23 小姓は絶体絶命の大ピンチなのです
「待てーっ!」
僕があげる大声も、至るところで聞こえる威勢のいい客引きの声や喧騒に紛れ、あっけなくもみ消されてしまう。
僕は内心で舌打ちしながら、ヨシュアを肩に抱えて走っていく道化師の男の後ろ姿を追う。道化師の男は、その姿どおりと言えばいいのか、人ごみを巧みにかき分け、大通りから逸れた裏道に入り込んでいく。その後ろ姿は遠のくばかりで、見失わないようにするのがやっとだ。
食後だろうがなんだろうが構わず胃を締め上げる外道なご主人様に鍛えられた丈夫な胃と足腰のおかげで、僕は道化師姿の男の背中を辛うじて見逃すことなく追いかけ続け、男が入っていった裏路地にある民家に飛び込んだ。
数々の非道なお仕置きやら、使いっぱしりやら、ご主人様の非道なお仕置きに慣らされた僕の胃壁は、この程度の食後の運動なんかに動じない程度の鉄壁具合を誇っている。こういう時だけはご主人様に感謝したい。
「止まれ!」
声を上げながら蹴破るように入った民家は、見渡す限り誰もいなかった。
部屋の中は、薄暗く、埃っぽい。そこだけ異空間のように、祭りの賑やかさはなく、じめじめした空気が漂っている。外から漏れ入る光がほんの少しの灯りになっているが、それでも昼間だというのが信じられないくらい暗い。
部屋の中に誰もいないだけで、人の気配がないわけではない。
部屋の奥の床に、ご丁寧にもぽかりと開いた箇所があり、そこから階段らしきものが見える。
「地下か……」
一階から慎重に見下ろす限り、明かりらしきものも十分にない。罠ですよと誘われているのは明らかだ。
そもそも地下は、密室になりやすい関係で、魔法の苦手な僕の中では一番相性のいい風の魔法が使いにくいところでできれば入りたくない。
罠だと感じたら飛び込むな、とどこかの誰かに叩き込まれている僕の体は、一瞬の躊躇いと共にその場に自動的にとどまろうとした。
「んーッ!」
でも、そんな自動制御機能だって、階段の向こうでヨシュアのくぐもった悲鳴が聞こえた瞬間、すぐに機能停止した。
地下への階段に駆け寄る際に、頭の片隅で、僕のご主人様が、大仰なため息をつきながら僕を「本当にお前は大馬鹿者だよね」と罵っている姿が浮かんだけど、そんな姿もすぐに視界の隅に追いやった。
ついでにご主人様の尻を蹴り上げる妄想までしようと思ったけど、想像の中ですらご主人様のそんな姿は浮かばなくて悔しい限りだ。
でも、頭の隅に居座るご主人様の幻影に逆らうことはできる。
えぇ、えぇ、馬鹿にしたければしてください!僕は単純明快、猪突猛進、何も考えずに突っ込んでいく大馬鹿者ですから!
埃っぽい階段を駆け下り、地下に入った途端、背後でバタンと大きな音を立て、出入口が閉まり、代わりに僕の視界の前方に小さな魔法の灯りが灯った。
なるほど単なる平民のゴロツキじゃないわけだ。
「武器を捨てて手を挙げろ。その腰のポーチもだ」
武器らしい武器なんか持っちゃいないので、言われたとおりに身につけていた治療用のポーチを床に落とす。
専用の魔法でも使ってるのかなんなのか、身体検査はされないようだ。
視線を前に向ければ、口をタオルで塞がれ、両手を縛りあげられたまま、首元にナイフがあてられているヨシュアの姿が見えた。
もごもごとなにやら唸っている様子と、彼にしては珍しく吊りあがった眉から、意識はあるようだし、見たところ目立った傷はないようだと分かってほっとする。
「これを手につけろ」
見せられたものは、鈍色に光る手錠だ。
実はそれなりに高級品で、お城の警備の衛兵とか、偉い騎士様とか、一定の危ない人たちを相手にする人じゃない限り持ち合わせないはずの物なので、一般平民――じゃなかった弱小貴族かつ平和主義な僕なんかは一生見かけない――ということが起こってもおかしくないはずの一品。
……なのだけど、残念ながらどこかの鬼畜の愛用品なおかげで、見たことがあるどころか、わりと頻繁にお見かけする見慣れた一品になっている。
「つけないとあの子供がどうなっても――」
「魔封じの手錠ですか、大層な警戒具合ですね」
差し出された鈍色の手錠を素直に自分の体の前で片手に嵌めると、近くの怪しげな黒いマントの男が言おうと思っていた悪役バリバリのセリフを飲み込みながら、僕のもう片方の手首にもう一方を装着する。
悪役セリフを言わせなかったことを心の中で小さくほくそ笑みながら、僕は辺りに目を配った。
目の前にいるのは、ヨシュアを拘束している体格からして男のような黒装束その一。それから今僕に手錠をわざわざつけてくれた黒装束その二、その隣に、その三。そしてヨシュアのすぐ斜め後ろにいるこれまた黒装束その四。そしてその隣にその五。
そしてその他に―――僕に対して充血した白目を向く、最近よく見かける複数の動物たち。
「動物使い……」
体の奥からふつふつと怒りが湧き上がる。
誰が動物使いかは分からないけど、この中にいる。
動物さんたちをいいように弄ぶ外道が。
無理矢理体を動かし無残に数多の命を散らせ、チコに重傷を負わせ、そして、きっとあの、アリクイさんを苦しめ、殺していった、僕の宿敵が。
頭の奥がかっと熱くなるのを必死でこらえる。
今の僕は、魔術も使えない、友達もいない、ましてや外道とはいえ魔術だけはぴか一のご主人様もいない。
敵に囲まれ、ヨシュアを人質に捕られている。
落ち着け。僕が冷静さを失ったら、いいようには絶対に転ばない。
冷静になるんだ。頭を冷やせ。何か冷たいものを思い出せ。一番冷たかった時と言えば?
