公爵令嬢は静かに暗躍する(終)
遅くなりましたが、これで終わりです。
短いですが、とりあえず完結。
とある日の昼下がり。
ロートナー邸の庭園にて、クリスは午後のひとときを過ごしていた。
突然の珍客がやってくる事もない、静かな時間だ。
「お嬢様、お茶が入りました」
ハンナが新しく紅茶を注いでくれる。
何者にも代えがたい、ようやく勝ち取った自由な時間だ。
「………あの子はどうしているの?」
「ミリーですか? 今日は厨房の方へ回っています」
あの後、ミリエラは全てを捨ててクリスの庇護下へ入った。
「ミリエラ・ローズクォーツ」という男爵令嬢は行方不明となり、同時に「ミリー」というロートナー公爵家の新人メイドが生まれた。
クリスが素質のある人間を見出して屋敷に連れてくる事は稀によくある事なので、公爵や夫人は口を挟まないし、屋敷の者達も特に何か言う事はない。
事実、今こうしてお付きの侍女をしているハンナも、元々は難民として流れてきた平民で、クリスが見出した人材の1人だ。
「新人にしては筋がいいと給仕長も褒めていましたよ。礼儀作法もしっかりしていましたし」
男爵家とはいえ、貴族として最低限のマナーは学んでおり、後は追々習得していけばいい。
あれだけの状況下で動いていたのだから、頭の出来はいい方だし、屋敷での仕事も覚えるのが早いという。
いずれは、ハンナと同じようにクリス付きにすればいいだろう。
「それにしてもお嬢様、今度はどこから連れ去って来たのですか?」
「連れ去って来たとは物騒な表現ね。当人がこっちへ来る事を望んだから、私は手をさしのべただけよ?」
「………まあ、そういう事にしておきますね」
ほんの少し、疑うような視線を向けていたハンナだが、それ以上何も言わなかった。
………彼女のように、薄々「ミリー=ミリエラ・ローズクォーツ」である事に気づいている人間も屋敷内にはいるのだろう。
気づいていなくとも、何かしら面倒事を抱えている事くらいは感じ取っているはずだ。
それでも特に問題なく受け入れているのは、やはりクリス自身が連れてきた、という点が大きいのかもしれない。
(少し髪の色と髪型を変えるだけでわからなくなるものね)
ジークヘルトの「婚約破棄」宣言の後、実は当の本人が屋敷を訪れた事があった。
曰く、ミリエラの行方がわからない。お前が何かしたのではないか、と。
実際その通りなのだが、だからといって素直に教えるはずもない。
………なお、そんなジークヘルトの前に「ミリー」として現れた事はあったのだが………全く気づいていなかった。
長かった髪をばっさり切って纏め上げ、髪の色も特殊な染料を使って別の色に変えてはいたし、一言も口をきかなかったのだが………。
「愛って何なのかしらね」
「愛、ですか?」
「そう、愛」
ぽつりと、そう呟いてみる。
ジークヘルトはミリエラを愛しているはずだ。
それが彼女の工作によるものであったとしても、彼が抱いた愛情に嘘偽りはない。
それなのに、少し容姿を変えただけのミリエラに気づかなかった。
………まあ、愛した女が諦観の感情を押し殺していた事にも気づけなかった時点で、お粗末なものなのかもしれないが。
「ところでお嬢様、留学へ出られていたレオンハルト殿下が戻られるそうですが」
既に、レオンハルトが戻ってくる事は噂になっていた。
何せ上の王子二人がダメになってしまった以上、現国王の直系は第三王子のレオンハルトだけだ。
留学から戻ってくる、という話も耳にするようになれば、やはり王太子として指名されるのは彼しかいない。
「ええ。………ここだけの話だけど、レオンハルト様の婚約者候補として、私がそのまま指名される事になっているの」
「それはようございました」
………まあ、この辺りはクリスだけでなく、王家や公爵家の思惑が重なった結果でもある。
王家としても、将来の王妃候補として教育を受けていたクリスを手放すのは惜しいし、今から新たな王妃候補を見出して教育する、というのも手間と時間がかかる。
公爵家からしても、王家と縁を結べるし、クリス自身がそれを望んでいるとなれば、反対する理由もない。
レオンハルトは上の二人と比べれば確かに凡庸かもしれないが、それは比べる相手が悪いだけだ。
彼をを支える人間がいれば、立派に王としての責務を果たす事が出来るはず。
元より、クリスは王妃としての教育を受けているし、公爵家も次代の王家を支えるための人材を見出すべく、影で動いている。
(ジークヘルト様よりも、その取り巻きがいなくなった事が痛いわね………)
ジークヘルト共々、ミリエラに入れ込んでいた彼の取り巻き達。
宰相や将軍、商会ギルド長の子息と、無駄に地位の高くて優秀な者が多く、次期国王の側近候補として見られていた。
それが揃って退場になったので、色々と荒れる結果となった。
………まあ、あのまま残しておいたところで使い物になるかわからなかったので、結果オーライなのかもしれないが。
「それにしても、まさかグランベルン殿下が他国と通じていたとは………」
こちらの話も、巷を大きく揺るがしていた。
全てを明らかにするわけにもいかない。
例えば、グランベルンの母がこの国を乗っ取るために送り込まれた間者であった、などという事は、国王自身も誑かされた事になるので、醜聞にしかならない。
故に、表向きは「第二王子グランベルンは王位を手に入れるべく、他国と密通して反乱を企てていた」という形になった。
ある程度の部分は端折られてはいるが、嘘は言っていないのでよしとしよう。
「………陛下も心を痛めておられたわ」
なお、これは嘘である。
公爵からの又聞きではあるが、事の次第を聞いた際の国王の反応は「ああ、アイツならやりかねん」と納得半分呆れ半分であったという。
どうもグランベルンが影で何かしていた事は察知していたらしく、もし国に徒なす事であれば、即座に取り押さえるつもりだったようだ。
………まあ、側妃が他国から送り込まれた事までは知らなかったらしく、王妃から冷たい目で見られていたようだが。
ともあれグランベルンの企みは潰え、廃嫡されて離宮へ幽閉される事となった。
(すぐに亡くなるような事はないはず。けれど、生かしておくのも………)
グランベルンの存在は、ミリエラの証言や捕らえられたローズクォーツ男爵家の面々などと相まって、交渉の札として使える。
ただ、少しばかり強すぎる。
言うなれば、他国が進めていた工作の絶対的な証拠だ。使いどころを誤れば、諸刃の剣になりかねない。
無駄に頭の回るグランベルンの事だ。その程度の事くらいは理解するだろうし、すぐに首を斬られる事がない事も承知の上だろう。
少なくとも、当分その首が繋がったままなのは間違いない。
(本当に、面倒な方)
内心、ため息をつく。
………ともあれ、あれに今後クリスやレオンハルトを害する力はない。
囚われたまま飼い殺しか、どこかで首を斬られるかは今後の状況次第。どのみち明るい未来は待っていないだろう。
「まあ、今はレオンハルト様が戻ってこられるのを待ちましょう」
「はい」




