20 兄と妹とあの日
※この話には残酷描写が含まれます。苦手な方はブラウザバックをお願いいたします。
りーが地面に串刺しにされている。
棘付きの網が銀色の四肢に絡みつくことでりーの全身がうつ伏せの状態で地面に拘束され、りーの柔らかな腹には長い槍が3本突き刺さっていた。りーの体から溢れる輝く血が、その体に無造作に刺された管のようなものから、透明なガラスの瓶に抜かれている。
そして、綺麗な金色の目の片方には大きな矢が刺さり、潰されていた。
ぴんと立っているはずの耳は、血の重さのせいだと信じたいが、へにゃりと潰れて垂れ下がっていた。
これだけでもりーはほとんど動けなくなりそうなものだが、さっきからローブの男2人が唱えている呪文のようなものが、りーを苦しめている。りーが鳴き声を上げるたびにりーの首が締まるような音がする。
そんな状態のりーが、それでもなおか細い声を上げようとし、そのたびに男たちに足で蹴られる。
りーの小さな頭が男の足で蹴られるたび、「殺すなよ」と冗談めいた笑い声があがる。
「本当にこの魔獣でいいんだよな、依頼の品は」
「あぁ。さっさと撤収するぞ」
これ以上は、見ていられない。
初めて見る人間による残虐な密猟に、エルは、まん丸の大きな深い蒼色の瞳を見開き、身体を震わせている。言葉を失ったように唇を戦慄かせて動かない。
エル、帰ろう。
今日見たことは忘れよう。俺たちにはどうしようもなかった。
そう言いかけたところで、エルは魂の抜けたような目のまま、俺を見た。
「たすけなきゃ……」
「エル、むりだ」
「たすけないと……」
「エル、たすけられない」
俺が言い含めようとしても、エルは真ん丸の目を尖らせ、強い口調で俺に言った。
「りーは、えるたちにあいにきたんだよ!」
「でも――」
「にいさまっ、りーをみすてるの!?りーは……えるたちのともだちで、きょうだいでしょ!」
約1年、りーは毎日俺たちと遊んでいた。それ以前にこの森にいたのかは分からないが、少なくとも、俺たちと遊んでいたことでこの森にいたりーは人間に捕まった。
最初は鳥肌の立つような雰囲気を放っていたりーは、俺たちと交流するにつれて徐々にその雰囲気を消した。俺たちは、りーと「兄姉妹」のように毎日を過ごしていた。
りーとの1年は、父さんが腑抜けのようになり、姉さんが父さんのために動いていたことで放置されて過ごしてきた俺たちの生きてきた中で「なかったことにする」には、あまりに長く濃かった。
魔法を自力で習得できたエル。魔力そのものは多くないようだけど、使い方はエルよりも上手いはずの俺。この1年、危ないと言われている森で、エルと一緒に色んなことをして、そのたびに危ない目にも遭ってきたけれど、なんとか二人でどうにかできてきた。
一人では心もとないけれど、二人いれば、魔法でなんとかなるかもしれない。
そのとき、もうすぐ5歳になるところの俺は、一番間違ってはいけない選択を誤った。
「……じゃあエルが、りーを助け出して。おれが気をひくから」
「どうするの」
「……あのろーぶの男、たぶん、魔法をつかってる。しゅうちゅうがとぎれたら魔法は使えないんだって。おれとエルで、まずはあの二人にたいあたりしよう。で、おれは剣とかもってるやつらのおとりになる。エルは、りーをつれてにげて」
「にいさまは」
「だいじょうぶ。おれならなんとかできる。あいつらがりーをいどうさせようとして槍とかをぬいて、網をはずしたときにやろう」
「わかった」
エルと俺はタイミングを待った。さっきの男が、「生け捕り」「撤収」と言った以上、あいつらはりーを地面から引き抜いて、移動させようとするだろう、そう予想した。
果たして、それは予想通りに行われた。
男たちは散々蹴られて啼かなくなり、動かなくなったりーから槍や矢を引き抜き、網をりーの手足の部分を残して切り取る。その間もローブの男たちはぶつぶつと呪文をやめない。
「いまだ、エル!」
俺たちはりーの体を偉そうに話す男の一人が抱え上げた瞬間に、草むらから飛び出した。
そしてそのままの勢いで――いや、風の魔法を使っていたのかもしれない。勢いよく、ローブの男たちの背中にぶつかっていく。
予想外の方向からの攻撃に、男たちの呪文が途切れたので、俺は、男たちが投げ捨てた槍を引き抜き、穂先を振り回す。
「ど―――け――――!」
りーに向かって突き進むエルの援護をするため、俺はためらわずに、りーを抱えた男の手を槍で突いた。
「っ!」
男が血の流れる手を押さえてりーを取り落とし、それを転がり込んだ小さなエルが抱え込んだのが同時だった。
今度はりーを抱えたエルを捕まえようとする男の手を槍で突き、膝を思い切り蹴ると男たちも怯む。
その間に、エルは、素早くりーを確保すると、男たちの足の間を抜けて反対側まで走る。
「そこまでだガキ!」
しかし、大人は甘くなかった。
俺が重い大人用の本物の槍を振り回し続けられるわけもなく、槍を捕まれ、剣を持った男2人に殴り飛ばされて、同時に、地面に倒れたところで腹を乱暴に蹴られ、上から足を踏みつぶされ、知らず、絶叫が喉から飛び出ていった。意識が遠のく。
「止まれ、そこのガキ!こいつがどうなってもいいのか」
襟元を掴まれて持ち上げられ、息ができなくて暴れる。
息が苦しくて集中できない。魔法が使えない。
行け、エル、早く走っていけ!
