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後篇

維月は、龍の王から先程贈られた着物を着て、髪を結われ、かんざしを挿されて所在なさげにしていた。迎えが来るまでは、まだ少しある。蒼は先程から、口うるさく話し続けていた。

「とにかく、あのかたは王の中の王なんだから」蒼はまた必死だった。「絶対にご無礼があっては駄目だよ。とにかく、人を知らないから、神のようにふるまうんだよ。一応、人だからと散々向こうには言っておいたけど、それでもとおっしゃるほど奇特なかたなんだから。しかも、まだ一人も妃がいらっしゃらないのにだよ。ちょっと、聞いてるのか?」

維月は自信なさげに頷いた。

「聞いてるわ。でも、蒼、私、神様になんて嫁げないわ。仮に神様だったとしても、王様は駄目よ。だって、何人も奥さんもらうんでしょう?私は好きなかたと結婚したいわ。そんなたくさんの内の一人なんて、しかも政略結婚なんて、とてもじゃないけど無理。人と違って何百年一緒に居ることになるのよ。愛し合ってるならまだしも、仮面夫婦でそんな…。」

蒼はため息をついた。

「だから、母上からそれを維心殿に話すといいよ。それで無理だと思ったら、きっと向こうから断ってくれるから。とにかく、行って来て。」と、侍女の来訪を感じて、緊張して維月を見た。「さあ、頑張って。」

維月は、龍の侍女達に頭を下げられて緊張した。なんだって、人の世で暮らしていた私が、神の王に会わなきゃならないの。しかも、プロポーズされるのよ。断らなきゃならないのよ。

維月は侍女達について、自分の侍女を二人連れ、控えの間を出た。

侍女達はしずしずと回廊を歩いて行く。本当に龍の宮は大きかった。仮にここで暮らすことになったら、きっと迷う。それに落ち着かないわ。他に神が多過ぎるのだもの。

どんどんと奥へと進んで行く。どこまでも宮が続くのが、維月は珍しかった。でも、かんざしが重いので、早く着いてほしかった…でも、維心との対面を考えると、着いてほしくないとも思った。

そんな気持ちを知ってか知らずか、ついに最奥まで到着したようだ。侍女達は戸の前で左右に分かれて立った。維月が緊張気味に追いつくと、侍女達は言った。

「維月様、ご到着でございます。」

そう言ったかと思うと、戸を大きく開いて維月に頭を下げた。維月は思い切って、足を踏み出した。侍女達はここには入れないらしく、背後で戸が閉められる。

維心が、立ち上がったのが見える。その横には、臣下の洪という者が微笑みながら立っている。維月は、本当に泣きそうになった…こんなに偉いだろうかたに、私、断れるのかしら。なんで蒼は付いて来てくれなかったのかしら…。

維心もまた、緊張気味に足を踏み出してこちらへ来た。維月は息を飲んで、相手の言葉を待った。

「わざわざのお越し、感謝する。我の無理を聞いてもろうてこのような所までご足労願い、申し訳ない。」

維月は言った。

「このように良いお品を頂きまして、こちらこそありがとうございます。」と維月は着物に視線を落とした。「蒼より、お話しがおありと聞き、参りましてございます。」

維心は頷いて、手を差し出した。その手が微かに震えているように、維月には見えたが、きっと気のせいだろうと思った。確か、手を差し出されたら、それを受けに行かなきゃならなかったっけ…。

維月は、つと足を進めると、その手を取った。維心はホッとしたような顔をして、椅子を促した。

「そこにお掛けになると良い。」

維月は頷いて、座った。それにしても、ここは王専用の居間だと聞いているけど、本当に広いこと。こんな所で、寛げるのかしら…。

椅子には座ったが、維心が手を離すことはなかった。神ってこんな感じなのかしら。維月はわからないことだらけで、どう反応すればいいのかわからなかった。維心の横で、洪が言った。

「この度は、思いも掛けず維月様のご訪問も受けて、我ら臣下一同大変に喜んでおりまする。それでこの機会にと、王からお話しがございまして…そのために、維月様をこちらへお招きしたのです。」

維月は頷いた。蒼から内容まで聞いて知ってるんだけども。そっちは二人で私は一人ってひどくない?これじゃ断るのも断りにくくなるのに。維月がそう思っていると、まるでそれが聞こえていたかのように、洪は立ち上がった。

「では、我はこれにて失礼いたします。ごゆっくりとお話しくださいませ。」

ええ?!と維月は思った。二人きりになるの?ああ、酷いなんて思って悪かったわ、洪、帰って来て!

