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小姓で勘弁してください連載版・続編  作者: わんわんこ
第四章 ご主人様婚約者選定編(17歳初め)
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3 小姓は教えてもらいました

 姉様と近々会えると決まった次の日。僕はいつも通りグレン様のお世話を終えてから下位貴族寮の学習スペースで勉強に励んでいた。

 グレン様の婚約パーティーや姉様の結婚式といった大きな行事はもちろん大事なのだが、僕には間近に迫った最重要課題がある。


「エル。初期が喘鳴、中期で慢性的な倦怠感に少量の血尿、全身の多汗。家畜、特に馬や牛に多くて、この写真にあるような特徴的な舌の形状を示す病と言えば?」

「スタカモラビ病。細菌の肺感染により死に至る可能性も高い。発症からの進行が早いので注意。細菌潜伏期間は一月。有効な対処法は中期までの薬剤投与。薬剤の成分は――」

「はい、おっけ、おっけ」

「えー最後まで聞いてよー。薬剤成分とか、発見時の対処法とか、確定診断を下すまでの診察法とか、色々訊くことはあるだろー?」

「聞いてよって言えるレベルなら問題ないだろ。その自信、他の科目にもあれば赤点にならないんじゃねーの?」


 頬を膨らませて異議を唱えると、机の上に放るように教科書を置いたリッツに呆れ顔をされた。

 

 僕たち獣医師課の五年生は一月後に宮廷獣医師の一次試験を控えている。およそ30倍の倍率をくぐりぬけ、一次試験を合格した人だけが、その一月後、実技を含めた二次試験のために王都の王城に呼ばれることになっているのだ。

 一次試験までもう四分の三月ほどであることに加え、グレン様の小姓としての日ごろのお仕事や婚約パーティーへの強制出場やらで余計に時間が奪われる僕は、こうやってわずかな時間をかき集めた勉強時間中、学科試験最終確認に余念がないってわけ。

 なのにリッツときたら、こうやって手を抜くんだ。そして腹立たしいことに、こういうやつに限って試験をすーって潜り抜けたりするんだな、これが。


「ねぇ、リッツ、あと1問でいいからさ、なんか問題出してよ」

「もう軽く100問はやったじゃん。これ以上無賃金労働はしねーよ。こっから先は有料」

「ドケチ!」

「なんとでもどうぞ。無賃金で働いただけ感謝しろよー」

「ちぇー」


 確かにド守銭奴のリッツが無賃金で(ここが大事だ)手間のかかることをしてくれることは滅多にない。ここまでが明日雪になるくらいの貴重な時間だった。何か対価を要求される前にご機嫌を取っておくか。



 ポットを適温まで温め、密閉した容器から茶葉を取り出し、茶葉に最も合った温度のお湯で念入りにお茶を淹れる。お茶菓子は、グレン様へのクッキープレゼントの騒動で仲良くなった食堂のおばちゃんから今朝もらったバナナケーキ。

 蒸したタオルでくるんで少し温めると、バナナのいい香りが広がって、後ろの方からリッツのお腹が鳴った音が聞こえた。へへ、おいしそうでしょ?


 クッキー騒動といえば、グレン様から頂いたあの高価な羽ペンは、あのリッツがいい品だと手放しで褒めて、隙あらば売却を迫っていた一品だけあって、お値段に見合う性能を誇っている。

 インクが中に溜められる構造なのでいちいち浸ける手間がかからないし、そのわりに筆記濃淡にムラができないし、どれだけ使っても紙を傷めない。持ち運びだって便利で、替えの羽ペンや筆記具を持ち歩く必要がないのもいい。

 あまりの便利さに最近では常に身に着けているものだから、なんだかお守りのような気がしてきたくらいだ。是非、贈り主からの災厄から僕を守ってほしい。


「こらチコ、勝手に取っちゃだめだよ」


 ケーキの準備をしていると、チコが軽やかな足取りで僕の肩に乗って来た。目を煌めかせ、ケーキにそうっと黒く湿った鼻を伸ばしているので注意すると、チコの尻尾がしゅん、と垂れる。


「あげないとは言ってないよ。リッツの分とチコの分と僕の分で三つに分けるからちょっと待ってて」

「エル、俺の分も追加で頼む」


 チコが、僕の言葉に黒い円らな瞳を輝かせてぴんと尻尾を立てたのを確認してナイフでホールケーキに切れ目を入れていると、バタンと扉が開き、湯上りのヨンサムが入ってきた。


「ヨンサム、ここ、学習用スペースだって分かってる?お前の敵地とも言える場所だけど、いいの?」

「ケーキの匂いが勉強の空気を浄化している今なら踏み込める」


 リッツが「そりゃ間違いないな」と頷きながらヨンサム用の椅子も用意してくれたので、僕もケーキを五等分に分けて持っていくと、後から入ってきたはずのヨンサムが一番大きい物を取った。


「あぁ!一番大きいの取った!」

「一番体力を消費してるの俺だろ」

「僕だって頭は使ってる!」

「小さい。お前らいつものことながら食べ物のことになるとすげー器が小さい」


 食べ物の大きさって大事なんだってば!

