11 小姓はとっくに覚悟を決めているのです
※ この話には残酷描写が含まれます。ご注意ください。
キール様との対談なのか対決なのかよく分からない(少なくとも歓談ではない)お茶を終えて、学生街の店舗街から別館街のアルコット邸まで一人でのんびり歩いて帰る。歩道が薄茶色の石畳で舗装されている学生街は、靴も汚れず、歩きやすい。
年明けすぐだから外気は冷たいが、日差しのおかげでぽかぽかと暖かい。いい散歩日和だ。
「庭とか整備されたところを散歩するのもいいけど、こういう道を出歩くのもいいんだよねー」
貴族の子息淑女が外を出歩くときに徒歩であることはまずない。馬車を用意し、お供をつけるのが常識だ。
しかし、高い安全性が確保された学生街は、学園に通う貴族の子息、令嬢たちのための街だから、一人で出歩くことも可能だし、現に一般市民の感覚を学ぶためにも歩いて移動する人も少なくない。食べ物や小物を置く露店の多い店舗街は、馬車が入れるほどの道幅がないので、徒歩のみ。大きな店が多い市場街は、基本的に馬車が往来しているが、下級貴族の男子学生などは専ら徒歩だ。だから、貴族のはしくれである僕だけでなく、どこからどう見ても立派な貴族であるキール様が供もつけずに一人で出歩いてもおかしくはない。
とはいえ、人をどこかに招いたら、招いた主が送るのが貴族の一般常識というもの。予想通り、貴族常識でがっちがちのキール様は、一応送りの馬車をつけようかと申し出てくれた。
「帰るのなら馬車を用意させる」
「いえ、大丈夫です。歩いて帰ります」
「馬車もつけなければ俺の恥になる、乗れ」
「申し訳ありませんが、僕は久しぶりに出た外の風を感じ、町の雰囲気と滅多にない休暇を楽しみたいんです」
「だがお前を一人で帰せばグレン様がなんと仰るか――」
「グレン様はこうして出歩いていることをご存知ないですよ。予定外の外出ですもん」
「なに!?主人の許可を取っていないのか」
「僕だっていつでもグレン様に拘束されているわけではありませんよ。馬車を出して下さるなら代わりにさっき誘惑に使ったお菓子をお土産にさせてください。その方が捨てられないで済むお菓子も僕も万々歳です」
「……先ほどの決意はなんだったんだ?」
「僕が勝手に出歩いているのにお土産もないとグレン様はお怒りになるかもしれないので、どこかでお菓子を買っていってご機嫌伺いをするつもりだったんです。もし持ち帰らせてもらえるならそれも召し上がるよう差し上げて――」
「今すぐ一番いいものを用意させる。グレン様に余りものなど差し上げられるか。そこにあるものを好きなだけ食べて待っていろ」
こうして僕は美味しいお菓子をお腹いっぱい堪能することが出来た。キール様ってグレン様のことになると単純明快、僕のことを馬鹿にできないほどの単細胞だ。
待ち時間に、キール様主催のグレン様魅力講座が延々と開催されなければもっと美味しくいただけたけど、そこは予想していたのでご愛嬌だ。内容についての僕の意見は大体逆だったが、店内の淑やかな演奏を掻き消すほどの勢いで同意を求められたので曖昧に頷いておいた。世渡りが上手くなったと思う。
「チコがいたらもっと楽しかっただろうに、惜しいことをしたなー。ま、グレン様以外へのお土産として持ち帰れているから無駄にはならないよね。僕のお財布に見合わない高級お土産だ、きっとヨンサムもリッツもチコも喜ぶぞー!」
森に帰っているチコの分を確保しておいてあげよう。
お菓子が詰まってずっしりと重たい袋を持ち上げ、にまにま笑いながら歩いているうちに、別館街にあるアルコット邸に着いたので、正面入口――ではなく、使用人の使う裏口からそうっと入る。
僕がいないことはばれているだろうけど、正面から堂々と入ったらその態度が気に入らないとか余計に怒られるに決まっている。
使用人側の裏口から入り、広い廊下をこそこそと忍び足で歩いていたところで首輪を後ろからむんずと掴み上げられ、嫌味の一つもないままずるずると近くの部屋まで引きずられた。毒舌も皮肉もないあたりが怖い。
あ、これ、相当怒ってる。まずい。
放り込まれた部屋の重い扉がゆっくりと閉まっていく様を見終えるまでそちらを見なかったのだけど、目に見えていたら僕が薄っぺらになるくらい重い無言の圧力がかけられているので観念して両手を挙げる。
「……え、エルドレッド・アッシュリートン。ただいま外出から戻りました」
「それで?」
「お土産を献上いたしますのでお気持ちをお収めください」
「収めるも何も。僕は特に何も思ってないけど」
嘘だ!ものすごい笑ってるもん!にっこにこだよ、笑顔が眩しいよ!
