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小姓で勘弁してください連載版・続編  作者: わんわんこ
第四章 ご主人様婚約者選定編(17歳初め)
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8 小姓はなにやら調子がおかしいのです

 僕は、姉様とナタリアが入って来たのを確認して、着替え用の部屋のドアの鍵を二重に閉め、窓に掛けられている重いカーテン引いた。

 これは、グレン様が覗き見をする、とかではなくて(こんなことを言ったら多分、「建物に入ればあたり一面に広がっているようなものをどうして覗く必要があるの?」とせせら笑われる)――使用人さんたちが不用意に入ってくるのを防ぐためだ。


 本来、貴族の着替えは使用人に手伝わせて行うものだから、いつもの慣習でついうっかり入って来て僕の秘密を知ってしまう、などという事故は十分に起こりうる。


 そして、もしそんな事故が起こったらどうなるかくらい、グレン様に散々バカだとか阿呆だとか詰られて続けて約二年の僕にだって簡単に分かる。


 姉様が国の重要な地位に就くことが決まっており、かつそれに対して全員がもろ手を挙げて賛成しているわけじゃないなどという現状において、小姓である僕の失態、すなわち、主人であるグレン様の弱みは、ひいては殿下の外聞に繋がってしまう。

 となれば、敵対派閥に付け入られることを防ぐため、何らかの形で口封じ(・・・)がされる可能性は大いにありうるのだ。

 さすがに殺されたりはしないだろうけど、最悪、一人で移動できないように処置がとられ(・・・・・・)、軽くても、口止め料と引き換えにグレン様邸宅内に軟禁、くらいは大いにありうる。それも有無を言わせず、だ。

 一方、こういう一般事例において、かろうじて貴族の僕へのお咎めは、注意がされるかされないか、程度だろう。


 これは冗談でもなんでもないし、例え王族として平民のことに気を配っておられる殿下や、それに理解を示しているグレン様ですらそういう対応をしなければならなくなると思う。違いはせいぜい、迂闊なへまをやった僕へのお仕置きが厳しくなるというくらいなんじゃないかな。


 これが貴族と平民の身分の違いというやつだ。


 貴族の決定に平民は逆らってはいけない。逆らえない。平民は、貴族だけが有する魔力という不思議な力を恐れ、崇めているように教育されている。貴族に逆らうという考えを持つことすら禁忌とされているのだ。

 だから、貴族が自分の利権だけを考えて平民をないがしろにしてはいけないと父様は言っていた。僕たち貴族の安易な行動が、平民の命一つを軽く消し飛ばしてしまうから。


 僕の場合、女だということを差し引いても、国政に直接係わることはないし、領地経営だって兄様の手伝いくらいになるんじゃないかと予想している。それでも「貴族の事情」で平民が虐げられる不幸な事故が起こらないよう過敏なくらい気を付け、男装になじんでいても細かいところへの注意を忘れない。


 というわけで、今、女性の着替え用に作られたこの広い部屋には、僕の事情(男装)を知る姉様とナタリアだけしかいない。

 ナタリアは普段なら全てやってもらう側だろうに、それを一向に気にする様子もなく、ドレスやら肌着やら化粧道具やらを取り出して並べた。


「じゃあ始めましょうか」

「うん」


 ナタリアに促され、シャツのボタンを全て外したところで思いだした。


 そういえば、ナタリアは僕の背中の傷を知らない。 

 これを見たナタリアが、僕を見る目を変えるということは、おそらくない。アッシュリートン家といういわくつきの家の子供たちの幼馴染であり、望んで兄様の婚約者になってくれたナタリアがそんな人じゃないことは誰よりもよく知ってる。

 でも、ナタリアは普通の感性を持つ女の子でもある。醜い傷なんか見せたら気分が悪くなってしまうんじゃないかな。


「エル?どうしたの?早く脱いで?」


 躊躇った僕が動きを止めたことに気付き、ナタリアがこちらを振り向いて不思議そうに首を傾げる。


「ナタリア、ちょっと後ろを向いていてくれないかな?」

「どうして?」

「実は……僕の背中には酷い傷があるんだ」

「それならユージーンから聞いているから問題ないわ」

「え?兄様が話したの?」

「えぇ。あの事故の時のものでしょう?一年間も会えなくなったから、何があったのか、私が教えてって迫ったの。珍しくすごく渋られたわ」

「一年も……」

「エルが魔獣に襲われたあの事故で意識不明になって領を離れて療養していた期間よ。意識が戻ってもしばらくは自分のことや周りのことを思い出すのに時間がかかって、そっとしなきゃいけないくらいの大きな事故だったって聞いたわ」


