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小姓で勘弁してください連載版・続編  作者: わんわんこ
第五章 王都編(17歳半ば)
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10 小姓は合理主義者なのです


 事の成り行きを微塵も理解できずにどれくらいが経っただろう。

 わずかに体を屈めたことで僕と同じ高さになった新緑の双眸が僕を目の前から覗き込んだことで僕は我に返った。


「返事ないっていうのは了承ってことでおっけー?」

「そんなわけあるかっ!」


 こいつがさっき言ったのはなんだっけ?男女の交際?はぁ?

 ……あ、分かったぞ。


 僕はちょっと背伸びをして、哀れみの微笑を浮かべると、リッツの肩をぽんぽんと叩く。


「さては昨日急患が入ったとかだろ?睡眠不足で頭がぶっとんじゃったんだね?可哀想に」

「昨日は宿舎のふかふかのベッドでぐっすり寝たから目はぱっちりしてる」

「寝言は寝てから言えよこの馬鹿野郎、それとも僕があの頑固で人の言うことを聞きゃしないご主人様を強制的に眠らせるためにこの二年間かけて調合した特製の睡眠薬を使ってぐっすり眠らせてやろうか?あぁ?」

「いだだだだだっ、いってーよ!にこにこしながら肩の急所に指ねじ込むな!」

「だってそうじゃなきゃ意味わかんないだろ!?」


 この嫌がらせは僕がたびたびグレン様にやられて身につけた技の一つでもある。思わぬところで役に立った。


「リッツ、お前は徹底した合理主義者だろ。百歩、いや、一歩譲って、僕の獣医師の将来性を買うっていうならまだ分かる」

「お前のそのへんの豪胆さ、俺、尊敬するー」

「うるさい。で、でもお前の申し出はそうじゃない。僕とその……男女の付き合い?とかして、お前になんのメリットがあるわけ?言ってみろよ。言えないだろ?そりゃそうなるはずだよ、そうならなきゃおかしい!だって特筆すべき事項はないからな!」

「お前、それ自分で言ってて悲しくならねーの?」

「半分やけくそ。半分はどこかのご主人様に刷り込まれているからよくよく自覚してるだけ」


 僕は自分の身の程を弁えている方だ。

 年頃のご令嬢方が毎日家令やら執事やらメイドやらにその元からの美貌を丹念に磨かれる一方、僕は毎日毎日、泥と血と汗と涙にまみれている。

 彼女たちは、女性同士の戦いやら不合理な家のしきたりという、彼女たちなりの苦労や不自由とは戦いつつも、少なくともその身体を傷つけられることは決してないよう、万全を期して守られている。

 それに引き換え、僕は、ねちっこい嫌らしい言い争いや不合理極まりない女性蔑視のしきたりからは解放されているが、日々自らの命と健康と貞操を守るため、一時たりとも気を休めず、(物理的に)戦い続けている。


 それにだ。そもそも僕に肉感的な魅力は全くと言っていいほどない。ちっぽけで、貧相で、二年前から少しも胸のボリュームは増していないのだ。悲しいかな、ここまで男としてふるまい続けてばれないっていうのはよっぽど女性らしさが足りないんだろう。

 このことはグレン様に言われなくても僕自身重々承知していることだ。


 そんな僕に女性としての付き合いだぁ?頭が狂ったとしか思えない。


 そりゃ、リッツはヨンサムほど顔立ちが整っているわけでも、人間ができたやつでもない。あの(・・)イアン様を崇拝するヨンサムだ(ただし女性に対する極度の苦手意識だけは解せないらしい)。ああいうお人よしの極致と比べる方が間違っているってもんだ。


 ド守銭奴で、自分の興味のあること――動物や魔獣の生態やら研究――に対してのめり込むと周りが見えなくなるところや、計算高いところや、口先三寸でうまく相手をちょろまかすところとかもろもろを除けば……あ、あいつの特徴のほとんどが消えた。えっと――子爵家の次男で、宮廷獣医師筆頭株、文官としても熱烈歓迎されていた有能さや、まぁ友達想いとも言えなくもないとこと、外見的な部分――ちょい垂れ目気味だけで甘い系の顔立ち――、それから、少なくともこれまで友人として付き合ってきた限り、女性への扱いに虐待とか暴力とか暴言とかないところを捉えれば、僕なんか目じゃないくらい素敵なご令嬢がわらわらと寄ってくるスペックの持ち主ではある。