 結局、心広い僕が、大きいカットをヨンサムに譲ったので、僕の分は一番小さいやつになった。

 チコはどの大きさのものをとっても他の人にねだってもらう技を持っているので、大きさに関係なく自分の分を確保して両手で押さえて齧りついている。

 チコ、人間と同じだけ食べてたら肥るよ?


 リッツは一番大きい物は最初から狙わず、ちゃっかり二番手辺りを囲い込みながらヨンサムに訊いた。


「ヨンサムはこの後も稽古だっけ?」

「あぁ。一刻休憩挟んだらイアン様が個別につけて下さることになってる」

「へぇ、直々にか。すげー」


 ヨンサムは今や、先日の学園大会で四年生(今は五年生だけど)として初めての本戦出場を果たした期待の新人だ。僕たちの宮廷獣医師一次試験の半月後にある本戦まで残り二月の間、イアン様はもちろん、他の出場者たちと特訓の日々を重ねているからか、前よりも背が伸び、一回り筋肉がついた。寮の部屋が前より狭い気がするから、気のせいじゃない。


 四年生段階で出場を決めたのはヨンサムと僕を下したキール様だけで、キール様は最初から本戦に出場できるだろうと言われていた本命の余裕か、いつも通り淡々と鍛錬に励んでいるらしい。とはいえ、宮廷魔術師になるためには、魔術の理論についての筆記試験も受けなければいけなくて、それが僕たちの宮廷獣医師試験と同じタイミングであるわけだから、相当にハードなスケジュールを送っていると思う。

 もし僕が本戦に残っていたら同じ状況になったわけだけど、僕は本戦出場の後のことに興味はないので、潔く放棄するつもりだった。相手の前で降参でーすって白旗振るとグレン様からの視線が非常に痛いし、事後的に現実の痛みを与えられるので、小姓の仕事を無理矢理入れて忙しいということを言い訳にしようとか考えてた。


「んで。騎士に一番早く足をかけた新進気鋭のヨンサムくんにはたくさんの縁談が舞い込んでる。こないだなんか美人で有名なアリトン子爵家の次女さんからも申し入れがあったっつーのはほんとですかね?」

「ゲホッごほっ」


 声の調子を変えずに続けたリッツに、ヨンサムが咳き込んだ。


「へぇ、さっすがヨンサムくーん。やるぅ。僕、同室なのに全然知らなかったよ。子爵家かぁ。身分とか気にならないのかな?」

「家は男爵家だけど、ヨンサムは将来の有望性はひっじょーに高い。セネット家は今ですら男爵家の中じゃあ一番子爵家に近いところにいるから、ひょっとしたら爵位を上げるかもしれないだろ?俺程度の子爵家だったらぽんっと抜かされそうな勢いがあるそいつが、器量よし、性格よし、雰囲気もこれまでに増して漢らしく、精悍な印象になっていて、しかも17歳、婚約者なし!となっちゃあご令嬢方を抱える敏い家は放っておけないだろ。長女じゃなけりゃ、伯爵家との縁続きだって狙えるかもな」

「おぉ。ヨンサム君すごーい」

「おい、エル、他人事だと思って!のんびり茶なんかすすんな、こら!」


 そんなこと言われても、僕にとっては他人事だし、ヨンサムにとってもいいことだらけだもんねぇ?


「ちなみに評判訊かれた時には俺もしっかり売りこんどいた」

「おい待てリッツ!何してくれてやがる!」

「えぇーお前だっていっぱい縁談来たら万々歳だろーが」

「じゃ、ねぇよ!このいっそがしいのに実領に帰れるかっての!大会とか騎士位内定とかもらってようやく帰った途端に縁談三昧とかすげぇ疲れそう……!」


 頭を抱えたヨンサムの注意がそれたところを狙って、こそっと最後のひとかけらを取ったチコはお腹が満足したのか、僕の膝に乗って自分の毛づくろいに入っている。

 チコ、ヨンサムにばれたら、イアン様のところに逃げ込むんだよ?



「聞きました?エルさん。この贅沢な悩み」

「聞きました聞きました。嫌ですねぇ、僕なんて一個も縁談こないのに」

「そりゃあグレン様が抑えていらっしゃるんだろ」

「ん?グレン様が?」


 そりゃ、「エルドレッド・アッシュリートン」は、国の戸籍上本来存在しないはずの「アッシュリートン家次男」だから、縁談なんか来ちゃ困るんだけど、そこまでやってくださってたの?


