決めポーズ
「よし、これでいいかな?」
「……ええ、直してくださってありがとうございます。ラファエル様」
サリエルは、新品同様に直されたバルコニーの手摺に触れながら、ラファエルへと視線を向けた。
白衣姿に、後ろで一つにまとめたアイボリー色の長髪。
ラファエルは、高位の天使であるにもかかわらず、どこか親しみやすい格好をしている。
「ラファエル様、前々から思っていたのですが……白衣にシワが付いていますよ」
サリエルが指摘すると、ラファエルは頭を掻きながら答えた。
「あー……これね。こういう『抜けたところ』があったほうが、親しみを感じるかなって思って……」
「感じません。それに、親しみやすさよりも清潔感のほうが大事です」
「サリエル……君は相変わらず手厳しいね」
ラファエルは、ずれた眼鏡を人差し指で押し上げると、バルコニーを出た。
塵ひとつないサリエルの部屋を見渡し、いまだ手摺を気にしている彼女へと向き直る。
「服のシワは置いといて、手摺のほかにも直したいものはあるかい?」
「ほかにも、ですか? 少々お待ちください」
そう言って、サリエルがバルコニーへ出た、その時だった。
外から、明るい室内が暗く感じられるほどの光が差し込む。それと同時に、耳を劈くような雷鳴が響き渡った。
突然の雷に、二人は神妙な顔で目を見合わせた。
ラファエルは再びバルコニーへ向かう。外の様子をうかがうと、庭に植えられているオリーブの木が、真っ二つに折れているのが見えた。
原因を確かめるように空を見上げるが、そこには雲ひとつない青空が広がっている。
「天気も悪くないし、この雷はラミエルの仕業かな?」
「……でしょうね。ラファエル様……申し訳ありませんが、あの木を直していただけますか?」
額に手を当てて、隣に立ったサリエルが言う。普段よりも強い語気に、ラファエルは苦笑した。
「もちろん、それが僕の役目でもあるからね」
「よろしくお願いします。わたくしは、これから急用でしばらく留守にしますので……お先に失礼いたします」
「ラミエルに会いに?」
ラファエルの問いかけに、サリエルは何も言わなかった。
ただ不気味な笑みを浮かべて部屋を出て行く彼女を、ラファエルは精一杯の作り笑いで見送った。
――時間は、雷が落ちる数十分前にさかのぼる。
その日は、七日に一度の休日だった。
ラジエルとの待ち合わせで、いつもの広場にやって来たラミエルは、適当な場所に腰を下ろして寛いでいた。
目の前には、いつもと変わらない休日の光景が広がっている。
集団で会話を楽しむ者や、一人で羽の手入れをする者。見知った顔ぶれの天使たちが、思い思いに過ごしていた。
そんな中、噴水の前では、普段は見かけない四人の天使が讃美歌を歌っている。
お揃いの赤と白の衣装を身にまとっている姿から、聖歌隊のメンバーだろうと分かる。
歌の練習でもしているのかと、ラミエルは思った。
子供のような見た目をした四人の天使は、この場所で歌うのに慣れていないのか、ぎこちない笑顔を浮かべている。
周囲の天使たちもそれを察してか、柔らかな表情で彼らを見守っていた。
「平和だな」
ラミエルは、しみじみと呟く。
そんな日常を謳歌する彼の狼耳に、明るく穏やかな声が届いた。
「ラミエル様〜」
ラミエルが振り返ると、ちょこちょことした足取りでこちらへやってくる天使がいた。
「よお、ポスティー。もしかして今日も仕事か?」
ポスティーと呼ばれた彼女は、周囲にいる天使や、ラミエルのような獣人とも異なる姿をしている。
五十センチほどの大きさで、天使というよりは、まるで小鳥をモチーフにしたマスコットのようだった。
淡黄色の羽毛に、大きく黒目がちな瞳。矢印とハートを模したカチューシャは、彼女のお気に入りらしい。
「はい! 今日もお仕事がんばり中です。ラミエル様にお手紙ですよー」
ポスティーは、天使たちの手紙を届ける郵便配達員だ。
