前篇
維月が居間で維心の帰りを待っていると、維心は心持ち機嫌よく戻って来た。いつもなら接見の後は疲れて不機嫌になるのに、今日は珍しい。維月はにっこり微笑んで歩み寄った。
「お帰りなさいませ維心様。ご機嫌がよろしいようでございますが、何かございましたか?」
維心は微笑んで維月の手を取った。
「主にはわかるのだな。本日の貢物の中に、主の喜びそうな物があったのよ。それで、急ぎ戻って参った。」
維月は驚いた。私の喜ぶものって、もしかして食べ物かしら…というか、維心様はそんなことでご機嫌を良くしてくださるのね。
「まあ…何でございましょう。」
維心は居間の定位置に維月を伴って座ると、袖から小さな巾着を取り出した。宝玉か何かかしら…と維月が不思議そうに眺めていると、その巾着を開けて、中から瑠璃色が澄んだような美しい玉を取り出した。維月は一目でそれを気に入った。
「美しい玉ですこと…」
維月が言うと、維心は頷いた。
「主にと思うての。だが、これは単に美しい玉ではないのだ。」と、玉を入れていた巾着の上に乗せた。「これは、我らの世界と違う世界を見せてくれるのであるぞ。」
維月は維心を見上げた。
「違う世界と申しますと?」
維心は片手にその玉を乗せたまま、片手で維月の肩を抱いた。
「神の世界にはの、この次元の他に別の次元が存在することは知られておって、この宮もそのうちの一つの、安全と確認された次元に一部を建てて、人から隠して作っておる。月の宮もそうであろう。」
維月は頷いた。
「はい。私は一度、その次元の裂け目に落ちて、維心様に助け上げて頂きましたわ。」
維心も頷いて続けた。
「そのうちのいくつかには、我らと全く同じように生活しておる全く同じ我らが住むと言われておる…つまり、もしも我らが出逢っていなかったら、こうだったとか、もしも我が父を殺していなければこうだったとかの未来が進んでいたりするのだ。」
維月はああ!という顔をした。
「パラレルワールドですわね!人の世でも、それは聞いたことがありまする。無数にあるとお聞きしておりまするが、本当にあるのでございまするか?」
維心は少し困ったような顔をしたが、きっと言葉がわかりづらかったのだろう。
「パラレルワールドと言うのかどうか知らぬが、我らの世では隣の世界と言っておるの。確かに無数にあるようだ…我も行ったことはないゆえ知らぬ。だが、この玉はの、それを見せてくれるのだそうだ。どの世界を見るかはその時の加減次第なようだが、面白そうであろう?」
維月は見る見る目を輝かせた。
「本当に!是非に見てみたいですわ!…でも、安全であるのですか?」
維心は微笑んで頷いた。
「洪に試させてみた。嫌がっておったがの、維月のためにと無理に、我が接見をしておる間にさせたのよ…しかし、終わってみたら、面白かったと言うておったわ。なんでも、隣の世の己の身に入ったような感じで見れるのだそうだ。体は勝手に動くのだそうだが、心情なども伝わって来てよく分かったと申しておった。洪が見た世の我は、まだ独り身であったそうだ。」
維月はワクワクした。どんな世が見れるのかしら。維月はその玉をじっと見て、維心に身を摺り寄せた。
「維心様、いつ見まするか?私は早く見とうございます。」
維心はうれしそうに微笑んだ。
「よしよし、共に見ようぞ。さすれば同じ世を見れようほどに。」と立ち上がった。「さあ、奥へ参ろう。洪は眠っているような形になっておったゆえ。接見の間で、まるで居眠りをしているようでな…我も笑いを堪えるのに苦労したわ。」
まあご自分で無理矢理洪に試させて置いて。維月は呆れたが、その様子を思い浮かべて自分もクスリと笑った。維心は維月の手を取って、奥の間へと向かった。
