お礼小話 いたずら・前半
以前読者様方よりいただいたイラストのお礼代わりの、ほのぼの?小話を書きました。前半・後半に分かれます。(ちょっと時季外れなところはお許しを)
時期は続編前あたりで、エルはまだ十六歳です。語り手は殿下。
※11月23日の活動報告に、エル視点のヨンサム版、リッツ版のしょーとしょーとを載せてありますのでよろしければどうぞ。
ある日の午後のことだ。私がイアンと一緒にグレンの部屋の扉を開けると、私たちと入れ替わりで大量の伝達魔法が部屋から飛び出していった。グレンが王都にいる人間に指示を出すために送ったものだろうが、その数が優に数十個を越えている。
「グレンはまた、だな」
「また、だろうな」
イアンと共にため息をつき、奥の執務室まで歩み進むと、机の上に大量の書類と本を並べたグレンが、羽ペンを高速で動かしているのが目に入る。
高速で動いた筆が次の紙に移る瞬間を見極めたイアンが、きびきびとした動作でグレンの机まで歩み進んだ。イアンは、わずかに宙に浮き、次の文字を書き連ねようとしたグレンの腕を押さえて止め、低い声音で問い詰めた。
「グレン、お前、いつ昼を取った?」
イアンに羽ペンを取り上げられたグレンは、動揺一つせずに流れるような動作で引き出しを開け、中から新しい羽ペンを取り出し、イアンもいちいちそれを取り上げる。それを三回繰り返したところでグレンが渋々口を開いた。
「そこの飲み物の温度から逆算して勝手に計って」
「それは食べ物じゃないだろう」
「食べ物を口にする手間が惜しいという暗黙の意思表示なんだけどな」
「休め!」
「嫌だ」
「また拉致拘束の上で無理矢理食べさせるぞ」
「とうとうイアンも僕と同じ道に目覚めちゃった?女性には無理だからって僕を練習台にするのはやめてほしいなー」
「寝ぼけているならきっちり起こす必要があるな……!」
イアンはなんだかんだグレンの手を止めるのが上手いが、それより最も簡単にグレンの仕事を止める方法がある。
部屋の窓際からちらりと学園の上位貴族寮のすぐ傍にある庭を見下ろすと、ちょうどお目当ての存在が、「あ、うさぎさーん。久しぶりー、この前の怪我はもうよくなった?あ、見て見て、白いでしょー!おそろい~!」と話しながら草むらに駆け寄っているのが見えた。
すまんな、エル。私はグレンを休ませたい。
本人は全く意図していないだろうが、狙いすましたかのようなタイミングにやってきた生贄に黙祷をささげてから、部屋の主に聞こえるよう、心なし大きめの声を出す。
「お。あそこにいるのはエルか。なんだか妙なものを頭に着けているな。あれは動物の耳の模型か?おもちゃを着けて呑気に走り回っているくらいだから、きっとエルはご主人様に構ってもらえなくて暇なのだろうな」
途端、すっくと立ち上がったエルの主人は、窓際にいる私のところまで寄ってきた。整った容貌に、いたずらを企む幼い少年の様な表情を浮かべて庭を見下ろす。そして、お目当ての小姓を見つけ、赤い瞳を輝かせた。
「十六歳にもなって魔獣ごっこ中の精神年齢が幼児のペットを野放しにしちゃったのは飼い主の責任だから、息抜きに捕獲してくるね」
生き生きと言うよりも爛々と評した方が近い、楽し気な様子で、グレンはためらいもなく四階の窓から飛び降りる。空中で場所を調節してあえてエルの真上まで行き、そのままエルを地面に押しつぶしたようだ。盛大な悲鳴が聞こえた。
窓際に歩み寄ってきたイアンが、再び黙祷を捧げる私に、ぼそりと呟いた。
「……フレディ、お前、いつからそんなにえげつなくなったんだ?」
「大事な部下の体調管理も上司の仕事の内だろう?」
「お前の配慮で今一人の学生が犠牲になったな」
「グレンの信条は有言実行だ。生きたまま連れて来るだろう」
「『辛うじて』という枕詞が付かなければいいが……」
