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神醒躯導スピリデウス  作者: ↑
神、天にしろしめす
4/19

約束の地

 風をきって青海をゆく艦隊の列。

 甲板デッキから眼下の大地を見渡せば、鮮やかな陽光が照らす濃淡の緑に疎らに彩られた地平が広がる。そこは既に神なる世界の最外縁区画、真世界(エデン)の最果て。

「空気の匂いが変わったね」

「うん、生きた土の匂いだ。多分、もう少しいけば外周ユニットがみえてくるんじゃないかな」

「そういえばダネルって確かこの辺りの生まれなんじゃなかったっけ?」

「そうだよ、さっき通った辺り」

 ミディは慌てて後方をみやる。

「ええっ!?私見おとした?だって何にもなかったよねずっと」

「うん、もうないんだ。随分前にみんな燃えちまったから。だから今はなにも残ってない」

何気ない様子で。

「……その、ゴメン。迂闊だった」

「?何が?」

 ミディの真意を図りかねたように、ダネルはきょとんとした顔で答える。

 その時、船首付近にいたフィーラが何事か声をあげ、少年はそちらに向いて歩いていった。




その日、炎の雨が降った。

 朱に染まる金の穂。焼けおちる土壁。噴煙の中、響く声と怒号----メギドの火などなくとも、たった数発の焼夷弾頭で人の世界はあっけなく壊れる。いかに大義名分を掲げようともつまるところ紛争の理由など縄張り争いに帰結しよう。

真世界辺境に位置する、とある工業ユニット群の閉鎖。通常、工業ユニットの外周にはそこに寄生するように棄民の街が築かれているものだ。

 巨大な傘の下に寄り集まりそのおこぼれを頂戴した生きる者の群れは、ユニットの閉鎖に伴い突如として生活の糧を失う事になる。無辺の荒野に投げ出された群集は次第に暴徒と化し、近隣の村々に大挙して押し寄せ収奪の限りを尽くす。

 略奪を正当化し良心を糊塗する言葉がある。殺戮を単純な作業過程に変える武器がある。それらは大抵の場合過剰に過ぎ、暴走は夥しい惨禍を描き。

 地に巣くう魔災に脅かされるまでもない、人間は自ずから、かくも容易く堕ちていく。

 世界にとってはごくありふれた瑣末な出来事。ありふれた惨事、ありふれた暴力。

 神暦975年7の月。

 その日、ダネル・アラクシの村を灼いたのもそうした酷薄で月並みな現実の一様だった。

 

 突き刺す日差しの中、緩やかに遠くのびていく人々の列。

 各々の集落から焼け出された避難民の群れはいつしか一本の道に収束していた。帰る家を失い、肉親をなくし、行くあてのない人々の足は自然とそこに向かうのだ。

 未だみぬ楽園の地、真世界(エデン)へと。

「起きろよルス、いい加減にいこうぜ」

ダネルはもう一度、寝転がったまま動こうとしない友に声をかける。

「腹減ったな…」

ダネルはポケットをまさぐり、ルスにそれを突き出す。村から逃げる時になんとか持ち出せたとっておきのパン菓子だった。一端は顔をあげた友人はすぐにもとの姿勢に戻ってしまう。

「いいよ、先に行ってくれ……俺、もう疲れたよ」

「何いってんだよ、折角ここまで来たんだろ?このままここにいたら本当に動けなくなるぞ」

 一夜にして村を、友人を、家族を、失った。

 疲れと衝撃にかすれた心に哀しみはまだ意識されない。ただ喪失の塊が他の感情を圧して胸中にごろりと横たわっているだけだ。

 この鈍く重い感情は次第に膨れ上がていつしか立ち上がる気力すら奪うだろう。

「この先に、何があるっていうんだ?…俺はもう、いいよ。お前は行ってくれ…」

 周りを眺めれば、道端に点々と座り込んだ人々。土埃に汚れたどの顔にも疲労と憔悴、諦めの色が濃く浮かんでいる。辿り着く先とて定かでない彷徨に誰もが耐えられるわけではないのだ。

