐一監査されているに違いない。報告内容の改竄とて容易なはずだ。これでは此方から異常を知らせることも難しい。

待遇こそよいが、これは事実上の軟禁状態といってもさしつかえあるまい。

「ざっとみた限りじゃ怪しい施設はなし。後は探してない所ったら」

そういって、ウェルバはつま先で地面を軽く叩いてみせる。

浮界が元々要塞都市であったなら地下施設こそ真の要所だったはずだ。廃棄された筈の地中に深く埋め込まれた工蔽ブロックが今も生きているとしたら。

「そんな所、どうやって探せばいいんだ」

「だから、これ以上は俺達じゃ無理だって。どのみち目の前に餌ぶら下げられてるんだし、待つしかないやな」

「本当にそれでいいのかよウェルバ。何もしないでただ待ってるだけだなんて」

 受け入れの確約とて反乱を目論む者の提案である。であれば、受け入れ許可の口約束は時間稼ぎともとれる。つまり明日には手遅れだという事。

「だから、「俺達は」動けないっていったんだ…本当に、最後の最後の手段……出来ればやりたくなかったんだけどな」

「一人で納得すんな」

 問い詰める一同に片目を瞑るウェルバ。

「忘れるなよ、俺達ってGRDNなんだぜ?」

 そういいながら彼は心中で呟いた。

「(本当のこと話したら怒るんだろーなあ、こいつら……)」



 セネック参謀補佐は一番艦アレオパギダの艦内通路を歩いていた。

 あがってきた報告にある浮界周辺の微妙な霊場の狂いと空間の歪みはいずれも無視してもいい程の誤差ではあったが、元来が几帳面な男である彼は直接会って相談しようと参謀の元へ急いでいた。

 そんな彼を司令ブリッジにて迎えるケイルブ・アサ参謀はしかし、平素と変わらぬ仏頂面でとんでもない話を切り出したのだ。

「――――待ってください、武力突入って本気ですか!?」

「武力突入ではない、潜入調査だ」

「同じ事ですよっ!」

 そう。ケイルブは数刻後にクワゥルを突入させる気でいた。祭期で浮界各所の監視が緩んでいるとはいえ機兵での潜入など気づかれないわけがない。

「こんな独断が許されるとお思いですか!?」

「主長からは部隊の全権を委任されている」

 かっきり90時間、特別な命令がなければ『後は任せる』。

 予めウェルバはそう伝えていた。強硬手段の採択を仄めかす暗黙の指示を。

「我々火消しは煙が無ければ動けない。さて、動きたいならどうすればいい?―――答えは簡単明瞭、自分で煙を炊けばいいのさ」

 無論、一歩間違えれば交渉決裂どころか戦端を開きかねない暴挙である。

「――しかし、何も無かったら間違いどころじゃ済まされませんよ!」

「間違いでしたで済ませるさ。何の為にADAMの私が出向してきたと思っているんだね?栄えあるGRDNに代わってに泥を被る大役を仰せつかった蜥蜴の尾なんだよ、私は」

 鋭く冷えた目がセネックを射すくめる。

「なに、最悪でも廃都とADAMの悪名がひとつずつ増えるだけだ…」

 確かに聖府全体からすれば、随一の浮界といえど真世界を構成する一都市に過ぎない。

 GRDNが優先すべきは真世界全土の安寧、ゲフェンノームの消去。若しそのものが灰色であれば迷うことなく叩き潰す。たとえその鉄槌が三院の足先に食い込もうとも。そこに属する身でありながらも救世機関の非情を改めて思い知らされたセネック。

 だが、真に恐れを感じるのは、すました無表情を崩し慎ましやかに、けれど心底から愉しげな笑みを漏らす目前のこの男だ。

 セネックははっきりと悟る。ケイルブ・アサは命じられれば煙どころか火を放つ事さえ厭わないだろうと。彼はADAMが侮蔑と忌諱の対象となる所以をはじめて理解した気がした。

