6-10 信濃 倉見城2
そのあと、皆で集まって叔父と話をした。
ちなみに叔父が捕らえた男と対面する場にいなかったのは、丁度そのタイミングで海野側の使者が来ていたからだ。
立ち会った者によると、即座に戻れとの催促だった。
諏訪は退き、村上も距離をとって様子見をしているから、急を要することはないはずなのに……戻れ? ふうん。
「このまま海野荘へ乗り込めばよろしいのでは」
孫九郎より露骨に不快感をあらわにしているのは二木だ。
こめかみに青筋を浮かべ、唇をへの字に歪めている。
「そう言うな。反対されたのを強引に出てきたのだ」
源九郎叔父は、孫九郎の要請に応じるために、海野家から止められるのを振り切って駆けつけてくれたそうだ。
だから装備が貧弱だったのか。それにしては人数はしっかりいたようだが。
「叔父上としましては、福島へ戻られるお気持ちはおありなのでしょうか」
「それは……」
孫九郎の問いかけに、源九郎叔父の表情が曇る。
そもそも叔父が海野へ婿入りしたのは、当主直々に頭を下げられ、病弱な嫡男にかわり海野家を継いでくれという話ではなかったのか。
百歩譲って、嫡男に子ができたからその話がなかったことになるのだとしたら、福島へ返してもらうのが筋だろう。
叔父上がいなくなってしまえば、また嫡男の非力が問題になる。だからといって、もともと他家の、信濃衆ですらない叔父に、厳しい部分だけを背負わせるのは正当な行為だとは思えない。
「どうかお戻りを。福島ではなく、今川の方にでもいいですよ。丁度伊豆方面に空席があります。人手が足りず困っているそうです」
意外と愚痴が多い承菊からの書簡によると、北条が仕掛けてくる頻度が上がってきているそうだ。
それなのに伊豆にいる者たちの足並みがそろわず、駿河に戻りたいとか言っている者も出ているらしい。
承菊は孫九郎自身に来てほしいようだったから、そのうち足を運ぼうかと思っていた。
源九郎叔父向きの話だろう?
「叔母上も双子も是非ご一緒に」
「そういうわけには」
叔父の返答は渋かった。
本心からというよりも、事情がありそうな言い方だった。
叔父への不遇もそうだが、無事に生まれてくれた赤子を邪魔者扱いするようなところには置いておけない。
脳裏にあるのは、自身が高天神城で味わった辛酸だ。
実の母親がついているのだから、あんなことにはならないと思うが、孫九郎は人間の悪意がどれだけ苛烈で容赦ないか知っている。
今この時にも、叔父の目が離れている間に、双子に危機が迫っていないといいのだが。
「何か問題があるのですか?」
例えば、病弱な嫡男が戦に出る事ができず、心もとないとか?
「叔父上の引っ掛かりは、御子らの命と天秤にかけるほど重要なものですか?」
叔父がはっとした様子でこちらを見た。
孫九郎は頷きかけ、部屋の隅で控える弥太郎に目を向けた。
「身ごもった方が武田の縁者だというのは間違いないな?」
気配もなく静かに座っていた男が、丁寧に頭を下げる。
「自称ではございますが、ご当主の妹君と名乗られているようです」
「……辰殿が?」
猛虎の妹御は辰か。気が強そうな名だな。
「母親の御身分が低く、表には出ていない御方とのことです」
叔父は明らかに初耳のようだった。
そうなってくると、海野殿も知らない可能性がある。
御正室の独断か? あるいは廃嫡寸前の嫡男が画策したのかもしれない。その辰殿とやらにとっても、表舞台に立つ千載一遇のチャンスだろう。
おそらく、叔父及び双子の追い落としは水面下で進んでいる。
孫九郎は無意識のうちに手で扇子を弄り、軽く数回開け閉めした。
「……武田は敗走しました」
叔父を見ていた男たちが、再び上座に座る孫九郎の方に顔を向けた。
「佐久への大きな傷跡を残し、佐久衆を敵に回してです」
伴野が落ち、芦田も落ちた。
佐久の国人衆たちも、総出でかかれば武田をも追い払えるのだと気づいた。
彼らは、怨敵武田の血を引く海野の子に、どういう目を向けるだろう。
……いやまいった。もしかすると、かえって叔父を取り戻せない事になっていないか?