「…なあ、村で生き残ったの俺とお前、二人だけじゃないか。お前までいなくなったら俺一人になっちまうよ。だからさ、頼むよルス」

「……」

 ルスはゆるゆると立ち上がりダネルからパン菓子を受け取って口中に押し込む。

「甘え…」

 二人は再び前に進みはじめる。見晴らせば遥か地平の先、長く長く延びた道のり。

 祈りながら少しずつ、ただひたすらに足を進めていく。この果てなく思える歩みの先に彼らの未来が、楽園が待つと一心に信じて--。


 それから数ヶ月。

 道の辿り着く先、彼らは難民キャンプ地でただ徒に日々を費やしていた。週に一度、投下される僅かな食料で命を繋ぐ生活。

 湿地を抜ければそこはもう都市ユニットは目と鼻の先にある。

 けれど、湿地帯を越える事は死を意味する。

 都市ユニットへの魔の進入を防ぐ為の防護陣は踏み込んだもの全てを即座に吹き飛ばす、人にとっては地雷地帯のようなものだ。うかつに足を踏み入れれば飛沫も残らない。

「やっぱりな…助けなんかきやしないんだ。俺達ずっとここでこうして干上がってくんだぜ」

 失意のルスに対してかけられう言葉などない。ダネルとて同じ気持ちでいるのだ。最低限の食料供給はあるものの、それさえもいつまで続くかどうか。

 苛立ちと諦念が日増しにキャンプ内に広まっていく。

 諍いや強奪が次第に数を増す。誰もが募る焦燥をどうすることも出来ない。

 明日のない、現在だけが続く日々。死からは免れた。しかし、ここにあるのは状態としての生だけだ。未来のない生き物には希望も意志も生まれ得ない。

 隔てられた境界。 ダネルは唇を噛みながら聳え立つ角錐に目をやった。みあげれば楽園の戸はすぐそこだというのに無限に遠く感じられる…。


 だからこそ、待ち望んだ訪れは鮮烈に、眩くさえあった。

ある日、ダネルがこの場所に着てから聞いたこともないような歓喜の立ちあがる方へ向かう先にあったのは鋼の来訪者の姿。

 地を踏みしめる重厚そのものである巨躯。どっしりとした紫紺の体躯を支える太い両足は間歇的に涌く爆風をものともせずに力強い足取りで湿地を進んでくる。

 機兵ドゥナミスコレクサ―――GRDN所属の一般聖導機兵である。部隊を率いる隊長機とおぼしき機体のコクピットが開き、ヘルメットを外した搭乗者の髪がはためく。

「諸君、我々は聖府所属の救済部隊である!手続きに時間がかかってすまなかったが安心して欲しい。遅ればせながら諸君らは真世界エデン聖領府に正式に帰依者として認められた。

民族、人種、国家、戦争…我々の世界では無意味な言葉である。神の御旨に従う限り、諸君らは平等だ。住居、衣、食その他生活に必要なあらゆるものは全て真世界から提供されるだろう。また神民としての義務を果たす限りにおいて諸君らの自由は保障されよう。

最後に……ようこそ真世界へ。楽園の扉は諸君らに開かれている」

 爆風で飛び散った泥砂にまみれた機兵ドゥナミスの姿はしかし、限りなく神聖にして崇高なものに少年には感じられた。

 ダネルは思う。自分はこれからこの光景を決して忘れる事はあるまい。この瞬間、差し伸べられた鉄の腕を。



 足を踏んだ楽園の地。都市ユニットの生活。

 夜も煌々と明かりを放つ天蓋に覆われた人々の営み。

 少年にとって楽園の名に嘘偽りはなかった。

 理由なき蹂躙もいわれなき略奪も理不尽な虐殺もここにはない。災いなす魔の跳梁もまた遠く。

 安寧。平穏。充足……。

 だのに、しらず胸を焦がすほど熱い何かが少年の奥底で燻り続けていた。

 機兵への憧憬にも近しい興味を抱いた少年は工員の道へ進む。

 そうして出遭った、「ゲフェンノーム強奪事件」。再び家族と呼べる者たちを奪い去った火が忘れかけた少年の地獄を呼び起こした。

 数奇な偶然から聖魂機の搭乗者となり、操縦訓練をこなす日々。

 いつしか沁み込んだ機械油の匂いは薄れ、握った工具でごつごつと硬くなった手の平のタコも消え、入れ替わるに聖霊手ドミヌス特有の機体接続痕が上体にうっすらと刻まれるようになり。

 

 神都の大聖堂にて執り行われる任命式典当日--。

 この、小都市ユニットにも匹敵する規模の建造物の周りを埋める衆群は執行機関の構成員が多数を占める。回廊に沿って高く天蓋を支える円柱の間に居並びひざまづく機兵達、そして回廊最奥にて鎮座するは聖魂機白き騎士機。

高くせり上がった祭壇の上に立つGRDNの大師長、太教院の長たる大聖司長をはじめとするそうそうたる顔ぶれ。「ディキオス」の所属となる神智院・サイド搭師長の姿もある。

 ややあってから、大師長の演説が始まった。

「先日の「第五開発支部」爆破事件は我がGRDNよりも十余名の死者を出す惨事となった。我らがディキオスの搭乗者、オベド・エイエルもまたその中にある…真に傷ましい事件である」

「だが失われたものだけではない。この惨劇の最中に、聖魂機に選ばれし新たな聖別者が誕生したのである。これを御主の配剤、我々が賜った恩寵といわずしてなんといおうか!」

「ダネル・アラクシ、前へ」

「はっ」

礼服に身を包んだ少年は大聖司長の前に拝跪する。

「これより汝はディキオスの正式搭乗者となる――」

ひざまづくダネルに出される問い。

「汝、何者か」

「我は剣。主の光輝に耀き、万魔討ち滅ぼし正義なす剣の一振り」

「汝、誰が為の剣か」

「万民の家、主の創り賜いし聖所、真世界が為に」

「汝、何処に向かうや」

「――永久にして永遠、万軍の主たる我らが神の御元へ。我が魂は塵に着き、滅びて後の再生を待たん」

群集の見守る中、雄雄しく立ち上がる白の神聖機械。

湧き上がる喝采を身に受けて少年は決意を新たにする。

 あの日、差し伸べられた救い。

 与えられた明日。

 彼にとって機兵ドゥナミスとは手を差し伸べる為の力であった。

 ゲフェンノームを識り、ディキオスの搭乗者となった今でも、ダネル・アラクシは頑なにそう信じている。今度は自分が明日を求める何者かに手を差しのべる者なのだと。



 境界柵に詰め掛ける人の群れに立ち塞がる三機の聖魂機。時折、放たれる散弾は、セイリオスの織り成す極光の帳に遮られる。

 ゲフェンノームの足取りを辿っていた一行は第五領区周域にある谷合いで思わぬ足止めを食っていた。魔獣ゲフェンノーム襲撃の余波を食らって倒壊したユニット群に残された神民を保護しなければならなくなったのである。