声が出ない代わりにそれだけを心の中で祈っていたのに、エルはそこで足を止めたようだった。
「よしいい子だ。そこにそのケモノを置け。そうしないとこいつの命はないぞ」
「……して」
「なんだ」
「にいさまをはなして――っ!」
エルが叫んだ途端、風が唸った。
エルがよく使う風が刃となって俺を捕まえている男の手を切り、男の手から血が噴き出す。
驚いたせいだったのか、俺を捕まえていた手が緩み、俺は逃げださなきゃ、という一心で、その傷口のひとつに思い切り噛みついた。
今度こそ男の悲鳴が上がり、口の中に濃い鉄さびの味が広がる。
落とされた俺は帰ってきた酸素を吸うため、その場で咳き込み、直ぐに立ち上がって逃げ出そうとする。
しかし、足を踏みつぶされている俺が走れるわけもなく、他の男が俺の腹を蹴飛ばし、俺は再び地面に転がった。
仰向けに倒れた俺の上から剣が振り下ろされる。
「このクソガキ!殺してやる!」
「待て!」
俺に手を刺された偉そうな男の声で、俺の上の剣が止まった。
「んだよ!」
「殺すのはまずい。この年齢でそこまで魔法が使えるということは、そっちの子供は貴族の子供だろう。それも位も上の方だ。そっちの男の子供もそうかもしれない。ここは確かエッセルベルク王国の領内だ。貴族の領地から迷い出た子供だとすれば、色々と足がつく」
「だけどよぉ!」
声は聞こえる。でも体が動かない。強く腹を蹴られてろっ骨が折れたのか、息をすると激痛が走る。
それと、何かよくわからない圧力が全身にかかる。体が軋む。
「リーダー、そっちの子供はともかく、魔獣を抱えた子供に魔法が届きません。おそらく魔獣の防御範囲に入っているのかと」
「ちっ、それくらいはできる状態か」
体が重く、顔を向けてエルの方を見ることすらできなかったが、幸いにして俺を拘束する男が俺を無理矢理立たせ、後手に俺を拘束おかげで、エルの顔が見られた。
エルは俺と男たちを見ながら必死で血だらけのりーを抱えている。
エルが他人を傷つけるために魔力を使ったのも、風が刃のようになったのも初めてだった。
エル自身もきっとショックを受けているのだろう、血の気の引いた青白い顔で動かないりーを抱き締めたままただただ俺の方を窺う。
「お嬢さん、君と取引をしよう。その魔獣を返してくれれば、君の『兄さん』は殺さずに返そう。どうだい?」
俺の首元に、冷たい刃が当たった。
エルはきゅっと唇を引き結んだまま、りーを強く抱きしめ直した。エルの服が、りーの血で真っ赤に染まっていくのがぼんやりと見えた。
「さっきは不意打ちだったからやられたが、もうやられない。分かるだろう?」
「りーを、どうするの」
エルはキっと相手を睨んだまま、震える唇をもう一度引き結んだ。
「りーというのはその魔獣のことかい。名前をつけているのか……」
男はふむ、というように考え込む仕草をしてから続けた。
「それは君には関係ないことだ。時間がない。君には選択肢はないだろう」
エルにはそんなに難しい言葉は分からないだろう。
そんな間抜けな突っ込みお陰か、はたまた暴行が止んだせいか、俺の頭も少しだけ冷静になった。魔法も使えるかもしれない。
俺がエルに目配せすると、エルも頷く。
そしてエルが叫んだ。
「だれか!にいさまをたすけて!」
エルが叫んだ時、ぎゃあぎゃあと騒がしい動物たちの声がして、俺がいたところに一気に動物が詰め寄った。烏が俺を拘束していた男の目を突っつき、蛇が足に噛みつき、キツネが手に噛みつく。
「ぎゃあああ!なんだ!?」
「なんだこのガキたちは!」
「エル、にげろ!」
俺がようやく使えた魔法を解き放ち、周囲の男を風の力を使って押し出して視界を確保して叫ぶと、エルはくるりと背を向けて走って逃げようとする。
反対側でもいい。いったんはぐれてもいい。こいつらから逃げられれば俺たちの勝ちだ。
そのとき、エルの近くにいた一人の男が叫んだ。
「待て!この化け物が!」
エルはその声に一瞬振り向き、そして迫ってくる光る鈍色の刃を見て血相を変え、そのまま走り去ろうとする。
しかし俺は見てしまった。
その男がエルに駆け寄り、走るエルの背中に長剣を振り下ろすところを。
その鈍く光る鉛色の剣がエルの髪から背中にかけて、滑り込むようにして入っていくところを。
その長剣がエルの体をほぼ両断するように反対側から出ていくところを。
エルの背中から真っ赤な血が噴き出したところを。
エルの背中ごと切られた蜂蜜色の長い髪――真っ直ぐなところだけが姉さんと違うから残念だと以前あいつがむくれていた――がぶっつりと切られて宙に舞うところを。
エルの体が衝撃で前にのけぞり、それでも必死でりーを抱えていたところを。
りーを下敷きにして、エルが地面に倒れたところを。
地面から倒れたエルから、大量の血が流れていくところを。
銀色のりーの毛がエルの血で染まっていくところを。
エルの青色のいつも力強く輝く目が、ガラス玉のようになって光を失っていくところを。
エルの服がエル自身の血も合わさり全身真っ赤になっていくところを。
この目で見た。
空白が、生まれた。
「エル―――っ!」
甘ったるい匂いがした。元々あった変な匂いと血の匂いの混ざった、吐き気のするような匂いがした。
俺の記憶は、そこで途絶えた。