 昔の記憶を探っても、僕の中からそれらしいものは何も出てこない。

 ナタリアや兄様と森で遊んで暮らしていた記憶、稽古の時と勉強の時の父様が厳しかった記憶、姉様に抱きついて泣いたり笑ったりした記憶、料理担当のおじさんの食事が美味しかった記憶――そういうものが切れ端みたいにばらばらになってところどころ映像として浮かぶだけだ。

 これは、僕が事故そのものの経緯を覚えていないことに関係するのかもしれない。


「それ、いつだっけ?」

「エルが五つになる時だったと思うわ」


 五歳と言われてもピンとこない。自分のことのはずなのに白い霧がかかったように記憶がもやもやしている。

 どうして何も思いだせないんだろう。一体なにが、あったんだっけ。


 真剣に思いだそうとしたら、頭の奥と背中にピリリと痛みが走った。


「痛っ」

「え!?大丈夫?どこが?」

「頭と背中……ちりちりぴりぴりしてる……グレン様に傷口に辛子を塗り込まれた時と似た痛み……」

「あの方は何をなさっているの……」


 あれは、確か、まだ小姓になって日が浅かった頃の話。

 僕が魔力不足で回復できないときににっこり笑みながら「消毒薬だよ」と渡されたんだ。それを信じた僕も悪かったけど、生で絞ると消毒液の元になる実でも、乾燥させて砕いて調味料になっているものを塗っても、消毒なんかできやしない。ただ痛い思いをするだけだ。


 ナタリアがグレン様の本性に気づいてくれないかな、と期待しながら、頭を抱え、よろよろと起き上がる。


 最近頭を使い過ぎたからだろうか。それとも日頃のグレン様に容赦なくこき使われている負担が精神より先に身体に出ているのかな。さっきも心肺機能がおかしかったしな……。知恵熱なら甘い物を食べれば治るんだけど……甘い物、甘い物……パイとか、ケーキとか、チョコレートとか……食べたいなぁ。後でグレン様におねだりして、それから、せっかく学生街に来たんだからヨンサムたちへのお土産がてら今日のおやつを買いに行かなきゃ。


 気づけば、「どの店にしようかな、お金との兼ね合いが……」などと考え始めており、記憶を探るのを忘れていた。いつの間にか頭と背中の痛みも嘘のように引いていた。


 なんだったんだろう、あの変な痛み。魔法関連ならグレン様に訊けば分かるかもしれないけど……あぁでもこの思考経緯をお話したら、また鳥頭だなんだと鼻で笑われる!こういう思考回路だからこそ、こんなに辛い日々でも楽しく生きていけるっていうのに。あの嗜虐趣味で突拍子もないご主人様について行くなら僕くらい前向きじゃないと精神の方が先にやられちゃうんだぞ。


「エル、ちょっと休む?」

「もう大丈夫。今日しか二人には会えないんだもん。さっさと済ませちゃおう。というわけで、ナタリア、向こうを向いて」

「嫌よ」


 ナタリアは赤茶色のふわふわした髪を払い、ぷいと横を向いた。


「私、将来的には義妹と一緒に湯あみすらできるようになりたいの」

「今でもできるし、昔もやってたよ?」

「気分の問題よ!隠し事はなし。エル、聞いて。私はエルがどんなことをしても、貴女の味方でいるわ」

「ナタリア……」


 ナタリアが優しく微笑んで僕の手を両手で取った。

 そして、どうしてだか、新緑の瞳を煌めかせ、頬を紅潮させる。


「例えエルが身分差恋愛をしようが、嫌だ嫌だ言ってる相手を好きになろうが、ご主人様と恋愛しようが、男子寮の二人きりの密室でどんどんいけるところまで進展していようが、全然かまわないのよ。微に入り細に入り教えてくれさえすれば」

「方向性が一つしかない上に、大分捻じ曲げられていると思う」


 加えて、遠回しなようで直接言ってしまっているし、さりげなく報告義務まで課せられている。

 事実無根だというのに、女の子の妄想の力って怖い。


「というわけで、傷については知ってるから遠慮しないで」

「う、うん、でも、あんまり見ていて気持ちのいい代物じゃないから――」

「脱がされないと脱がないの?お相手を呼びましょうか?」

「ねぇ。さっきからどうして妙にグレン様を絡ませるの?」


 苦虫を噛み潰した顔で文句をつけると、ナタリアはなぜかにんまりと笑った。


「あら?私は今グレン様のお名前なんて一言も言っていないけど?」


 しまった!罠に嵌った!

 ナタリアは兄様と同じく口が上手くて、僕はいつもその口車に乗せられるというのに!グレン様にもそう、父様にもそう、ナタリアにもそう、兄様にもそう、リッツにもそう……あれ?僕いっつも乗せられてない?気のせいだよね?