「その包み、知ってるよ。お前が身売りしてもそれだけの量を買えないくらいの店だってこともね。僕に許可なく拾い食いをしてきたわけだ」
「きょ、許可なく出たのは僕が悪かったと思いますけど、この店に入ったのは僕の意思ではありません」
「だからでしょ。どこの馬の骨から餌付けされてきたの?」
どいつもこいつも僕をペット扱いしやがって!とも思うが、ここは我慢。グレン様のお怒りは本物だ。
「クロフティン様です」
「あいつか。じゃあ、ま、大丈夫だろうけど――」
「何がです?」と問う間もなく、睨みつけるように僕の手の中の袋を見たグレン様は、つかつかと歩み寄ってくると、僕の手を掴み、無理矢理戦利品を奪い取った。
そして無造作に包みを開くと中から一つのチョコレートを取り出し、口に放り込む。
「あ、それはグレン様宛てのじゃありません!キール様が用意したグレン様用の最高級菓子は別にあるんです!」
「どうせお前が食べたのはこっちでしょ」
目を瞑り、口の中で転がすようにしてゆっくりとふくませる姿は僕の目から見ても麗しいが、やっていることは略奪行為だ。
そうして、一種類ずつ、大きい物は欠片をちぎり取って同じことをしていく。その姿はまるで――
「グレン様?何をされているんです?まるで毒見、のようなんですが」
「まるでもなにも、そのままそうだけど」
「グレン様は殺しても死なないような方ですし、それをやった場合、僕は死よりも辛い目に遭わされますから、今更そんな嫌がらせをしようなんて思いません」
「お前がそんな即死行為をするとは僕も思ってない」
「へ?じゃあなぜ?」
「お前は全然危機意識が足りないね」
最後のチョコレートパイの欠片を手に取ると、興味がなくなった袋をぽいと僕に放り投げてくる。
僕が入れたんじゃないと思ってるんだったら、逆。「入れられた」ことを疑っているってこと?
毒なんて物騒なモノ、あるわけない。
そう思ってグレン様が最後のパイの欠片を口に放り込むところを見守っていたのに、入れた途端にその秀麗なお顔を顰めたので、慌ててタオルを手に駆け寄る。
「どうなさったんです?まさか、毒、本当にあったんですか!?」
「――弱いのは」
「そ、そんな……。早く吐き出してください!」
「は、そんな顔しなくても、これくらい僕には効かない。お前にも効いてないみたいだけど、これは食べなかったの?」
「いや、高級チョコレートの苦みだと思っていたので思いっきり食べました。でも、あ、えーと。もしそれが花毒なら、僕には効かないと思います。小さい頃にいっぱい食べましたから、森で」
「本当に拾い食いをしてたのか……早く人間に進化しなよ」
「今も昔も僕は人間です。お腹壊したり痺れたりしたこともあったからこそ、どうやったら効かなくなるか、試行錯誤したんですよ。努力するあたり、人間らしいでしょう?」
「努力の方向性が真逆でしょ。普通は痛い目に遭ったら食べなくなるものなのに、お前は生き物の本能にすら逆らうんだね。余程死にたいらしい」
「よくいうじゃないですか、棘のある華ほど美しい、笑顔が綺麗なときほど仕掛けがあるって」
「へー初めて聞いたなー。最後のは何を指しているんだろうね」
「まぁまぁ。それと同じで、毒が含まれているものほど美味しい実だったりすることが多かったんで、どうしても食べたかったんです。さすがに父様や姉様にばれたら怒られるんで、どうやったらばれずに体内で解毒できるか、兄様と特訓してました。あと、毒のある生き物に触れてかぶれたりとかもよくあったので、命にかかわらない程度なら動物毒にも耐性があります。……僕は、ですが」
グレン様が、僕が差し出したタオルで口元を覆い、呆れた表情で見てくる。が、落ち着いて話しているようで、内心は大荒れだった。