「―――さてと、そろそろだ。各機とも出撃準備に入ってくれ」

 事此処に至ればもはや彼のような一汎士には、最悪の事態が起こらぬよう祈るより手立ては残されていない。

「(―――どうか神罰が降りませんように…)」



 夜も深まり、大祭の終焉が間近に訪れてもなお果てることない饗宴。

 来賓用に設けられた太守別邸の大広間は多くの人々で賑わい、なだらかな音曲の調べと水晶の照灯が社交の場に花をそえる。

 ミディは傍にいたはずのフィーラの行方を目で追いながら、代わりに一人テラスにいる少年の姿を確認した。

「(まあた、あんな所にいる…)」

ダネルは不似合いな難しい顔をして窓辺に腰掛けていた。

「――どうなさいました?」

「いえ…少し酔ったようで」

 彼女を囲む男の一人に呼び止められ曖昧に微笑むミディ。機関に所属する妙齢の女性という物珍しさからか彼女をとり巻く人の輪は依然として後を絶たなかった。

「少しくらい羽目を外してもよろしいでしょう?貴方のように見目麗しい方がGRDNの使者だとは…いささか勿体ない話ですな」

ミディは差し出されたグラスを手にとる。

「お褒めの言葉と受けとっておきますわ」

 そういいながら彼女は、長衣の開いた胸元にちらちらと向けられる視線を見逃さない。

「(次から次へと鬱陶しいなぁーもう…。こんなドレスなんて着てこなけりゃよかった…けど、化粧っ気ないのもやだし…)」

 活気にあふれる歓談に潜む憂鬱の影、華やかな宴席の裏に流れる気だるさに彼女は既にうんざりしていた。

 ここ浮界レボホトでは、真世界エデンにおいては規制の対象になり得る種々の文化・風俗が未だに保持されている。

 ミディは文化が人を堕落させるなどとは思わない。けれどこの退嬰的な空間に身を浸していると真世界エデンの方針も強ち故のないものではないと感じられる。任務の為に常に前線に身を置き、平素このような場にはろくに縁のない彼女はなんとなく己が場違いであるように思えていた。

 後ろではウェルバが、異郷からの風変わりな客人として如才なく振舞っている。いかにも口達者な彼らしい洒脱な話し振りに笑いの絶えない取り巻きの輪。

「(場を弁えているというかなんというか。ホントこういうとこは抜け目なく振る舞えるんだから)」

「いかが致しました?」

 別の男が彼女に問いかける。

「いえ、何にも」

 ミディは取り繕うように小杯を一息にあおった。


 広間の端にぽつねんと佇むフィーラにダネルは気づく。

 人々の視線を気にもとめずに虚空を注視する少女の奇妙な行動も彼には理解出来る。もはや押し隠しようもない地の底から粟立つような不吉を二人は感受していた。

 そして、何の前触れもなくその時は訪れる。

 屋敷を照らす灯り、いや浮界レボホト中の灯りが一斉に消え落ちた。同時に、この浮界を侵すものの存在をはっきりと感知する少女。

「何処いくんだ、フィーラっ!?」

 何も答えず駆け出す少女の後ろ姿を、ダネルは考えるよりも早く追いかけていた。そんな彼を、突然の闇に惑う人の波を押し分けながら呼び止めるウェルバ。

「ダネルっ、どうした!?」

「分からない!…フィーラを追う!」

「って、待てよ、おいっ!」

 大広間から消えたダネルに続いて廊下に飛び出たウェルバを人影が遮る。仄かな蛍砂の光にうっすらと浮かぶ影は彼に問いかけた。

「何処へ行かれなさる?」

 隣に控えた衛兵と思しき者が手にする銃は真っ直ぐ彼に向けられている。

「…これはどいうことです、執政官殿?」

 ヤアジア卿のにこやかな相貌は闇夜に濃く深く陰影の度を増していた。


 フィーラの後を追い屋外に出たダネルの目に飛び込むのは浮界に残された最後の篝火。

「…これは…」

 夜天を照らす穏やかな火柱であったものが今、真黒く濁っていく。予感は確信へと変わる。

(あいつが……来ている…!)


 鮮明になった月光を身にうけて、闇に堕ちたる目下の街並みを眺める男。彼は黒く立ちのぼる四本の烽火を見届けほくそ笑む。その隠微な笑みは男から仮初めの清涼を剥がし落とし、毒々しくも悪意に染まった素顔の邪濁を露出させる。

「あちらももう、完了間近か。…そうとなれば、こちらもそろそろ暇を告げた方がよいな」

 闇の中、音もなく地に開いた虚にゆっくりと沈みゆくその身は幕開けの合図。絢爛たる虚空の座を舞台にした崩壊劇の幕は開かれる――。



 差し向けられた銃口を真正面から覗きながらウェルバは目前の老人に詰問する。

「何の真似ですかヤアジア卿。宴の座興にしてはひどく悪乗りが過ぎるようだ」

「座興ですむかどうかは貴方の選択次第ですよ」

「…どういう意味でしょう?」

 真意を図りかね、問うウェルバに老卿は決定的な一言で答える。

「GRDNの使者としてではなく聖魂機の主、聖霊手ドミヌスとしての貴方に訊きたい。我々に就くつもりはないか?」

「……聖府を裏切れと申しますか」

「そうでない。聖魂機とは神都パルディスの守護者――――なればこそ、この「浮界レボホト」に相応しいのだ」

「(……そういうことか…)」

 これでウェルバには合点がいった。

「…ようく系図を洗っとくべきだったぜ……そうか、あんたはここのヌシなんだな」

「左様。わしこそが此処、浮界レボホトの主なのです」


「っとと…!」

 敷石に足を取られ少年は危うく転倒しそうになる。

 足元の覚束ない暗闇にあって、ダネルはあちこちにぶつかりながらなんとか歩を進めているというのに先を行くフィーラはまるで昼日中のごとく確かな足取りで闇夜を疾走している。これではいくら少女の足とはいえ追いつきようがない。ダネルとしては見失わぬようにするので精一杯だ。