 つまり、僕を女子として求める必要性なんかこれっぽちもないってわけだ。



「ご主人様。ご主人様。ご主人様、ねぇ……」


 僕が、ぴっと人指し指を立てながら僕の女性としての魅力のなさについて客観的に分析し、これ以上ないほどずばりとその不合理性を指摘してやったというのに、当のリッツは、はぁーと大きなため息をついた。


「なんだよ」

「なぁ、エル。お前にとってグレン様ってどんな存在?」

「傍若無人。極悪非道。嗜虐趣味の変態」


 打てば響く様に返してやる。

ちなみにこれをキール様に言ったら僕は間違いなくミンチにされる。

 そしてグレン様ご本人には常日頃直接申し上げている。一向に懲りた様子がないのは困ったもんだ。



「そーゆーのはいつも聞いてる」

「だって本当のことだから」

「じゃあなんでお前はあの方と事務的な付き合いにとどめないの?」

「事務的?」


 グレン様と僕は小姓というお仕事の繋がりだ。お仕事がプライベートを侵食しているだけで。


「どうしようもない上司がついたらさ、普通は接触を最小限度にしようと思うだろ?」

「そりゃね」


 上に弱くて下に強い、人間的に最低なクズ野郎が先生とか、これからでいうなら上司になった場合、僕はきっと能面のようにただ事務的に向き合い、接触の時間を出来る限り避けるだろう。こういうことを見限った、と言うのなら、僕はグレン様を見限っていないことになる。

 まぁ人間的には見限ってるつもりなんだけどね。


「じゃあなんで、お前はあんなにグレン様に構ってんの?」

「いや、それは、あっちが僕に構ってくるし……」

「別にあの方がご病気で休まれているときとか、仕事でご不在にされるときとか、わざわざ余分な仕事増やしてあの方のところに通う必要ないわけじゃん?小姓って本来的には仕事のパートナーだろ?体調管理とか、朝食夕食の世話は世話係の執事がやるもんであって、小姓の仕事じゃないだろ?ましてや、あの方くらいの地位になれば、お前よりも数倍有能な執事がいるのが普通だろ?」


 リッツが僕の方に詰め寄った。のんびりした話し方が特徴のリッツに見合わない畳みかけるような口調が少し怖かったので、僕は二歩ほど後ろに下がって視線をそらした。



「そりゃ、いらっしゃるけど……」

「じゃあなんでお前がわざわざ出ていくの?」

「の、のちのちのお仕置きが怖いんだよっ」

「じゃあ、お仕置きがなくなったら、お前はあの方の元を離れるのかよ?」

「お仕置きがなくなるわけない。あの方の楽しみには僕のお仕置きだもん」

「グレン様とお前の今の関係がなくなる可能性ってそんなにないわけじゃないだろ」

「え?」


 矢継ぎ早に封じられる僕の答えの最中も、リッツはじりじりと僕の方に迫っており、僕は既にぴったりと壁に貼りついていた。逃げ場がなくなったのは今回だけじゃないけど、相手がグレン様や魔獣たちでなく、ただ(・・)人間(リッツ)、それも友達なのは、初めてだ。

 リッツは僕を壁に追い詰めたまま、冷静な無表情で指を一つ一つ折っていく。


「一つ目はお前の小姓としての仕事の出来なさに、グレン様がお前を見限った場合」


 なくはない。常日頃から、できないできない、って散々言われてるし。

 でも、それならもっと早い段階で放り投げられててもおかしくない。特にキール様のような僕よりずっと優秀でグレン様を盲信的に崇拝しているやつ(変人)が現れたのならなおさらだ。