だってこれは、姉様やナタリアに差し上げようと思っていたものだ。僕と兄様はある程度愛らしい食欲に負けた失敗を重ねてこういう毒に耐性をつけてきたけど、姉様やナタリアは違う。
姉様たちが口にしていたらと思うとぞっとする。
誰が、こんなことを?まさか――
「あいつじゃないよ」
僕の想像の先を呼んだのか、グレン様が部屋に置かれた革張りの椅子の肘掛けに腰を落としてさらりと否定した。
「でも……キール様は、グレン様のものだけ、別にされてました……僕のことも、お嫌いです」
「お前は、あいつがそういうやり口をとるやつだと思ってる?」
「いえ――正々堂々、勝負を挑んでくると思います」
「その直感は間違ってないし、あれは今のところ僕を裏切る動きはしてない。あいつも知らない間に、店に潜り込んだやつに混入されたか、もしくは使用人に元の物とすり替えられたか――そんなところでしょ」
そうだ。キール様は(僕のためではないが)僕に決闘を申し込んで来る邪魔者の防波堤役を買ってくれた人だ。あの人はそんなことしない。混乱のあまりそんなところを見誤るなんて、ごめんなさい、キール様!
グレン様にお水を差し出すと、グレン様はそれを素直に飲んでから、愕然として固まる僕を見下ろした。
「こんなことはよくあることだよ」
「そんな!これまで一度もありませんでした」
「お前、僕の小姓だって大会で宣言したのを忘れたの?」
「しましたけど――これまでだって僕が小姓であることは知られていたはずです」
「知られていたのはせいぜい学内の一部でしょ。知らないやつも、お前の忠誠心を疑っていたやつもいっぱいいた。それが、外部者も立ち入れる公の場であれだけ大っぴらに宣戦布告したんだ。小姓は主人と同義。僕の敵対者はお前も狙う。僕に来るものはお前にも来るってこと」
「グレン様のところに毒入りのお菓子がくるんですか?」
「学外ならしょっちゅうね」
予想していたことのはずだった。グレン様の盾になろうと思ってそういう宣言をした。けれど、ここまでとは。
こんなの、安心して食べられるわけないじゃないか。寝られるわけないじゃないか。出歩いて、景色を楽しむこともできずに、日々、心のどこかで自分の命を狙うやつらのことを考えなきゃいけないじゃないか。
「分かっていたんじゃないの?それともいざ目の当たりにしたら怖くなった?」
椅子に軽く腰を掛け、グレン様が口角を上げて嫣然と微笑んだ。
「僕の小姓として宣言したお前を待つのはこういう世界だよ。ようこそ、僕の世界へ」
「こ、んなことが、日常茶飯事、ですか?」
「こんなの可愛い方じゃない?実家や外にいる時に僕の周りで『不幸な事故』が起こることは多いし、王城や学内の、ある程度人を絞って安全確保されているところですら、毒針入りの手紙が届いたりすることなんてよくある。不用意に触って命を落とした使用人が何人いたか。指が腐って落ちた僕の侍従や執事が何人辞めていったか、お前が知ったらなんて言うかな。まぁ、だから僕宛の手紙の管理は、そういうことも分かって注意できる手慣れたやつしかやってないけどね」
きっとこの話は誇張されていない。事実だけを述べているのだろう。
現に、グレン様宛の手紙の管理、部屋の掃除、洗濯、食事の運搬――そういった僕の手が回らないグレン様の身の回りのお世話を主としてやっているのはあの黒服のおじいさんと、見知った顔の人たちばかりだ。
グレン様が使用人を絞って近づけないのは、ご自身が周りに群がられるのが嫌いだからだと思っていたけど、それだけじゃなかった。グレン様の傍にいると危ないからだ。