「ったく、どこまで行くつもりなんだっ…待てよフィーラ!」

と、宮宅の庭先、何の変哲もない広場の突き当たりに立ち止まり、そして。

「な…」

 少女の差し出した掌の先、中空に現出する楕円の鉄門。押し開く扉の隙間に少女の影を呑み込み、門は再びその口を閉じる。取り残されて沫を食ったダネルが押そうが引こうが鎖された門扉は微動だにしない。

「く、こうなりゃ…」

 強引に押し破ろうと彼は己の身体を鉄門に向けて猛突させる。

「うわぁっ!!」

 が、衝突の寸前に扉はあっけなく開き、勢い余ったダネルは漆黒の虚の中に頭から転がり落ちていった。



「――今のGRDNは明らかにおかしい。度重なる軍備の拡張。駐留部隊の急増。その上に<ゲフェンノーム>……。あのような機兵を造り出して一体何をしでかそうというのか。わかるであろう?聖霊宿す機騎士の駆り手であるそなた等には、真実がみえるはずだ…神罰を賜るべきはほかでもないGRDN自身なのです」

成る程。そういう理屈か。

「……つまりは反乱ではなく世直しだっていいたいのか」

 そう、ウェルバはため息をつく。

「左様」

 聖府の意を離れた執行機関の暴走を食い止める為の義挙。誰が吹き込んだものか知らないが、聖府からの密勅とでもいえば「見返り」に目が眩んだ老人一人操るのは造作もなかろう。

「…生憎ですがね閣下。私どもは所詮、殿上の礼儀も弁えない下賤の輩に過ぎません。そういう訳で、閣下の申し出にもつい下衆な勘繰りを働かせてしまうのですよ―――ー例えばそう、地面の隠しものについてであるとか」

眉間に寄った老人の皺がいっそう深まる。

「……何をいっておるのかな?」

 少年はにやりと笑う。

「まるきりの当てずっぽうですよ。素直に反応してもらえるとカマをかけた甲斐がある」

「きっ、貴様!」

「呆れたもんだな、こうもあっさり食いついてくれるとは。その態度で何もかも白状したようなもんだぜ。長い間こんな辺鄙な場所に引き篭もり埒もない夢想に耽っていたあんたの様な人間には虚々実々の駆け引きなぞどだい無理な話なのさ。況してやあんたが取り引きした相手は正真正銘の悪魔なんだぜ?いいように利用された挙句、骨の髄までしゃぶり尽くされて棄てられるのがオチだ」

