36 主の懊悩
ご主人様回です。次話はエルに戻り、おそらく3章最終話になります(多分!)
自室の執務室。僕は椅子に腰かけ、キールに渡された黒い液体の入った小瓶を光に透かし見ながら考えに耽っていた。
今回のフレディへの襲撃は計画的なものだった。
護衛が一人になった時を狙う周到さ、フレディが油断した隙をつく観察眼、相手の足取りを追っていた僕に向けられた足止め役と思しき暗殺者、そしてエルが遭遇した、どのようにしてか変異させられた魔獣。結局これといった尻尾は掴ませず、こちらを引っかき回した末、眼前をすり抜けていった逃げ足の速さ。
今回の相手はこれまでの相手よりも小賢しく、思ったよりも厄介だ。こちらの動きや、学園の大会や競技場の構造等を詳細に把握し、綿密に練られていたところから見て、先手を打たれたのは間違いない。
この学園はもう安全な場所じゃない。より一層警戒を高める必要があるな。
執務室で考えをまとめ、王都の研究室に黒い液体を送る手はずを整えた後、寝室に向かう。正確には、そこで寝ている一人の人間の様子を見に行く。
僕の寝台に横たわって浅い呼吸を繰り返し眠るそいつの枕元に座ると、その灰色の髪に触れる。見た目よりもさらりと指通りのいい短い髪が心地よく、幾度も指で梳いていく。
今回、あの人一倍気配に敏いイアンですら気づくのが遅れた。となれば、常人では気づけないほど高度な隠密系の魔法を用いていたか、それとも、イアンですら反応に遅れるほどの速度で襲撃があったかのいずれかの可能性に絞られる。
幸いにして軽傷で済んだイアンは、エルの声が聞こえていなかったら反応が遅れたと言っていた。自分の負傷ももっと重度で、フレディすら怪我していたと断言していたのだ。
そんな襲撃に、エルがいち早く気づけた理由は、おそらく、あのエルの稀有な才能によるものだと思う。予想通り、現場に駆け付け、四散した襲撃物を採取し、鑑定させた結果、それが魔獣のものだと判明した。エルはその魔獣のなんらかの「声」を聞いたんだろう。
敵の動物使いが単なる獣ではなく、知能が高いと言われる魔獣の操作すら出来る実力者であろうこと、敵が周到でこちらの動きや僕とこいつの関係性を多少なりとも把握していることを合わせ考えれば、エルが変異した魔獣に遭遇したのは、おそらく単なる偶然ではない。
敵がエルの能力に全く気付いていない可能性はどれくらいか――限りなく低いと僕は予想する。
エルは明確な意図を持って狙われた。
いずれ来るだろうと思っていた懸念は、僕の予想よりも早く迫っている。
だが、僕がいつまでも後手に回っていると思ったら大間違いだ。
エルの頬に指を滑らしながら、もう一人の人物への仕掛けに穴がないか見直す。
キール・クロフティン。北の辺境であるクロフティン領の領主の次男。
元々の真面目な性格に加え、上位貴族ならではの優越感と階層意識、そして劣等感に埋もれていた彼は、なにがきっかけだったかそれを吹っ切り、いい成長を見せてくれた。
容姿、魔力、身体能力、そして頭の回転の速さ――総合的に見れば、彼は今、僕の傍に仕えるにふさわしいどころか、直接フレディに推薦してもいいほどの実力者でもある。
その彼に、エルの護衛をさせる。
僕への心酔度合を見るに、エルへの敵対心だけしかないつい半年ほど前であれば、エルを害する相手にしかなりえなかった青年だ。
が、エルは僕が命ずるまでもなく――おそらく本人の自覚もなく――あの青年からの害意を消し去った。
能力があり、僕を第一に考え、それでいてエルへの嫉妬で潰れることがなくなった彼は適材だ。
敏い彼を、僕の意図を汲み取らせずに思い通りに動かすことはそれほど難しいことじゃない。
人間の感情は色とりどりで、かつ勝手に生まれるものだが、これは格好の道具になる。
純粋な感情は、言葉による説得や命令よりも、はるかに効果的に人を動かす。
それさえ分かっていれば、裏にある計算や意図を読まれないように振る舞い、自分の中に生まれた感情の中でも使えそうな物を100%に見せればいいだけだ。
主人である僕は、どれだけ遠くにいようと小姓であるエルの危機をある程度感知できる。