あぁそうだ。あれは、つい半年ほど前のこと。空間に見えない壁を作り出せるようになったその後、それを攻撃に転用させようとしたグレン様の特訓。あれが一番冷たくて辛かった。
グレン様に閉じ込められたときのあの氷の寒さを、あの極寒を思いだすだけでぶるりと震える。体全身が冷やされていくのに、命の危険がありすぎて頭だけが熱くなって、そのせいで僕は平地なのに危うく登山病で死ぬところだった……
それなのにあのご主人様ときたら、僕を全方位氷で囲って閉じ込めておいて、その真上で悠々とアイスとか食べていやがったんだ……くそっ、あの外道め!
冷静になろうと思ったら殺意しか湧いてこなかったけど、まぁいい。
あの時に比べれば僕の今の状況なんてなんてことない、はず。
冷静になったところで状況を打開すべく、周囲の状況を見回しながら、僕は、適当に会話を投げることにした。
「こんなことをして、何が目的ですか?生憎だけど、僕の命はこんな形で狙われるほどご大層なものではありませんが」
「そうとも限らない。お前がグレン・アルコットの小姓である以上な」
なるほど、やっぱりただのごろつきでもなければ、僕個人への恨みでもないらしい。
グレン様の名前が出る時点で、相当まずくて深刻な状況にあることは間違いない。
「お前が拷問されている姿を見ても、あのグレン・アルコットは冷静でいられるかな」
あぁ、ある意味で冷静じゃないと思います。お気に入りの虐待人形を横取りされるんだもの。滅茶苦茶に怒り狂うと思います。
そしてきっと拷問される(予定の)僕以上に酷い目に遭わされて悲しく無残な人生の終わりを迎えることになると思う、と正直に言う空気でないことはさすがの僕でも分かっている。
「そのためにわざわざこんなことを?」
周囲の操られた動物さんたちの中で一番危険なのは、言うまでもなく、目の前にいる魔獣のカマイタチくんだろう。
カマイタチ――危険度は「中」くらいに定義されているが、小型の魔獣の中ではそれなりの危険性を有する魔獣だ。
この魔獣は、時に大きな岩壁すらも破壊する巨大な風の渦を起こすことができる。
それは言うなれば風の刃だ。縦横無尽に巨大な刃に切り刻まれると考えれば、魔法も使えない人間なんてひとたまりもない。
ここは地下で、空気が潤沢にあるわけじゃないし、周りに黒づくめたちがこれだけいるから、おそらくそこまで巨大な竜巻は起こせない。とはいえ、剣程度の鋭い刃物代わりにはなりうる。
「わざわざ?十分効果的なことだ。仮にお前自身にそれだけの価値がなくとも、お前からあの男の弱点を引きだせばいいだけのこと」
動物使いが動物たちを操れる範囲は、操る匹数と対象、そして魔力に比例する。ここには、身体は小さいとはいえ、それなりの殺傷能力を有する魔獣であるカマイタチくんがいて、なおかつ、他の動物たちも操っている。仮にこの中に動物使いがいるとしても……
正直に言おう。あんまりいい状況じゃない
相手がそれなりに魔力を持っていて、かつ、近くにいる熟練したやつってことが分かっただけだ。
内心の冷や汗を覆い隠し、僕は、はんとせせら笑った。
「僕に拷問?よっぽど達人じゃないと無理ですよ。僕、なんてったって、あのグレン・アルコット様の小姓なんで」
「そうだと分かっているからこいつを連れてきたんだ」
無造作に上げられたヨシュアが、腕を本来曲がらない方向に捻られ、タオルに塞がれた口からくぐもった悲鳴を漏らした。
「んん―――っ!!」
「やめろ!」
叫んで一歩足を前に出せば、目の前のカマイタチくんがしゃっと鳴き、同時にひゅっと音が鳴って、一瞬後に、僕の髪の毛数本がはらりと落ち、頬にぴりりと熱い感覚が走った。
頬を伝った熱い水滴がぽたり、と床に落ちる。
それを見ていたヨシュアが痛みで生理的な涙の浮かんだ目を大きくして、おそらく違う意味でんーっと叫んだ。
「お前そのものに拷問を加えるよりも、こっちの方が早いだろう?」
「……えぇ、よく分かりましたよ」
こいつらはお遊びの相手なんかじゃない。本物の、裏で動くタイプの人間だ。
きっとグレン様が日頃相手にしてきたような、相手にしているような。
さて、どうする、僕。
いつもとはまた違った嫌な緊張感に、僕の背中に一筋の冷や汗が流れ落ちた。