維月は心の中で思ったが、洪は足取りも軽く出て行った。どうしてあんなに嬉しそうなの?

「維月殿」維心が思い切ったように話し始めたので、維月はそちらを向いた。「おそらく、蒼殿からお聞き及びであるだろうが、我は、主を我の妃にと望んでいる。」

維月は驚いた。神って直球だとは聞いていたけど、本当だったんだ…。維心はじっと維月の目を見て、続けた。

「我には他に妃は居ない。これからも娶るつもりはない。なので、このままここへ残り、我の妃になってもらえぬだろうか。」

維月はあまりに急なことに、さらに面食らった。このまま?何か準備をしてとかではなく、月の宮へ帰らずにここに残れと言うの?

維月は、確かにこの神を嫌いではなかった。こうして傍に居ると、本当にドキドキする…この外見は、間違いなく自分の好みのど真ん中を射ぬいている。でも、このかたは王。例え今は私だけだと言っても、この先、同じように政略結婚して妃はどんどんと増えて行くに決まっている。まだ、こんなにお若いのだし。維月は俯いて、言った。

「…維心様、私は人でありました。ですので、神の王と結婚することは出来ませぬ。なぜなら、私はただ一人のかたを愛して、お互いにただ一人として愛し合ってこそ結婚であるのだと、考えておるからです。維心様はお若いし、王であるのですから、もしも望まなくてもまだまだ妃を娶られることはあるでしょう。まして…このように政略のために結婚をなど、考えたこともございませぬ。どうか、ご容赦くださいませ。」

維心は両手で維月の手を握った。

「我は若くはない。この外見は、この力で寿命が長いゆえのもの。神の中で一番長く生きておる…1700歳であるのだ。今まで妃は要らぬと思うておった…だが、主であるなら、迎えても良いと思うておる。なので、他を娶ることなどない。」

維月は驚いて維心を見た。これで1700歳?!…でも…きっと、龍族と月をつなげる義務のために、こうして無理に妃を娶ろうとなさるのだ。今まで最強であった龍が、月の出現で微妙になってしまったのだと聞いた。これで、もしも鳥とかとつながったら、神の世の力関係は崩れてしまうから…。

維月は、なんだか悲しくなった。こんな素敵なかたに想われて嫁ぐなら、きっととても嬉しかっただろうに。

「維心様…私は、政略結婚は…。」

維心は焦っていた。今、維月に、はいと言わさなければ、炎嘉に奪われてしまう。維月は神の女とは明らかに違う。神の女はこんなことにこだわったりはしない。なぜなら、生活の安泰のために結婚することもまた良しとするからだ。だが、人であった維月は、あくまで心を重要視するようなことを言う…愛しておらねば、結婚はしないと。しかし、維心には自分を愛してもらう時間、待っている余裕はなかった。絶対に取られたくない…。こんな気持ちは初めてだった。

「結婚してから、我を愛してくれればよい。」維心は言った。「時間はあろうぞ。我は主に想うてもらえるように、努力するつもりでおる。」

維月は悲しげに眉を寄せた。そうではないのに。あなたは私を愛してくれないでしょう?だって、人だった女なのに…。

「維心様…。」

維月は、袖で口元を押さえて下を向いた。維心は、心が苦しかった。生まれて初めて、これほどに欲しいと思う女に出逢ったのに。その相手は、我を拒むのか…今までは、要らぬと言っても寄って参ったのに。

どうしても、手放したくなかった。どうしても自分の傍に置きたかった。誰かに取られると思っただけで、身の内から焼かれるように怒りのような、焦りのような感情が湧きあがって来る。こんな女に、この先出逢えるとも思えなかった。

維心は、維月の手を握る手に、力を入れた。維月は驚いたように、維心を見上げた。

「維心様…?」

「我は、政略などとは考えておらぬ。」維心は絞り出すような声で言った。「ただ、主が欲しいだけよ。」

「え…、」

維月が訊き返そうとした時、維心はぐいと腕を引いて維月を腕に抱くと、唇を塞いだ。維月はびっくりして身を退こうとしたが、維心は腕を緩めない。維月はじたばたと逃れようとあがいたが、その腕は全くびくともしなかった。