大きめの配達鞄から手紙を取り出すと、丁寧な仕草でラミエルへ手渡した。
「サンキューな! 差出人は……って、ラグエルかよ」
ラミエルは、ラグエルから書類の提出を頼まれていたことを思い出し、表情を曇らせた。
すっかり出すのを忘れていたから、それの催促の手紙だろう。
ラミエルは手紙をズボンのポケットに突っ込むと、気を取り直した様子でポスティーに話しかけた。
「それにしても、よく俺の居場所が分かったな」
「もちのロンです! お届けものさえあれば、いつでもどこでも特定できますので!」
ポスティーは『配達先の人物の居場所を特定できる』能力を持っている。
話を聞いて、そういえば、とラミエルは思い出した。
「つーことは……ラジエル宛の手紙があったら、あいつの居場所も分かるってことか?」
「ですとも! ラミエル様は、ラジエル様をお探しなのですか?」
「ああ、ここでラジエルのやつと待ち合わせしてるんだけど、今どこにいるのかと思ってさ」
「なるほど……ちょっと待ってくださいね」
そう言いながら、ポスティーは配達鞄の中を探り始めた。
興味を持ったラミエルが、ちらりと中を覗き見る。
鞄の中には、手紙の束がぎっしりと詰まっていた。
「すごい量だな。これ、全部配達するのか?」
心配そうに尋ねるラミエルに、ポスティーは笑顔で答えた。
「はい。このくらいの量は朝飯前です。……ありました! ラジエル様宛のお手紙!」
一通の手紙を取り出すと、ポスティーはそれを自身の頭の上に乗せた。円形の翼を広げ、片脚を上げる。
「ポスティー!? なんだそのポーズ」
彼女の奇妙なポーズを、ラミエルは目を丸くして見つめた。
頭上に乗せた手紙が、ぐるぐるとコンパスの針のように向きを変え、ぴたりと静止する。
「ラジエル様。現在、三時の方向、約二百メートル先です!」
体勢を崩さないまま、ポスティーは高らかに告げた。
その言葉に、ラミエルは三時の方向――ポスティーから見て右手側へと目を向ける。
すると、彼女の言葉どおり、こちらへ一直線に走ってくるラジエルの姿が見えた。
ラミエルはポスティーの能力を目の当たりにして、感嘆の声を上げる。
「すげえ! まるでカーナビみたいだな」
「このくらい、お茶の子三歳です!」
「それを言うなら、お茶の子さいさいだろ」
和やかに話す二人のもとへ、慌てて走ってきたラジエルが元気よく声をかける。
「ごめん。お待たせ、ラミちゃん! ポスちゃんも久しぶりだねー!」
「お久しぶりです! ラジエル様」
「おー、ラジエル。やっと来たか!」
急いで来たのだろう。わずかに息を切らしているラジエルを、二人は笑顔で迎えた。
上げていた両翼と片脚を下ろしたポスティーを見て、ラジエルは首をかしげる。
不思議そうな顔でポスティーの隣にしゃがみ込むと、彼女の頭上に置かれたままの手紙を指差した。
「どうしたの? ポスちゃん。頭に手紙なんか乗っけて……なんかの儀式?」
「これは、いわば、お手紙のヌシさんを探すための『決めポーズ』です!」
そう言って、ポスティーは再びあのポーズをとる。
頭上の手紙が、それに応えるようにラジエルのほうへ向いた。
「すごい! かっこいいー!!」
「便利だとは思うけど……かっこいいか?」
目を輝かせるラジエルとは対照的に、ラミエルは複雑な表情で呟いた。
その決めポーズは、ポスティーの見た目なら可愛らしく映るだろうが、人によっては可笑しくも見える。
そんなラミエルの思惑をよそに、ラジエルは話を続ける。
「いいなー! 能力のための決めポーズ……もしかして、この手紙のヌシって私?」
「はい、ラジエル様宛のお手紙です! お受け取りください!」
ラジエルはポスティーから手紙を受け取ると、差出人の名前を確認した。
「誰からだろう? うわっ!? サリエルから……きっと仕事の手紙だ……」
