22 小姓はお誓いいたします
貴族男子として生活し、いつも学園にいる僕が、これまでの人生で最も接する機会がなかったのが、母世代にあたる女性だ。そんな僕の数少ない経験から比較しても、この方が、同じ母世代の方よりもずっと若く見えるのは、グレン様とよく似たお顔立ちのせいだろう。
小さなお顔に、高すぎもせず低すぎもしない小さな整ったお鼻がすっと通っていて、その下に桃色の可愛らしい唇がある。それら愛らしいパーツの中で異彩を放つのが、力強い紅玉の瞳だ。その存在一つで、華奢で可憐な小さな花々のような印象を一転させ、豪華な一輪の華を想い起こさせる。
顔立ちも、瞳も、印象も、グレン様の体格や雰囲気を女性らしく柔らかなものにしてあと数年歳を足したらこんな感じになりそうなこの方が、グレン様のお母上様。
グレン様を産んだ方、なのだ。
じっと見入っていると、愛らしいお顔が挨拶の微笑みから楽し気な笑みに変わった。
「私の顔はそんなに珍しい?」
「も、申し訳ございません!」
不遜だと頭の隅で分かっていたのに、つい不躾にお顔を見てしまった。
「ふふ、いいのよ。グレンは私によく似ているものね。私もあなたに初めて会った気がしないわ」
「え?」
僕の失態は、格上の相手に対する侮辱に等しい行為だったのに、レイフィー様は、慌てて頭を下げる僕に優しく声をかけてくださる。
「もっとこっちに来て?」と手招きされ、一応グレン様の方を一度伺うと、グレン様もにっこり微笑まれた。しかし、こっちの笑顔は、お母上様の笑顔とはまるで逆で、圧力しか感じない。「空気を読め」「これくらいも僕に訊かないと分からないの?」という無言の非難が刺さって痛い。
一応緊張してるんだよ、これでも!
おずおずとレイフィー様のベッドの枕元に近づくと、レイフィー様は僕の頬に手を伸ばして、懐かしそうに微笑まれた。
「オズヴェルとアデラ、二人にそっくり。お顔はオズヴェル似だけど、瞳と髪の色と好奇心旺盛なところはアデラ似ね」
「ぼ――じゃない、わたくしの両親をご存知なのですか?」
「えぇ。自由な時間を見つけては一緒にいて、いろんなことを経験した旧友だもの。とっても楽しい時間だったわ」
「……失礼ながら、レイフィー様は侯爵家ご令嬢ですよね?」
伯爵家令嬢だった母様との交流があることはなんら不思議じゃないけど、父様とも?男爵家の嫡男とも仲がよくて、しかもいろんなことを大勢で、となると――
「両親と私的なお付き合いが多かったということでしょうか?」
「ご明察ね。みんなでお忍びで集まってお茶をしたり、話をしたり、貴族としては眉を顰められるようなことも含めてそれはもうたくさんのことをしたの。あなたの両親と、もう一組と、私と夫――グレンの実の父とは」
「え、えぇと……」
会場に入る前に聞いたグレン様のお父上様の話が本当だとしたら、それを思い出させるのは辛いんじゃないか?一時とはいえ正気を失われるほどの衝撃を受けるようなことだったわけだし、人の心の傷ってそんなに簡単に癒えるものじゃないはずだ。
反応に困っていると、思いがけず、レイフィー様はくすくすと笑われた。
「エレインちゃんは考えていることが丸わかりね」
「それに関しましては、よくグレン様にも叱られます」
「自分に正直なのはいいことよ。グレンの方が見習うべきところだわ」
「僕がそいつほどバカ正直になったら何も回らなくなります」
僕たちから少しだけ距離を取った窓際にもたれかかったグレン様が悩まし気に嘆息する。
こういう時だけ心底思っているかの如く心を籠めなくていいんだよ!