寝台に並んで座ると、瑠璃色の玉を手の上に浮かべたが、維心はふと、維月を見た。何が起こるのかと待っていた維月は、その視線に気付いて、維心に問うた。
「…維心様?」
維心はフッと笑った。
「…しばし、後にしようぞ。」と玉を仕舞った。「まずは現実ぞ。」
維心は維月を抱き締めて口付けた。
維月は呆れて苦笑したが、おとなしくその腕に身をゆだねた。
日も傾いて来た頃、維心は寝台で横になり、維月の肩を抱きながら先程の瑠璃色の玉を取り出した。
「さあ…待たせたの。」と、手の平の上にその玉を浮かべた。「どの世のどの時間へ行くのかわからぬが、良い状態なら良いの。戻るのは、我がするゆえ大丈夫ぞ。おそらく見ておる間は我らの意思疎通は出来ぬはず。では、参る。」
維心の声と共に、その玉は光輝いた。
維月は、閉じた目の裏に違う景色が浮かんで来るのを感じた…そして、見る間に辺りは明るくなったのであった。
そこは、確かに見たことのある景色であった。
空中から何かを見ている…これは、龍の宮の上空だ。自分は、輿に乗って上空から龍の宮へ近付いていた。
輿の前には、龍の軍神が先導しているのが見える…この背中は義心な気がする。維月はこの世の位置関係が楽しみで、心の中で微笑んだ。そして、この世の自分も、龍の宮を見て、かなり喜んでいるのだ感じ取れた。
一方維心は、玉座に座って前を見ている自分を感じていた。この自分はかなりイライラしている…この世の洪が横に居て、ハラハラした顔で維心を見ていた。その洪は言った。
「王、本日は月との交流を始めるに当たり、大切な日でございまする。何も妃を迎えよと申しておるのではありませぬゆえ、どうかお気をお静めくださいませ。」
では、この我は妃を娶っておらぬのか。その維心は言った。
「わかっておるわ。だが、月がどんな力を持っておるのか知っておろう。ゆえ、もしも向こうの王族を妃になどということになったら、我は断る訳には行かぬだろうが。主、それを策した上で月の宮と友好をなどと言い出したのではないのか。」
洪は大袈裟に手を振った。
「そのような!あちらも婚姻は毛ほども思うておられませぬ…我がそれを手っ取り早いと思うたことは事実でございまするが、あちらはなんでも人の世で過ごしたことのあるお方しか居らぬようで、そのような婚姻は考えられないと申されておりました。人の世では、政治的な婚姻など、少ないらしいですな。こちらとは、まったく考え方が違いまするゆえ…我も交渉にはかなり難儀致しましてございます。やっとのことで訪問を取り付けたのでございまする。どうか、不機嫌なお顔はなさらずに。」
維心はフンと横を向いた。神の世最強であった自分が、月の出現で臣下達の言いなりにならねばならぬとは。これまで神の世に全く関わって来なかった月が、突然に宮を構えて神からの呼びかけに応えるようになったのは10年前。それから、月は宮に篭って外へ出て来ることはなかったが、しかし訪問する神には快く対応して交流を始め、月の宮を訪問する神は増えた。最近では炎嘉が使者を送ったということが聞こえて来て、臣下達は一気に色めきたった…月と鳥が手を結んだら、龍族はいくら最強の王を頂いておっても、何かの折に立場が危うくなるではないか。
そこで、臣下達は慌てて友好関係を築こうと月の宮へ使者を送った…王は宮から出ろと言っても聞いてはくださらないであろうとのことで、何とかしてこちらへ訪問させようと、必死に交渉を続けたのだ。
最初、月の宮は渋っていた。月の宮から出ることを、あまりしたくないらしい。しかし、人の世のことを学んで人の世のような交渉を続けた結果、やっとのことで首を縦に振らせることが出来るようになったのだった。
