6-9 信濃 倉見城
孫九郎は、石畳の上に転がされている血まみれの男を見下ろした。
名を何と言ったか。ハブ? モブ? ……思い出せない。
幸松に必要以上の残虐なものを見せる事もないのだが、今回に限って言えば拷問ではなく止血だ。
田所兄は出血を止めようとしただけで、過度に痛めつけるような事はしていない……と思う。
石畳の上にうつぶせに寝かされて、腰のあたりの焼け爛れた場所がむき出しになっている。側には真っ赤な炭が入った入れ物が置かれていて、鉄製の火かき棒が無造作に乗せられていた。……タンパク質の焼ける臭いは間違いなくここが発生源だろう。
正直、吐き気がする。だが無様な姿は見せられない。
「矢傷か」
「ええはい。矢じりを無理に抜いたのでしょう、血が止まりませんでした」
だから焼いたのか。この時代に血管をつなぐ手術など無理だからな。
だが位置的に内臓が傷ついているかもしれない。だとすれば長くはもつまい。
「意識は」
「焼き鏝を入れる前までは威勢よく牙をむいておりました」
まるで野良犬が相手だとでも言いたげな口調だ。
孫九郎は幸松にそこにいるようにと手ぶりで指示し、田所兄弟の方へ足を進めた。
兄の方は手を盥に入れて洗い始めたが、弟は無言で怪我人の首筋を踏んだ。
不用意に動き出すのを封じる為だろう。
退けてやれ、と口にしかけて、ギラギラとした目がこちらを睨んでいる事に気づいた。
失神しているとばかり思っていたが、意識が戻ったらしい。
……そのまま踏んでくれていていいよ。うん。
篝火の明かりで、血まみれの背中がよく見えた。
出血は多いが、火傷は十センチ四方程度のものだ。
荒く上下する背中と、「ふーふー」と漏れ聞こえる息が、ますます野犬じみている。
よく見ると、口には猿轡、両手両足が拘束されている。
それでも、田所弟が足を離せば一瞬でこちらに襲い掛かってくるのだろう。
……全体的に血の気が多いんだよ、武田の奴らって。
福島家の脳筋どもも大概だが、それに輪をかけて異次元の気の荒さを感じる。
孫九郎はひょいと腰を屈め、石畳の上に転がっている男に顔を寄せた。
「さあ、どうしようか」
聞きたいことはひとつだけ。
海野家が武田の侵攻にどこまで関わっているか。それ以外はさして重要ではない。
「其の方らも大変よな。あのような猪突猛進な主君では……」
血走った目がこちらを睨む。
主君をけなされた怒りか? 自身が置かれている状況への屈辱感か? どちらにせよ、この男は今川軍の虜囚となり、その命の一片たりとももはや思うようにはならない。
「噛みつく相手を見極める目を持たねば、食われて仕舞いだぞ」
鼻息荒く息をついでいる顔面の、頬についた枯草をつまんで取ってやった。
「聞かれたことに答えれば、機会をやろう」
「ふーっ、ふーっ」と猿轡越しに熱をもった息が伝わってくる。
狂犬病かな。いや怖い怖い。
「答えたくないのならそれでもいい。我らも暇ではないので、さっさと片を付けて海野荘へ向かいたい」
「ううーっ」
今のはわかった。「殺せ」と言いたかったのだろう。
「其の方を殺しても、逆に救うても、我らにはまったく利がない。いやいずれ武田に戻って今川に敵対されるのは困るな。足でも落としておけばよいだろうか」
ひゅっと、幸松が息を飲む音が聞こえた。
ごめんな幸松。お前の兄ちゃんは非力な分口だけは達者なんだよ。
「手足をもいでから籠にでもいれて、武田が乱取りをした村を回らせてもよいな」
次に息を飲んだのは、幸松ではなく目の前の男だった。
血走った目はそのままに、顔から血の気が引いていく。
「なんといっていたかな、乱取りをされる非力さを恨め? そんな台詞をうそぶいていたと聞いたぞ。其の方も非力になれば何をされても文句は言えぬのだろう」
脅しだぞ、脅しだからな幸松。なんでそんなキラキラした目で見てくるんだ。
「我らに逆らうたびに指を一本づつ潰すよう命じておくから、おとなしくすることだ」
若干嫌な予感がしつつも、ここで手控えてはならないと男の目を覗き込んだ。
「指は手足全部で二十本ある。何本欠けたら刀が握れぬようになるだろうな」
誇示するように右手を広げ、男の前で振った。あまりにも血走った目で凝視してくるので、その両眼に二本の指を向ける。
ピースの形で近づけると、小さく首が左右に振れた。
ピースだぞ。平和のサインだぞ。もちろんそんなことなど知るはずもない相手に向かって、理不尽だとわかっていつつも怒りがわいてきた。
ぎゅっと閉ざされた瞼に、指先でトンと触れた。触れただけだぞ。えぐったりなんてしない。
それなのに、「ぐう」と今わの際のようなくぐもった呻き声が聞こえた。
「いや、お見事。才能がおありですな。さすがに我が殿の甥御」
唸るのをやめておとなしくなった野犬をその場に放置して、孫九郎はその場を後にした。
才能って何の才能だよ。尋問の? 拷問の? そんなものはいらない。
孫九郎は楽しそうに笑っている白エノキを横目で睨んだ。
「あのぶんだと、何も聞きだせないかもしれない」
「強情そうな御方ですからね」
幸松に見せたかったのは、戦というものの現実だ。
勝った方がいるということは、当たり前だが負けた方もいるわけで、戦に負けるというのはこういうことなのだ。
たとえ勝ったとしても、戦のあとには山ほどの仕事がある。
捕虜の扱いもそうだが、死んでしまった配下の供養、今後どうするかの対策も。
終わったからといって、死人は生き返らないし、怪我人が魔法のように回復することはない。欠けた刀や破損した鎧をどうするかの問題もある。
放置していても優秀な配下が何とかしてくれるかもしれないが、そういうことがあると知っているのといないのとでは大きな違いがある。
幸松には、広い視野で物事を見てほしい。
「あの男をどうされるおつもりで」
二木が、さっさと殺しておけと言いたげな口ぶりで聞いてきた。
天野殿も同意見のようだ。
「埋伏の毒に仕立てたかったが、厳しそうだな」
「生かして戻すおつもりですか?」
「あるいは十日ほど歓待して解放するとか」
二木がすぐに難しい顔をして考え始めた。
幸松は意味がわからなかった様子で首を傾げている。
「疑心暗鬼にさせ武田を内部分裂に誘導するわけですか。うまくいきますか」
孫九郎は二木のその言葉に肩を竦めた。
「武田殿の気性で、おめおめと戻ってきた者を疑いもなく受け入れると思うか?」
雨の中での短い邂逅だった。わかったのはその容姿と、第一印象だけだといってもいい。
だがそれだけでも、虎殿の強烈な気性がうかがい知れた。
「甲斐の国人衆の動向を探ってみるべきかもしれない」
強烈なカリスマと言えば聞こえがいいが、要するに力づくでの圧政だ。押さえつけられ、納得している者ばかりではない気がする。
基本的にこの国の武家社会では強い者が好まれ、権力を保持しているが、力で押さえつける政治はつまり簡単に力でひっくり返されるという事だ。
「武田は負けた。信濃でほぼ全滅の憂き目に遭い、今川が攻め上がってくる危機を上手くしのげない可能性が高い」
独裁者の陰り。
野心ある者、あるいはその支配に納得していない者が牙を向くのにちょうどいい機会だ。