 いかな魔獣ゲフェンノーム追撃部隊とはいえ、荒野に投げ出されたままの神民を黙って見過ごすなど出来ようはずもなく、とりあえず救援部隊が到着するまでの繋ぎとして現地に駐留する事になったのだが、付近には棄民の集落がありこれが神民の仮設避難所に押しよせた訳である。

 正体不明のDFの襲来、都市ユニットの崩落、かててくわえてGRDN艦隊の訪問と、棄民の立場としてはこれで不安にならない方がおかしい。

 特に突如として現れた聖魂機の存在が彼らを刺激しているようだがそれも強ち過剰反応と切って捨てるわけにもいくまい。追撃部隊は事実、その気になれば一帯を瞬く間に更地に変えることさえ容易な布陣なのだから。

 勿論、ゲフェンノーム事件の真相を知るものはGRDN内部、それも極一部の人間に限られている。よって今回の聖魂機派遣も対外的には単なる治安維持の為の周遊という事になっている訳で、事情を知らない者にとってみれば疑心暗鬼にとらわれることしきりであろう。

 もっとも、更に厄介なのはこうした不安を煽り立てている集団なのだが。

「――「SIN」の馬鹿どもめ、これみよがしに騒ぎ立てやがって」

 現地球上の7割は真世界の掌握下にある。真世界は天界になぞらえて「シャマイン」「ラキア」「シェハキム」「マコノム」「マティ」「ゼブル」「アラボト」の七領区に分けられているが、そうした世界外の領域を俗に「第八世界」とも呼ぶ。七天に次ぐ八番目の世界という訳だ。

 「SIN」とはその第八世界群の自治を謳う武装組織を指す名称である。無論GRDNやADAMに比べればたいした武力規模ではないものの、旧式とはいえ機兵も所有しているという侮りがたい軍事組織であった。

 本来は魔物を駆除する為に組織された集団の筈だが時に起こる紛争にも加担しているあたり、黒白の判じがたい集団ではある。少なくとも今この場においては事態をややこしくする障害でしかないが。

 恐らくはこの暴動とてSINがお膳立てしたものだろう。その証拠に艦のモニターには時代がかった古式ゆかしいフォルムの戦闘機が映っている。あんなものをただの棄民が所有している筈がない。

「うへー、あんな骨董品をよくもまあ…」

 呆れるというよりむしろ関心するかのような口ぶりでウェルバは云った。

 頭上から放たれた戦闘機の機銃斉射はセイリオスの装甲に届く事さえない。弾丸が全て張り巡らされた障壁に包み込まれてしまうのだ。

 かわってセイリオスの「唄」が優しく撫でる。それだけで動きを封じ込められた戦闘機はしかし、あろうことか挙動を乱して人々の波に吸い込まれていく。

 咄嗟にベヌデクテが、編隊を組んだ飛鐘分翅の張った網で墜落する戦闘機を掬い上げる。だが、墜落する衝撃の余波は間近の渓谷の一角を突き崩し、棄民の方に向かって波となった砂礫が押し寄せる。慌てて逃げる群集の中、取り残された小さな子供が一人…

「まずいっ!」飛びだしたディキオスの掌が間一髪で子共の身体を衝撃から守った。

「フィーラ嬢、セイリオスの力は大きすぎるんだ。神民の保護に専念してくれればいい」

「分かりました!」

 ウェルバの指示に応えセイリオスは改めて仮設居留地に障壁を厚く張る。

「こんなのは使令機に任せればいいのに!もーっ」

 神経を磨り減らす作業に辟易するミディ。

「手が足らねんだよ。救援隊の到着まであと少しだから辛抱してくれ」

 ウェルバの応答はタルシス級からの回線だ。三番艦エリフェレト搭載の新型、「聖導歩兵弐式オムニ・マハ」はGRDNでも屈指の高性能機であるがその分ロールアウト数が少なく、いかんせん絶対数が足りていない。

加えてケイルブ参謀役が虎の子の新式機を出し渋ったせいもある。

「…面倒事こっちに押しつけといて、なーにが『聖魂機の威光をもってすれば暴徒鎮圧など容易いではありませんか』だ、あんおトカゲ面め…」

『あー、聞こえてるぞ、ミディ法士』

 ウェルバの横でケイルブがわざちらしく咳払いをする。

「あら失礼。主長殿も寛いでないでとっと出撃して欲しいんですけどっ」

 ダイヴィヌスはこうした仕事にはやや不向きな機体だ。まさか携行武器しか持たない棄民を蹂躙するわけにもいくまい。

「そういうな、俺だって辛いんだ。こうして仲間が粉骨砕身任務に励んでるのをただ指を咥えてみているしかない状況下で呑む紅茶は実に味気ないものだよ。…あ、お代わり頂戴。砂糖とミルクたっぷりとね」

「……奴の席だけピンポイント狙撃したろうか」

 回線通話に難があるのはお互い様のようだ。そんな中でダネルは必死に呼びかけを続けていた。

「止めてください!俺達は奪いにきたわけでも、荒らしにきたんでもない!…」

 虚しく響くだけの言葉に返ってくるのは罵り、怒り、憤懣、抗議……無理もない。そこには内と外という現前たる区別が横たわっている。 彼らとて多くの被害は受けている。けれどGRDNが救うのは神民であって彼等ではない。

 理解はしていても目前でそうした差別をみせつけられれば、怒りを覚えるのは当然であろう。そうと分かっていながらなお少年は呼びかけずにはいられなかった。かつて自らが属していた側の人々に。


