6-1 信濃 望月
身元がわからないようにして襲撃するのと、目立たない格好をして奇襲をかけるのと、どれだけ違うのだろう。
ふと武田方からの「福島!」と叫ぶ声を思い出す。
その激怒と、孫九郎が感じている怒りとは、実はそれほど変わらないのかもしれない。
逢坂らが襲われた場所は、町からそれほど離れていない街道沿い。足場が悪く、伏兵されやすい立地。数は百ほどだろうとのことだ。
詳しくわからないのは、足を止めずに駆け抜けたからだそうだ。
初手に複数名の小荷駄要員が矢を受けて死亡。しんがりを務めた逢坂騎馬隊では馬が一頭潰され負傷者が複数名。逢坂らが軽傷で済んだのは不幸中の幸いだった。
油断したわけではないと言いたいが、こうなる事は予想できなくはなかった。
やはり、見通しが甘かったと言うしかないのだろう。
この先はもっと用心深く進まなければ、采配如何によって全滅することも十分にあり得る。
ここはアウェイだと思うべきだ。常に約定が守られると信じてはならない。
「お初にお目にかかります」
孫九郎の前で深々と頭を下げるのは、重厚そうな直垂を身にまとった四十ほどの男だ。
望月左衛門尉。烏帽子の形から官位を持つ身だとわかる。
本陣の中央で、総大将の扱いを受ける幸松ではなく、その少し離れた位置にいる孫九郎をまっすぐに見ている。
続く沈黙に、思わず苦笑がこぼれた。
「わざわざご足労頂かなくとも、こちらからご挨拶に伺いましたのに」
許しもない状況での年若い小姓の発言に、望月方の誰も驚いた様子はなかった。
すでに、今川家当主が小姓に身を扮してうろついていると、知られてしまったようだ。
「天気も良い、少し歩きましょうか」
孫九郎がそう言うと、返ってきたのはやはり若干の沈黙。
こちらに敵意のある視線はないが、顔を上げてまっすぐ孫九郎を見据える望月殿の表情に好意的なものは感じない。
今川兵千五百に領内で勝手をされたくないから、当主直々に出てきたのだろう。
彼らにしてみれば、武田と何ら変わりのない他国の兵だ。警戒する気持ちはわかる。
ここは腹を割って話すべきだと、着いてこようとする逢坂らを押しとどめた。
互いに二名ずつの護衛。
言葉にはしなかったがそういう事になって、千曲川のほとりに足を向けた。
「伴野家にいる三四郎殿とは御親戚ですか?」
せせらぎの音を聞きながら、邪気のない口調で第一声。
だが望月殿は気を緩めてはくれず、「遠縁ではあります」と、何とも堅物っぽい返答。
孫九郎は「そうですか」と頷き返し、なおも色々と話しかけてみたが、返ってくるのは木で鼻をくくったようなそっけない言葉ばかりだ。
川に行きついたところで足を止めた。
魚がいる。うろこがきらりと陽光を照り返し、十匹以上泳いでいる。
「手づかみでも取れそうですね」
「……佐久のことでしょうか」
ひどく緊張したその声色に、「えっ」と驚愕の声を上げそうになった。
振り返って見た望月殿の顔は険しく、身体の脇で拳を固く握りしめている。
誤解を受けるような物言いをしただろうかと首を傾げ、孫九郎は真顔で返した。
「違いますよ、魚です」
ほら、と川面を指さすが、この川に魚がいるなど珍しい事でもないのだろう。望月殿はちらりともそちらに目をやろうとはせず、じっと孫九郎の顔を見ている。
思わず、ため息がこぼれた。
「違いますよ」
まっすぐその目を見返して、言い聞かせるように繰り返した。
「佐久を手に入れたとしても、飛び地になります」
武田がいるかぎりは、佐久を手に入れたとてしかたがない。
……いや、挟み撃ちにするならそれもありなのか? 少なくとも望月殿はそうではないかと疑っているようだ。
「ではなぜ伴野に助力したのでしょう」
それはそこに武田がいたからだな。武田の勢力が増すのを良しとしなかった、嫌がらせの意味もあった……そんな身も蓋もない事は言えないが。
日本人の得意技、あいまいな笑みで返すと、望月殿の表情がますます険しくなる。
これはいけない。立地的にも、勢力的にも、協力体制を取りたい国人領主だ。もっとフレンドリーに行きたい。
「釣りはしますか?」
「……は?」
背後で、谷がため息をつく声が聞こえた。
「引いておりますよ」
「……おっと」
孫九郎がそう言うと、若干遠くを見ていた望月殿がさっと竿を引いた。
望月殿は釣りが上手かった。いや孫九郎が下手なのか?