それも、王が来る。龍の宮は、ここ最近にはない緊張感を持って、この日を迎えていたのだった。
宮の到着口に、月の宮の一向が到着したと連絡が来た。謁見の間の緊張は極度に高まる。
臣下一同は立ち上がって、その時を待った。
輿から降りた維月は、その宮を見回した。なんて大きくて豪華な、でも機能的な宮…。蒼が王らしく維月に続き、言った。
「じゃあ、母上は控えの間にね。どうしてもと言うから連れて来たけど、あちらはまさか王の母が来てるなんて知らないんだから。侍女のフリして、おとなしくしててよ?わかった?」
維月は頷いた。
「わかっているわ。でも、謁見が終わったら、お庭を見てもいいでしょ?」
蒼は渋々頷いた。
「とにかく、おとなしく目立たずね。じゃあ。」
蒼は、龍の臣下達が待つ方へと歩き出した。維月は高級侍女の格好で頭からすっぽりとベールを掛けられていた。龍の宮の侍女がこちらへ歩み寄って来て、頭を下げる。
「では、お付の方はこちらへ。お控えの間へお連れ致します。」
維月は頷いて、他の侍女達と共にそれについて行った。
蒼は、謁見の間に続く廊下を歩いていた。全てが美しく細工も細かく、龍の力がどれほどなのかを思い知らされる。だが、神の世は力社会。だからこそ、龍は月と手を結びたがっているのだ。蒼は面倒なことにならねばいいがと、そっとため息をついた。
戸が開かれ、大きく開けた謁見の間の向こうに、少し高くなった玉座があった。両脇に居並ぶ臣下達が立ってこちらを見ている。蒼は、玉座に向かって足を踏み出した。
維心は、蒼を見て思った。なんと若い…これが月の宮の王だというのか。しかし、月の気がその体から、抑えようも無く湧きあがっているのが維心には見て取れた。間違いなく、これが王だ。維心は立ち上がった。
立ち止まった蒼は言った。
「龍族の王、維心殿とお見受け致す。我は月の宮の王、蒼。本日はお招きいただき、感謝し申す。」
維心は答えた。
「月の宮の王、蒼殿。よう来られた。この度はこちらの無理な願いを聞いて頂き、感謝する。」と、玉座を降りて蒼に近付いた。「では、会合の間へ移ろう。そこで、臣下よりお話しがある。」
蒼は固い表情のまま、維心と並んで会合の間へと歩いて行った。
一方、維月は最初こそその部屋の高い天井や設えが珍しくて部屋の中を見て回っていたが、段々と退屈になって来た。大きな窓から外が見える。そこは、庭に面した部屋であった。維月は、光を浴びてキラキラと輝く木々の葉に、誘われるようにその戸を開けた。
「まあ、維月様!王が良いと申しておられませぬのに、勝手にお部屋を出られては…。」
侍女が必死に言う。維月は振り返った。
「まあ、どうせ蒼は今頃宮の中でも案内してもらっておるのよ。戻って来るのは日が暮れてからだわ。私は外が見たいの。少し散策するぐらい良いでしょう…ほら、戸を開けたのに、誰も咎める様子はないわ。」
見ると、庭にもぽつぽつと軍神は居たが、誰も動く様子もない。維月は足を踏みだした。侍女が慌てて走って来る。
「では、せめてこのベールを。お姿が丸見えです。本当は侍女ではないのですから。」
維月はぷうっと膨れた。
「そんなもの、熱いではないの。どうしてもなら、小さいほうのベールを持って来て。」
侍女は仕方なく持って来た厨子に走り、目から下を隠すだけのベールを持って来て維月に着けた。維月はやっと外へ出れると、嬉々として足取りも軽く庭を歩き出した。
龍の宮の庭は、本当に美しかった。長い年月丁寧に手入れされ続けて来ただけあって、荘厳な重みと、そして、自然の強さも感じた。維月は思っていた。人の世にあった頃、望まないのに月になるように、十六夜に言われた。それは、蒼が事故に合って植物状態で居た時、その命を繋ぐために必要なことだった…十六夜は、私達の間に命を作って、それを蒼に与えることで復活させるしか道はないと言ったのだ。