「おらおら、どうしたどうした」

「っちぃ!」

 草も生えぬ荒れ地を跳ねる二体の機兵。世にも珍しい聖魂機同士の戦闘訓練である。

 ダイヴィヌスの巧みな連携打突にいいようにあしらわれるディキオス。一方でダイヴィヌスはといえば普段の大槌をオムネイ用の長槍に持ち替えて尚、双剣の連撃を尽く軽くいなしてしまう。

 元来がダイヴィヌスに比して運動性・近接戦闘に優れるディキオスである。こと格闘戦にのみ絞るなら機体相性からして優勢はいわずもがな。にも関わらず、適わないのならそれは偏に使い手の技量差としかいいようがない。

「中央じゃあ訓練でだって聖魂機同士を戦わせたりしたら頭の堅い爺いどもからぎゃあぎゃあ言われるからな。まともな模擬戦闘なんてこういう機会にやるしかねえのさ」

 慣れない任務に鬱屈していたダネルはウェルバの模擬戦闘の誘いに二つ返事で飛びついたのだが、はじまって十合も撃ちあう頃には数ヶ月に及ぶ教練漬けの日々で培ったはずの自信は霧散していた。

「--くっそお!ここまで差があるだなんて…あんなに太くてノロマそうな機体なのに…」

「せめて重厚といってくれよ!仮にも筆頭機に対して随分と畏れ多いものいいだなおい」

「今度こそ…どうだぁッ!」

 一度飛び退ってからの急突進、猛烈な踏み込みからの振り下ろしも勢い虚しく空を切る。

「おおっと、焦ると余計に剣筋が鈍るぜ」

「焦りもするさ!せめて互角くらいにはッ…!」

「おいおい、そう簡単に追いつかれたんじゃこっちだって立つ瀬がねえんだが」

「分かってはいるけど、それじゃ俺がいる意味なんてないじゃないか。こんなんじゃアイツに届きさえ…!」

ディキオスのがむしゃらな打ち込みはますます精彩を欠いていき。

 ウェルバは内心で溜息をつく。ダネルの真っ直ぐな気質は戦士にとっては美徳だが、少し思い詰めすぎる。

「あのな、自分じゃ分からないかもしれないがな、昨日今日機兵(ドゥナミス)に乗った奴がここまでやれるだけで十分以上に驚異的なんだ。もうちょい自信を持っていいよ、お前は日一日と凄い勢いで伸びてきてる」

「気休めはいいよ」

「バーカ、俺が慰めるのは女だけだ。そもそもなあ、短期間で伸びる可能性がないんならこうやってわざわざ稽古なんかつけやしねーよ」

「けど、」

「お前を選んだディキオスを信じてやんな。聖魂機(スピリデウス)は乗り手を引き上げる機兵なんだ」

ウェルバの言葉にダネルはようやく落ち着きを取り戻す。

「…せっかく付き合ってくれたのに八つ当たりなんかして悪かったよ。ウェルバだって色々忙しいみたいなのに」

「何、こっちもこんくらいしか気晴らしねえしな。折角中央から離れられたんで少しは羽目ぇ外せると思ったら、あんまり辺境すぎてなーんもお楽しみはねえときた。それに、こうしてる間はケイルヴの奴が代わりに仕事やってくれるし」

「サボりの口実かよ!」

「俺が頑張ると皆が頼ってくる。そうすると仕事は益々増える。けど、俺がサボると皆が頑張って、俺は更に楽になる。どうだ、賢いだろう」

「…なあ、お前その内、主長クビになるんじゃないか」

「残念だが望み薄だな、俺よりましなのいねえんだもん。……おかげでアレもコレも任されて嫌になるぜ」

 然もあらん。ゲフェンノーム追撃という重要任務において聖霊機の操手と部隊の長を兼任するウェルバの責務は甚だしく重い。人のみている所では涼しい顔をしているが、その労苦は並大抵のものではないこと位ダネルにも理解はできる。

「だからせめて、機兵の腕前くらいは早いとこ俺を上回ってみせてくれや」

「いわれなくてもッ!」

ディキオスが勢い良く跳びかかり、ダイヴィヌスも一歩進んで受ける。不毛の荒野に高らかな剣戟が響く--。


 格納庫の脇に座り込んで深々とため息をつくダネルに少女は後ろから声をかけた

「疲れた顔しちゃって、その分じゃウェルバの奴に大分揉まれたみたいね」

「なんだミディか…悪いけど放っと…いでででっ、つねるなよ、いって!」

 疎ましげに目を逸らした少年の顔をミディはなおも覗き込む。

「何、まーだヘコんでんの?まったく繊細だなあ男のくせに」

「…いけないかよ。あんまり姉貴づらしないでくれよ、年だって俺と二つも離れちゃいないんだ」

 実際には彼女の方が位階は上だが、同じ聖霊手(ドミヌス)として彼らは同列に扱われており位階の差を意識する機会は皆無に等しい。それはダネルの無遠慮さもさる事ながらあけすけな彼女の気質による所が大きいだろう。

