Ⅱ-5:常識
「ちょっと待ってよ、サーシャちゃんはこんなかわいい姿じゃなくて、幾何学的な三角錐だよ?」
「それに、喋れなくていつも念話を飛ばしてきていたんです。彼女はさっき喋っていたじゃないですか」
……うん、普通に疑われるよね、そりゃあ。
これはもう、普通にああするしかないな。
カップを机に置き、人形をしまっていつもの三角錐状になり、念話で話しかける。
(これで、信じてもらえた?)
「サーシャちゃんだ、本当に、サーシャちゃんだ……」
「聞きたいことは山ほどありますが、貴女まず喋れませんでしたよね?」
「頑張っせれきるようになりましさ!」
「そうですか。もう追求しません」
……あれ? あっさり納得されてしまった。面白くない。
まあ実際頑張ってできるようになっただけだからこれ以上の答えは返せないんだけどさ。
「まーサーシャちゃんはアタシ達とは完全に違う種族だし、常識は捨てた方がいいよねー」
「それ、ヒイヨにも言われさよ。れも、私らって最低限の常識は……」
「サーシャ様、一度椅子にお掛けください」
ある、と言おうとしてユゥに言葉を遮られる。
あれ? なんか三人の目線が痛い。これは、逆らってはいけないやつだ。
人形に戻り、椅子に腰かければ、三人に次々とグサリ、グサリと心に刺さる言葉を投げかけられる。
「サーシャさん、普通は机の上には乗りませんよ?」
「あと、人族は基本的に服を着て生活してるの。さっきまでのサーシャちゃん真っ裸だよ?」
「連合へ所属していたということは、人族との交流をご所望なのでしょう? ですから妾も実験への協力を呼びかけ、昨日貴女様は自律人形となって人族の仲間入りを果たされたのです。であるならば、早急に人族としての常識を学ばれることを推奨いたします」
「はい、おいおい……」
「サーシャちゃん、おいおいじゃなくて、できるだけ速くね」
ごもっともだ。何も言い返せない。
っていうか、そろそろ私のメンタルがつらいので早く別の話題になってくれ!
そう願っていると、ローレンスと目があって、そして彼は頷いてくれた。おーっし、ありがとう、ローレンス。
「ですが、昨日まで人族ですらなかったサーシャさんにいきなり常識を、と言っても一人じゃ無理でしょう」
「それもそうですね。ちょうど、妾の実験は素材が到着するまで進められませんし……」
「アタシ達も今日はタオへの報告だけで潰れる予定だったけど、キイヨさんがやってくれるんだよね?」
テタニとユゥの捕食者のような目線が私に突き刺さる。あれ、これ状況悪化してる気が……。
二人はなにやら私のやらかしそうなことについて、「真夜中に大声を出すかもしれない」だの「祝いの場で喪服をお召しになるかもしれない」だのいろいろ勝手な議論をしている。
とても否定したい気分であるが、絶対に火に油を注ぐだけなので、何も言い返せない。
ふとローレンスを見ると、二人の気迫に若干引いていた。気持ちは痛いほどわかる。けど、泣きたいのはこっちだ。
ユゥは魔術人形を一体呼んで、キイヨに何かを伝えるようにセットしている。
「じゃ、ローレンス、トシフへの説明よろしく」
不意にテタニの声が響く。あれ、これもしかしていまからやる流れなの……?
逃げようとして、左腕をガシリと掴まれていることに気づく。見れば、笑顔のユゥがそこにいた。
とっさに体をしまって脱出する。
「サーシャ様、人族の常識を覚えられるのでしたら、人族の姿になっていた方がよろしいかと」
そう満面の笑みで告げるユゥの向こうには、これまた笑顔で小瓶を手に持つテタニが。
その小瓶の中、一体何が入ってるんですかね……?
「怖くないよー。大丈夫、ハニー・トラップじゃないから。これはね、悪い子や馬のちょ……しつけとかでも使われてる、ヒプナーゼっていうちょーっとだけ素直になれるお薬だから」
「僕は何も聞いていません何も見ていません何も」
ローレンスの反応的に絶対それヤバい奴だろ!
どうすれば、彼女たちから逃げられる? ――体を可能な限り小さくすれば、私を掴むことすらできなくなる。これだ!
しかし私は気づかなかった。彼女たちは別に私を物理的に捕まえる必要のないことを。
体が一定の大きさより小さくなると、移動する速度が遅くなってしまうことを。そして、全身に毒や薬の類が回るまでの時間が短くなることを。
私の体に液体がかかる。見れば、笑顔で蓋の開いた小瓶を傾けているテタニが。
しまった。そう思って対策行動を取ろうとした時にはもう遅かった。
恐怖心が急激に薄れ、うたた寝をしているような心地よさに包まれる。
私は一体、何を怖がって、どうしようとしていたんだろう?
★Tips:人族
魔力を操ることのできる種族を「魔物」と呼ぶ。
魔物のうち、対話可能な個体を有する種族を「魔族」と呼ぶ。
それらとは全く別の概念として、同種族の別個体を生み出すことのできる種族を「生物」と呼ぶ。
当然、生物でありながら魔物である種族も数多く存在する。また、同時に複数の魔物の種族を持つ個体は存在するが、同時に複数の生物としての種族を持つ個体は存在しない。
そして、生物若しくは魔族のうち、脳容量を大きくするために直立するという収斂を遂げた種族のことを、「人族」と呼ぶ。
そのため、一言に人族と言っても遺伝子的に近い種族という訳ではない。
また、人族のうち魔族でもあるものを特別に魔人と呼称する場合もある。
ただし、魔物・魔族・魔人という単語は、こちらの世界での動物や獣という単語と同じように、往々にして人間を含まない集合を指すことも多いので、文脈によって判断する必要がある。