「もう、グレンったら相変わらずね。せっかくあなたがこの首飾りを渡すような相手を見つけられたんだから、もっと素直でいないと逃げられちゃうわよ」
「逃がさないので問題ありません。生涯にわたって公私を問わず拘束する計画の準備は万端です」
「恐ろしい人生計画をさらっと暴露しないでいただけますか。レイフィー様、この首飾りは防犯用に預けられたにすぎません。首を切られても死守せよと厳命されております」
「――――早速齟齬があるように見られるけれど、これはいいの?」
「理解力と感知能力と危機意識が砂漠のごとく枯渇したやつなので」
「思いやりと優しさと一般常識もろもろ、人としてのあるべき良識を干からびさせたご主人様よりはマシと自負しております」
「そして一つのことに囚われると、このように周りが全く見えなくなります」
「え?」
会話についていけなくなって首をひねると、グレン様は僕の傍にやってきて僕の頤に手をかけて自分の方に向けさせ、蠱惑的に微笑んだ。
「僕を主人と呼ぶのは将来的な『旦那様』という意味だよね?それはお前が僕を夫として認めていることに他ならない証拠として認識するけど構わないよね?だってそれ以外に僕を主人と呼ぶ理由はないもんね?」
やらかした!本音で返したせいで口癖が……!
「未来の妻の記憶力が半日としてもたないと改めて噛みしめられた貴重な一日でした」
ぐうの音も出ず、唸り声を我慢しながら怨み深く隣のご主人様を睨みつけていると「こういうのを運命っていうのかしら、それともオズヴェルがまた何か裏で糸を引いているのかしらね」という意味深長な呟きが聞こえてくる。
父様、昔からちゃらんぽらんしてたんじゃないだろうな。
レイフィー様は、僕とグレン様を交互に見ていたが、突然グレン様に手を伸ばしたかと思うと――
「グレン、約束を守ったのね、偉いわ」
よしよしと頭を撫でられた。グレン様の方も少し迷惑そうなしかめっ面をしながらもそれを受け入れている。
あのグレン様が、大人しく、頭を、なでなでされているんですよ!
こんなのお母上様じゃなきゃできない。これは永久保存必須の映像だ。今度から理不尽な八つ当たりや酷いお仕置きで殺意が芽生えたらこの光景を思い描くこととしよう。
目を見開いてその光景を目に焼き付けていると、視線だけで殺されそうなほど物騒な笑顔が飛んできた。口元がついにやついていたらしい。このままではこの部屋を出た瞬間焼き殺されるので、すかさず癒しのレイフィー様に助けを求める。
「えーっと、約束、ですか?」
「私とグレンでしていた随分前――もう三、四年前になるかしら、それくらいの時にした約束よ」
「年越しなのですね。どのようなお約束なのですか?」
「隣にいてほしいと思う相手を見つけなさいって約束。できれば私に見せてほしいとも伝えておいたの」
「隣なんて嫌です!」
「こいつは隣に置けません」
僕とグレン様の反論が重なり、レイフィー様が「あら」と残念そうな声をあげる。
「グレンはどうしてエレインちゃんを隣に置かないの?それとも、置けないの?」
「――置こうと思えば置けますが、置きたくありません。こいつにはせいぜい僕の右後ろあたりがお似合いでしょう」
「なんでそんな微妙な位置なんです?」
「僕と同じ位置とか、それより前に出ようなんておこがましい考えでも持っているわけ?」
「いえ。グレン様に背を向けるなどという最も危険な行為に及ぶほど命知らずではありません」
「エレインちゃんは、グレンがお嫌い?」
レイフィー様は、長い睫をぱちぱちと瞬かせながら今度は僕に質問をした。心なし、楽し気に聞こえるのはなぜだろう。
「そういう次元の問題ではございません。隣にいるという事実自体が、僕にとって心身ともに重大な危険を生じさせる行為なのです」
「重大な危険って?」
「ぼっ、わたくしの今後に差し支えますのでお答えいたしかねます」
隣と正面はお仕置きを受けやすく、そして逃げにくい位置だ。今までの経験でよくよく分かっている。 少なくともグレン様のお仕置き射程圏内から離れたところにいないと僕の身が危ない。
あれ。でも、グレン様の攻撃射程圏ってものすごく広いよね。もしかして、僕に逃げ場はない?