そう言って、ラジエルは苦い顔をする。猫耳をぺたりと伏せ、ポスティーとラミエルをちらりとうかがった。
その反応に、自分と同じものを感じたラミエルは、あえて何も言わなかった。
一方のポスティーは、二人の様子を気にすることなく、配達鞄の中身を整理している。
ラジエルは手紙をポケットに突っ込もうとして、自分の服にポケットが付いていないことに気づいた。
誤魔化すように、開いた襟元の隙間へ手紙を差し込むと、気を取り直した様子でポスティーに話しかける。
「ポスちゃん、ありがとね! この手紙は……後で読むことにするよ」
「承知しましたです! それでは、私は次の配達先に行きますので。お二人とも、お元気でー!」
「お前も元気でな!」
「仕事頑張ってねー!」
身体の半分ほどはあるだろう鞄を、ポスティーは軽々と背負い、仕事へ戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、ラミエルは言う。
「仕事熱心だな。俺たちも見習うべきか……」
「うんうん……そうだ! 私たちも、ポスちゃんみたいな『決めポーズ』を考えようよ!」
「いや、なんでだよ!?」
ラジエルの提案は、いつも突拍子がない。先ほどのポスティーの『決めポーズ』とやらが、よほど気に入ったのだろう。
彼女は、乗り気ではないラミエルを上目遣いで説得しはじめた。
「じゃあさ、私が考えた『決めポーズ』を見てくれるだけでいいから!」
「まあ、見るだけなら……言っとくけど、周りが引くような真似はするなよ?」
「引くような真似? よくわかんないけど、かっこいいやつだから見てて!」
そう言って、ラミエルから少し離れた位置に立つと、すっと右手を上げた。
ラミエルだけではなく、周囲の天使たちまでもが、何事かと彼女を見つめる。
周囲の視線を受け、ラジエルは得意げな笑みを浮かべると、軽やかにその場で後方宙返りをした。
着地すると、今度は片脚でくるりと三回ターンする。長い尻尾が、興奮で小刻みに震えていた。
ターンを終え、次は側転を二回。最後に前方宙返りを決めて右手を上げる。ちょうどラミエルの目の前の位置だった。
「複製! いでよ! 最近読んだ手頃なやつ!」
ラジエルが唱えると、一枚の紙が彼女の頭上に現れた。ターンしてそれをキャッチし、大げさに掲げてみせる。
それを見ていた天使たちは、ラジエルへ惜しみない拍手を送った。だが、ラミエルだけは呆れ顔でツッコミを入れる。
「長すぎだろ! それ、能力を使う前に毎回やるつもりか?」
「うん。みんなの反応も良いし、これから毎回やろうと思う!」
自信満々で胸を張るラジエルを、説き伏せることは不可能に近い。
ラミエルは、やれやれとかぶりを振った。
「決めポーズっていうのはな、もっとシンプルなほうがいいに決まってるって――」
「ふーん? 例えば?」
悪戯っぽい笑顔で、ラジエルが食い気味に問いかける。
周りの視線がこちらに向いているのに気づき、ラミエルはしまった、と思った。
だが、もう遅い。周囲からの期待のこもったまなざしを無下にはできず、ラミエルは半ば自棄になって叫んだ。
「分かったよ! やって見せればいいんだろ!?」
ラミエルは右手を高く上げた。人差し指を立て、そのまま軽く腕を下ろす。
本来ならば、そのポーズだけで十分だった。
しかし、無意識のうちに『ラジエルよりも目立ちたい』という気持ちが働いたのか――
一瞬の雷光の後、激しい雷鳴が周囲に轟いた。
彼の指し示した場所に、雷が落ちたのは明白だった。
「やばい……」
引きつった笑顔で、ラミエルが小さく呟く。
ラジエルと周りの天使たちは、呆然とした顔でラミエルを見つめていた。
彼の『目視できる場所に雷を落とすことができる』能力が、意図せぬ形で発動したのだ。
静まり返った重い空気を変えるように、ラジエルの明るい声が響く。
「ラミちゃん! 能力を使うのは反則だよ!」