「分かってないなあ、女はね、男の倍の早さで大人になるもんなの」

「そんならすぐバアさんだな…あグ!」

 烈火の速度で繰り出された肘が的確にダネルの鳩尾を射抜いた。

「ったく、そういう所がお子様なんだっての。そんな風に項垂れてても誰も同情なんかしてくれないよ」

「痛みに悶絶してるんだこれはッ…!」


「あまり深刻に受けとめるもんじゃないよ。聖魂機なんていったって兵器は兵器なんだから、外の人間からすれば脅威にうつるのは無理もないわ」

「そりゃ、俺だって諸手をあげて歓迎されるなんて思ってなかったけどさ。…歯がゆいんだ、俺は今こっち側なのに、指を咥えてみてるしかないのかって」

少年はおのが手のひらじっと見つめる。

「私たちは英雄じゃないよ、ダネル」

「無力なただの人ってわけでもないだろ」

ミディは少し真剣な面持ちにになる。

「ダネル、私達聖霊手ドミヌスが預かった力はとても大きなものだけど、同時にそれはとても不自由な力でもあるの。私やウェルバみたいに学院スクオラで幼い頃からみっちりと仕込まれてきたんならともかく、ついこないだまで普通の神民だったあんたは何の準備もなくそんなものを突然手に入れちゃった。だから、戸惑ってるんだよ。自分に何ができるか、何をすべきかがよく分からなくって」

 一般に、汎士以上の上級機兵搭乗者は教練施設か学士院の出であるのが慣わしであって、ダネルの様なケースは稀である。

 まして一介の棄民が真世界の守護者になるなど、文字通り空前の事態というほかない。

 迷った時に頼りになるのは以前から積み上げた実績と経験だが、聖霊手(ドミヌス)となって日の浅い彼には到底望み得ぬものだった。

「…正直、ウェルバが羨ましいよ。どんな時だって場馴れしてて動じないで、いい加減そうにみえて何だって軽々こなしちまう」

「あいつも昔からああだった訳じゃないんだけどね。もしも学院スクオラに入ってきた頃のあいつをみたらきっと驚くでしょうね」

学院スクオラ時代か。確か同期だったんだよな二人は」

「そ。ウェルバの奴、最初の頃はもう無愛想っていうか無表情で、何考えてるのかよく分からないやつでさ。近寄りがたい空気っていうか、誰とも打ち解けなかったな。周りも周りで学院スクオラ始まって以来の逸材って触れ込みに引き気味だったし」

 気さくを通り越して、いっそ軽薄そのものといっていいような今のウェルバからはおよそ想像し難い過去ではある。

「むう。まるで想像つかないな」

「とにかく一年目は大体そんな感じだったわ。…とある事件が起こるまではね」


「--当時、学院(スクオラ)に地方から出てきたばかりのある女の子がいたの。才能を見込まれて、推挙を受けて学院スクオラに来たんだけど、はじめはいつも要領が悪くってヘマばかりしてて。けど人一倍努力家な娘でね」

「ふむ」

「そんな彼女にいじめっ子どもが目をつけたの--同郷の友達もいなくてまだ周囲に馴染めない彼女は格好の標的になってしまったわけ。ことあるごとに嫌がらせをされて、彼女、いつも陰で泣いていたわ」

「ひどいな。なにが楽しくてそんな事するんだ」

「強者が弱者を虐げる。ガキの世界も似たようなもんよ。学院の生徒は仲間であるよりも競争相手なの。勢い攻撃性も半ば肯定されるってわけ」

「それにしたって女の子を苛めるなんて最低だな。誰か止めるやつはいなかったのかよ」

「いじめっ子は学院じゃそこそこの実力者でね。取り巻きもいたし面と向かって注意するのは難しかったの。それに女の子も芯の強い子でさ。誰かに泣きつくよりは一人で耐えちゃうような子だったのよだから、もしそのままいじめが続いてエスカレートすれば取り返しのつかない事になってたかもしれない。……いえ、事実そうなりかけたの」

ミディは言葉を注ぐ。

「ある日。初めての機兵による模擬戦闘演習。いじめっ子とその取り巻きは示し合わせて彼女を標的にしようとしたの」

「おいおい、それって洒落じゃ済まないんじゃないか…」

「そうだね。候補者による機兵同士の本格的な戦闘演習はただでさえ危険が伴うのに。場合によっては彼女、学院スクオラにいられなくなっていたかもしれない」

「…けど、そうはならなかった」

ミディは軽く首肯する。

「演習が開始されるその時よ。ウェルバの機兵ががいじめっ子に立ちはだかったの。それまで何に対しても我関せずを貫いてたウェルバがね」

「それで、結果はどうなったんだ」

「いわずもがなよ。いじめっ子とその取り巻きはたった一機に完膚なきまでに叩きのめされたわ。も、意地やら誇りやら自信やらをもう粉末状になるまですり潰されるくらい徹底的に」

「…うわあ、容赦ないなぁ」

「騒然とする周りをよそに、ウェルバはやっぱり退屈そうな顔していたけどね----ともかくそれからよ、学院スクオラ内外でウェルバ・イルの名が響き渡ったのは。それから在学中、聖霊手に抜擢されると同時に至聖院入りするまでの二年間、ウェルバは学院の中心、王様だった。常に人の輪の中にいて、その輪には助けられた子はおろか、コテンパンにのされたいじめっ子までまじってたわ」

「へえ、いい話じゃないか。良かった良かった」

「うん、ここまではいい話しなんだけど」

「…いい話で終わらないのか」

「あいつ人と打ち解けてくに従って物凄い勢いで堕落してさ。初めは最年少での至法院入りも囁かれるくらいだったのに教練さぼるようになって、最後には成績も下から数える方がはやい有様になっちゃった。そのくせ要領だけはいいからいつもぎりぎりで落第は免れるの。何か問題を起しても上が非難できないよう予め有力者の子弟をとり巻きに引き込んだりね。結果を出すために最低限必要な労力を見極めるのに凄く長けているというか、どこまでやるかじゃなくてどこまでやらないかに、命をかけているというか」