維心は維月を抱き上げると、歩き出した。維月は何事が起こっているのかわからず、だた逃れようとした。奥にある戸が、手を触れないのに開く。維心が気で開いたのだと思っていると、その中へと維心は進み、背後でまた戸が閉じ、薄暗いその部屋の奥へとさらに進んで行く。そこに、寝台が見えた時、維月は事態を悟って必死にもがいた。だが、維心は事もなげにそこへ維月を降ろして組み敷くと、一言、言った。

「我の妃になるのだ、維月。有無は言わさぬ。」

維月は、そのまま抗う術もなくその夜、そこで過ごしたのであった。


次の日の朝、蒼が起き出して顔を洗っていると、侍女が洪の来訪を告げた。居間の方へ出て行くと、洪が満面の笑みを浮かべてそこに立っていた。そういえば、昨夜は母上はどうしたのだろう。その顔を見て蒼はふとそう思ったが、洪が話し出すのを待った。

「誠に本日は、両宮にとり大変におめでたい日にございまする。」と洪は言った。「我が王と、維月様の婚姻が成りましたこと、お喜び申し上げます。」

蒼は驚いた。母上、あれだけ渋っていたのに、維心様の求婚を受けたのか。

「それはそれは…めでたいこと。で、母上はいつこちらの宮へ輿入れすることに?」

洪はまたまた、という顔をして手を振った。

「蒼様、もう維月様は我が王の妃でございまする。これよりはこの宮で、全て我らお世話致しまするので、ご安心くださいませ。まさか王が、あれほどに維月様にご執心であられたとは。我らも驚きましてございまするが、何よりこういうことは早いに越したことはありませぬゆえ。」

蒼は嫌な予感がした…確か、神世は略奪社会。もしも母上が断ったとしても、維心殿がその気であられたら…。

蒼は立ち上がって、母の寝室のほうへ入った。そこには、昨夜休んだ形跡はない。蒼は侍女を呼んだ。

「…蒼様。」

侍女達は頭を垂れている。蒼は事態を悟った…やはり、そうか。

「維月様はお断り申し上げておられましたが、龍王がそれを許さず…奥の間へと連れ去られ、そのまま朝までお過ごしになられましてございまする。」

蒼は天井を見上げた。これは、神の世では当然のこと。略奪婚は下々の者の間でもある。それが王ともなれば、尚のことだ。オレは婚姻に反対しなかったのだから、維心殿が何をしても、文句は言えない。だからこそ洪は、オレにこうして祝いを言いに来たのだ…婚姻は、成立してしまったのだから。

蒼は再び居間へと出て来て、心配そうにこちらを見る洪に、無理に笑い掛けた。

「今、やっと侍女より報告があり申した。誠にめでたきこと…では、我も母に面会して、月の宮へ帰ろうと思うのだが、あちらの都合はいかがであるか?」

洪はホッとしたように微笑んだ。

「まだ、王はお出ましではありませぬが、お知らせいたしましょう。しばし、お待ちくださいませ。」

蒼は頷いて、それを見送った。でも、母上にとってもいい話だったかもしれない。これで、こっちの世でも幸せになれるかもしれないじゃないか。…しばらくは、辛いかもだけど…。


維心は、維月を抱き寄せていた。これほどまでに幸福を感じたことはない…。我は妃を迎えた。しかも、何よりもと望んだ妃。

しかし、維月は笑ってはくれなかった。人の世には、このような形の婚姻はないと聞いている。おそらく、無理にこのようなことになったことに、憤っているのだろう。だが、時間はある。ゆっくりとわかってもらえれば…。維心は、維月に頬を摺り寄せて、ただその気の甘さに酔っていた。誰にも渡しはせぬ…。

侍女の声が、遠慮がちに聞こえて来た。

「王、蒼様がお帰りになられるとのこと。王と維月様にご挨拶をと申されておられまするが…。」

維心は顔を上げた。そうか、皆知っておるのだな。

「すぐに参る。居間へ呼べ。」

維心はそう言うと、身を起こして維月に口付けた。

「さあ…機嫌を直すのだ。主は最早我が妃、他へ嫁ぐことなど出来ぬ。着替えて居間へ出ようぞ。」

維月はとても恥ずかしかった。皆、昨夜何が起こったのか知っているのに、維心と並んで出て行くなんて…。

維心は、まるで愛おしむように自分を抱き寄せて居間へといざなって行く。昨日会ったばかりの私を、愛してるなんてことはないはず。きっと、こんな形で結婚することになったから、気を使ってくれているのね…。

