1-5 遠江 掛川城2
姿を見せたのは、幸松とそれほど年回りの変わらない少女だった。
発育が良すぎる幸松同様、すでに孫九郎よりも大柄だ。
彼女はぐるりと父の居室を見回して、幸松を見つけてパッと表情を明るくした。
「兄上! お戻りならお知らせくださいとあれほど」
その鈴のように愛らしい声が途切れて、父がいる事に気づく。
一瞬「しまった」というような顔をしたが、すぐに可愛らしい笑顔で隠した。
これはあれだ、自分が可愛いと知っている子の態度だな。
子供というのは結構あざといもので、大人の前ではそうやって失敗を誤魔化そうとする。可愛けしからん。いや可愛いから許す。
孫九郎が幸に会うのは久々だ。もう三年になるのではないか。
お葉殿に似て整った顔をしていて、仕草も態度も福島家の姫君と呼ばれるにふさわしい堂々としたものだ。
かさばる父よりも真っ先に幸松を見つけるあたり、幸のほうはかなり慕っているようだが、幸松と言えば、それまでのご機嫌な様子から一転、眉間にしわを刻んでいる。
そうやっていると志郎衛門叔父に似ているな。
そんな呑気な事を考えていられたのも、その瞬間だけだった。
「幸。ここに立ち入ることは許さぬと言うたはず」
普段ご機嫌な幸松しか見てこなかっただけに、その厳しい口調に驚いた。
多少なりと驚いているのは、孫九郎とその側付きだけ、父もこの城の者たちも驚いた風はないので、いつもの事なのかもしれない。
「そんな、いけずな事をいわないでくださいまし!」
幸はその可愛らしい頬をぷうと膨らませた。
「いつも兄上は駿府に詰めておいでで、滅多とお戻りになられませんのに! ……それにそこの者、新しい小姓ですか? その者はよくてどうしてわたくしが」
幸松が床を蹴って立ち上がった。
憤怒の表情でずかずかと幸のほうに歩いていく。
幸松の側付きがささっと出てきて、幸の前に身を滑り込ませた。
「退けっ」
「御前にございますぞ」
幸松君、幸松君……君はその握りしめた扇子で何をしようとしていたんだい? まさか幸を打擲しようとしたんじゃないよな?
幸松が側付きの言葉にはっとして、勢いよくこちらを振り返る。
側付きの対応は随分と手慣れた様子だった。
もしかすると幸松って癇癪持ち? だとすればそれは早めに矯正しなければ後々に障る。
孫九郎は少し首をかしげてから、ちょいちょいと手招いた。
自分が悪い自覚があるようで、眉が垂れている。そんな幸松の頭をコツンと扇子で叩いた。
「女の子に意地悪したら駄目」
強く叩いた訳ではない。現に、幸松は何故か嬉しそうな顔をして頭を抑えている。
だが、それを見ていた幸が般若のような顔をして、キッと孫九郎を睨んできた。
これはあれだな、大好きなお兄ちゃんを虐める悪者ってところだな。
孫九郎は、丁度目があった藤次郎に、さりげなく合図した。
藤次郎は心得た様子で席を立ち、こちらに来ようとしている少女を部屋から連れ出す。
それにしても。
ちらりと横目で見た父は、まったく興味なさげな顔をして、頭を抑えている幸松を見ている。
幸の方には視線もやらない。
前々から感じていた事だが、父は孫九郎以外の子供に興味がなさそうだ。
いや実際はどうなのかはわからない。孫九郎が産まれる前に、御家騒動的な事があったので、それが原因で無関心を装っているだけのような気もする。
孫九郎については、遠慮する必要もないから感情が爆発しているだけで、本心では他の子供たちも大切にしている……と思うのだが。
「お勝の手を煩わせるな」
「はい!」
父の厳しい言葉に、張り切ってそう答える幸松。
現に、このふたりは以前よりずっと息があった会話をしている。
……その内容はともかくとして。
幸の登場で気がそがれてしまったが、源九郎叔父の事で聞きたいことがあったのだ。
だが、改めてそれを口にすることはできなかった。
どうやら父は、不器用な父なりにその話題から話を逸らせたいらしい。
甲斐戦線の話になり、それを幸松が目を輝かせて聞きたがる。
孫九郎はそんな父の態度を興味深く観察した。
父が話したくないというのなら、聞き出すのは父からでなくともよい。
おそらく父より詳しい者が、この城には少なくともあと三人はいる。
段蔵は簡単には口を割らないだろう。志郎衛門叔父もだ。
だとすれば、二木か?
「厠に行ってまいります」
孫九郎は話の区切りがついたところでそう言って席を立った。
一緒に行きたそうに腰を浮かせた幸松を制し、父に向って「すぐに戻ります」と笑顔を向ける。
「……うむ」と返す父は、多少なりと察するものもあっただろう。
だが、孫九郎が行くのを止めようとはしなかった。
これは二木にも口止めをしたかもしれないな。
そんな事を考えながら、中座する。
父とて、孫九郎が本気で調べればわかる事を伏せようとは思わないはずだ。
ならば、わざわざ耳に入れる必要はないと思っているだけだ。
聞き出すのなら、口止めされたら貝のように口を噤む者ではなく、志郎衛門叔父の方が早いか?
そんな事を考えながら足早に歩いていると、谷がさっと行く手を遮った。
このところ命を狙われることは少なくなっていた。
だが、幼少期から何年も続いてきた感覚はまだ残っている。
さて、どこからくる?
「何をする!」
身構えていた孫九郎の耳に届いたのは、可愛らしい少女の激怒する声だった。
何が起こったのかと目をぱちくりと瞬かせた。
谷が片手でぶら下げる先に、見覚えのある花柄の小袖。
「放せ! 無礼者っ」
確かに無礼だな。そう思いはするが、子猫……ではなく幸の暴れっぷりのほうに驚いた。
先程感じた、福島家の姫君にふさわしい、という言葉は訂正する必要があるかもしれない。
「放せ! 放せっ!!」
そう叫びながらもがく様子は、とんだ跳ねっ返り、お転婆という形容のほうがぴったりだった。