「ああ、なんかだんだん俺のしってるやつに近づいてきたな」

「で、神童の面影すらなくなった頃になって突然、聖霊手ドミヌスに抜擢されて……それで学院スクオラを辞めてからひと月もしない内に初陣で大戦功あげてたわ。よく分からないやつよ、ホントに」

 そういう捉えどころの無さもウェルバらしい、とダネルは思う。

「けどね。当時は皆して首を傾げたもんだけど、今から考えればあいつなりに色々と逡巡した結果なんじゃないかなって。……そんなとこおくびにも出さなかったけど、ウェルバ・イルがウェルバ・イルである為に、きっと足掻いていたんだと思う」

「今の俺みたいに、か」

「そうだね。もしかしたらね」

 いたずらっぽく微笑むミディ。

「なあ、ひとつ聞いていいか?」

「何? 」

「もしかしてさ、今の話に出てきた虐められっ子って、ミディの事?」

「…残念。私はもう一方のほうよ」

「もう一方っていうと…………えええいじめっ子の方かよ!?」

「あははは、若気の至りってやつねえ。いっとくけど彼女には後でちゃんと謝ったよ。今じゃ良い友人なんだから」

 そういいながら彼女は席を立つ。

「立場上いろいろ悩みもあるだろうけど、頑張りなさいな」

「ああ、色々聞かせてもらってありがとうミディ。少し気が紛れたよ」

「なに、切り込み役がボケちゃこっちもやりづらいからね。おっと、お呼びがかかってるみたいよ?」

 そういわれたダネルが振り向く間もあらばこそ、いきなり整備長のがなり声飛んでくる。

「また、なんかやったの?」

「いやー、今日はまだ何もやってない筈なんだけどな…」

 ミディは慌てて駆け出していく少年を見送り一つ溜息を漏らす。

「…どーにも、危なっかしいんだよなぁ」


 砂海に立つ波濤が二つ。地面を潜行する魔甲機「ロバルワ」が二体、轟然たる勢いで居留地へと突き進んでいた。地表に露出する不気味な単眼が行く手を阻む障害をぎょろりとねめつける。立ち合うディキオスの数倍はあろうかという度外れた鉄蟹の爆走する様は正に怒涛。

「―――止まれぇっ!」

真上からの振動砲の一撃が厚く張り出した装甲表面に弾かれ、お返しとばかりに体表から飛び爆ぜる鋭棘の五月雨。

「迂闊だぞダネル!」

 魔甲機ロバルワの外殻は並の振動砲の直撃にも耐えうる強靭なものだ。いかな聖魂機の神級兵器といえども、機体の爆発を避けるため威力を抑えた状態では通用しなかった。

「この程度…、」

 山なりに降ってくる飛び道具に気をとられダネルは本体からの攻撃を失念していた。機体に奔る衝撃にダネルは身体を揺すぶられる。繰り出される鉤爪に絡めとられるディキオス。並の軽量級DFならば易々と握りつぶすことが出来よう圧力が極粒子装甲を軋ませる。

「がっ…くっそ…」

 頭部速滴弾の連弾で緩んだ爪から、逃れざまの居合い一閃が魔甲機ロバルワの腕を両断。

それでも厄獣の勢いは衰える事が無い。邪魔者を振り切って神民の居留地と棄民の集落になおも向かおうと加速をかける。

「それ以上、先にいかせるかああ!」

 機動性で劣るディキオスではない。再度回り込んだ先、開いた嘴の奥より極大の振動波が騎士機を襲うものの勇壮なる聖魂機はひるむことなく剣を十字に組んで即席の障壁を展開しながらロバルワの口から腹中に飛び込む。装甲表面に光条の軌跡が浮かぶ度、魔甲機ロバルワの活力は確実に削がれていった。

 対して、もう一機の魔甲機と交戦するダイヴィヌスは小火器のリズミカルな連続射撃によって足止めを図っていた。足場の定まらない流砂の中、豪快に見えてその実、細心かつ瞬時の判断力を要求される機体を難なく操るウェルバ。苛立ったように魔物の口中から放たれる振動砲を先読みしていた機体は宙空に回避する。

 弧をうって大地に急着するダイヴィヌスは降下の勢いそのままにハンマーを大地に叩きつけると、砂塵の爆発に魔甲機ロバルワの巨体が舞い上がった。

「たまらず出てきたなっ蟹野榔っ」

 隙を見逃さずにダイヴィヌスは巨怪の影に潜り込む。地表にみせる背中の甲皮に比べて腹は柔らかい。 両腕の回転式光射砲が火を放ち機肉を貫く弾丸が背の外殻に無数の凹みを描き出す--硬い装甲が爆散が拡がるを防ぐのも計算済み。

 彼にとっては荒ぶる巨獣との大立ち回りでさえ凡庸な単純作業ルーチンワークに過ぎぬらしい。

「どうやらあちらもケリがついたか…」

 動きを停止した巨体の眼を突き割って出る大剣と腕--恐らく魔物の中身は粉々だろう。

「―――にしても、なんでこんな都市部に近い所に魔機ロバルワなんかが、それも二体も出るんだ?」

魔甲機ロバルワは確かに強力な魔災だが顕現数は常に少なく、いずれも単体での目撃事例ばかりである。

「さあな、例の瘴気の影響だとい思うが」

 戦闘を終え帰路に着く二人。

「あのなダネル、もう少し機体特性ってもんを頭に入れて動けよ。足をとめて真っ向からいくやつがあるか」

ダネルは妙にきっぱりと答える。

「いや。俺の腕じゃ牽制しながら目標の足を止めるなんて無理だ」

(腕じゃなくて気性の問題なんだけどもな…)