「けど、お前の危険はあいつらとは段違いでもっと上。『殺しても死なない』僕へのあてつけで殺されるかもしれないし、襲われるかもしれない。ただただ僕を精神的に追い込みたいがためだけに、拉致されて拷問されるかもしれない」
重い話をグレン様は流れるように付け加えていく。
「それから、明後日お前が足を踏み入れるのは、それとは違った意味で危険な魔窟だよ。能無しな家は、『エレイン』としてのお前の命と体を傷つけようとする。賢い家は名誉と権力でお前を社会的に抹殺しようとする。僕の婚約者としてお披露目されるっていうのはそういうこと。そういうところに放り込むけど、あそこには僕以上に厄介なやつらがうようよいるからね、僕が庇いきれるかも分からない。お前は無防備だ」
グレン様は、ふふ、と口元に乾いた笑みを浮かべ、それ以上は何も言わずに僕にルビー色の目を向ける。
その目が言いたいことが、いつもなら分からないのに、この時に限っては手に取るように分かった。
例え、やめたいと言ってもやめさせてもらえる状況にはないのに、あえてやめたい?と訊くような瞳で僕を見ている理由。
それは僕を試したいからだ。僕をどこまで「放置」していいか見極めたいから。
グレン様はまだまだ僕の覚悟を侮っている。
「――そうですか。分かりました」
「へぇ。それだけ?」
「それだけですよ。やめたいと申し上げると思いましたか?逆ですよ」
今の僕の中にあるのは恐怖じゃない。怒りだ。ご主人様に対する鬱憤だとか不満だとかそんな日常のもの以上にふつふつと湧き上がって、僕の視界を真っ赤に染める。こんなに真剣に怒ったのは久しぶりだ。
こんな汚いやり口で他人を追い詰めるなんて、最低だ。グレン様以上に最低だなんて、滅多にないことが現実に起こるくらい、世間の人の心は汚い。僕を信用してないこの人にも怒りが湧く。
僕は、そんなに弱くも柔くもない。
あなたは一人じゃないんですよ。
「あなた様がいる世界が僕の予想よりもはるかに酷いところだったことには驚きました。が、予想より酷いご主人様の現状を把握できて小姓としては本望です」
グレン様が一瞬目を見開いたのを確認し、ふんっと鼻をならす。
「グレン様が普通の人だったらすっかり怯えて廃人になっていたでしょうね。グレン様、変人でよかったですね」
「お前も変人になるんじゃない?」
「元からご主人様にもその他の人にも人扱いされていませんから、人扱いされるだけましでしょう」
明後日のことだってそうだ。「結婚するまで」が勝負だと、ここぞとばかりの妨害されるだろうことはナタリアにも姉様にも心配された。
妻を亡くした夫が後妻を取るかは人による。が、一度も妻無しで生活するわけにはいかないから、婚約者が死んだ場合には新しい婚約者を見つけるのが普通だ。
婚約者が死んで喪に付す期間は一年間。令嬢たちにとって新しいチャンスと戦いの期間を得るためだけに、嫌がらせじゃすまされないようなこともされるかもしれないと言われた。
か弱い本物の婚約者様ならそういうのに折られてしまうかもしれない。グレン様だって、だからこそ僕という代打を立てたのかもしれない。
僕の面の皮はこの十二年あまり、そしてこれからも国を騙しきろうと考えるくらい厚いからね。
国に大嘘ついているんだから、淑女様方相手にもう一つ小さな嘘を重ねるくらい、大して罪状は変わらないはずだ。それに、そういう悪意と戦うのは慣れてる。善良な人に嘘をついて騙すよりよっぽどいい。
攻撃手段と防御手段がドレスや美貌や貴族関係になるだけだ。とことんやってやるさ。
「さ、グレン様。明後日までの準備と計画がおありでしょう?それを僕に教えてください」
僕がグレン様の傍、正面まで行って開き直った顔で尋ねると、グレン様は小さく笑い、
「――それでこそ、僕の小姓。褒めてあげるよ」
と言いながら僕の頭を撫でた。