「なっ!? お前だって、ちゃっかり使ってただろ! どうすんだよそれ!?」
ラミエルのツッコミに、ラジエルはしかめっ面をした。後ろ手に紙を隠しながら言い返す。
「ラミちゃんだって、雷なんか落として! 誰かに当たったらどうするのさ!」
言い争う二人を、近くで見ていた顔なじみの天使たちが、宥めるように仲裁に入る。
「はいはい。どっちもどっちですから、ケンカしないでください」
「二人とも、休日だからって羽目を外しすぎですよ」
彼らの言葉に、二人は大人しく引き下がった。
冷静さを取り戻したラミエルは、さっきまで聞こえていた讃美歌が止んでいるのに気づく。
見ると、周りの天使に混じって、あの四人組の聖歌隊が不安そうな顔でこちらを眺めていた。
なんだか、いたたまれない気持ちになった二人は、周囲に向かって深く頭を下げる。
「みんな、すまん! ちょっと良いとこ見せようと思って、やらかした!」
「私も、つい調子に乗っちゃって……ごめんなさい」
「そんな、改まって謝らなくても大丈夫ですよ。ラミエル様のやらかしは日常茶飯事ですからね!」
微妙なフォローを入れる天使に、ラミエルはいつもの調子で答えた。
「俺だけじゃなく、ラジエルもだからな!」
――さっきまでの騒動が嘘のように、広場には穏やかな雰囲気が戻っていた。
ラミエルたちのやりとりを見ていた聖歌隊の天使たちも、緊張が解けたのか、自然な笑顔で歌の練習に励んでいる。
ラジエルとラミエルは、その美しい讃美歌を、少し離れた場所で聴いていた。
「雷、大丈夫かな? 後で、どこに落ちたか見に行かないとね」
「そうだな。ま、あの方向には特に何もなかったはずだから……たぶん大丈夫だろ」
ラミエルは、雷が落ちたであろう方角へ顔を向けると、自分に言い聞かせるように笑った。
しかし、視界に映ったとある天使の姿に、彼の表情は一変する。
「ラジエル……すまん。やっぱり大丈夫じゃない」
「……え?」
強張ったラミエルの視線の先には、こちらに歩いてくるサリエルの姿があった。
「なんでサリエルが!?」
ラジエルは素っ頓狂な声を上げた。服の隙間からはみ出ている手紙と、先ほど複製した紙を、咄嗟に両手で隠す。
「最悪だ。あの雷、サリエルの近くに落ちたんだ……」
そう言って、ラミエルは頭を抱えた。サリエルの視線は、明らかにこちらに向いている。
ポスティー風に言えば、彼女との距離は十二時の方向、約百メートル先……といったところだろう。
滅多に表情を変えないサリエルの口元は、綺麗に弧を描き、眉の角度は普段より斜め二十五度上がっている。
冷たい光を宿した目は、まったく笑っていない。明らかに怒っていた。
聖歌隊の讃美歌をBGMに、ゆっくりと近づいてくるサリエル。二人は恐れ慄いた。
「どうする!? ラミちゃん」
「あんなの、どうしようもねえよ……! こうなったら、先手を打つしかねえ」
「先手?」
サリエルが二人に辿り着いたとき、それまで広場にいた天使たちは、事態を察してほぼ全員が立ち去っていた。
彼女が冷ややかに見下ろした先には、ラミエルとラジエルの姿がある。
二人とも正座した状態で、手のひらを地面につけていた。
反省のポーズ。いわゆる、土下座である。
サリエルが口を開く前に、二人は勢いよく頭を下げて叫んだ。
「「申し訳ございませんでした!!!」」
――落雷で折れてしまったオリーブの木は、ラファエルの能力によって、雷が落ちる前の姿へと戻っていた。
「よしよし。きれいに直せて一安心」
そう言って、ラファエルは木の根元に腰を下ろす。
眼鏡のレンズを服の裾で拭きながら、ぽつりと呟いた。
「サリエルは、ラミエルのもとに辿り着いたかな?」
きっとラミエルのもとには、別の雷が落ちているに違いない。
ラファエルは肩をすくめると、元通りになったオリーブの木に語りかけた。
「せっかくの休日なのに、災難だったね。君も」