維月は、こうなったのだからと覚悟した。理由はなんであれ、私を妃にと望んでくださったのは事実。

戸が開き、二人は居間へと出た。

そこには、臣下達がうち揃って頭を下げて待っていた。それを代表して洪が口上を述べた。

「王におかれましては、この度は妃を迎えられ、誠におめでたい事と我ら臣下一同、心より、お慶び申し上げます。」

維心は維月を腕に、頷いた。

「うむ。我が妃、維月ぞ。式の日取りは主らで決めよ。我が正妃とする。」

一同は驚いたように顔を上げたが、また頭を下げた。

「ははー!」

維心は奥の正面の、大きな寝椅子に維月を伴って座った。どうやらそこが定位置のようだと維月は思った。

「主らはもう下がれ。蒼殿を待たせてはならぬ。」

臣下達は一斉に頭を下げ直し、退出して行った。


それから、一か月が過ぎた。

二人の間はまだぎこちなく、維月は政略で結婚したことに少なからず心を痛めていたが、維心のことを嫌いではなかったので、共に過ごす事がつらいことはなかった。だが、優しく自分を気遣ってくれるこの龍王を愛しく感じることがあるたびに、維月はつらかった。その優しさが、ひとえに両宮の友好のため、自分の機嫌を損ねないように気を使っているからだと身に沁みて、そしてつらかったのだ。

一方維心は、いつまで経っても打ち解けないことに辛さを感じていた。

あんな形で妃に迎えてしまったことを、少し後悔しても居た…もう少し、心を開いてもらってからでもよかったのではないか。あの夜は共に過ごすだけで終わらせ、妃と決めてからゆっくりと心を解きほぐし、それから事に及んでもよかったのではないのか…。

しかし、その想いは届くことはなく、維月との間には、まだ見えない壁があるかのようだった。

いつものように二人で居間に腰掛けていると、何かの気配が庭側にした。感じたことのない気配…我の結界があるはずなのに、一体何がここまで?結界に掛かった気配も気取れなかった。

振り返ると、そこには青銀の髪の男が立っていた。人で言う所の20代後半ぐらいの外見…だが、これは人ではない。維心は警戒して維月を背後に回した。しかし、背後から維月が声を上げた。

「…十六夜!」

維心は維月を振り返った。

「知っているのか?」

維月は頷いた。維月が答えるより先に、その相手は言った。

「オレは陽の月だ。そいつの片割れだ。維心といったか?お前、蒼に拝み倒して維月を嫁にしたらしいが、オレは何も聞いちゃいねぇぞ。」

維心は眉を寄せた。陰の月よりも力を持ち、主に月の力とはこやつの力と聞いている。陽の月…これがそうなのか。

「これは王同士のことではないのか。蒼殿は異存はないと申した。主にまで断りを入れる道理はない。」

十六夜はフンと鼻を鳴らした。

「そいつはオレが生まれた時から面倒見て来たんだ。親みたいなもんなんだ。蒼はオレとこいつの間の命を宿して神になった。こいつを月にしたのもオレの力だ。それでも、オレは関係ないと言うのか?」

維心はじっと十六夜を見た。月は無限の力を持っていると聞く。逆らうのは得策ではない…。

「…では、主にも問う。我は我が正妃に維月を迎える。確かに他の神から守り切る力が我にはある。異存はあるか。」

十六夜は眉を寄せた。

「…誰に向かってそんなことを言ってやがる。」と維月を見た。「そいつはオレの片割れだと言ってるだろう。伴侶みたいなもんだ。それを横取りしやがると言うのか。」

維月はびっくりした。十六夜とは友達だった。だって、十六夜だってそんな感じで…蒼の為に子を成さねばとなった時も、愛情云々よりとにかく子供をと、二人とも必死だった。十六夜は蒼にばかりかまけていたし、月になったからと言ってこれと言って何もなかった…それはたまに、十六夜が寄って来て、今夜いいだろうと聞いて来ることはあったけど…それも、親愛の情と言った感じだったのに。伴侶って思っていたの?というか、一か月も経ってから来るって…気まぐれにもほどがある。