今後の身の振り方を悩んでいると、突然、レイフィー様の明るい笑い声が響いた。
笑いのツボがよく分からないけど、よく笑われる方だなぁ。
グレン様もよく笑っているけど、意味合いが違う。レイフィー様の笑顔は、グレン様の下心満載の笑顔とは真反対の、裏の意図のない心から楽し気な笑顔だ。
お顔は一目で母子と分かるほど似ているのに、どうしてこういうところは似なかったんだろう、非常に残念だ。
「エレインちゃん。グレンは、普段訓練の時に左手には何か持っている?」
「?は、はい。グレン様は普段あまり武器をもたれませんが、左利きですので、たまに持つ時には左手にお持ちです。魔法を使うときに無意識に左手を利用されることもあります」
「なるほどね。――エレインちゃん、もっと近くまで来てしゃがんでくれる?あ、グレンはそっちに行って」
「はいはい、分かりました」
あのグレン様を、グレン様がチコを追い払うようにぞんざいに遠ざけた驚異のご母堂様は、お顔に触れられるくらい近づいた僕の耳元で囁いた。
「いいことを教えてあげる。グレンの好物はご存知?」
「いちごみるく、ですか」
僕の回答に、レイフィー様は満足げに紅玉の瞳を煌めかせ、「さすがね」と呟く。
「グレンはね、昔、『飲み過ぎだからもうやめなさい』って止めようとする私に抵抗するとき、いちごみるくの入ったコップを左手で後ろに隠したの。私という『大事なものを盗ろうとする相手』から遠ざけるためにね」
「えーっと、そ、そうなんですね」
「今のあの子の『敵』は私じゃなくて、もっと面倒な相手になっているのでしょうから、きっと利き手である左手は抵抗のために出す必要があるんでしょうね」
「は、はぁ……?」
「ふふ、ヒントはこれでおしまい」
え?ヒント?これって謎かけだったの?いちごみるくと僕になにか関係があるんだろうか?話の繋がりが全く見えない。言葉遊びがお好きなところは同じなんだなぁとしか思わなかったよ。
足りないと常日頃評され続ける頭を使って必死に答えを探していると、ふわりと甘い香りに包まれた。
「柔らかくて、あったかいわ」
「――あの?」
「私は今、とっても嫉妬されてるんでしょうね。自分の息子と、それから、アデラに」
「母に、ですか?」
唐突に出てきた母様の名前とその腕の細さに気を取られ、内容に異議を唱えるよりも先に疑問が口をついて出た。
レイフィー様は僕の偽胸も含めて抱きしめる力をわずかに強めて、静かに僕に語り掛ける。
「――アデラとね、昔、それこそ今のエレインちゃんくらいの歳頃に話をしたことがあるの。お互いに子供ができたら、お互いの子も一緒にまた話せたらいいわねって。生まれた子をたくさん可愛がって、いっぱい抱きしめて、大事にしましょうって。成長しても鬱陶しがられるくらい仲のいい家族を作りましょうって。――でも、私もアデラも、事情は違えど、できなかったわ。できないままに終わってしまう」
静かな声音なのに、頭を殴られたような衝撃があった。
死を目前に控えたとは思えない生き生きとした笑い声と、楽し気な語り口で忘れさせられていたけれど、この方は、あと数刻もすれば、ここからいなくなるんだ。
意識してよくよく見れば、鎖骨の浮き出方は非健康的なほどだし、腕の細さも尋常ではない。これだけ近づけば、いい香りも、病人独特の匂いを消すために服に染み込ませた香油によるものだと分かる。
あぁ、この方は本当に、本当に――
「……避けようは、ないのでしょうか。グレン様もレイフィー様も幸せになる方法は、もう一つたりとも残されていないのでしょうか」
目の奥に力を入れて噛みしめた奥歯の奥から低い声で問いかけると、レイフィー様は目元を和ませ、僕の頭を何度も優しく撫でてくれた。
「優しい子。でも、私はもう十分幸せな時間を過ごしたわ」
「そんなことっ――」
「本当よ。確かに時間で言えば短かったけれど、私は、一番好きな人と添い遂げることが出来た。この命に代えてもいいと思える子を授かった。あの子がこの歳になるまで成長して、大事なものを一つ一つ築いていく姿を、この目で見届けることができた。――これ以上の幸せってあるかしら」