先程からどんどん吊り上げて、魚籠に魚がたまっていく。ずるい。
孫九郎は、いっこうにあたりが来ない竿先を眺めて、ため息をつく。
「あのあたり、岩場がありますよね。あそこに仕掛け置けば大量に捕まえる事ができると思うのです」
悔し紛れの子供のたわごとに、笑いをこらえて変な表情になっているのは望月殿の護衛たちだ。
「それは釣りとは言いませぬ」
望月殿の生真面目な返答に唇を尖らせ、「それはそうなのですが」と孫九郎。
「竿を早く引きすぎるのでは」
そうなんだよ、せっかちなんだよ。
次は長めにと餌を垂らしてみるのだが、そうするとただ餌を食われて仕舞いだ。
タイミングを計るのが難しいと、ああでもないこうでもないと試行錯誤をしていると、あっという間に時間が過ぎていく。
すでに互いの護衛たちは緊張を解き、谷など退屈そうにあくびをしている始末で、離れた位置にいる両軍の者たちも、当初の緊迫感が抜けすっかり和やかムードだ。
そうだよ、気心を知るにはこうでなければ。
「お楽しみのところ申し訳ございません」
また餌だけ取られたと、片頬を膨らませて針にミミズをつけていた孫九郎だが、そう声を掛けられて顔を上げた。
天野殿の茄子のような顔が、人の好い呑気なオヤジさん風なのを見て、たいした話ではないと判断するのはこの男を知らない者だけだ。
孫九郎は無言で餌のついた針を川に投げた。
「動いたか」
「はい」
「芦田か」
「その他にも数家が集結しているようです。単独での判断だとはおもえません。武田が背後にいるのはまちがいないのでは」
「……うん」
ぎょっとした表情の望月殿のほうはあえて見ず、流れていく糸の先を目で追う。
「よほど腹に据えかねたのだろうな」
あと少しで伴野が落とせたのに、これまで乱取りしてきた分も、攫って行く予定だった女子供も、すべて横から奪われたとお怒りなのだろう。
びくっと竿先にあたりがあった。
孫九郎は反射的に竿を引こうとして、魚が食っている重みがない事に溜息をついた。
また餌だけ食われたようだ。
「……数は」
「まだ集まっている最中ですのではっきりしませんが、多くはありません。武田軍を合わせても、せいぜい二千でしょう」
「二千か。多いな」
「烏合の衆にございます。用心せねばならぬのは、敵に土地勘があることです」
「正面からぶつかる必要はない」
孫九郎は竿を側の岩場に置いた。
釣果はたったの二匹だ。望月殿の魚籠にはぴちぴちと溢れるほど入っているのに!
不満に唇を尖らせたのは、自身の釣りの才能にであり、この状況へではない。
「そろそろ武田の尻に火が付く」
父と朝比奈殿が自国に攻め込んできてもなお、こちらに全力を向けるとは思えない。
そんな武田が退いた後、今川軍に敵対した芦田や佐久衆らはどうするのだろう。
ごまかしがきかないよう、軽く一戦交えておくべきかもしれない。
孫九郎はそんな意地の悪いことを考えつつ、青ざめた顔の望月殿を見上げた。