「十六夜…だってあなたは、私をそんなふうに見ていなかったでしょう?子だって、蒼のために作らなきゃならないってお互い必死だっただけじゃない。それに、結婚なんて一言も…。」

十六夜は眉を寄せて維月に向かい合った。

「オレに何がわかるってんだ。愛情云々オレにはわからねぇ。だが、考えてもみろ、なんだってお前を選んだと思ってやがる。オレの片割れにするのに、お前しか思い浮かばなかったからに決まってるだろうが。人の愛情表現なんてわからねぇよ。だが、言わなきゃ分からねェのが人なら、何度だって言ってやる。オレはお前を愛してるんだ!お前が嫁に行ったと聞かされて、しばらくはそんなものかと思っていたが、日に日に耐えられなくなって来やがった。オレが我慢しなきゃならねぇいわれはねぇ。オレはお前を愛してる。帰って来い、維月。オレがいる限り、蒼達月の宮の奴らに何か手出しなんかさせねぇ!安心しろ。」

維月は戸惑った。十六夜が私を愛している…そんなこと、考えたこともなかった。あまりにも近すぎて、そんな気持ちで居てくれるなんて思ってもみなかった…。

差し出された手を取ろうと腕を伸ばした時、維心がその手を掴んだ。

「主がなんと申しても、維月は我の妃。誰にも渡さぬ。言わねばわからぬと申したか?我は一目見た時から、維月を想うておるわ。ゆえ、長い年月独り身で居たにも関わらず、妃に迎えたのよ。今更出て来てそんなことを申しても、最早遅い。とく、去ぬるがよいわ。」

維心は、力で月に敵わないのは分かっていた。だが、維月は渡さない。維月だけは渡す訳には行かぬ。

十六夜は目を光らせて維心を見た。体が光り輝いて来る…維月は直感した。封じるつもりだ。維月は維心の前に飛び出した。

「やめて!十六夜、あなたが維心様を封じるなら、私がその力を遮断するわ!」

十六夜はフッと光を無くした。

「…何を言ってる。お前、無理にこいつの妃にされたんじゃないのか。」

維月は首を振った。

「私、このかたを愛しているの…十六夜、あなたのことも好きよ。だけど、あなたの気持ち、全く知らなかったんだもの…親愛の情を感じてくれているのだと思っていたの。だから、私も友達だと思ってた。お兄さんや、お父さんのような。私…維心様を愛してる。ここに居るわ。このかたを守る。お願い、わかって。」

十六夜は下を向いた。

「…遅かったってことか。」十六夜は呟いて、維月を見た。「オレを愛してはいないのか…?」

維月は十六夜に歩み寄った。

「愛してるわよ。でも夫として愛してるのは、維心様なの。」

十六夜は寂しげに微笑んだ。

「オレはのろまだったんだな。」と維月の頬に触れた。「でもまあ、心にオレが居るってんなら、それでいい。里帰りして来いよ。オレは体の必要は感じねぇから、維心だってそれぐらいいいだろうよ。」

維心は渋々頷いた。

「まあ、里帰りぐらいは我もとやかく言わぬが…。」

維月は微笑んだ。

「でも、こんな時にそんなことを言うなんて。ほんとに…十六夜ったら…。」

維月は微笑んでいるのに、涙を流した。十六夜は苦笑して維月を抱き寄せた。

「オレは月だったから、人の愛情表現なんてわからねぇし、自分のこの気持ちがなんなのかなんて、わからなかったんだよ…でも、気持ちは繋がってるさ。それに本体は一つだ。だから、いい。蒼のことはオレに任せとけ。生まれた時に約束したように、必ずオレが守るから。」

維月はその胸の中で、ただ頷いた。お別れするわけじゃないのだもの…きっと、お嫁に行くって、こんな感じなのね。

維心が不機嫌に言った。

「いくら父か兄と言っても、そのようにいつまでも抱き合っておるのは許さぬ。維月、こちらへ来ぬか。」

十六夜が笑って言った。

「そんなことを言ってられるのも今のうちだぞ、維心。お前、人の世を知らねぇだろう。直に維月の気持ちがわからねぇとか言って、オレに泣きついて来るに決まってる。こいつはまだ猫をかぶってやがるが、かなり気が強いし怒るとオレですら手が付けられねぇ。ま、そのうち分かる。手に負えなくなったら返してくれりゃあいいさ。」

