21 兄と家族と妹と
※ この話には残酷描写が含まれます。苦手な方はブラウザバックをお願いします。
笑い声が聞こえた。姿は見えないけれど、声だけで分かる。エルだ。エルが笑っている。いつもと同じようなエルの声だ。
待ってろ、俺も起きるから。一人で遊びに行くなよ。
段々視界が白くなり、徐々に明るくなっていく、気がした。
ぼうっとした人影が見える。目が靄がかったようになって姿が見えない。
「ユージーン!!」
父さんの叫び声に俺は目を覚ました。
「とう……さん?」
声が久しぶりに出した時のように枯れていて、擦れていて、喉がひりついたのを覚えている。
その後すぐに抱き上げられて、首と体が締まった。
怒られるんだ!と思って身をすくめさせたのに、いつまで経っても怒鳴り声は聞こえなかった。
父さんは俺の首を締めあげていたのではなく、俺を抱きしめていて、その体は震えていた。
その状態で、訳が分からず辺りを見回し、ようやく自分の部屋のベッドの上にいるのだと分かった。
姉さんの香りが近くでして、首だけ振り向くと、姉さんもまだ小さな腕を伸ばし、後ろから俺を抱きしめて熱い涙をこぼしていた。
父さんが俺の名前を繰り返し呼ぶ声に、姉さんが流す涙に、俺もよく分からないが、泣きたくなって、久しぶりにわんわん泣いた。
「ユージーン、……エルがどこにいるか分かるか」
「エル?エルは俺といっしょにいたはず……?」
ようやく涙が収まった後、父さんは今度こそ、切羽詰まった顔で俺に迫って問い詰めた。
父さんの言葉で、俺は直前の記憶を取り戻し、全身が震えだす。
「エルは――エルは見つかってないの……?」
俺の言葉に父さんは唇を戦慄かせ、それからぐっと喉の奥に何かを飲み込んでから、ただ横に首を振った。
姉さんは俯いたまま表情を見せない。姉さんの手の上にまた滴が落ちたのが見えて、俺の中での最悪の予感が広がっていく。
最後に見えたエルの姿。
後ろから剣でばっさりと切られた姿。地面に倒れて血だまりに沈んだエルのあの姿が浮かび、全身が震える。
「でも……エルがそんなっ、まさか――」
父さんは、知らないならいい、と出ていこうとしたので、俺は必死で押しとどめて状態と事情を尋ねた。教えてくれなければ自分で出て行ってエルを探すとまで無茶苦茶を言った。体が重く、自分が何日どうなっていたのかも分からなかったけれど、幼心に、エルが大変まずい状態にあることだけはすぐに分かって、必死で尋ねた。
父さんは大分渋っていたけれど、最終的には姉さんが教えると腹を括って、父さんに事情を説明する様に促した。
父さんたちが騒ぎに気が付いたのは、鳥たちが、ガラスが割れかねない勢いで窓を叩き、一斉に城内に飛び込んできたからだ。姉さんが窓を開けた途端、入ってきた小動物たちがエルの匂いが強く残る俺とエルの部屋に行き、そこで落ち着きなさげに動き回り、父さんたちに何かを訴えかける。
それで父さんたちは、俺たちがまだ帰っていないこと、何か異常があっただろうことに気が付いた。
父さんたちが至る所を探し、時には動物たちが手を貸したところ、あの場所に着いた。
そこだけ戦場のようになっていた、と言う。
草木が枯れ、焦土と化し、地肌が見えている。
血臭が立ち込めるということはなく、目さえ瞑れば、いっそ空気は清浄だったらしい。
しかし目を開けた途端地獄絵図で、よくよく見ると、ありとあらゆるところに残った血だまりと思しき跡には、内臓らしき血や肉の塊のようなものがくっついていて、小さな虫がたかっていた。
その内臓らしき塊をよく見ると、腐敗らしい腐敗は進んでいなかったらしいので、それほど時間が経っていないことが分かった。
その人っ子一人どころか、生き物一つないところで、一か所だけ、ぽかりと切り取られたようになって辛うじて枯草と少量の緑の草が残っている場所があり、そこにうつ伏せの俺が、全身酷い打撲を受けて昏倒して倒れていた、らしい。
エルの姿はどこにもなかった、とのことだった。
あの日を境に、エルは俺の傍から姿を消し、アッシュリートン家からは笑顔が消えた。
########
エルが姿を消して、数月が経った頃のことだ。
父さんはエルを探すことを諦めておらず、ひたすらエルを探し続けていた。
