24 小姓は秘密を共有しました
次に目を覚ました時、僕の視界に飛び込んできたのは学園の寮の自室のベッドだった。
「うーん……よく寝た」
頭がすっきりしていて、体の倦怠感もない。気持ち悪さも引いていて、今なら火の玉十個に追いかけられても全速力で駆け回れるくらいには爽快だ。魔力も体に満ちている感じがするし、調子がいい。
半身を起こすと、チコが、僕の手を鼻で持ち上げて、自分の頭の上に乗せた。小さな頭のてっぺんをこすりつけ、撫でて撫でてとアピールして来る。
チコ、いつの間にか僕の部屋に常駐するようになってるけど、魔獣界で上手くやっていけてるのかな。……気にならないではないけど、このさらふわもふもふな毛並みを手放せるはずもないから気にしないことにしておこう。
さて、えーっと。寝入る前までに何があったんだっけ。確かすごく調子が悪くなって、兄様にここまで運んでもらった気がする。
僕にとってはいつものことなのだが、風邪やら魔力枯渇やらの原因はどうあれ、酷く悪い調子のまま意識を失うほど無理をしたときは、大抵、目覚めたときには風邪が全快しており、身体中には魔力が満ちていて、すこぶる調子がよくなっている。その代わり、記憶を失う前後の意識が混濁していることが多いから、何があったのかすぐには思いだせない。
寝過ぎた時に昼なのか夜なのか一瞬分からなくなるあの感覚に近いけど、みんなこんなに考え込むくらい思いだせないものなのかな?それとも僕の記憶力に生まれながらの致命的な欠陥でもあるんだろうか……。
「エル、起きたのか?」
膝にチコを乗せ、伸びをしながら記憶を探っていると、ドアの向こうからヨンサムの声がする。
「うん、起きた。入って平気だよ」
「あー……えーと、いいのか?」
「これまでの五年で僕の部屋に入るときの半分くらいは許可なんか取ってないじゃんか。何をいまさら躊躇ってるの?」
「そっ、それは……一応、最低限の良心の呵責があってな。あ、いや、エルはエルだって分かってんだけどさ。俺の中で、口が悪くて肝の太い、繊細さから遠くかけ離れた存在っていう不動の評価と、この前もたらされた青天の霹靂とのせいで俺の取るべき対応についての判断が揺れ動いているというかなんと言うか――」
なにさりげなく僕を貶めながらごちゃごちゃ言ってんだ、こいつ。僕がいない間に腐った毒キノコでも食べたとか?
「ヨンサム……」
「なんだよ」
「慣れない難しい言葉を無理して使うと舌噛むよ?」
「そういうこと言うから口が悪いって言われんだよ!自覚しろ!」
ふぅむ、このあたりの反応はいつも通りだな。
待てども待てども一向にドアを開ける様子がないので、僕の方から立ち上がってドアに向かいかけ、危うく倒れかけた。
常日頃どこかの誰かに蹴倒され慣れているせいで、倒れかけたら何かに掴まる反射が身についていてよかった。ベッドの柵に掴まることに成功したおかげで、起きて早々、床とのキスを防ぐことに成功できたよ。
「うわ、足がぷるぷるしてる。どれくらい寝てたんだろ」
「ざっと四日だな」
「四日!?」
足を曲げ伸ばしして筋肉を慣らしてからドアを開けると、らしくない歯切れ悪さを披露する僕の相部屋住人がちょうど私室のドアの至近距離に立っており、僕と数ミリの距離で相対することになった。
「げ、いきなり近すぎだろ!そんなに近寄るなっ!」
ドアを開けるや否や、ヨンサムは足の下に毒虫がいたときのように飛び退って僕から離れていく。
「……近寄るも何も、僕はドアを開けただけだけど」
「そ、そうだったな。悪ぃ」
僕の同室の推定親友は、謝りはしたが、依然として後退した場所から僕を慎重に観察している。
その表情を表現するなら、歯に挟まって取れなくなった肉の欠片を舌で取ろうとしている時と、足が数百本あるおぞましい虫がベッドの上を這っているのを見つけた時を足して二で割ったものに近い。
「四日ぶりに会話する病み上がりの友人を珍種のゲジ虫のような顔で見るなんて……ヨンサム、僕のご主人様だけは見習っちゃいけない人だよって何度も言ったじゃないか」
「誰のせいでこうなってると思ってんだよ!」
「グレン様?」
「お前とお前の兄貴だよ!」
「失敬な。僕も兄様もあの人と比べたらとってもマトモ――」
半笑いの顔で僕は固まった。
――兄様?兄様、だって?なんでヨンサムが兄様のこと知ってるの?言い間違いだよね?