維心は維月を腕に抱えるようにしながら、言った。

「これから少しずつお互いを学んで参るゆえ、良いのだ。返すなどと考えることはない。」

十六夜は窓のほうを向いた。

「じゃあ、帰る。維心、またお前と話したくなった。維月をよろしくな。またお前も月の宮へ来い。オレは呼ばれなくても来る。」

維心は複雑だったが、頷いた。

「わかった。近いうちに参ろう。」

十六夜は頷くと、維月を見て微笑み、飛び上がって行った。

それを見送りながら、維心は維月を抱く手に力を入れた。

「…言わねばわからなんだのか?我は、正妃にすると言うた時点で主には我の気持ちがわかるものだと思うておった…なので、いつまでも悲しげに我を見る主を見ておって、つらいと思うておったのよ。」

維月は維心を見た。

「正妃?それはどういう意味でございまするか?」

維心は驚いた。そうか、人であったとは、そういうことなのか。何も知らないのだ…神の世の理も、何もかも知らずにいる。蒼が言っておったのは、このことだったのだ。

「知らぬのだな。すまぬ。我は何もわかっておらなんだ。主は人だとあれほどに言われておったものを。維月よ、我は主を望んだ…もし、主が侍女であってもそれは変わらなんだであろう。あの日池で会った瞬間から、主が我の脳裏に焼き付いて離れなんだのよ。ゆえ、宴席で主を見ていて、決心した。主を我が妃にと。そこに政策など何もなかった。臣下達は喜んでおったが、それもの、今までいくら言っても我が妃を迎えることに首を縦に振らなんだゆえ、我が望むこの機を逃してなるものかと必死であったからよ。ゆえに皆、主に親切であろう?それは主が月の宮から来たからだけではない。我の望んだ妃であるからだ。我には主しか居らぬ…主は、我を愛しておると言ってくれておった。それは誠か?」

維心の真面目な目に、維月は恥ずかしくなりながら、頷いた。

「はい。ですが、皆が親切なのも、維心様がお優しいのも、きっと私が月の宮から来たからであると思うと、大変に悲しく、つらくて…。政略結婚でなければ、どれほどに幸せであったのかと、毎日思っておりました。維心様は、大変に慕わしいかたでございまする。」

維心は自分の心に、言いようのない暖かさが湧きあがって来るのを感じた。これほどに愛おしい相手が、自分を想ってくれておるのだとは。それがこれほどに、幸福で満たされるものなのだとは…。

維心は、維月を抱き寄せた。

「おお維月…なぜにもっと早く我は主に問わなかったのか。ずっと主が我を厭おておるのだとばかり思うておった。あのように、無理に妃にしてしまったばかりにと…後悔してばかりであったのだ。」

維月は維心に抱きついた。

「維心様…私ももっと早く言い出せばよかったのですわ。でも、困らせてしまうと思って…。」

維心は微笑んで、維月の手を取って奥の間へ行こうとした。維月は困ったように足を止めた。

「…維月?気が進まぬのか…?」

維心が心配げに維月の顔を覗いて来る。維月は微笑んで、維心の手を自分の腹に当てた。

「気を読んでくださいませ。」

維心は言われるままにその気を読んだ。維月の気ではない、もう一つの気がする…これは、我の気?しかも、生きている別の我の気だ!

「おお」維心は維月を見た。「我の気ぞ。生きておる…子か!」

維月は微笑んで頷いた。維心は心の底から喜びが溢れて来るのを感じた…我と維月の子が!

