5-9 信濃 佐久前山集落7
「お勝様!」
半分燃えた建屋の解体を眺めていると、三四郎殿に名前を呼ばれた。
振り返ると、初対面の時よりは顔色の良い少年が足早に近づいてくる。
相変わらずその背後には、大柄な足軽組頭が付き従い、周囲を警戒しているのに目が行く。
もともと三四郎殿の護衛だったのか、この状況に警戒しているのか。どちらかはわからないが、あまりにも露骨すぎる態度が気になった。
「う、生まれました! 生まれました!」
伴野の御正室が産気づいたという事は聞いていた。さすがにそれに手を貸すことはできないので、無事な出産を願うと一筆書いて送っておいたのだ。
涙目の三四郎殿に、笑顔を返す。
わざわざ礼を言いに来てくれたらしい。
「それはよかった。母子ともにつつがなく?」
「は、はい。残念ながら姫君でしたが」
「元気な御子ならそれでいいではないですか」
むしろ、男児の方がややこしかったかもしれない。伴野家としては嫡男を希望したのだろうが。
「伴野分家のご当主が急遽立たれるとお伺いした。いつご到着に?」
三四郎殿が、驚いた表情で言葉に詰まった。まだ年若いということと、どうやら孫九郎同様身体があまり丈夫ではないようで、世間慣れしていないのが随所から伝わってくる。
こういう擦れてなさが、どうにも放っておけないというか……
「どこからお聞きになられましたか?」
懐疑心を持ってもおかしくないのに、三四郎殿が浮かべた表情は純粋に困惑だった。
「佐久衆の間で噂に」
「……ああ」
三四郎殿は納得したように頷いた。実際は弥太郎情報だが、そんなことはどうでもいい。
槍働きができる後継者を失くした伴野一族は、あまり仲が良いとは言えない分家から跡継ぎを迎える事にしたようだ。
そうなってくると問題は生まれてくる子供だが、女児なら揉め事も起こるまい。
他人事ながら、色々なバリエーションでよく聞く話だ。海野家の問題もこれに類する。
「守護小笠原家で重臣として勤めている御方です。知らせをおくったばかりですから、まだこちらに来ていただけるかわかりませんが……」
そうだな。祖父の代から仲たがいしていると聞くし、この状態の伴野家を引き受けるのはリスクが高すぎる。
だが、城持ちの国人領主になる事ができるチャンスだ。
「芦田には?」
そう問いかけた孫九郎は、返ってきた渋い表情を見て、「やはりそうなったか」と嘆息した。きっと禍根は残ると思っていた。
芦田に頭を垂れる事を良しとしないがために、分家を次の当主として受け入れる。
おそらくは、いまだ生き延びる事ができるかわからない当主の、最期になるかもしれない決断なのだろう。
雲の切れ間に太陽が顔を見せ、濡れた集落に初夏を思わせる日差しが差し込む。
その陽気に誘われてか、数匹の蜂が飛んでいるのには気づいていた。
日本ミツバチかな……アシナガバチより小さいし、この時代に西洋ミツバチはいないだろうし。
そんな事を考えていると、一匹が三四郎殿の肩のあたりに近づいてきて、止まろうとした。
「蜂が止まった」と、声を掛ける前に追い払おうと手を伸ばしたのに、他意はない。
それを遮ろうとした足軽組頭の動きも、護衛として反射的なものだったのだと思う。
だが、孫九郎の手が三四郎殿に触れる事も、足軽組頭が掴むこともなかった。
小柄な谷が、倍ほども体重がありそうな男をぬかるんだ地面に転ばし、その背骨の上を勢いよく踏んだのだ。
あまりにも鮮やかすぎる動きだった。いつ刀を抜いたのかすらわからない。
谷には出遅れたが、他の護衛たちも刀を抜いて、地べたにうつ伏せに転がされた男に突き付けている。
その数はおおよそ十名ほど。出てきていない影供も入れると何人の護衛がいるのだろう。どう考えても過剰すぎる。
「……えっ」
数秒置いてこぼれた三四郎殿の声に、足軽組頭の苦痛の声が続く。
「谷」
そもそも、不用意に手を伸ばした孫九郎が悪いのだ。
だから退いてやれと、手を振ってみせたのだが、おもいっきり不服そうな顔をされた。
不用心すぎると言いたいのだろう。
「……すまないな。立てるか?」
なおもぐりぐりと背骨を踏む谷の足を退かせて、孫九郎のほうから男の腕に手をかけて引くと、三四郎殿がようやく状況を察したのが分かった。
「も、申し訳ございません!」
両膝をついて謝意を告げてくるのはまあいいが、そこ、ドロドロなんだけど。
三四郎殿が身にまとっているのは初対面の時から変わらず、サイズがあっていない小具足。きっと誰かからの借り物だろうに。
謝罪合戦になりそうだし、方々からの視線が痛いので、無言で苦笑をするにとどめた。
「見よ、ミツバチだ」
三四郎殿の痩せた顔がじっと孫九郎を見上げて、ついと視線がハチの方へと向いた。
「ミツバチの巣に新しい女王が産まれたら、古いほうの女王が出て行って、新しい場所にまた巣をつくるそうだ」
三四郎殿の肩から蜂を払おうとしたのと同様に、たいして意味はない言葉だ。
だからそんな……重要な示唆を受けたという顔をしないでほしい。
抜き放たれた刀を戻すようにと再三命じる。
護衛たちが用心しながらそろそろと納刀していく中、踏んでいた男を追い打ちで蹴飛ばした谷が、不服そうな表情を隠しもせず、最後の最後で荒い舌打ち付きの不遜な態度で刀を納めた。
「お勝様」
騒動に驚いて、方々から男たちが集まってくる。
大事になる前にと二人を立たせたが、手遅れかもしれない。
厳しい表情の藤次郎が、ジロジロと三四郎殿を見ながら声を掛けてきた。
「ご報告せねばならぬことが」
付き合いも長くなってくると、互いの癖もわかってくる。
藤次郎の「報告」はそれほど悪いものではないと察しがついて、それでは逢坂がついたのかと表情で問いかける。
藤次郎は頷き、やはり厳しい表情のまま「これでようやくまともなお着換えが用意できます」と息を吐く。
物資の大半を運んでいる逢坂隊の無事を喜ぶのは同じでも、孫九郎は人的な無事を、藤次郎含む大勢が兵糧などと合流できた事を安堵したようだ。
まあ確かに、腹が膨れなければ人は戦えない。
「逢坂様より、話しておきたいことがあるので、天野隊の方へいらしてほしいと言付かってまいりました」
「本陣ではないのか?」
天野殿は、この村よりもっと千曲川沿いの、武田の反撃に備えた位置に布陣している。
藤次郎からの返事はなく、黙って頭が下げられた。




