4-2 信濃 伊那郡和田2
明け方。ドドドドドとどこかで聞いたことがあるような足音がして目が覚めた。
大勢での雑魚寝という、もの凄くワクワクする体験にぐっすり寝入っていた孫九郎は、飛び起きた周囲より数秒遅れてゆっくりと身体を起こす。
「あにおお勝殿!」
大声でそう叫んだのは幸松だ。
そろそろ起きるだろうとわかっていたので、驚きはしなかった。
幸松の周囲にいる護衛を信じていたので、焦りもない。
随身の控え部屋に飛び込んできた幸松を捕まえたのは、その側付き三郎だ。志郎衛門叔父の息子だということもあり、昨晩は孫九郎の隣で寝ていた。
狭い部屋にぎゅうぎゅうに寄せて作られた寝床に踏み込み、幸松は半泣きで三郎に縋りついた。
「どうされましたか」
昼番の側付き三郎がそう問いかけ、後を追ってきた夜番たちを一瞥する。
普段はまるで仲良し兄弟のように見える年若い少年たちだが、さすがは志郎衛門叔父がそろえた者たち、誰一人動揺していない。
パニックに陥っているのは幸松だけだった。
とうとう泣き出してしまったが、理由はわかっている。
孫九郎は寝乱れた小袖の前を直しながら、半あくびで手を振った。
警戒につつまれていた周辺から緊張が抜ける。
「寝間に女子が入り込もうとした件でしょう? 大丈夫、排除しましたよ」
「あにおおおお」
幸松は孫九郎を上手に呼べず、舌足らずに口ごもった。
「おおおお勝殿! それはどういう」
「幸松様は一度眠ると目を覚まされませぬ故、僭越ながら某が対処させていただきました」
夜中に繰り返し侵入しようとされても困るので、朝まで起きないよう眠らせてから丁重に送り返せと命じておいたのだ。
孫九郎が知っているのは最初の二件だけだが、あの後また来たのだろうか。あるいは朝にリベンジ特攻でも仕掛けられた?
「大丈夫ですよ。幸松様は御心配なさらず。もうすぐ夜も明けますので支度をなさっては?」
寝所に女を送り込むにしても、間違いが起きるには幸松が幼過ぎる。故に遠山殿の考えではないと思う。
おそらくはあの二人の少女を焚きつけた誰かがいるのだろう。あるいは、二人で張り合ったか。
騒ぎになる前に遠山殿に話だけ通してお仕舞にする予定だったのだが……
「も、申し訳ござらぬ!」
広間の上座に幸松を座らせ、遠山殿が勢いよく頭を下げた。
その背後には、プンとそっぽを向く少女たちが四人。……全員遠山殿の娘だそうだ。
え? もしかしてあのあと更に二人夜這いに来た? あるいは朝になって目を覚ましもう一度? となったなら……八回⁈ いやさすがにそれはないか。
「穏便に済ませようと、こちらも配慮したつもりですが」
「それはもう!」
志郎衛門叔父そっくりの物言いで、三倍は年上の領主相手に一歩も引かない三郎……ちなみに三男ではなく嫡男だ。
「ですが父上! このような機会は」
「そのほうらは口を開くな!」
長女らしき年長の少女は、おそらく十五ほどだろうか。頭ごなしに父親に否定され、不服そうな顔をしている。
四人とも年齢が近く、一気に嫁入り先を探すのは大変なのかもしれない。いや、けっこう美人の姉妹だから、嫁ぎ先を厳選している可能性もある。
だがこういう問題を起こしたと知られると、せっかくの縁談が無くなってしまうのではないか?
「わたくしは、幸松様が素敵だから……」
ポッと頬を赤らめそんな事を言う次女に、それを睨む三女。おそらくは十歳前後の四女はきょとんとした表情で、「幸松様と遊びたくて」と無邪気さを前面に押し出して呟く。……カオス。
幸松が困惑したように視線をさまよわせ、三郎の表情が険しくなった。
さっき、毅然とした態度を保て、言質は取らすなと散々言われていたもんな。
「御免」
「ご、これは天野殿」
別屋敷に宿泊していた天野殿と二木が、連れ立ってやってきた。
この二人と宿泊場所を別にしたこと自体作為的だ。まあ、どうとでもなると考えたから受け入れたわけだが。
近づいてくる二木のこめかみに青筋が浮いているのが見て取れる。
頼むぞ二木。口を開くなよ。黙っていろよ。
孫九郎は低く頭を下げて礼をとりつつ、全身全霊で念を送った。
事の次第は伝わっていると思う。噂によると、父上に対してのこういう歓待には全員蹴り倒す勢いの容赦なさを発揮するそうだが、ここは他国だ。普通に外交問題になるからな。
顔を上げて、目の前を通り過ぎた天野殿と二木の後ろ姿を見る。
大事になれば責任をとって娶れとか言われそうだから、穏便に済ませたい。
「これはどういう事でしょう」
念が通じたのか二木は黙っていたが、天野殿の様子がおかしい。
「い、いや」
「倅への婚姻の申し入れはいかがなさるおつもりで」
……おおっと?
「噂によると、今川館へも打診をしているとか」
「いやそれは、福島殿との付き合いからもしかしてと……あっ、んんっ」
「遠山殿」
天野殿は普段は人の良いオヤジさんだが、絶対に怒らせたら駄目な男だ。
きっと今真顔なんだろう。真正面にいる遠山殿の顔から血の気が引いているのを見て、二年前を思い出す。
「幸松殿は、某が御屋形様から直接、くれぐれもと頼まれ申した」
「あいや! 当家としてはそういうつもりは全くござらぬ!」
「父上!」
前門の三郎。後門の天野殿。遊撃隊として娘たち。
追い詰められた遠山殿の上半身が、ふらふらと揺れ動いている。
面白いことになってきた。……とは思ってはいけないな。
孫九郎は上座に視線を向けた。
口を挟むつもりはないが、幸松がこれをどうさばくかは見てみたかった。
最上座に座っている幸松は、先程までの動揺した表情から一転、こわばった厳しい顔をしていた。
下げていた頭を上げて、更に何やら言い訳をしようとしていた遠山殿が、開きかけた口を閉ざした。
「御屋形様に婚姻の申し出を?」
ゆっくりと確かめるように告げられた言葉は、誤解しようもない怒りを含んでいた。
幸松が「御屋形様」と呼ぶのは、改まった場所、公的な場所の時だけだ。
「私は幸松様と!」
「黙れ」
次女が空気を読まず声を上げたが、家長たる遠山殿が即座にそれを退けた。
先程までの、娘に弱い父の表情ではない。
孫九郎の位置から、幸松の表情も遠山殿の表情もはっきり見て取れる。
これまで以上の緊張感がそこにあった。
「……大変申し訳なかった」
たっぷり十秒以上の間を置いて、遠山殿が口を開いた。
驚いた娘たちの視線が、父親たる遠山殿に向かう。
だが遠山殿は構わず、さっと直垂の袖を後方に払い、最大限に丁寧な所作で頭を下げた。