そして、蒼は命を繋ぎ、不死の命を身に宿した…蒼のこれからを考えると、神の世と関わるよりなかった。そして十六夜と相談し、月の宮を作って、ゆっくりと神の世へ入って行こうということにしたのだ。
十六夜とは、友達のような間柄だった。十六夜は蒼を、月の宮を守って、そして助けてくれていた。自分は何をしているかと言うと、別に何もしていなかった…人の世に居た時を思うと、本当に退屈だった。なので、無理を言ってここへ連れて来てもらったのだ。
来て良かった、と維月は思った。こんなに美しい場所があったなんて。
サクサクと歩いて行く維月に、神の侍女達はハラハラしながら付いて歩いた。こんなに遠くまで歩いてしまっていいのかしら…侍女達は、ただただ気が気でなかった。
そうこうしている間に、小さな池の前に辿りついた。奥まっていて、誰も来そうにない所。維月は、ほっとしてそこに腰を下ろした。
維心は、蒼の世話を早々に臣下に任せ、夜の宴席まで居間へと戻って来ていた。結局は持ち帰って考えて来るとのことだったが。蒼は、若いのに深い考えの持ち主であるらしかった。しかし、人の世の考え方から、こちらから見てもなかなかに考えが読めない。なので、野心はないようだったが、今一維心は信用しきれないでいた。
ふと、何かの気配を感じた維心は顔を上げた。庭に、感じたことのない気を感じる…これはなんだ?
維心が確かめようと立ち上がったところへ、洪が入って来て頭を下げた。維心は面倒そうに手を振った。
「洪か。何用ぞ。」
洪は言った。
「王、蒼様をお部屋に案内して参りましてございます。夜の宴席まで、ご自由にお過ごしいただくようにとお伝えして参りました。」
維心は頷いた。
「わかった。」
庭へと続く戸に向かおうと足を向けた維心に、洪は追うように言った。
「お待ちくださいませ、王。」維心は立ち止まった。「…やはり、炎嘉様も婚姻による繋がりを持つことを求めておられる由、このままでは、あちらへお話しが行ってしまいまする。」と必死の顔で維心を見た。「何卒、あちらから妃を娶ることをご決断くださいませ。幸い、王には他に妃は居られぬ。炎嘉様には10人の妃が居りまする。ゆえ、人であったかたはそれを理解できず、渋っておられるのだと聞き申した。蒼様ご自身は、婚姻による結びつきも必要ならばとのお考えであられるようでございまする。」
やはり、その話になるのか。維心は眉を寄せて庭を見た。
「…主の言うことは分かる。だが、その相手は我の気を受け止められるのか。我を受け止めるとなれば、かなりの気の持ち主でなければならぬぞ。」
洪は、王が怒る訳でもなく、話を聞いていることにホッとした。
「それは大丈夫でございまする。もしも王にとなると、その気の強さを考えて、お相手は、蒼様のお母上、陰の月の維月様しか居らぬと申しておられました。」
維心は眉を寄せた。
「母と?」
洪は頷いた。
「はい。ですがまだ50歳ほどにしかなりませぬ。人であられたので…月になったのは、蒼様のお命を繋ぐために仕方なくと聞き申した。もちろん今はお相手は居らず、穏やかにお暮しなのだとか。」
維心は目を逸らした。元は人であった月と。それを我の妃にと…。
「…まだ、考えられぬ。」維心は答えた。「とにかく、下がれ。我を一人にせよ。」
「王…!」
維心は居間を飛び出した。宮のためとはわかっておるが、納得いかぬ。
そして、その話を振り切るように、先ほど感じたあの変わった気を探しに、維心は庭を歩いた。