「大丈夫だ、あの子はそう簡単には壊れん。今のうちに仕事道具を片付けて軽食でも用意しておくぞ。誰か軽食を持ってきてくれ」
使用人を呼んで支度をする間、庭からはぎゃあぎゃあと言い争う声が響いていたが、いつの間にかその声も聞こえなくなっていた。しばらくしてグレンの部屋のドアが開き、縄でぐるぐる巻きにされたエルを肩に担いだグレンが揚揚と執務室に入ってくる。エルはクモの巣に捕まった哀れな虫のような状態で目を回している。
「たっだいまー」
「……予想以上に犠牲は大きいじゃないか」
「……後でねぎらいのお菓子でもやろう。エル、無事か?生きているか?」
グレンにソファに放られたエルの拘束を解いてやり、揺さぶり起こすと、エルは魘されたように「……ぞくっと悪寒がした途端、何かが落ちてきて、重くて、痺れて、ぐらぐらして、地面が上になって空が下で……頭が……」と、なにやら呟いてから、うーんと唸って目を開いた。
「ん、んんー?殿下……?」
「あ、あぁ。おはよう」
「おはようございます。いい天気ですね。ご機嫌いかがですか?」
エルはまだ頭が混乱しているのか、ぼうっとした瞳のままにこにこ笑顔で挨拶をしてきた。自分で仕組んだことながら、今更良心がじくじくと痛む。すまん、本当にすまん、エル。
「ここは、グレン様のお部屋、ですか?僕は――えっと……」
「あぁそうだエル、なんでお前はそんなものを頭に着けているんだ?」
思いだされないようにすかさず頭の上につけられた白い三角の形の獣の耳のおもちゃを指さすと、エルは、頭に手をやり、はっと何かを思い出したようにこっちを向いた。
「そうです!僕、殿下のところに伺おうと思っていたんです!」
「そ、そうか。ならよかったな。私に何用だ?」
「お菓子をくれなきゃいたずらしちゃいますよ?」
「ん?一体なんだいきなり?」
「へへ。殿下のようなお方でも馴染みがない海を越えた遠い国に、仮装をした人がこう言ってお菓子をもらうお祭りがある、と、にい……じゃない、人から聞いたんです。それで、チコの耳を真似して作ってみました。殿下、お菓子をいただきたいです」
エルが無邪気な笑顔で手を差しだしてくる。良心がさらにめった刺しにされた。
「やろう、いくらでもやろう、菓子だな。チョコレート、焼き菓子、冷やした甘味もあるぞ。何が欲しい?」
「全部いただきますっ!」
アホ毛が獣耳に隠されていなければぴょこんと揺れただろう勢いでエルが身を乗り出してきた。るんるんと鼻歌を歌いながら今度はイアンのところまで向かう。
「イアン様、お菓子をくれなきゃ――」
「やる」
イアンはポケットに入れていた小さな菓子を取り出してエルの前に差し出した。
「イアン様も即答ですか?」
「お前が俺にやるいたずらなど容易にいくらでも想像できるからな」
「そうですね。イアン様の弱点は分かりやすいですから」
「ほう?お前が細切れにされないうちに仕掛けられるといいな」
「ま、まさか、そんな大それたことなど僕がするものですか。そ、それより、どうしてポケットから?もしかしてこのお祭りをご存知だったのですか?」
イアンは菓子をエルの手に押し付けてから、歯切れ悪く口ごもった。
「いや。その……これは……その獣に、だな……」
「きゅ?」
イアンは、ぴょこんとエルの制服のポケットから頭を出したネズミの魔獣を指さし、頬を軽く染めた。それを見たエルが目を見開く。
「イアン様……とうとう人の女性の代わりに動物への愛に目覚められた……と」
「エル、俺にも窓から落とされたいか」
「嘘ですっ冗談ですっ!」
エルは、音が鳴るんじゃないかと心配になるほどぶんぶんと大きく首を横に振ってから、イアンから受け取ったお菓子をそっくり魔獣に渡した。
「はい、チコ。これ、イアン様がお前に会ったときのためにって用意してくださっていたみたいだよ。ありがたくいただきなよ」