「二つ目は、お前が正式な宮廷獣医師になれた場合」

「……僕は、宮廷獣医師になっても、グレン様の小姓を辞めるつもりはないよ」

「それ、本気で言ってんの?だったらがっかりだわ」


 リッツの目が酷薄に細められ、剣呑さが増す。


「宮廷獣医師の仕事、舐めてんの?」

「そんなことない!」


 毎晩毎晩、時には何日も徹夜して打ち込まなければならない仕事だ。苦しくて、きつくて、高い給料にすら見合わないと言われている。時には悪臭やらなにやら酷い環境ですごさなきゃいけないことだっていっぱいあるし、時間外労働なんて日常茶飯事。未知の病原菌や呪いと戦わなきゃいけない仕事だから、悪くすれば命すら落とす。

 片手間に出来る仕事などでは決してない。


「それとも、小姓ってそんな楽な仕事なの?そういうわけじゃないんだろ?」

「それも……違う」


 小姓は主人の手となり足となり、時には戦闘に、時には策略に、時には密偵に、時には主人の盾に、様々な用途に使用される、主人の絶対の存在だ。

 それも、グレン様(宰相補佐)ほどの地位の人間になれば、小姓としてやらなければいけない仕事の量も責任も並大抵ではない。

 宮廷獣医師と小姓は、どっちも片手間にできるような仕事なんかじゃないことくらい、僕が一番分かっている。


「……それでも、僕は、自分の限界まで、やりたい」


 現実的ではない僕の言葉にリッツは再びため息をついたが、また口を開いた。


「お前が小姓を辞める可能性はそれだけじゃないだろ」

「なに?」

「……そりゃ、グレン様に、ご不幸にあったときとか」


 リッツの言葉に、いつか見た夢が突如として想起された。

 炎燃え盛るどこかの小屋の中で、僕を突き飛ばして、あの方(グレン様)が一人消えていく、あの、悪夢。


「縁起でもないこと言うな!」


 思いだしただけでかっと脳が熱くなり、僕はリッツの胸倉をつかんで体を反転させ、僕よりずっと背の高いその体を壁に叩き付けた。

 ダン、とリッツの背中が壁にぶつかる重い音が響く。火照った頭のままで、僕は吠えるように怒鳴った。


「僕はあの方をむざむざ死なせたりしない!」


 僕が小姓でいる限り、僕は、絶対に、あんな風にあの方に寂しそうな顔で僕を突き放させたりしない。


「仮定の話。あくまでどういう場合にお前があの方に無理矢理拘束される状態が終わるかって話しただけだろ、落ち着けよ」


 ぎり、と歯を噛みしめてリッツを睨んだが、リッツはまるで僕の反応を予想していたかのように、驚く様子もなく、降参、と軽く手を挙げた後、胸倉をつかんだ僕の手を放させる。あくまで現実主義を貫く冷静な言葉に僕の頭も冷却されて、僕は軽く項垂れた。