「……おい、顔が脂汗で照り始めたぞ」
「よ、四日風呂に入ってなかったから顔も脂っぽくなってるんだよーきっと。あはは」
「俺が毎晩濡れタオルで顔拭いてやったのに?」
「うわぁ、ヨンサムくんありがとうー。さすが、ご令嬢方の注目の的の人気若手騎士……の卵!」
「棒読みだし、内容すら全然褒められてねぇし。それより、お前の兄貴の話だとさ――」
「あっ、あははははは何を言っているんだいヨンサムくん、僕に兄がいるわけじゃないじゃないかー」
「じゃあお前をここまで運んだのは誰だっての」
もしかして、僕のことも気付かれてる?あんなにドアを開けるのを躊躇ってたのってまさかそれ?――いやいや、落ち着け、エルドレッド・アッシュリートン!仮に兄様の存在がばれたとしても、まだ終わりじゃない。兄様がいるからって僕が妹であるとは限らないわけだ。そりゃ、次代が入学していないのはまずいけど、家庭の事情で長男が家を継がないことだってある。
諦めが悪いことに関しては定評のある僕だ。ひとまず精一杯の抵抗をしてみよう。
「め、目に見えないおとぎ話の精霊さんを信じる童心って大事だと思う」
「お前と瓜二つの顔して、正体がばれた途端、真剣な顔で、命を落とすか、貝みたいに口をつぐむか、舌を抜かれるかの三択を迫ってくるような凶悪な毒舌精霊がいたら子供が泣くわ!」
「ヨンサムほどの実力があれば勝てるかも。怯える必要ないよ、ガンバレ」
「アホか。暗殺と正面からぶつかる戦闘は全然違うっての。話を逸らすな」
うー。ヨンサムは僕と同じくらいのおつむの出来のはずなのに、こういう時に限って流されてくれない!どうしよう。
「変な言い逃れしようとしても無駄だぞ。――まぁ何かが変わるってわけじゃねぇけどさ」
「今変わったじゃん」
「そりゃ、ある日突然、ずっと男だと思ってた五年目の付き合いの同室相手が実は女だったって分かっていざ起きてきたそいつと話すってなったら動揺くらいするだろ」
はい、終わりましたー!ばれてましたー!しかも自分で誘導尋問しちゃったよ、僕の阿呆!
僕の顔を見たヨンサムが、美男子とほめそやされ始めた顔を見事に顰めた。
頭部透明人間と名高い僕がイアン様並のポーカーフェイスやグレン様ばりの胡散臭い笑顔を浮かべようと努力したって水の泡。ここまで確信を持たれていて誤魔化せるとも思えないので、白旗降参だ。
「この話を聞いて、悩みもした。知っていて黙ってたら俺も同罪だし、そもそも、ここは女がいていいような環境じゃねぇから」
「――聞き捨てならないな。女がいちゃいけない環境っていうのは、女にはこういう教育を受ける資格がないって意味?」
僕が敵意をむき出しにして睨みつけると、ヨンサムは軽く両手を上げた。
「あー悪い、悪い。今のは俺の言い方が悪かった。だから歯をむき出しにして怒るな」
「じゃあ、どういう意味」
「青春期の男子だらけの環境に女が身一つでいたら危ないって意味。この歳の――特に下位貴族の低学年男子どもは滅多に大きな夜会にも行けねぇだろ?貴族としてのたしなみを半分以上吹っ飛ばしつつある連中の最中に、女が秘密を抱えて飛び込んで、それがばれたときのこと考えてみろ。秘密にすることを交換条件に何を要求されるか分かったもんじゃねぇよ」
「確かに。グレン様に捕まったのってまさにそのパターンだしね」
僕が素直に頷くと、ヨンサムが「うわーやっぱりお気づきだったかー」と呻く。
「じゃあ、交換条件って――」
「秘密を明らかにされてここから追放されるか、小姓になるかって迫られたんだ」
「合点がいった。――でも、まだ良心的な取引でよかったな」
「ど・こ・が?ヨンサムは小姓の実体を知っていたと思うんだけど?僕がどれだけ心身ともに搾取されているか心ゆくまでいくらでも語ってあげるよ?」
「でも貞操は無事だろ。まぁ普段の言動行動を分かっていてなおお前に女を見いだせるやつは酔狂の変態だと思うけどな」
確かに、グレン様は変態で酔狂だ。間違いない。
「でも危ないのは貞操だけじゃないって気づいてるか?」
「え?」
「もしお前の秘密が、性格の悪い他の家の奴にばれていたら、脅されて実家から金をむしり取られるかもしれないし、もっと進んだら、事実上の属領化されたかもしれないんだぞ。小姓の実体がどうあれ、お前一つの身の振り方で事が済んだことは感謝すべきことじゃねぇの?」
口元をひきつらせながら迫っていた僕をいなし、ヨンサムは真面目な顔で言い放った。
なるほど。言われてみれば、僕個人の問題で済む話じゃなかったのかもしれない。アッシュリートンの領地はあまりに小さくて魅力がないだろうからこれまでは特に心配すらしていなかったけど、今は事情だって変わっている。