魔獣は菓子を咥え、ぴん!と白い耳と尻尾を立てて、エルのポケットからするりと抜け出し、イアンの足元に走り寄る。そしてふさふさの尻尾をぶんぶん振りながらイアンに甘えるように体をすりつけた。イアンもまんざらではなさそうで、抱き上げた魔獣の頭を撫でている。イアンは、子供と小動物に優しい男で、相手からも好かれる傾向にあるからな。
「これがせめて人間の女児であれば練習になったものを……」
「残念ながらチコは男の子です」
「そうなのか」
「そうなのです」
部屋の片隅で行われる、背の高い今を時めく青年と小動物の交流に心暖めていると、放っておかれた最後の一人が、いい笑顔でエルの肩を叩いた。
「ねぇ、僕には言うことはないの?」
「……お菓子をくれなくていいのでいたずらしないでください」
「いたずらなんて生ぬるいこと、僕がするわけないじゃん」
「いたずらが生ぬるいと思っているお方に菓子か嫌がらせを受けるかの二択を要求するような命知らずな真似をするほど僕は阿呆でないつもりです」
「正真正銘のアホであるお前がそのお祭りの傍若無人さを分かってただけ誉めてやろうかな。でも、仲間外れが嫌いな僕を除け者にするって時点でがけっぷちを突っ走ってるって気づいてないから減点」
「一般人と同じ扱いをされたら嫌だって常識外れな行動を繰り返すご主人様らしくないご発言にびっくりです」
「フレディやイアンとあからさまに差別されるとうっかり手が滑って首を絞めようかなって思うくらい腹が立つんだ」
「思っている時点でうっかりではございませんが!」
「小姓の矛盾発言に感化されちゃったんじゃない?どこかの小姓が最近顔を見せなかったから疲れが発散できなかったのが原因かもね」
グレンの発言を聞いた瞬間に、野生の危機察知機能を働かせたエルが三メートルくらいグレンから離れ、ソファの陰に隠れた。ずいずいと迫る主人から逃れられないと分かっているのに、ソファの背もたれという一時の安寧を選ぶ無駄な努力が微笑ましい。
白い耳をつけたエルは、警戒した獣さながらに天敵の一挙手一投足に気を払い、隙あらば距離を取ろうとし、一方のグレンはソファに乗りかかって、にやにやと笑いながら怯えるエルの動きを楽しみながら距離を空けさせないでいる。
追い詰められたエルは、最期のあがきか、私に縋るような目を向けた。
「で、殿下ぁ……」
「後でやる菓子の分の働きを期待している」
「まさかの労働の対価だった!?それは早くお聞きしたかったです!」
グレンのストレス解消に付き合わせるのは悪いが、耐えてくれ、エル。
食う者と食われる者のにらみ合いの空気に耐えられなくなったエルがついに、蚊の鳴くような声で言った。
「……お、お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ……?」
「犯してくれなきゃいたずらしちゃうぞ?」
「一回あなた様の耳と脳みそ全て洗い流して大掃除させてくださいお願いします」
「はっきり言わないお前が悪い。そうだなぁ、お前がどうしてもと願うならそっちでも僕は構わないよ?いくらでも、いつでも――」
「お菓子をくれなきゃいたずらしますよこんちくしょう!」
言質を取ったグレンがにやりと悪い大人の笑顔を見せ、ソファから立ち上がると、どこかに消えた。
「一難去って……いませんよね……」
「あの顔のグレンが何もしないで終えると思うか?逃げるなら今の内だぞ」
「全く思いません。ですが、逃げたらもっとひどい目に遭うことがほぼ確実な未来として待ち受けていると思うので」
悲壮な未来を見据えたエルが、見捨てた私に怨み深い目を向けた。
「報酬のお菓子、とってもとっても期待してます」
「生き残れ。話はそれからだ」