小姓が命を落とした時、手の中に持っていた大事な鍵を失ったかのような喪失感と同時に印が消え、また、小姓に生命の危険が迫った時には主側の印から独特の鈍い痛みが走ると言われている。
話に聞いていたその現象を今回初めて実体験し、全身から血液が逆流するような恐怖が走ったし、実際にエルを見つけるまでは生きた心地がしなかった。
が、キールからエルを受け取った後、キールの感情と考えを読み解き、冷静に考える自分がいなかったわけではない。
僕がエルに向き合うあの姿を見せつければ、賢い彼は僕がエルを特別視していることを悟るだろうと思ったし、現に彼はエルの正体や僕の感情に気付いた。
そして、僕が彼の考えを読んで牽制し、模範生としての仮面を取り去ってもなお、僕への忠誠を示そうとしていたことから見ても、彼の僕への盲目的な崇拝度合は下がっていなかった。
その時点で僕の目論見は成功したと言っても過言じゃない。
傷つけたら容赦しないと警告しつつ、僕への士官というエサをぶらさげ、エルと張り合って勝てと命じれば、彼は、例え多少エルを気に入らないと思うことがあっても、「自分の目標」のために、エルの身の回りに注意を払い、全身全霊でエルの身を守るだろう。
僕が、彼を評価していることをきちんと表してさえいれば、彼が悟った、僕が失いたくないものの秘密をばらすこともないだろう。そうすれば、自分が僕に見放されると分かるからだ。
そして、僕が人に対して思い入れを持たないことを知っている彼なら、自分の能力に慢心することもなさそうだし、そうなれば、実際にエル以外の部下として使っても、僕が手を回さずとも自分の身も守ってくれるだろう。
彼には、僕の手足になってもらう。
「ねぇ、エル。こんな仮面だらけの僕の一体どこがいいんだろうね?」
いつもなら抜けるように深い青い瞳を輝かせながら
「ほんとですよ!きっとキール様の目は腐ってるんだと思います。だってご主人様は、尊敬すべき人物像から180度離れたところにいらっしゃいますから!」
と、挑発してくるだろう小姓は、今は生意気な返事一つせずこんこんと眠り続けている。
目を瞑って静かに横たわる華奢な体は、とても男には見えない。
これで卒業まで独力で乗り切れると思っていたんだから、楽観主義もいいところだ。
使用人に泥だらけの体を洗わせたおかげで、よりはっきりしたその白い頬にはようやく血色が戻っていた。
キールに背負われていたこいつは、魔力枯渇というには度が過ぎていた。 通常の魔力枯渇なら苦悶の表情を浮かべていることが多いのだが、それすらなく、顔は土気色で、唇の色は紫を通り越して真っ白だった。
これだけ危険で異常な症状を表していたのにキールが気づかなかったのは、背負っていたことと、こいつが泥だらけで見られたもんじゃない状態にあったこと、それから動転していたからだろう。
そして、その原因も一目瞭然だった。キールに背負われたエルを預かった直後で、僕が最初に気付けたのは幸いだった。
エルの背中の火傷がみるみるうちに異様な速度で治っていっていたのだ。
最初に僕が見たときには焼けただれていた背中の皮膚と肉が、僕の目の前でみちみちと音が聞こえるほどの勢いで再生していくという尋常ならざる光景がそこにあった。
そして、先ほど、使用人に世話を任せる前に確認したとき、エルの背中には、肩口から腰にかけて斜めに横断する大きな古い切り傷が、元通りに存在していた。
目の前の異常な光景のおかげと言っていいものかは不明だが、僕の中ではっきりと確信にまで至った事実もある。
灰色の髪を梳きながら、未だ夢の中を移ろう小姓に話しかける。
「お前の傷は、やっぱり呪いだったんだね」
前々から小さな違和感はあった。
エルと小姓契約を結んだとき、僕は確かにエルの体内の魔力保存量を拡大させ、そこに僕の魔力を注いだ。だから、エルの魔力量は増えていなければおかしい。しかし、エルとの訓練を見ていると、どうもエルが使える魔力総量が変わっていないように思われた。
なら、僕が注いだ魔力はどこにいった?