グレン様と違って弱弱しい、僕でもすぐに解けるような柔らかくて優しい拘束なのに、言葉に籠る力は強い。腕の中にいるのは僕なのに、その想いはすぐ向こうにいるかの方に向けられている。
「きっとアデラも同じことを望んでいたはず。あなたとたくさん語らって、笑って、時に愛する人の話をして――そして、成長したあなたに、こうしたかったと思うの。……これから私が向かう先にアデラがいるのなら、『大きくなったあなたの娘を抱きしめてきたわ』っていっぱい自慢してあげないと」
この方は本当にグレン様によく似ている。
「……ごめんなさいね。アデラのことをたくさん話してあげられる存在は私なのに、私ももう伝えられなくなってしまう。あなたのお母様のことを、あなたに何も伝えられない。どんなに優しい子だったか、どんなに芯の強い子だったか、どんなに思いやり深くて、他人のために動ける子だったか……いっぱいいっぱい、伝えたいことはあるのにね。――だからあなたに伝えられない代わりに、せめて彼女に、私を通したあなたの感触を伝えたいと思ったのよ。元気で立派で、可愛らしい、両親のいいところを受け継いだ素敵な子だったわって、伝えたい」
辛いことがあってもなんでもないことのように平気な顔をしてやり過ごして、全部自分の中にしまい込もうとする。
本当に想っていることを、一番伝えたい相手に素直に伝えられない。
「そんなあなたが、あの子にとってとても大事な人間になってくれたことが、私は母として嬉しくてたまらないわ。あなたはきっと、あの子が持ちえない全てをもってあの子を助けてくれる」
「……買い被りです」
「そんなことないわ。あの子、頑固で、偏屈で、斜に構えてて、妙に頭が回って、口が悪くて、それでいて人目ばかりを気にするでしょう?我儘なように見せて全部飲み込んで、損ばかりしている、そんなあの子が、あんなに好き放題口げんかしている姿を見て、私、心底安心したの」
レイフィー様は長い睫を伏せ、口元に幸せそうな微笑みを浮かべた。
「あの子が心を委ねられる相手を見つける日まで生き永らえられた。――私がしてきた罪や犠牲になった人たちのことを考えれば、過ぎた贅沢をさせてもらったわ」
グレン様を遠ざけながら、話の節々に息子への溢れんばかりの愛情を覗かせるレイフィー様。
本当は辛いくせに、そのことを誰にも言わずにしまい込んで、こうして最期の瞬間まで平気なふりを続けるグレン様。
お互いをこんなに大事に思っている親子なのに、遠回しに、探るようにしか愛情を伝えあっていないように、僕には見える。
どうしてあなた方はそんなに不器用なのですか。
「エレインちゃんも、唐突に呼び出されて、抱きしめられてびっくりしたでしょう?ごめんなさいね、図々しくて。昔からオズヴェルにはよく言われてたわ。『顔に似合わず図々しい』って」
少女のように愛らしく笑ってから、レイフィー様は僕を腕から解放して言った。
「図々しいついでにお願いを一つ、いいかしら」
「わたくしに、できることなら」
レイフィー様の小さくやせ細った手が僕の腕を掴み、その丸い紅の瞳が、正面に足った僕に向けられる。
最期の命の火を燃やしているはずのその瞳が力強く僕を射抜く。
「私がいなくなった後のあの子を、どうか、お願い」
僕の腕を握りしめる手の力が、強まる。痛いとは思えないけれど、強く掴まれていると分かる程度に、しっかりと握られている。
もうほとんど残っていないだろう体力を引き換えに、息子の幸せを求め、僕に訴えかけるそのお顔には、楽し気に昔を思いながら語らう少女はどこにもいない。いるのは一人の母親だ。
古代から、人は死という未知の恐怖にあらがおうと必死で抵抗をしてきた。けれど、死は、人間の些細な抵抗なんてあざ笑うかのように、時が満ちれば無情に機械的に命を刈り取っていく。だから、今でも延命や不死は、人知の及ばない神の領域とされ、同時に永遠の憧れでもある。
死期が分かるということは、自分の命が未知のものに飲まれるその日を見つめて過ごすということだ。