その気は、先ほどより近付いて、維心が子供の頃からよく行った池の辺りに気配を感じる。維心は相手に気取られぬよう、気配を消してそっと気の影から池を伺った。
そこには、女が一人、池を向いて座っていた。侍女に見えるが、その侍女にまた侍女た二人付いている。それもまたおかしな話であるなと思っていると、その女から湧きあがる気が、まともに感じられて維心はよろめいた。
…なんと、惹きつけられる気であることか。こんな気は、今まで初めてだ。そしてこの気は、こちらを穏やかに癒してくれる上、自分にまとわり付いて来て、酔わせてしまう。これがまた、大変に心地よく、いつまでも感じて居たい気持ちにさせた。もっと傍に行きたい。維心はそう思って、足を踏み出そうとした。
一方維月は、何やらドキドキとした。やだわ、不整脈かしら。月になったから、老いも止まって体調は悪くないはずなのに。そのままぼんやりとしていたら、背後に何か、気配がした。慌てて立ち上がって、維月は振り返った。この気は龍。しかもかなり強い気…。
そこには、背の高い、黒髪に深い青い瞳の龍が立っていた。維月は呆然とその姿を見た…なんて美しいかたなのかしら。
維心は、その女が思いも掛けず美しかったので、足に根が生えたように動けずにいた。そして、その女の気がまともにこちらへ向けられる…目が合った瞬間、維心の心臓は、それまでにないほど早く拍動した。
侍女達が気付いて、慌てて維月を隠そうと覆い被さった。
「維月様、お早くあちらへ…!」
維月はハッとして、慌てて顔を背けると、侍女達に隠されるようにしてその場を去った。
「あ…、」
維心は、呼び止めようとしたが、あまりに驚いたので動けなかった。侍女達の声が耳に残る。
…維月様、お早くあちらへ…!
維月。洪が言っていた、婚姻の相手とは維月という名ではなかったか。しかし、王の母が来ているなどとは聞いていない。あの女は、明らかに侍女ではなかった。だが、着ていた着物は高級侍女のもの。もしかして、こちらに知らせず忍んで来ておるのだとしたら…?
有りえることだ。急ぎ居間へ取って返した維心は、蒼の控えの間を脳裏に浮かべて見た。結界の中ならば、意識を集中すれば何が起こっているのか、我には見える…我は、読まねばならぬ。あの女が何者なのか、知りたい…!
維月が侍女達と共に部屋へと飛び込むと、蒼が呆れたように言った。
「母上、どこに行っていたんだよ。宴席に出る準備をしなきゃならないんだから…ほら、早く着替えて。それとも、出ないのか?」
維月はまだドキドキとする胸を押さえながら、頷いた。
「ごめんなさい、蒼…お庭があまりに綺麗だったので、つい奥の方まで行ってしまったの。すぐに準備するわ。」
蒼は侍女達に言った。
「こんな小さなベールで。母上はなぜか神達に狙われるんだから、もっと大きく覆うヤツでないと駄目だと言っただろう。まして、侍女のフリなんかしてるんだから。」
蒼はぶつぶつと言っている。維月はなぜか素直に、うんうんと頷いて聞いていた。蒼は気味悪くなったが、その方がいくらか助かるので、黙って自分も宴に出る準備をした。
維月は他の高級侍女達と混じって、蒼について大広間へと入った。ここの大広間は、本当に広い。天井もとても高くて、天窓が付いていた。
侍女なので、蒼からかなり離れて、侍女達に囲まれて、維月は座っていた。誰も何も知らないはずなのに、なぜか龍の男達がこちらをチラチラ見ている気がして、維月は落ち着かなかった。だが、維月はベールの中に入っているのだ。だから、見えていないし、こんな所で誰かに連れ去られるなんてないだろうと、自分に言い聞かせて緊張感をおさめていた。
侍女達と楽しく話していて、ふと上座のほうを見ると、その王と目が合った…そして、その姿に驚いた。あれは、あの時の龍ではないの!