「くっ、口が過ぎるぞ若造めが…、」

――――瞬間、空を鼓する爆音が老卿の言葉を遮った。

「ほら、な。後悔しろよ。あんたが招じ入れたのは決して神都の栄光なんかじゃない――――ただの破滅だ!」

 暗がりにて、凄絶を帯びた少年の形相に気圧された老卿は背後に忍び寄る気配に気づかなかった。

「あの~お話の途中失礼しますけどぉ、私も仲間に入れて貰えません?」

 ヤアジア卿が振り向けば其処には満面の笑みを湛えた少女の姿。無邪気な口調とは裏腹にミディは自分の手元をほのめかして老人の動きを制する。

「ああ、動かないで下さい。油断が過ぎると向こうでのびている方のようになりますよ?」

彼女の手には返りうちにした別の衛兵から拝借したとおぼしき銃が握られていた。

「よっしミディ、よくやった」

妙なしなを作ってみせるミディ。

「へへぇ、こういう格好も時には役に立つもんね」

「(…ま、何をやらかしたかはあえて突っ込むまい)」

 こうみえて徒手空拳ではダネルはおろかウェルバすら凌ぐ彼女だ。艶姿に惑わされた衛兵がどんな悲惨な目に遭わされたかは想像に難くない。

――ミディは老卿を、衛兵はウェルバを互いに狙いをつけ。

 しかし、銃口で保たれた微妙な均衡はやにわに押し寄せた衛兵の集団によって崩された。退路を断たれては元も子もない。

 咄嗟にウェルバは髪の結い紐を引き千切る。

 すると紐に括りつけられていた一粒の銀飾が爆発的な光を放ち 同時に場に漂う大量の蛍砂が閃光を伝播し屋敷は瞬間、あまりにも眩い閃光で満たされた。

 視界を奪われた他の者全てが動きを止める中、ウェルバは廊下にうずくまるミディの腕を掴んで引っ張りあげる。

「目、目が…いきなり閃光管なんて使わないでよもう!」

「いきなりって不意打たなきゃ意味ねーだろ?!ほら、いくぞ!」

 数多の叫喚が巻き起こる邸内はまさしく混沌の坩堝と化していた。突然の暗闇に外からはけたたましい爆音、おまけに途方もない光の狂乱と立て続けときては無理もない話だ。

 背後の混乱を尻目に、飾台の置物で窓を叩き割って、夜会の席を急ぎ辞去する二人。

「遮蔽檻が消えちゃってる…」

 庭に下り立てば彼等を閉じ込めるように張り巡らされたはずの障壁が今はない。

「多分浮界中の障壁が落ちてるんだ。行くぞっ」

「ちょっと待って!フィーラとダネル、どうするの」

「今はあいつらを信じるしかないだろ。それよりも、早いところ此処から脱出して部隊と合流しなけりゃこっちだって手も足も…」

 彼等の鼻先を掠める自動球レ・ジュの群影。逃亡者を捕捉するようプログラムされた自律無人機はきょろきょろと辺りを見回してからその場を離れていく。

「…いや、とりあえず奴等の「目」を逃れるのが先決かな」

 それにしても、と彼は思う。

(あの爆発……内側からだったな)



 「浮界レボホト」の都市環境を司る中央統御室は紛糾を極めていた。

 畳まれきらずに放られた書判から篭れる燐がいたる所に塵を播く室内。操作主の意に応じて変幻する薄帯モニタも主の混乱を反映して所在なげにくるくると宙を旋回するばかりである。

「中枢部の黒点はまだ分からないのか?」

「ここからじゃ走査を受けつけません、直接いってみなけりゃ…くそっ、移動経路まで死んでやがるっ」

浮界を管理する集積中枢演讃ユニット全てが何者かによって支配を奪われ、いまやここ浮界レボホトの環境維持は根幹から不能状態に陥りつつあった。都市運行プログラムに関しては第一級の担い手といっていい律行操手が揃いも揃って、この突発的な凶事の進行に対し手も足も出せずにいた。

――秒を追って操作権限が次々と剥ぎとられ、修正を促す介入も順次遮断される。妨害などという生易しいレベルではない。これはもはや侵入ではなく乗っ取りだ。

 驚愕すべきはこれほど大規模な異変を事前に関知はおろか前触れさえ認められなかったということ。

「だいたい浮界レボホトのどこに外との窓口があるんだ…」

「だから、内部からの汚染なんですよこれは!」

 そうこうしている間にまたも都市機能の一部が断線していく。

「…中心部の制御系を一端「避難」させる。必要最低限は、いいや、残せるところだけでも残すんだ……!」

 もはや焼け石に水の措置ではあろうが、出来うる限りの手は打たねばなるまい。

 最悪の事態を想定し絶望に眩む頭を必死に揺り動かしながら、彼等は懸命に事態の収拾にあたっていた。



 鉄の無機質を湛えた側壁が上方に流れていく。

 暗闇を延々と潜る逆立した角錐は、少年を浮界の腸へと運ぶ。浮界レボホトの地中深く穿たれた垂路をダネルは降っていた。

 門をくぐり抜けた先、最初彼に濁った沼池とみえていたのは実際には地面にぽっかりと空いた虚だった。其処にフィーラの姿は認められず、辺りに浮かぶのは都市造成などで使用される昇降床の類が数基だけ。

 底のみえない穴虚から響いてくるくぐもった唸り――恐らく駆動装置の可動音であろう――を耳に入れたダネルは、考える間もなく昇降機に飛び乗っていた。

 深淵に息づく胎動を感じ身芯より沸く熱さに追い求める少女すらつい忘れてしまいそうになるダネル――― 。



 浮界レボホトの地中区画。

 剥き出しの鋼面が四方を占める浮界の暗部。陰府にまで届きそうな縦穴は悪夢のままに、煤けた灰の夢が急速に色を帯び現の今へと移行していく。

 夢のとおりだとすれば、この先に待っているのはまぎれもなく―――。

 無数に枝分かれした通路にも惑う事なくフィーラは吸い込まれるように歩を進める。

 近づく程、濃く邪な大気の波動は強く華奢な身体を圧する。

 少女を待つのは奈落の闇より抜け出た黒霊。

 世界を焼く火に染まるあの瞳は彼女にも向けられよう―――なのに、少女の胸を打つ高鳴りは何か。


 数えきれない兆しと逡巡とそして祈り。その果てに訪れた最初の時。



 茫漠と冷えた闇の中に、ダネルとフィーラは確かに「彼」の鼓動を感じていた…。


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