『ナタリアはいつも通りね。なんだか安心するわ』

「そりゃそうよ、メグ姉様。ここには三人しかいないんだもの」


 姉様の笑顔でちょっとした懸念もどうでもよくなる。あぁ、姉様は天使だ。ご主人様(悪魔)が見えない今、僕は天にも昇る心地だ。

 姉様の笑顔に励まされた僕は、グレン様に見せたとき以来、久しぶりに他人に背中を晒すことにした。


 自分で服を脱ぎ、ナタリアに背を向け、目をぎゅっと瞑って審判の時を待っていると

「こんなもの?白い肌に赤い筋が一本斜めに入ってるけど、これ、逆に綺麗じゃない?エルは肌が白いから際立つわねー」

となんとも気の抜ける評価が返り、そっと胸をなでおろす。

 すとんと、どこにも引っかからずに手が落ちるのは仕方がない。まだナタリア特別製の最強肌着をつけていないから当たり前だ。

 成長?僕の摂取した栄養は日々擦り切れるほどに使っている体力に回されています。


「……ねぇエル。これ、婚約者様はご存知?なんて仰っていた?」


 ほっとしていた僕に、ナタリアからこれまた的外れな敬称付きの質問が来た。


 男装している僕には男女含めて婚約者なんかいやしない。グレン様だってまだ婚約者じゃないし、これからも違う。グレン様は仮婚約者(期間限定)だよ。

 と、細かく訂正するとまた何か突っ込まれそうだったので、何も文句をつけずに答える。


「特に何も。あぁ、傷があろうがなかろうが僕だって言ってくれたよ」

「素敵な言葉ね」

「……うん」


 これは素直に同意できる。

 グレン様は、僕に抵抗することすら許さずに、ほぼ無理矢理暴いたくせに、見てからの対応は驚くほど冷静だった。

 こんなもの?という風に、好奇も恐れもなく、傷を、ただそこにあるだけの、肌の一部として見ていた。

 ナタリアにこれを見せることを簡単に思い切ることができたのは、あの言葉のおかげだったかもしれない。僕にとってこの傷は大きなしこりなのに。

 えーっと。どうしてこれを見せることになったんだっけ?


 ナタリアが、僕がナタリア特製『山盛り肌着(シュミーズ)』やらコルセットやらドレスやらを着るのを手伝ってくれている間に、記憶が失われていないことを確認するためについ二月ほど前のことを初めから丁寧に思いだしたのがいけなかった。


 そういえば僕、グレン様にぎゅってされたな、あの時。あの時のグレン様は――


 頬をかすめるさらさらの亜麻色の髪に、しつこくなく、爽やかさも感じるわずかに甘い香り。浮かべた笑顔は安心しきった柔らかいもので、天使のように愛らしいあの人の容姿を惹き立てていた。

 伸ばされた手も驚くほど優しかった。さっき僕の頬に触れたときみたいだったんだ。あれはまるで壊れそうな大事なものを支えようとするかのように慎重で――――


「うん、やっぱりドレスはこれね!次は化粧ね。エル、こっちを向いて……って、エル!?熱があるの!?」

「え、そ、そんなことな、ないよ!健康そのもの、元気いっぱいだよ!」

「熱いの?顔、真っ赤よ?」

「嘘だ!」

「私がここで嘘をついてどうするの」

「その通りだね、うん、熱い!」


 自分のほっぺをぱちんと挟めば、手のひらよりも高い温度が伝わってくる。

 さっき収まったはずの心臓の鼓動もばくばく激しく、うるさい。


 やっぱり今日の僕はおかしい、絶対おかしい!グレン様の珍妙な行動を思いだして体温が上がるなんて、お仕置きの火であぶられ過ぎたか、それとも心肺機能に問題が起こったかのどっちかしかない!


 僕は自分を急速冷凍するために小さく冷風を起こし、深呼吸をして頭の中に別の顔を思い浮かべる。


 グレン様が何か悪いこと(本人曰く最高の考え)を思いついてその下準備が整ったときの顔。何も知らずにとことこ歩いてきた相手が罠に嵌まって驚愕と絶望に顔を歪めるのを今か今かと待ちかまえ、成功する直前、舌なめずりしそうになっている、よくよく僕に見せるあの顔を何度も思い浮かべる。

 よし、大丈夫。落ち着いてきた。でも今はまだグレン様と顔を合わせるのは非常にまずい気がする。今日は僕の体調がおかしいから、用心には用心を重ねるとしよう。


「ナタリア、これが全部終わったら、僕、ちょっと町に買い物に行ってくるね」

「え?いきなり」

「久しぶりに遊びたいんだ!姉様が好きなお菓子も僕なら分かるし!」

「そ、そうね……」

「そうと決まったら早く化粧をお願い。他につけるものあったら貸して。ドレスを着くらべなきゃいけないならそれも。あと注意事項も今聞いておくから」


 急に試着会に前向きになった僕を見て、ナタリアと姉様は呆気に取られていた。


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