「え、まさかお前気づいてねーの?」

「なにに?」

「お前の商品価値って結構高いぞ?」

「ええぇぇどうして!?僕の家はかろうじて貴族程度の底辺で、僕も平々凡々。容姿も中身も大して目立つとこもないじみーな存在で、ただ、小姓っていう地位の珍しさと、そのご主人様の突出性しかないのに!」


 驚きのあまりチコを落としそうになって慌てて抱え上げながら叫ぶと、呆然としていたはずのヨンサムまで顔を上げた。


「アッシュリートンの方が俺のとこよりすごいだろ。今は底辺男爵家だけどさ、姉君が王子妃になる家だぜ?王家の覚えもめでたくなるんじゃねぇの?」

「うーん。そりゃ今までよりはそうかもしれないけど、陛下はそこまで私心を入れる方じゃないと思うよ、僕」

「そんなもんか?」


 納得しかねる顔のヨンサムの肩を叩いたのは、物知りリッツだ。


「まぁ王家とつながる意味も大きいんだけどさ、それよりも大事なのは多分、最後のとこ」

「というと、グレン様関連?」

「そ。小姓は主人との絶対の繋がりがある、公職の中でも最も特殊な地位だろ?お前と関係を持つってことは、お前の主人であるグレン様と必然的に係わるってことさ。普通に考えてみろよー、グレン様とつながることの意味を」

「日常的に虐められるようになる」

「それはグレン様個人のご性格の問題だろ。グレン様個人はもちろんだけどさ、それ以上にアルコット家とつながるってことが重いんだよ」

「どういうこと?そりゃあ伝統的な侯爵家だとは思うけど、そんなに違う?」


 僕が首を傾げると、リッツが大きくため息をついてから教えてくれた。


「アルコット家がこの国最古の侯爵家だってことくらい知ってるだろ?」

「さすがに」

「あの家の特徴はなにをおいても、魔術なんだよ。魔術の扱いについては頭一つ以上抜きんでてて、他の家の追随を許さない。この国は貴族と魔力の繋がりが濃いだろ?圧倒的な魔力は、国家――特に貴族社会における影響力にもつながるってわけ。んで、元々強みだった魔力の強さや長年温めてきたそれの利用法を持つだけで満足しなかったのが、先々代のアルコット候。先々代の、第18代国王陛下の末の妹君の降嫁を申し出たんだ」


 現王家には姫君がいらっしゃらないが、姫君が生まれれば大抵、他国との和平のための婚姻か、もしくは国内の有力貴族に降嫁される。アルコット家くらいの伝統性があればそれが優に認められたことは想像に難くない。


「その妹君はさ、女性にしては魔力が強い方らしい。さてエルくん。この意味は?」

「えーっと。王家っていう最も高貴な血を入れて家格を上げるだけじゃなくて、元々強かった魔力をより強めたってこと?」

「よくできました。その通り。んで、武力(魔力)を背景に領地を広げ、見事な経営手腕で経済力つけて確固たるゆるぎない地位を確保したのが、次のアルコット候である、先代だったっつーわけ」

「お二人ともすごい人だったんだ?」

「らしいぜ?その二人がものすごい才覚で、これまで以上にアルコット家に力をつけた。だからか、今のところ何の功績も残せてない現アルコット候は凡庸って揶揄されてんな。魔力も他の侯爵家よりはずっと上だけどそれでもアルコットの当主としては不適格ってぐらいらしいから可哀想だよな。当主の地位は譲ったけど、実質的な支配者は先代アルコット候らしい」

「ふぅん」

「その点で、能力はもちろん、既に第二王子殿下の側近の地位を持ってるグレン様は当代どころか先代まで越えた逸材になりそうとすら言われてるから、俺はどこまでやるのかなって観察してる」

「リッツらしいね」


 グレン様のご実家の話をこんなにきちんと聞くのは初めてだ。これならグレン様に詳しいお話を伺わなくても大丈夫かな?

 チコの足の裏のちょっとざらついた肉球をくすぐりながら、そんなことを考えていると、お茶を飲んでいたヨンサムが、こいつらしくない神妙な表情で言った。


「グレン様はさ、相当な圧力かけられて育てられたんだろうな」

「え?」


 僕が訊き返すと、ヨンサムは椅子に座り直して指を組んだ。


「いやさ。俺なんか、グレン様ほどの大きな家じゃなくても、貴族の嫡男だから跡継がなきゃいけないだろ?領主になったら、騎士としての仕事を続けるわけにいかなくなるんだよ。騎士の地位を返上して、領地に籠るんだ。違う形で王家に仕えるだけだって分かってても、それは俺のやりたいこととは違うからさ、なんか複雑なんだよな。領主ってなったら領地の経営とか統治とか、貴族間の利害とか、上下とか、考えなきゃいけないこともいっぱいあって……結婚ってその道具みたいなところがあるから、余計憂鬱なんだよな。自分の将来も、領地についても、結婚もそうだけど、俺だけのことじゃない。俺の規模ですら大変だから、余計にそう思うんだよな」


 ヨンサムの呟きで、自分が大変な思い違いをしていたことが、じわじわと浸み込むように分かってきた。


 グレン様が婚約者が選ぶということの意味は、僕が思っていた以上にもっとずっと重いものだった。


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