1-6 遠江 掛川城3
騒ぎになりそう(幸松にみつかりそう)だったので、そのまま少し離れた場所まで移動した。
その間もずっと幸は暴れてもがいているし、なんなら大声で叫んでもいるが、幸いにしてそれを聞きつけて様子を見に来る者はいなかった。
大丈夫か、掛川城の警備体制。幸の護衛は重大任務のひとつではないのか?
谷は大人の男にしては小柄なので、子供とはいえ体格の良い幸が暴れては手に負えないとおもいきや、涼しい顔をして片手でぶら下げていた。
蹴られても引っかかれても平気とは。谷にかかれば、本当に子猫ほどの扱いなのかもしれない。
少し離れたところで、ようやく駆けつけてきたのは藤次郎だった。
幸を送り届けたはずだが、途中で撒かれでもしたのだろうか。
「申し訳ございません!」
足早に駆け寄ってきて、片膝をつき頭を下げる。
「まかれたか?」
笑ってそう言うと、藤次郎は情けなさそうに眉を垂らした。
「……なかなか御活発な姫君で」
お転婆と言ってやってもいいんだぞ。
孫九郎は扇子で口元を覆い、「ふふ」と含み笑った。
「丁寧に扱え。御屋形様の妹君だぞ!」
藤次郎は、谷があまりにも無造作にぶら下げているので、見かねて言った。
だが暴れるので仕方がないのだ。谷が手を離したら、多分こちらに駆け寄ってきて、あの手に握っているモノを孫九郎に投げつけてくるだろう。
そうなったとしても構いはしないが、周囲が、特に幸松が激怒しそうだ。
「強く握ったら潰してしまうよ」
孫九郎がそう言うと、暴れていた幸がほんの少し、何かに気づいたように目をしばたかせた。
「相変わらず生き物が平気なんだなぁ」
現代の都会ではあまり見かけないサイズの蛙だ。ツチガエルか? ヒキガエルじゃないだろうな? せめてアマガエルにしろよ。
込み上げてくる笑いを扇の後ろに隠す。
「可哀そうだから放してあげなさい」
おっといけない。つい大人のような言い方をしてしまった。
「蛙は温い手で握ると弱ってしまうよ」
前に……きっと幸は覚えていないだろうが、三年前にも同じことを言って諭した。
昔から、鯉ですら素手で掴もうとする子なのだ。
福島屋敷でのあの時の騒ぎを思い出し、クックと肩を揺らす。
幸の眼差しが揺れた。
「……兄上様?」
今の今まで暴れてたのに、どこか不安そうな、心細そうな声だった。
前に会った時にはまだ三、四歳だったはずだ。そんな小さな頃のことなど覚えているはずもないと思っていたが。
「久しぶりだねぇ、幸。変わらず達者そうでうれしいよ」
「兄上様!」
幸は、谷に襟首をつかまれぶら下げられた状態で、万歳と両手を広げた。
びょーんと巨大な蛙が飛んで、廊下にビタンと音を立てて落ちた。
「……兄上様、どこかお加減でもお悪いのですか?」
蛙ではなく可愛い妹が飛びかかってこようとしたのも、谷は止めた。
確かに、年齢が四つは離れているのに、すでに孫九郎よりも大柄なのだ。あの勢いで飛び掛かられたら潰されそうだ。
「いいや?」
孫九郎は、そこはつっこまれたくなかったと思いながら、近くに来た幸の頭をそっと撫でた。
「幸は大きくなったなぁ」
小さい=病気じゃないからね。
不安そうな子供に笑いかけ、つやつやの髪をもうひと撫でする。
「兄上様! 兄上様は……」
たくさん話したいことがあるのに、どれから言えばいいのかわからない、という風に口ごもる。
「少し歩こうか」
いつかのように手を差し出してから、さすがにもうこの年頃の女の子は嫌がるかなと思ったのだが、幸は躊躇なく握り返してきた。
そういえば蛙を握った手だ。井戸まで洗いに行こうか。
……なんだか微妙だ。
背丈を抜かれてしまった妹に、逆に手を引かれている気がする。
後ろから付いてきている護衛たちも似た事を考えているに違いない、ちらりと振り返って見ると、笑いをこらえているような顔をされた。
後で覚えていろよ。
「そうか、苦手なものは仕方がないね」
コクコクと頷く幸は、和歌や琴のような女児の習い事が退屈でつまらないと言う。
幸松のように乗馬や刀術を習いたいそうだ。
別にそれはそれでいいと思うのだが、母親であるお葉殿の方針に口出ししても良いことはない。
「ではこうしよう。何ができるようになったのか、何がうまくいかないのか、文で教えて」
「文ですか?」
「上手にできるようになったら、御褒美をあげよう」
この様子だと、字を書くのも苦手そうだ。だが褒美と聞いて目がキラキラと光った。
「御褒美⁉」
「何がいいかなぁ」
「えっと、ええっと」
話しているうちに、あっという間に井戸端にたどり着いた。
掛川城の井戸は奥に近いのが良い。
二人でああだこうだとたわいのない会話をしながら手を洗い、手ぬぐいで幸の手を拭いてやった。
「幸松はずっとああなの?」
「兄上はお怒りなのです」
再び並んで歩きながらそう問いかけると、幸の方も話したかったらしく、するりと聞きたかったことを話し始めた。
掛川の城に移ってしばらくした頃に、お葉殿の兄弟が幸松が嫡男になったことを喜び、虚弱な孫九郎を揶揄したらしい。
伯父らが悪しざまに言うのを漏れ聞いた幸松は激怒した。
何よりまずかったのは、兄弟がそう言って笑っている様子を、お葉殿が止めようとしていなかったそうなのだ。
「母上は、兄上が嫡男になって嬉しかっただけだと思います」
まあ、自分の産んだ子が立場を上げるのを喜ぶのはわかる。
だがこれで、幸松の側付きが一新された理由と、どうしてお葉殿がいまだに父の側室のままで、継室にならないのか分かった。
孫九郎の事になると、父はかなり大人げないのだ。
「母上と仲直りしてほしいのに」
「うん、そうだねぇ」
孫九郎はうつむく妹を見上げて、どう言ったものかと迷った。
「仕方がない、お年頃だから」
「……お年頃?」
思春期にしては早いが、反抗期としてはまあそんなものだろう。子供が大人になる前の通過儀礼のようなものだ。
「あきらめずに、幸松に話しかけてあげて欲しい」
よくわからない、という表情の幸の手をぎゅっと握る。
「大人になればきっと解決するよ」
時間をかければ拗れるものもあるが、そういうのは会話が足りないからだ。
幸が間にいれば大丈夫だろう。
「……はい」
納得いったようではなかったが、幸は素直に頷いた。
その表情は、幸松によく似てた。
ヒキガエルには皮膚がかぶれるなどの毒があります
素手で触らないようにしましょう
……普通触りませんけどねw




