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春暁記  作者: 槐
信濃編

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7-6 信濃 海野平4

 二木らに川を渡らせまいと、村上軍が邪魔をしている。

 それはそうだ。逆の立場なら孫九郎とて同じことをする。

 夜という環境が互いの姿を見えにくくし、中洲といっても相当大きいので渡る場所も一か所ではないということ。あとは二木率いる福島軍および叔父率いる海野衆たちが、多少の妨害には足を止めなかったということ。

 今川軍が川を渡る事ができたのは、それらの要因に含めてもうひとつ。

 旗を掲げて趨勢を明らかにした城の約半数が、反村上だったというのが大きい。

 海野が太平寺城に籠って村上と今川の衝突を高みの見物していたのは、時期を見計らっていたからなのだろう。

 敗北覚悟で村上と対立するか、降伏するか。……難しい決断だったと思う。

 望月殿が根津城に入り、今川軍が海野側についている。となれば、村上軍の侵攻を阻止することができるかもしれない。

 そんな思惑が、海野殿と周辺の領主たちに行動を決めさせたのだと思う。

 下流側の大半が村上に臣従し、太平寺城より上流側が海野家についた。

 今川軍がいなければ、こんなことにはなっていなかったはずだ。

 海野殿は、降伏するか死ぬまで戦うかの二択を迫られていて、今回は今川軍がいるからこそ選べた道を選択した。

 だが村上も強気だった。

 遠国の今川とは違い、近い距離を本拠地とする有力氏族だ。今はよくとも、今川軍はずっと居続けるわけではない。

 半数が村上についたのはそのあたりが理由だろうし、村上の攻勢が弱まったのも、無理に戦って兵を減らすこともないと考えたからだろう。

 村上軍は、太平寺城の大手門とその反対側を塞いだ形で布陣した。

 布陣の形は城攻めなのに、特に真正面にある大手門側の兵は明らかに城ではなく今川軍を注視している。つまり、勢いに任せて攻め込むのではなく、攻城戦中に背後を突かれることへの警戒だ。

 その段階で、村上が明らかに攻撃を手控え始めた。押す力が弱いので、ただそれに抗っていただけの今川軍の反撃も弱い。

 その段階でも、今川軍の半数はまだ川に分断された状態で、包囲した村上軍を網に捕らえたままだった。

 村上軍が矛を下げ、いったんの休戦状態になったところで、天野殿には包囲網を締め上げるのはやめろと命じた。

 もちろん解放はしない。決戦となれば、真っ先にそこから叩く為だ。


 真夜中の静寂に、誰もが息を飲み耳を澄ませた。

 野鳥すら鳴かない。小動物が動く物音もしない。

 風の音しかしない静けさがなお続く。

 徐々に物の形がわかるようになってきて、もうすぐ夜が明けるのだと教えてくれる。

 だが山に囲まれたこの辺りで、地平線からの日の出を見る事はない。

 長いようで、息を止めたまま一瞬で過ぎた感のある一夜だった。


 互いに睨み合ったまま、じりじりと周囲が明るくなっていく。

 その頃になると状況を見定め、先の事を考える余裕もできてきた。

 すべては村上殿の意向にかかっている。

 このまま決戦となるか? 戦力的には拮抗している。いや、海野側についた国人衆が旗色を明確にして兵を出してくれるなら、こちらが有利だ。

 この機に村上を追い払うべきなのに、海野連合は及び腰だった。確かに兵は動き始めたが、太平寺城に近づいてくることはなく、肝心の太平寺城とて固く城門を閉ざして籠城の構えを崩さない。

 そんな弱気でいるから、残り半数が村上方につくのだ。

 このままだと戦ったのは他国の今川軍だけということになるぞ。それでいいのか? 

 ……いや、もしかすると端からそれが狙いなのかもしれない。

 代理で戦ってもらえるなら儲けものと?

 イラッとしたのは孫九郎だけではなかった。

 二木はもとより天野殿も、主だった将たちも、もしかすると敵である村上殿ですらも。

 結局日が完全に昇り切ってもなお長い睨み合いは続いた。

 率先して戦端を開く義理はない。

 今川のその意思が伝わったのだと思う。


 村上軍からの使者が来たのは、じりじりと日差しが強くなり始めてからだった。

 最初の使者、つまりまだ打診の段階だというのに、やってきたのはやけに身分ありげな男だった。

 この時代、その身分は身なりを見ればだいたいわかる。男が身にまとった重厚な鎧は、その身分と戦歴を露わにしていた。

 体格の良い大きな男だ。一瞬村上殿ご本人かと思ったが違った。安中殿というらしい。

 御大層な鎧兜で身を固めてはいるものの、武器は持って来ていなかった。

 実際は隠しに小刀程度は所持していたかもしれないが、この時代のこういう身分の者が、公式の場で隠し武器を使うというのはまずありえない。

 安中殿は使者として、孫九郎に面会を求めてきた。

 今川軍の総大将にではなく、孫九郎にというのが要点だ。

 すでに知られているのは確かだとしても、いない者として扱えば楽だろうに。

 ここでの面会は休戦の申し出か、あるいは宣戦布告か。

 二木はかなり苛烈な対応をしたようだが、相手は大人の対応をしてきた。初対面で二木の毒舌に不快の表情を浮かべない者はあまりいない。

 真横でブチブチと悪態をつくという、副将としてはかなり問題アリの行為に、普通にシレッと落ち着いた表情で返しているのが遠目にもわかる。

 しかも護衛や側付きなども連れて来ておらず、単身で乗り込んできていた。

 敵中にいる恐怖など微塵も見せず、むしろ寛いだ風の堂々とした態度……なかなかできる男と見た。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「叔父が継ぐ予定の」「今川の味方寄りの」「信濃の有力者の」海野家だったから、その敵の武田村上と交戦したわけで。 叔父を冷遇する武田寄りの日和見ヘタレな海野家とか、孫九郎様としてはもうどうし…
[一言] 手強い人が出てきたな
[良い点] 村上義清配下の安中氏…安中一藤太かな? 武田四天王の板垣信方を討ち取った? 武田とバチバチにやり合える武将…お勝ちゃん、そいつ宗滴みたいにカウンターでプレッシャーしてくるやつだよ気を付けて…
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