6-3 信濃 望月3
遠征が長くなると、どうしても身ぎれいさは欠けてくる。
特に野郎どもばかりの集団だ、風呂にも入らず、ろくに洗濯もせず、血を浴びた鎧のままの奴らもいる。
つまりは人間って臭いのだ。
これだけ風が吹いていて、周囲は大自然のみという超開放的な場所にいるのに、小荷駄要員を含めると二千弱もの人間の漂わせる臭いというのは強烈だ。
それが風に乗って漂ってくると、身を隠すなど無理だろうと言いたくなる。
皆何も思わないのか。
日本人は清潔好きだというのは、嘘だったのか。
きっとこういうものだと思い込み、嗅覚がバカになっているに違いない。
いい加減慣れてよさそうなものなのに、残念ながらその点はいっこうに駄目だった。
鼻をつまんで歩きたいぐらいだ。さすがにそんな事はしないけど。
この地方、特に甲斐方面にはたしか川に寄生虫がいたはず。おそらく水田付近だけのような気もするが、ご近所にそんなものがいる川に飛び込んでジャバジャバ沐浴というのもちょっと怖い。
温泉。そうだ温泉だ。
長野県には温泉がたくさんあったはず。
気温も上がり始め、汗の酸っぱい臭いがどうにも強烈すぎて、頭の中ではそんな事しか考えていなかった。
それを不興ととらえたのか、望月殿がチラチラ見てくる。
うちの奴らがたいして気にしもしていないのに、他所様がこの不快感に気づくってどういう事だ。
どうやって聞き出そう。
さっきはちょっと脅かし過ぎたから、急にフレンドリーに「近所に温泉はないですか」とか聞いても教えてくれないかもしれない。
もう一度、ちょっと圧をかけてみるか?
そんな場合ではないと逢坂に叱られそうだけど。
「お勝殿」
呼ばれて、反射的に「あ」と声が出た。
陽光を照り返すつるりとした頭部。まず第一にそこを見て確認した。
「叔父上! もう体調はよろしいのですか?」
源九郎叔父は今朝方まで熱があったので、負傷者含む海野衆たちとともに前山集落に置いてきていた。
もちろん護衛を複数つけた。腕利きの奴らだ。
今川の負傷兵も預け、体調が回復し次第合流するようにと伝言をのこしておいた。
この先どう事が動くかはわからないが、そう遠くまで移動することはないと踏んでの別行動だ。
もちろん国元へ戻る時には連れて帰る。叔父も一緒に。
源九郎叔父は、駆け寄った孫九郎を目を細めて見下ろし、それからすっと片膝を折った。
いったん深々と頭を下げてから、父に似た顔を上げてこちらを見る。
「御迷惑をおかけして申し訳ありません」
「迷惑ではありません」
孫九郎は即座にそう返し、改めて陽の光のもとで観察した叔父の頬のあたりが少しやつれた様子なのに胸を痛めた。
「心配だっただけです」
立ってくれと身振りで言うと、叔父は腰を浮かせた。
「この度はまことにおめでとうございます。一気に二人も男子が産まれるとはめでたい」
思えばあれ以来ずっと会っていなかった。
源九郎叔父はどれほどの思いで双子の片割れの首を落とし、奪われまいと埋めたのだろう。孫九郎が取り返し、荼毘に付した事は聞いているだろうか。
屈託なく微笑みかけて、一気に押し寄せてくる二年前の記憶を振り払う。
叔父も懐かしいぎこちなさで笑い返してくれたが、まだ遠い過去の記憶ではないのだと伝わってきた。
「積もる話は山ほどありますが、先だってお伝えしたよりも厄介な状況になっておりまして」
「はい、二木より聞きました」
孫九郎は頷き、手振り付きの軽妙な口調で続きを話そうとして、いまだに魚籠を持ったままだったことに気づいた。
そういえば、源九郎叔父も釣りが上手かった。
「同じところに針を落としても、釣れない場合はどうすればいいと思いますか」
おっとしまった。身内以外の者がいる場所で、気軽な話題は避けるべきだった。
ちらりと望月殿の顔を見ると、ぐっと唇を引き結び、奥歯を噛みしめていた。
……また何か勘違いさせるようなことを言ってしまったか?
「針を落とす深さではないですか」
だがさすがは源九郎叔父、他意がないのはすぐに察してくれたようだ。
明確に釣りの話題とわかる内容の応えに、ほっと息を吐く。
「浅い方がいいでしょうか」
きっと魚は深い所に潜んでいると思っていたが。
「釣れるまで根気強く手を変えてみるか、あるいは……」
叔父の太い手が、ぐいっとひねるような動きで拳を作った。なるほど、つかみ取りか。
「うんうん」と頷いていると、ふと、叔父の表情がやけに楽し気な事に気づいた。
「叔父上?」
「いや、お勝殿は相変わらずだと安心いたしました」
……どういう意味?
それが背丈についてではない事を祈りたい。
結局望月殿とは、腹を割った話し合いができなかった。
だが別れ際に、やけに深々と頭を下げられたから、敵対することはないと思う。
とりあえず通してくれそうなので粛々と望月領を横切り、目指すは五キロほど先にある芦田城だ。
……いや間違えた、海野だ。海野荘。
ちょっと街道沿いに芦田の町を物見遊山に眺めて通ろうかと思っている。
こんな時でもないと観光なんてできないしね。
町は結構大きいようだから、何かお土産は買えるかな。
そこで数日英気を養って……え? 城攻め? そんな手間暇かかることはしない。
せいぜい肝を冷やしてやろうとは思うし、火の粉が飛んでくるなら振り払わせてもらうが。
……正直な所、武田の残兵が南へ引くと見せかけて、山に身を潜めて立科まで行ったことは既に分かっている。
いくら山中行軍に慣れた武田軍とはいえ、山の民の目はごまかせない。
あとは連中が、今川の千五百にどう対してくるか。
佐久衆らと合わせて二千ほどはいるようだから、仕掛けてくるだろうか。
あるいは、長窪の大井殿を味方につけて包囲網を敷こうとしてくるか。
「美味そうな餌さえあれば、針が浅くとも引っかかるでしょう」
源九郎叔父が、楽しそうに笑った。
楽しそうなのは結構だが……美味い餌? まさか孫九郎の事だとは言わないよな?