こういうところまで考えが回るのはさすが、領主の嫡男、将来の領主だと思う。
「それに今のお前の場合、より大事になる可能性が高いって気づいてるか?グレン様のご実家であるアルコットの醜聞、マーガレット様のお立場、最悪、フレデリック殿下にまで塁が及ぶ――そういう危険だってあるわけだ。まぁ、小姓っつーのは例外的っていうか、滅多にないことだと思うけどさ。こういう、お前一人の問題じゃなくなるってこと。色んな意味でこれ以上ない獲物を放り込むようなもんだって分かったか?」
「……ごめん、僕が早とちりした」
素直に謝ると、ヨンサムは大仰に頷いてから、神妙に続ける。
「お前の兄貴からお前の事情は全部聞いた。騎士なら一応、女でもなれる可能性はあるからあれだけど、お前の場合、その道が拓けてないんだもんな」
ヨンサムが自室の傍に立てかけてある剣に目をやった。
「その悔しさや無理を押し通したい気持ちは俺にも分からないでもない。お前の実力や本気を知ってる今だとさ、お前の正体やリスクを踏まえても、切り捨てるには惜しいって思うんだよな。それに、俺個人は、お前が同室なのに慣れ切ってて、かつ、お前に迷惑かけられるのも日常茶飯事になってるから特にどうとも思わない」
……お?もしかしてこいつ……
「被虐趣味にでも目覚めたの?残念だけど、グレン様は被虐趣味がない人間を苛めて泣き叫ぶのを見るのが好きな人だから、ヨンサムの新たな嗜好には応えないと思う」
「そのくそ生意気な毒舌が聞けなくなるのも寂しいような気がするとか考えてる俺もどうかしてるよな!」
「冗談はさておいてもさ……いいの?」
「え?暴露したいのかよ?」
「まさか!」
ヨンサムが裏も表もない、からっとした人間だってことは分かってる。
こいつは正真正銘のいいやつだ。誰かご令嬢方に将来の結婚相手を勧めるとしたら、胸を張って紹介できる(ちなみに一番紹介できないのはグレン様だというのは言わなくても分かると思う)。それくらいのやつだ。
だからこそ心配にもなる。
「疑う、わけじゃないけど……セネット家の将来の領主として軽々しいことを言えない立場だってことも知ってるから」
「俺がいいって言ってんだからいいっていう単純さはここにはないのかよ。なんだかんだ、今までバレずに誤魔化してきたんだろ?それにグレン様がご存知ってことは、何かしら手は回してるんだろ?」
「それでもだよ。何がきっかけかは知らないけど、こうしてもしばれたらって思うとね。これまでの迷惑とは比べ物にならないくらいになると思うから、それで一も二もなく頷くってことはできないんだ」
自分で自分を追放する方向に話を持っていってしまう自分の良心が空しい。が、万が一の時にヨンサムが犠牲になるのも困る。
僕が憂い顔をすると、暫し黙った後、ヨンサムが口を開いた。
「なぁ、エル。ちょうどお前がグレン様と会った日のこと、覚えているか?」
「あぁ、あの人生最悪の厄日ね。それが?」
「厄日の元凶はお前自身が作った気がするけどそれはそれとして。そんとき、お前が俺に『死なばもろとも』って言ったの、覚えてるか?」
そういえば、木の上で覗き見をしていた時にそんなことを言った気がしないでもない。
「あれ。今まさにそう思う」
「え?」
「この学園も貴族世界もそうだけど、身分が関係ないって言っても、どうしてもどういう教育を受けられるかに家の力って出てくるだろ?」
「うん。それが?」
実力で選ばれると言っても、選ばれるように育つ機会が平等に与えられるとは限らない。教育塔が分けられていることからもそれは明らかだ。
「その状況をひっくり返してくれたのがお前。お前のおかげで、俺は今、イアン様っていう目標が出来たし、騎士への道も現実的になってきた。お前といることで俺はすっげーいい機会と将来の可能性を見つけたわけ」
ヨンサムが僕を指し示してから、にかっと笑った。
「だったら、お前が近くにいることで被る災厄ぐらい、どーんと引き受けてやるよ。だから安心しろよ。お前が男だろうと女だろうと、お前が俺の友達ってことには変わりねぇし、俺は友達を売るような真似はしねぇから」
ほんと、賭け値なしのいいやつだ。いいやつすぎてどうしよう。
小姓のことを除いても、女の身で男として学園に入学して辛いことは数え切れないほどあった。その中で、こいつと友達になれたのは僕にとって疑いようもなく、最大の幸運だった。
「……じゃあ、ん」
「ん?」
「これからもよろしくって意味の握手」
ありがとう、なんて言うのは照れくさい。
お礼の言葉の代わりに手を差しだすと、ヨンサムも意図を分かってくれたのか、少しはにかんでから「おう」と僕の手を握り返してくれた。