海野殿は、いくら嫡男の子とはいえ、武田の血を引くのなら跡継ぎにはできないと思うかもしれない。
「海野が佐久衆を敵に回すのは得策ではない。武田と結ぶのはいったんやめるのではないでしょうか」
だが子が生まれる。その身に流れる血の半分が武田のものだ。
「まだ無事に生まれるとは限りませんよ。女児かもしれませんし」
露悪的にそんな事を言う二木に、孫九郎はため息をついて首を振った。
「男子かもしれん。嫡男の子だ。海野の跡継ぎになるのが順当だ」
「親の血筋など黙っていればわからないですしね」
ふと、それもそうだと思ってしまった。
海野殿が辰殿の素性を知らないのなら、むしろ都合がいい。
「叔父上」
パチリと扇子を閉じた。
改めて周囲を見回すと、皆が孫九郎を見ていた。
「海野殿に、叔父上と双子を引き取るという話をしてもよろしいでしょうか」
叔父は太い溜息をつき、首を横に振った。
「そういうわけにはいかぬのです」
「それは、戻りたくないという事ですか」
「とんでもない!」
「もう一度お尋ねします」
孫九郎はゆっくりと、言い聞かせるように言葉を発した。
「御子の命を危うくしてまで、海野に残りたいですか」
「お勝殿」
不意に、天野殿が口を開いた。
福島家の問題だからと黙って聞き役に徹した彼の、不意の発言に皆が驚いた。
「この際ですから、問題を解決して差し上げてはいかがでしょう」
おっとりとした口調だ。のんびりとした温和な、才走った所も角が立ったところもない。
まじまじと見つめると、キョトンと見返してくる。誰が見ても凡庸な面立ちの男なのに、言っている言葉は極端なものだ。
海野家の置かれている問題? それはどこまでを言うのだ? 今川家が解決する道理など欠片もないのに、口を挟むのも顰蹙ものだ。
だが、その「問題」があるから叔父は戻れないという。
ならばそれを解決すればいいという天野殿の意見も、あながち間違ってはいない。
孫九郎は無意識のうちに、パチパチと扇子を開け閉めした。
「……村上か」
「いや、これはいい」
天野殿がほのぼのとした表情で笑い出した。へにょりと目尻が下がり、笑いじわが寄る。どこから見ても気のいいオヤジさんだ。
だが、何がおかしいのかわからないのに爆笑されるというのは結構怖い。
「……天野殿?」
「この上もなく順調でございますな」
順調? 何が?
孫九郎はそう言われてもなお、意図が分からず首を傾げた。
「ははははははっ!」
唐突に天野殿に追従したのは二木だった。
バンバンと床を叩き、喉ぼとけをむき出しにした大爆笑だった。
「甲斐戦線を押し上げる傍ら北から武田軍を壊滅。今なら佐久は今川に従いましょう。更には海野荘から村上。諏訪もたいして難敵ではござらぬ」
にやり、と笑う二木の表情は、どう見ても悪い奴の顔だ。
「……」
「うまくやれば甲斐も東信濃も食えますぞ」
ぎょっとしたのは孫九郎と、幸松ら若輩組と、源九郎叔父だ。
副将の二人が大爆笑する傍ら、逢坂や孫九郎の側付きたちはある程度予想していたのか表情を変えないし、谷ら護衛たちは平然としている。
違う、今はそんな話をしていたわけじゃないだろう!
そう言いたかったのに、言葉が出て来なかった。
手を伸ばせばすぐそこに、熟した柿があると気づいてしまったからだ。
だが、たった千五百の兵だぞ。
こんな事態になるなど、誰も想像していなかったに違いない。
他ならぬ孫九郎自身もそうだった。