大会前、エルが初めて僕に傷を見せたとき、背中に沿わせ、微量の魔力を流した僕の指に小さな痺れが走った。小姓であるエル自身の魔力は僕を拒絶しないはずなのに、紛れもない拒絶反応が出、そして抵抗までしてきたということだ。
そして先ほど、傷が治るにつれエルの魔力の気配がどんどん薄くなっていき、同時に、僕が治療用に流した魔力を弾く、エルとは別の、鼻につく銀色の魔力の存在が確認できた。
これらが意味することは一つ。
エルのこの背中の傷は単なる古傷なんかじゃない。呪いだ。
エルの体内にある魔力を用い、本人の意思に関係なく肉体の傷を治す。最初は僕にすらその存在を気づかせず、そして本気でないとはいえ、僕の魔力に潰されることなく、抵抗し、弾いてくる。
呪術――いわゆる呪いとは、解呪をしないと解けないものを指す総称だから、かけられた当人にとって悪いものだけでない。僕にかけられたものなどは、母が命懸けで行った、僕を守るためのもので僕の意思はどうあれ、僕に害はなさないことが分かっている。
ではエルの正体不明の呪いは、どうか?というと、見通しはよくない。
これは、確かにエルの致命傷を救った。
それに、今から考えれば、これがあったからエルは僕との小姓契約を無事に結べた気がする。
本人がぎゃんぎゃんとうるさそうなので、あの時は事後報告で生存率3割と言ったが、実際にエルに魔力を流してみて分かったところでは、エルと僕の魔力量には恐ろしいほどの差があり、エルの生存率は実は1割ほどだった。その確率に滑り込めたのは単なる偶然か、もしくは運がよかったのだろうと安易に考えていたが、今から思えばこの呪いがエルの命を救った可能性は高い。
この呪いは、明らかにエルを守っている。
しかし同時に、この呪いが背中の傷を治そうとしたがために、魔力枯渇状態にあったエルは回復に回すべき魔力を奪われ、本当に死にかけ、キールと別れた後の僕がすぐに本人に魔力を注がなければ命を落としていた。
知らぬ間に小姓契約で命を救われたなんて言っても、こいつは絶対信じないだろうけど。
それに、最初に僕が気づかなかったこれの気配が、今でははっきりと分かるほどに増している。
エルの意思に関係なく、エルの魔力と体を支配するそれが、エルにとって利益になるだけの呪いとは到底思えない。
だがそれ以上に、この傷は、気に食わない。
この高度な呪いをかけた呪術者はかなり魔術師だろう。そして、僕と同等かそれ以上の魔力を持っている。それなのに、この醜い傷をあえて背中に残し、そこに呪いを宿した。
エルに利益を与え、一方でその命を脅かしながらエルを縛り、同時に自分の痕跡をエルの中に残す――そのマーキングのようなやり口は、小姓契約と性質が似ている。
独占欲が強く、他人の魔力を強固に拒絶し、他の者に手を出させない。そこに傷を残し、エルの体の中で自己を主張する。
そこから窺える人物像は、一番嫌いな、僕自身とよく被る。
治らない、永遠に刻まれた傷から伝わってくる術者の意思。
「――こいつは、俺のモノだ。手を出すな……か」
エルの髪の先を通った指を白いシーツに食い込ませ、その呪いと戦い、破りたくなる衝動を堪える。僕が本気を出してそれとぶつかり合えば、一番最初に壊れるのはエルの体だ。
目の前の少年とも少女ともつかないような少し不思議な雰囲気なだけの平凡な女に惹かれ、囚われ、囲おうとしている、僕と能力も性格もよく似たやつが確かにこの世にいる。それも僕より前に目を付けたことを主張するように気配を増した。胸くそ悪い気配を漂わせる銀色の魔力が鼻につく。
それにエルの命を救われた形になったなんて信じたくない。僕とエルの繋がりである小姓契約すらそれに救われたかもしれないなんて認めたくない。
非常に腹立たしい。
狂暴な感情が噴出し、立ちあがると、おそらく何も知らずに眠るエルの額に爪先を立てる。
このまま消えない傷をつけてやろうか。見せつけるように、誰からも見える位置に、僕のものだという証を刻んでやろうか。どこの誰とも知らないそいつすら愛想を尽かすほどの、誰の前にも出られなくなるような大きくて醜い傷をつけて、そのまま僕の部屋に閉じ込めてやろうか。
こうなったら僕が魔力の器として使って、消せない傷を体内に残すのもありかもしれない。体が残れば、だけども。
もし今後僕が、エルを器として使って僕の中でも抑えられなくなってきている膨大な魔力を注げば、どうなるか――
本来の器である僕自身すら壊そうとする魔力が、呪いを力ずくで破り、それと同時にエルは壊される。または、この呪いが勝ち、僕の魔力を使ってエルの体を乗っ取り、エルを食らい尽くす――そんな最悪の想像が浮かぶ。
どっちに転んでも、こいつの未来は、他人によって壊される。僕か、その誰かによって導かれるそれをそのまま放っておけるのか。
爪を立てる代わりに、眠るエルの額に貼りついた髪を払うと、エルは、幼い子供のようにあどけない表情のまま、ふあ、とわずかに口を開いて、小さく寝返りをうつ。
「……その安心しきった寝顔、ほんとに腹立つなぁ。殺す気も失せる」
どうせ僕の命は短い。
なら、僕もろともでもいい。こいつにかけられた呪いを封じ込める方法を見つけなければならない。
お前の心に消せない傷を残すのは、僕だ。
「残りの時間は短いんだ。僕のことだけ考えてよ。エル」
前髪をかきあげ屈みこみ、見えない感情が残るように願をかけながら、先ほどまで爪先を置いていたそこに唇をつけた。