姉さんは、父さんの手伝いをしながら、俺の様子に気を配り、母さんのお墓に通い、毎日ひたすら祈っていた。あの時の姉さんは、まだ10歳にもならないくらいだったというのに、血の気がなく、いつ倒れてもおかしくなかったような気がする。
俺は、もちろん、この数月の間ずっとエルを探し続けていたけれど、あのことがあって遠くに出かけることが禁止されていたため、動けなかった。
幼馴染のナタリアから、俺とエルが暫く顔を出さないことを心配しているとの手紙が来たが、エルがどうなったのかを言うこともできず、「病気をこじらせたので療養のため、暫くは領地に引きこもる。エルと俺がかかっていて感染するといけないので、会えない」との手紙を出し、会うことは拒んでいた。
にいさま。
その日、俺はなんとなく、エルに呼ばれた気がして振り返り、でもエルがいなくて落胆する、ということを繰り返していた。これまでもこういう空耳はあったので、また勘違いかもしれないと思った。
でも、その日だけは、動物たちもそわそわと落ち着かない様子だったから、俺は庭に出てみることにした。
庭には、もちろんなにもなかった。
俺がぼんやりと日差しの入る緑の多い庭に立っていると、頭のてっぺんがつんつんと痛んだ。
「いたっ」
痛みで顔を上げると、エルが最初に助けたのと同じ種類の小鳥が、俺の手の上に止まり、首をかしげては、再び俺の頭の上に止まり、つんつんと頭頂部をつついた。
「痛いな!何すんだよ」と文句を言っても小鳥はその動きをやめず、しまいには、俺の袖を引っ張るように俺の袖をついばんで羽ばたく。
動物たちがこういう行動に出ることは珍しく、俺はつい、その動きに従って森の入り口まで進んだ。森の入り口あたりなんて、父さんが真っ先に探していた場所だ。
入ってはいけない、という厳しいお達しを破ったのはあの日以来だ。あの日から後は、ちゃんと言いつけは守ってきた。守らないと父さんたちがまた血相を変える。姉さんが倒れてしまうかもしれないから。
でもこの日はなんとなく、いつもと違う気がして、これを逃すと二度とこない機会のような、そんな気がした。あくまで勘だけど。
小鳥の先導に従って歩いていくと、ちょうど白い花が咲き乱れる、そこだけ木の陰にならず、日が差すところに、何かの塊があった。
その塊の傍には、動物たちが心配気に集まっていて、小山のようになっていたが、俺が近づくことで動物たちは離れていく。
その塊は、横たわった人の――正確には人間の子供。
投げ出された白い手足には血の跡もなく、髪は直毛であるがゆえにはっきりと切られたと分かる短さになったざんばらで、くすんだ灰色になっていた。
洋服こそ、土っぽく汚くなっていただけでなく、あらゆるところが破れてぼろ布のようになっていたけれど、目を凝らせば、あのときに着ていたドレスだと分かる。
髪の色と長さこそ違うし、目は閉じられているけれど、妹を見間違えるわけもない。
「エル!」
近寄って確認したエルの口からは、微かな温かな息の感触があった。
様子のまるで変わったエルは、俺が必死に運んだおかげでその日のうちに手当が施されて、部屋に寝かされた。
父さんは生きているエルに抱きつき号泣し、姉さんは膝から崩れ落ちて失神した。
エルが見つかった。それも、生きている。
諦めていなかった、と言えど、日に日にその可能性は現実味をなくしていた。俺からあの時の話を聞いて絶望した俺たち家族にとって、「生きて帰ってきた」という、ただそれだけでもありがたいことだった。
どんな姿になっていてもいい。生きてくれていれば。
そう祈っていた。
しかし、エルは、保護されてからも一向に目を覚まさなかった。
浅い、ゆったりとした呼吸のまま、眠っていた。
姉さんは毎日エルの枕元に座ってエルの白い頬を撫でた。
父さんがどんな伝手で呼んだのか知らないが、明らかに経験豊富そうな魔術医師が来てエルを診たこともあったが、原因は分からなかった。
エルは幾日もこんこんと眠り続けた。
きっと今のエルなら、「将来睡眠不足にされることが分かって最大の寝溜めをしていたんだね!さすが僕~賢い~」などと明るく笑い飛ばすだろうけれど、あのときのエルは眠ったまま。
死んでいると思ったエルが生きて戻ったことだけでも贅沢なことなのかもしれない。
でも、またエルのあの無邪気な笑顔が見たい。
一時は明るくなった城の中も、また少しずつ、暗くなっていた。
過去編、あと1話の予定です。