維心は維月を抱き締めた。

「洪!」維心は大きな声で叫んだ。維月はびっくりした…何事?!「来い!」

しばらく間があって、洪がどたばたと走って来る音が聞こえる。維心は維月に言った。

「なぜに早く言わぬ…これほどにめでたいことであるのに!」

維月は思いも掛けず、維心が大喜びしているので、面食らっていた。

「私も…今朝ほどに気付いたのでありまする。ですがなかなかに言い出せずにおりまして…。」

居間の戸が開いた。洪がぜいぜいと肩で息をしながらそこに立っていた。

「お、王」洪は立っているのもやっとと言った風情で言った。「お、お呼びでございましょうか。」

維心が滅多にあんな呼び方はしないので、何事かと必死に走って来たらしい。維心はそんなことには構わず、言った。

「洪、維月に子が出来た。祝宴の準備をせよ。」

洪は最初驚いて声も出ないようだったが、見る見る涙目になってやっと言った。

「おお、王のお子が!なんとなんとおめでたきこと!我ら臣下が、1500年もお待ち申した悲願でございまする!」

維心は頷いた。

「そうであるな。」と維月を愛おしそうに見た。「維月、手柄であるぞ。この上は心安く、無事に子を生まねばの。」

洪はハッとしたような顔をした。

「そうであり申した。では、準備に御前失礼致しまする。」

洪はバタバタと出て行く。閉じられた戸の向こうで洪は叫んでいた。

「維月様の侍医の準備を!王のお子が出来申したぞ!」

途端に宮が慌てふためくのを、維月は感じた。こんな大騒ぎになるなんて。つくづくこのかたは王で、私はその妻なのだ…。


視界がぼやけて行く。維月はあれ?と思った。どうして何も見えなくなったのかしら…。

次に見えたのは、目の前に浮かぶ、瑠璃色の玉だった。自分をしっかりと抱く腕が感じられる…見覚えのある天井。ここは、維心様の寝台だわ…。

「…維月、大事ないか?」

維心の声に、維月は横を見た。維心が自分の顔を覗き込んでいる。

「維心様…あら、私…?」維月は慌てて腹に手を置いた。気が感じられない。「お子は?!」

維心は苦笑した。

「やはりな。これ以上見ておったら、主はあの自分に飲まれるのではないかと懸念したので、戻ったのだ。子は居らぬであろうが…おそらく、あれは将維だ。我らにはあれから子が6人生まれたであろうが。もう50年以上経っておるぞ?あれは隣の世の我らの出来事。今の我らの出来事ではないぞ?」

維月は思い出した。そうだ…維心様と隣の世を見に行って、それで…。

維月はため息をついた。

「そうでございました。あまりにリアルで、あれがこちらの出来事のように思えて参っておりましたわ。長い時を過ごした気が致します…こちらは、どれぐらい経ったのでありましょう?」

「我が読んだところ、まだあの次の日の明け方であるな。」維心は言った。「ほんに一か月以上も見ておった気がするがの。」

維月は頷いた。

「あの世の出来事は…本当に自分が体験しておるかのようでございました。でも、私は維心様のことを知っていて…そうではないのに、そうではないのにと、ずっと呟いておりましたわ。」

維心は微笑した。

「我もよ。心を繋いでみよと、何度言ったか。だが、聞こえぬのだから仕方がないわ。」とため息を付いた。「それにしても、どんな世でも、我は主に惹かれておるの。あれが一目で主から目を離せずにおるのをみて、失笑してしもうた。我もあんな風であるのか…だとしたら、周囲に呆れられておるの。」

維月は苦笑した。

「たまたま見た世がそうであったのでしょう。もしかして、何人も妃が居られる世もあるかもしれないし、私が炎嘉様に嫁いでいる世もあるかもしれないし。」

維心は眉を寄せた。

「…そんな世は見たくないの。我はすぐに戻っておったであろう。ともかくも、此度も主と無事結婚し、正妃に迎え、子を成していた。よかったことよ…ハラハラさせられはしたがの。」

と、その瑠璃色の玉を仕舞った。そんな維心を見つめていて、見て来た世界とあいまって、維月はどうしようもなく愛おしくなった。なので、維心に抱きついた。

維心は突然のことだったので驚いて体勢を崩したが、踏ん張って玉を入れた巾着だけは寝台脇の台の上に投げた。だが、勢いで維月の下敷きになった。

「…ほんに維月、いつもいきなり飛び掛かって来るので、我は驚くではないか。主が刺客であったなら、間違いなく討たれておるの。」

維月はフフッと笑った。

「維心様がお悪いのですわ。」と唇を寄せた。「そのように愛おしい風情であられるから…。」

維心は微笑してそれを受けた。

「それは我の台詞であるぞ。」と維月を抱き締めた。「我はこの世で、幸せであるな…。」

月は傾いて、空は白んで来ていた。

二人は今この世でも出逢って、愛し合うことが出来ている幸せに酔いながら、お互いを愛したのだった。

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