7-9 信濃 海野宿 源九郎叔父邸2
どうしても父と比べてしまうのだが、村上殿はよくしゃべる方だった。
といっても饒舌なわけではなく、こちらが投げた言葉に一拍置いて、父比三倍ぐらいの長さの返事をする。
その一拍の間が独特で、言葉はしっかり選ばれたものだった。
体格に見合った太くていい声だ。きっと演歌とかオペラとか上手いタイプ。
見上げるのに苦労するほど背が高く、顔立ちがものすごく怖いのは父で慣れているから、体格のよりぶ厚い感じを見慣れてしまえば、かなり親しみが持てる部類の男だった。
これが敵か。
明らかに武闘派な見た目をしておいて、考える頭があると言うのは手ごわい。注意して当たらなければ、バリバリと頭から食われそうだ。
当たり障りない会話をしながら、おそらく双方が感じていたのは同じことだ。
これまでも気は進まなかったが、ますます敵に回したくないと感じた。
「それにしても、海野はどうするつもりでしょう」
孫九郎はしっかりと背筋を伸ばし、座っていてさえ見上げるほど大きい村上殿に苦笑を向ける。
「せっかくの和睦の機会をふいにするつもりでしょうか」
まあおそらく、和睦といっても今川と村上の事だと思っているのだろう。
ここでうまく立ち回って、今川軍がいるうちにより良い条件をこぎつけるべきなのに。
「……今川殿は海野をどう思われますか。最近ご当主が体調を崩していると聞く。嫡男は三十路を越えて一度も戦に出た事のない軟弱者、母親と妻の尻に敷かれているそうです」
「ずいぶん容赦なくおっしゃいますね」
海野殿が不調だというのは知らなかった。叔父も弥太郎も何も言わなかったから、おそらく周囲には気づかれないようにしているのだろう。
死期が近いと感じた海野殿が、やはり入り婿の叔父ではなく嫡男に跡をまかせたいと思ったのか?
「臥せりがちなのは本人にはどうしようもない事ですよ。軟弱者というのはお気の毒というもの。ですが……それと武家の当主がつとまるか否かは別の問題です」
小さく首を傾けて、そういえば最近は病弱だの虚弱だの言われなくなったなと自身を顧みた。
以前ほどではないにせよ、相変わらず季節の変わり目には体調を崩すし、熱も出す。お世辞にも頑強とはいえない。はた目にもわかるほど華奢で小柄だし。
それでも今川家の当主がつとまっているのは、長年病床にあった先代よりはマシと思われているのか……いや、ついてきてくれる者たちの存在があってこそだろう。
それと、まだ子供だから許されているだけの部分もある。
さすがに三十にもなって、川を独力で渡れないようでは「頼りない」と誹りを受けてもやむ無しという気はする。
いや、海野の嫡男がそうだとは言っていないぞ。
「まずは家を守る事ができねば話になりません」
孫九郎の言葉に、村上殿は同意するように重々しく頷いた。
そしてまた数秒間の沈黙。例えるなら……そう、無線でどこからか指示を受けているかのようなタイミングのずれ。
「……力がない者は淘汰されるものです。立ち向かう気概もないなら引くべきです。血筋だけで一門の頭領たる資格にはなりませぬ」
そんなに慎重に返事を考えなくてもいいのに。
いや……慎重にならざるを得ないのか?
孫九郎は目の前の、大紋付き直垂が今にもはち切れそうな男をまじまじと見つめた。
改めて、鎧兜のほうがフォーマルだといいそうな村上殿が、この格好できた意味を考える。
まさか今川へ降伏するとか、そういう意味ではないだろう。
まっすぐに視線が重なる。
……ああそうか。
戦う謂れはないのだから、今川軍は早々に去れと言いたいのだな。
一応はこちらの顔を立ててくれた感じか? だが合意に至らなければ戦うのもやむ無しと?
つまり正式な交渉ということか。
本来は太平寺城の大広間での対峙のはずなのに、こんなあばら家で締まらないが……
「場所は重要ではありません」
「いかにも」
その返答は即座に来た。
孫九郎は頷いて、「支度を致せ」と命じた。
一瞬戸惑ったような空気が漂ったが、藤次郎がささっと文机を用意する。
これから先の一言一句、漏らさず書き記す為だ。
その席に座った藤次郎が、どこからか用意したかなり上等に見える紙を広げ、筆を持って準備を整えるまで一分弱。
支度が終わるまで無言で見守っていた孫九郎と村上殿は、改めて背筋を伸ばして軽く頭を下げあった。
村上方は、こちらの事情を十分に知っているようだった。
そのうえで、彼らの条件はふたつ。
今川家が海野平から手を引く事。これには源九郎叔父及びその子らが海野家から離れるという意味も含む。
今川軍は即座に小県から撤退すること。
……否やはない。
今川側からの条件もふたつ。
今川軍が撤退してから二年、海野平の今回海野側についた者たちに攻め込まないこと。
二年後も太平寺城には攻め込まないこと。
ただし、小県郡から攻め込んできた場合は即座にその約定は破棄される。
村上殿は眉間にしわを寄せてこちらの条件を聞いていたが、孫九郎が太平寺城にはと言ったところでぴくりとその太い眉を持ち上げた。
言わんとしたところは察したようだ。
孫九郎とて、今回の事もそうだが、叔父の扱いについて思うところが多々ある。
この約定が公表されると、海野殿はかなり肩身の狭い思いをするだろう。
単純に、二年村上の侵攻に怯えずに済むと決まればうれしいだろうが、同時に、己だけ保身に走ったかに見える二番目の条件に反発する者は多いはずだ。
「……面白いやり方をなさる」
「縁あって叔父と結びつき、生まれた子らの里ですから」
この約定には大きな穴があって、村上が手を下さなくても他の家が攻め込む分には全く問題ないのだ。
まあ、叔父が去った後のことなど、孫九郎にとってはどうでもいい話だが。
「海野にとっても悪い話ではないでしょう。考えうる限り最善といってもいい」
叔父を手放せば、二年間の猶予ができる。いやその二年の後も、村上が太平寺城を攻める事はないのだから。
孫九郎にとっても、叔父を取り戻すという本来の目的を達成できる。
……意趣返しももちろん。