「で、どうよ。少しはスッキリしたんじゃねーの」

「こっちはお前と違ってそんな余裕なかったよ。…けどまあ、ホッとしたかな。なんとか水際で食い止められてさ」

「ま、一応僚機オムネイはあの辺りで待機してたんだけども。流石に一枚じゃ不安だし」

「そういう事は先にいえよ!」

「いやあ、いわない方が気合入ると思ってよ」

  隊を率いるものとしては当然の策ではあろうが、必死で戦った身からすれば騙されたようで内心面白くはない。

「そんな渋い顔するなって。結果オーライなんだからいいだろー」

「まあそうか、皆が無事なら。それが一番大事なことだもんな…」

 ダネルは気を取り直してそう考える。

 そうだ。

 できない事をくよくよ悩んでいても仕方が無い。大切なのは、人々を守る事。守りたいという意志。自分はその為にこそディキオスに乗っている。それが揺らがぬ限り、矛盾も苦境もきっと乗り越えていける筈。

「ん。なんだか知らないが、吹っ切れたっぽいな」

「少しはね」

「直に救援部隊が着く。そしたら休暇は終わりだ」

「ああ。任せてくれ」

そう答えるダネルの声は平生の明るさを取り戻していた。


 

 明朝。救済部隊は当初の見通しよりも思いのほか早く、午前中には到着する見込みだった。一行は彼らに任務を引継ぐ為、神民居留地に降り立って救済部隊の来訪を待ち受けている。

「ああくそっ、朝から暑いったらねえな畜生…」

 額から零れる汗をウエルバは拭った。

「そうかぁ?こんなの普通だろ」

 ダネルは文字通り涼しい顔で傍らの少年を見返す。

「さすがに外育ちってことか、逞しいねえ。……で、君たちは何なの?」

 みればミディとフィーラ、二人の上空を一基の飛鐘分翅フォリムが浮遊している。

 即席の日除け傘といったところか、方錐型の障壁がうっすらと彼女らの周囲に透明のテントをはっていた。

『たまには外の空気を吸わなきゃね。あー、涼しい』

 内部は実に快適な空間らしく、強い陽射しにも関わらずミディはこれ見よがしに丈の短い装いを見せつけている。

「……仮にも殲滅級兵装をそんな事に使うんじゃねーよ」

『これだってれっきとした護衛任務だもん。私にはフィーラの安全とこの白い柔肌を守りぬくという使命があるんだから』

 猫可愛がりとはこういうものか、そういいつつ彼女はフィーラの腕といわず顔といわず愛しむようにしきりに撫でさする。フィーラの方は面映いような表情でなすがままだ。元来、気さくなミディは、フィーラとは瞬く間に打ち解けて今やすっかり姉きどりといったところだ。

「成る程成る程……じゃ、俺もその中入れてもらおうかな、」

 途端、ガシャリと音を立てて飛鐘分翅フォリムから覗いた銃口が近づくウェルバに狙いをつけた。

『気をつけてね、間接操縦で力加減効かないから大怪我するよ?』

「怪我どころか飛沫も残らねーよ!」

 何気に先日の戦闘の件を根に持っているようだ。


「あ、そろそろみたいね……」

 視界に入る紫紺の巨体はまるで彼の記憶からそのまま抜け出てきたようだった。聖十字を刻する顔――聖導機「聖僧兵コレクサ」擁する救済部隊の到着だ。

「――わざわざご足労いただいて恐縮です。後の処置は、我々が引き継ぎますので」

 そして、流れた歳月を感じさせない彼女の姿--あの日あの時と何一つ変わらぬままに。

 救済部隊主長セラ・シャルム律士の元へ、ダネルは足早に駆け寄る。

「あの、セラ律士…」

「お久しぶりですね、ダネル導士。立派になられて…」

 そういって彼女は微笑む。世にも稀な棄民出の聖霊手の噂は彼女の耳にも入っていたのだろう。

「そんな、私は、ずっとお礼をいいたくって…」

 絶望の日々、差しのべられた救いの手。ダネルは遠い日に見上げた憧憬に追いつき、今は共に同じ視線で立っている。

 彼は彼女に棄民の扱いについて尋ねてみた。

「ええ、その件ですけね。何とかなりそうです」

 律士の話によればこの地の棄民は例外なく受け入れ可能だという。

「もともと今年は丁度九周年期の区切りにあたりますから、ユニットの再編も織り込み済みなんです。だから、新造されるユニットへの受け入れもそう難しい事ではありません。手続きもいつもよりはずっと楽に済むでしょうし…私達は先遣部隊だから本隊を待ってということになるけれど、いずれにしてもそう時間はかからないと思います」