「……ごめん」


 あーもう、あんな夢見なきゃよかったのに。そうしなかったらこんな仮定の話、僕は鼻で笑い飛ばせたはずだったのに。

 項垂れる僕を見てリッツは半眼になった。


「妬けるねぇ」

「はぁ?」

「だってさ、エル。お前、自分からグレン様を手放す気、さらさらないじゃん。俺を叩き付けておいてそれはないなんて言わせないからな?」

「う……」

「お前がグレン様にそんなに執着する理由って、なんだと思う?」


 刷り込み。親心。拾った子犬を捨てられない、そんな義務感。


 いくつかぱっと頭に思い浮かんだ言葉を口にしようと顔をあげたとき、思ったよりリッツの顔が近くてびっくりした。


「あっぶな!思いっきり頭突きするところだったじゃないか」


 いつものように軽く文句を言うのに、リッツは全然乗って来ない。へらへら笑ってるのが平常運転のリッツにこう真面目な顔をされるのは居心地が悪い。


「別に言い訳は聞くつもりがないから」

「言い訳?」

「いつでも、どんなときでも、傍にいたい。他の人に譲りたくないって思う気持ちに対する言い訳」


 それを聞いて、僕は薬茶を飲んだときのように渋い顔を作った。


「なんだよその顔。間違ってないだろー?」

「そうだけど……なんか言葉にすると薄気味悪いね」

「なんでだよ」

「だってさ―……」


 それって、ナタリアに読まされた小説の中の男女みたい――まるで僕がグレン様のことを異性として好き、みたいじゃないか。


 その言葉は口に出すのはなんとなく憚られて、なんでもない、とぷいと首をそっぽに向ける。



「グレン様のことはもういいじゃん。それより、最初の酔狂な話に戻ってさ、お前にとって僕が異性として魅力的に見えるポイントって何」

「傍にいると楽な相手ってとこ」

「だったら友達でも同僚でもいいじゃん」

「同僚っていうけどさ、お前の性別がばれたとき、お前、ここにいられると思ってんの?」


 ぐぅ、と詰まる。それも、いつまでもできることじゃない。

 僕は、目の前の課題に取り組むことで毎日いっぱいいっぱいになっていて、そういう、少し先の未来のことから目を逸らしている。


「仮にお前がここにいられなくなっても、俺はお前の能力を買ってるし、傍にいてこれほど話が合うやつもいないし」

「それって、お前、僕のことが異性として好きってわけじゃないだろ」

「俺、異性が好きって気持ちがよく分かんないんだよなぁ」


 えっ、イアン様と同種の存在がここに……?

 それともそっち(衆道)がお好み……!?


 信じられない者を見る目でリッツを見ると、ばぁかと頭を小突かれた。


「俺、人間に対してそんな執着持ってないじゃん。興味ないっていうか」

「確かに。リッツが興味あるのは金と動物と魔獣だもんね」

「でも、俺、お前には興味あるんだよね」

「は」

「相手が女の子で、そういう気持ちを持つっていうのは、好きってことなんじゃないの?」



 リッツの話は正しい。ド正論だ。でもどこか冷めている気もする。


 好きってそういう、冷静な計算の上に成り立つものなのかなぁ?

 ナタリアは、兄様の婚約者だけど、各国を回っている兄様の立場上ほとんど会うことができていない。


 『それでもいいのよ。好きって感情には負けちゃうのよね』


 微苦笑していたナタリアと、今のリッツの表情は違う気がする。


 まぁ、女子である自分を9割方捨てている僕に恋愛のなんたるかを講釈する資格なんかないけどさ。

 それに、仮に、情熱いっぱいに大好きだ!と言われてもそれはそれで引くし、困るし。


 僕が返答しかねてうんうん唸っている姿を見て、リッツは笑う。


「なんか、自分のことで相手が悩んでるっていいね」

「うわ、最低だ」

「だってそれくらい真剣に考えてくれてるってことだろ。逃げてないだけいいじゃん。逃げられる方が辛いだろーし」

「正面から向かい合うが信条の僕だからこそでしょ」

「そーかな。一番向かい合わなきゃいけない人には向かい合ってない気がするけど……まー俺がそこに突っ込むのは得策じゃないんで、さくっと切り上げて」

 

 リッツは僕の目の前で人差し指を立てて見せた。


「こうしよう、エル。お試し期間だ」

「お試し?」

「ん。三月試してみよーぜ」

「そんな試薬みたいな……」

「三月間、俺と付き合えることのメリット。その一、やばい急患を恋人特権で押し付けられる。料金タダ」

「の、のせられないぞ……」

「その二、借金チャラ」

「うっ……」

「その三、出かけるときの食事代、全部俺持ち」

「の、の……」


 ダメだ、ここで乗るような安い女じゃないぞ僕は。大体気持ちを利用してそれに付け入るなんてそんな非道なことはしちゃだめだ、うん。


「三月経った段階でお前がやめたければ元に戻る。あ、借金の帳消しとその期間の交際費をお前に請求することはしない」

「貞操の危機は……?」

「三月間は手を出さない、約束しよう」


 だが、以前、僕は大事なことを学んだ。相手の厚意を受け取らないのも失礼だと。グレン様風に言うなら、「搾り取れるものは徹底的に搾り取る」。

 好意は厚意の上位概念だし……このメリットを捨てる手があろうか。いや、ない。


 一瞬、グレン様の不機嫌極まりない顔が浮かんでぶんぶんと思いっきり首を横に振る。


 仮初の付き合いだし、大体、私的な生活にまでグレン様に介入される筋合いはないのだ。


 僕は、にししと悪い笑みを浮かべる商売人の手を取った。


「……三月だけだからな」

「交渉成立っと」


 こうして僕はあっさりと自分を売ったのだった。


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