維月は慌てて目を逸らした。まさか私だとは気付いていないとは思うけれど…まさか、王であったなんて。気取られないうちに、ここを辞して部屋に戻らなければ。
維心は、そんな維月を、宴の始めからずっと見つめていた。
あれは、蒼の母の維月だった。やはり、忍んで来ていたのだ。そしてその気は隠しようもなく、まるで自分を誘うように惹きつける。本人は気付いていないようだが、回りの龍達がその気に反応して維月のほうばかりを見ていた。蒼は、見ていた部屋でなぜか神に狙われると言っていた…それは、この気のせいなのだ。きっと、元は人であったので、気をこんな風に感じることがないのだろう。
維心が他の事は上の空で維月を見ていると、維月はそっと立ち上がった。場を外すのか?もう、戻るのか…。
維心は、自分ががっかりしているのを感じた。こんな心持は初めてだ。どうしたらいいのかわからない…。
維月が去った後、ふと、洪の声が耳に入った。
「しかし、王よ。蒼様のおっしゃる通り、少し気がお強いようではございまするが、それでも…我は、炎嘉様に先を越されぬ間に、ご決断くださるほうがよろしいかと思いまする。」
維心はハッとした。そうだ。炎嘉があれを望んでいる。まだ会ったことはないようだが、会えばその日のうちに、略奪してしまうやもしれぬ。炎嘉はそれほどに、こういうことに行動力があった。
「しかし」蒼が困ったように言った。「母は頑固で…我が決めることは出来ませぬ。母がいいと言わねば、こちらへは来れぬでしょう。人であったので、王の命令とは言っても、聞くことはありませぬ。こちらも、もしも嫁いで来たら、かなり大変だと思いますよ。人だと思って接して頂くならばよろしいでしょうが。」
とても無理だと言っているように聞こえる。維心は、蒼に向き直って杯を置いた。
「蒼殿」蒼もその迫力に、慌てて杯を置いて維心を見た。維心は続けた。「維月殿を、我の妃に頂きたい。我は宮の中は全て見通す目を持っておる。本日、連れて参っておられるのであろう。」
蒼は驚いた。知っていたのか。
「…申し訳ございませぬ。その通り、どうしても龍の宮を見たいと無理を申すので、連れて参っておりまする。」
洪はその事実よりも、王が妃を娶ると宣言したことが嬉しくて涙目になっていた。しかもその相手は月。これ以上のことはあるだろうか。そんな洪の目の前で、維心は言った。
「では、会わせて頂きたい。我から、直接にお願い申そうほどに。」
蒼は迷った。あの母に、この龍族の王の維心殿を。もっと教育してからのほうがいいと思うんだけども。
「ですが維心殿…先程も申したように、母は人であったのです。ですので、ご期待に沿えるような女ではございませぬよ?」
洪が割り込んだ。
「どうぞ、蒼様、お連れになっておられるのなら、維月様と我が王を対面させてくださいませ。そして、是非に我が王の妃に、維月様を。」
蒼は、頷いた。
「…わかりました。我からはもう何も申し上げませぬ。会ってみればわかること。我に依存はございませぬゆえ、母の首を縦に振らせてくださいませ。」
維心が頷くのを見て、蒼は傍の侍女に何かを言った。侍女は頭を下げて出て行く。そして、維心を振り返った。
「では、一刻ほどしましたら、どちらかにお連れいたします。どちらへ参りましょうか。」
維心は少し考えて、言った。
「我の…居間へ。」
洪は驚いて王を振り返った。これはますます本気で迎えようとなさっている。今まで、そんなプライベートな場所まで女を入れることを許可することはなかった。洪は天にも昇る心地で、ただ頷いた。蒼は頷いた。
「そちらから侍女をお寄越しください。」と、蒼は立ち上がった。「では、我はこれで。また、明日の朝お目に掛かりましょう。」
蒼は微笑んで、出て行った。そして思っていた…これは大変だぞ。母上の恐ろしさは、神様だって敵わないとオレは思う。
維心は蒼の去って行く後ろ姿を見て、洪に言った。
「維月殿の着物を、我からと。」と少し黙り、「主が我にこの前見せに来た物の中で、青い女物があったよの。あれを。」
洪はまた驚いたが、慌てて頭を下げると駆け出した。あの着物は、誰かに贈られてはと見せた時は、興味もなさげで鬱陶しそうだった維心が。この機を逃せば、もう王に妃は娶れぬ!
洪は必死だった。