「そうですか、良かった…」

「本当にね」

 人々の安寧を心より喜ぶ彼女の笑みにダネルは満たされるものを感じていた。

「―――いや、年増が好みとは意外だったな…出会ったばかりで即接近、切り込み役の面目躍如といったところかハハハ」

「お前、ときたま凄くおっさんだな…。あの人は恩人だよ恩人。昔助けてもらったの、俺は」

 律士と別れてすぐにこれだ。ウェルバのこういった冗談・茶化しの類は今に始まった事ではないが。

「それだって、好意は好意でしょ?彼、満更でもなさそうだったよねフィーラ」

 そこに、いつの間にかミディまで加わっているのは何故か。

「ええと、私はよく分かりませんけど、ダネルとても嬉しそうでしたわ」

 ミディの胸元に抱えられたフィーラは実に無邪気にそう答える。

「だとさ。潔く認めろよ」

「…ったく、好きにしてくれよもう」

 ダネルは逃げるようにしてその場を立ち去った。


 手頃な岩盤に腰掛ける。強い陽射しも陰に入ってしまえばそれほど苦にはならない。避難キャンプからやや離れてはいるが艦隊が目に入る位置なので危険はあるまい。

 日にやける土の匂い。

 乾いた風の音。

 五感に届く郷愁が心身に染みていく。

 真世界と外界--別々に分かたれていた自分の生がようやく一つに繋がっていく感触。

 つい先日まで心にしこりとなってこびりついていたわだかまりは今は嘘のようになくなっていた。

 ふと、土を擦る靴音がダネルの耳に留まる。後ろを振り返ると子供が立っていた。

「君は、あの時の…」

ダネルが先日かばったあの子供だ。彼の言葉に子供は同意を示すように頷く。

「名前は?」

「……ハヌン」

「俺はダネル。よろしくな」

「……」

「………クッキー、食うか?」

焼き菓子を口いっぱいに頬張ったハヌンは、お返しとばかりにポケットから取り出したものをぶっきらぼうに突き出した。

「これを俺に?」

 またもや黙ってハヌンは頷く。握っていたのは恐らくは手づくりであろう木製のロザリオ。どうやら礼をいいにきたらしい。

「そうか。有難う」

 彼は謹んでそれを受け取った。

 ダネルに対して言葉少なに受け答えるハヌン。

 数年前に父と死に別れ、今は母と姉と暮らしている事。母親は病で床に臥している事。日々増える魔による災害。

 そして集落を撫でた黒い熱風。

 ユニットと違い何ら防護設備を持たない村落では「ゲフェンノーム」との接近遭遇だけで甚大な被害をこうむったということだ。

 ダネルはハヌンの瞳をみやる。

 肌をさす日々の辛苦に、肉を苛む日常の過酷に慣れてしまった幼い目。緩やかな諦観をそれとしらずに身につけた無垢の瞳。この目を、彼は知っているはずだ。

「……待ってろよ、ハヌン。もうすぐ楽園に連れて行ってやる。正真正銘の楽園にさ」

 ダネルは真世界での生活を少年に語って聞かせた――涸れぬ泉。尽きぬ光。

 空をつく天蓋は嵐を遮り熱波を和らげ、折り重なる並軌道路面に樹林が並び。慎重に整置された居住棟の上空を舞う小鳥の群れ。

 生きる為に必要なあらゆるものが供給されるプラント類――彼に約束された明日、少年に約束されているはずの楽園を。

「――ダネル、そちらにいらっしゃいますか?」

 見知らぬものの声に怖気たのか、ダネルが引き止める間もなくハヌンはその場を去ってしまった。

「おいちょっと待ってくれ…」

 伝えたい事を口下手な自分では充分に表現しきれなかったのがダネルには口惜しい。だが、それも仕方のない事かも知れなかった。

 幸福を謳う言葉はいつだって陳腐に過ぎる。結局、人は天国を語る言葉など持ち合わせていやしないのだ。

 けれど、去り際に垣間みたハヌンの瞳に宿った輝きはダネルの錯覚だったろうか?

「ダネル~助けてくださいー」

 と、岩間からひょこりと涙目のフィーラが顔を出す。

「フィーラ?!どうした」

 みれば羽虫の群れにたかられているようで、ダネルは慣れた手つきでそれを払ってやった。

「落ち着いた?」

「うう…もう駄目かと思いました……ダネルは私の命の恩人です」

「大袈裟だなぁ。少し風にあたってくか」

 少女は彼の隣に腰掛けた。

「しかし、フィーラを放っとくなんてミディのやつ何やってるんだ」

「いえ、私から離れてしまったんです。その、少しだけ一人になりたくて」

 どうやらミディの過保護ぶりに辟易したに違いない。

「つまり鬱陶しかったんだな…ミディにも困ったもんだ」

「気遣いは嬉しいのです」

「あれは単に好きでやってるだけだ」

「本当に、いやではないんですよ」

 生まれながらにして特別な地位にあった少女にとって、これまで他者と気軽に接するような機会は皆無に等しかった。それゆえ嬉しい反面戸惑っているといった所なのだろう。

「ダネル、元気になったみたいで良かったです」

「ん?…ああ、心配かけたみたいでごめん」

 それにしても世事に疎い彼女にまで見透かされていたとは。自覚はなかったものの彼の様子はいつもとは大分違っていたらしい。

「――ええっと、いつものようにウェルバと笑い転げたり、整備の方に工具を投げつけられたり、愉快な鼻歌を口ずさんだりしなかったから」

「(……なんかバカみたいなんだな、普段の俺って)」

 穏やかな風合いの下、傍らで足を組む少女を横目にダネルはぼんやりとあの不可解な言葉を思い返す。

(「貴方は「彼」を赦せますか…?」)

 あの時、呆気にとられた彼は甲板から去る彼女に真意を問い正す事ができなかった。今となっては本当にあったことなのかすら定かでない。思えばあれは自分の聞き間違いではなかったか。

黄昏の情景に溶けてしまった朧な記憶。

 こちらの視線に気付いたのか彼女が尋ねた。

「――何か?」

「いいやなんにも。さ、そろそろいかないと」

 問いかける少女の眼は相も変わらず美しく。見惚れていたなどといえる訳もなし。

 緩やかに過ぎる白昼の幕間劇。


 この時のダネルには事態が最悪の結末に向かっている事など知る由もない。



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