未来を予測できてもあがくことはできず、刻々と迫ってくる未知の恐怖と戦いながら日々を過ごし、今日を待ち続けるだけの人生は、どれほどの辛かっただろう。苦しかっただろう。
それなのに、この方は、今この瞬間も、弱音一つ吐かず、恐怖の片鱗すら見せずに、ただただ息子のことだけを案じている。
なんて強い人なんだろう。
僕は、この、燃え盛る火のように熱く、凛々しいお方ともっと早くにお会いしたかった。
学校のこと、この国のこと、母様のこと、父様のこと、――そしてグレン様のこと。
たくさんのことを語らいたかった。
「レイフィー様。お手をお放しください」
レイフィー様から離れて一息にかつらを取った僕の姿に、レイフィー様が目を丸くされた。
向こうで弾かれるように背を起こしたグレン様が何かを言いかける前に、僕の涙腺が踏ん張っている間に、言い切らなければ。
「レイフィー様、最初にこうしなかったことをお許しください。僕の本名はエレイン・アッシュリートンですが、普段は、エルドレッド・アッシュリートンという名で、男子生徒として学園で生活しており、グレン様の小姓を務めさせていただいております」
「小姓……」
「このたびの婚約者のお話は、グレン様に本当に想うお相手ができる時までの時間稼ぎにすぎません。偽婚約者の僕には、レイフィー様にそのようなお言葉を賜る資格はございません」
僕はグレン様の小姓だ。婚約者としては偽物で、仮の存在でしかない。――でも。
「ですが、僕は、小姓としても、小姓としてでなくても、エルドレッドとしても、エレインとしても、グレン様のお傍にいたいのです」
グレン様が動きを止め、レイフィー様が静かに僕を見ているから、部屋にはそれほど声量を上げられていないはずの僕の声だけが響く。
「微力で、何一つ満足にこなせずに怒られる毎日ですが、それでもなんだかんだ僕はこの生活を気に入っておりますし、グレン様には幸せでいてほしいと願っています。そのために僕に出来ることがあるのなら、努力もこの身も惜しみません」
無理にかつらを取ったせいで髪はぼさぼさだろうし、涙腺崩壊を免れようとしているせいで声は震えるし、目に膜が張って前がよく見えないけれど、でもこれだけは、正面から、レイフィー様の目を見て伝えたい。
「僕は、僕の意思で、グレン様に僕の人生を捧げると誓います」
返事は聞かずに頭を下げ、そのままの勢いで後ろにダッシュし、適当に腕を掴むと無理矢理引っ張る。
「……なに」
「僕はこれにて退出させていただきます。後はお二人でお過ごしください」
「はぁ?まだ時間は――」
「虚勢を張るのもいい加減にしてください!」
目からこぼれそうになる熱さに踏ん張って耐え、見えない目のままに背伸びして胸倉を掴み上げて怒鳴る。
「僕の父様は、母様が亡くなった後二年間ほど、ほとんど魂が抜けたようになったと聞きました!大事な人の大事な瞬間を共に過ごせてもそうなるんです!言いたいこと、全部言っておかないと、絶対後悔するんです!後悔して後から八つ当たりされてもこっちが迷惑なんです!ぐ、グレン様がレイフィー様とお話しできるのはっ、これがさいごっ、なんだ、から……意地張るの、もうやめてください……」
もう限界だ。
どん、とグレン様の胸を叩いて、僕はドアを蹴破るようにして開け、外に飛び出た。
ドレス姿のまま廊下を走り抜けて、浮遊魔法を駆使して途中の窓から飛び降り、敷地の中にある庭の奥の森に駆け込む。
「はぁ。はぁ。はぁ……」
走り疲れて息が上がる。呼吸が荒い。
誰からも見えないし、聞こえないような奥の奥まで木々を乱暴にかき分けて進んだころには、葉っぱについた水滴でドレスがぐっしょりと濡れそぼり、冷たくなっていたけれど、それすら目の熱さは冷ましてくれない。
僕はもう二度とあの美しい瞳が輝くところを拝見できない。
あの楽し気な笑い声も、グレン様をからかう声音も聞けない。
胸を引き裂かれそうだ。
でも、一番大事なものを失うグレン様があの場で堪えているのに、部外者の僕があの場で泣けるわけないじゃないか。
限界だった堰は、独りになった瞬間に切れた。
「うっ、う……うわあぁぁぁああ!!」
僕は、叫ぶようにその場で泣き崩れた。




