15 小姓の犠牲は大きかったのです
僕の極寒発言が、食堂にいた多くはない全員を見事に凍らせ、怒り心頭のキール様の頭をも冷やし、あの弁舌まで張り付かせたおかげで、論争は無事終わりを迎えた。
どこかげっそりした様子のキール様がふらふらと下位貴族寮を去っていく後姿を見送ってから、僕は、先ほどの話が嘘八百だということを友人二人に全力で弁解したのだけど、
「あぁ、いいんだぜ……別にそれで友達やめたりしねぇから……お前がそういう方向に目覚めるのは時間の問題かもしれねぇって俺、二年前から薄々思ってたしな……それが俺の予想より早かった、ってだけの話だ……」
「嘘なんだーへーまぁ嘘から出た真って言うしーてきとーに信じておくわー」
と言いながら一切目を合わせてくれなかった。
いくら窮状を乗り切るためだったとは言え、僕は犠牲にしてはならないモノを犠牲にしてしまったようだ。
さっぱり食欲の出ないままに昼食を済ませた午後は、チコを自室で寝かせた後、リッツの手伝いを兼ねた操作系の呪術のレポートを完成させた。夕食を挟んだ夜は、ヨンサムの稽古が一通り終わった後、騎士課が一部使用する訓練場ではなく学園の裏庭でヨンサムとの訓練に打ち込んだ。
「はーっ、はーっ、はーっ」
ぬぐってもぬぐってもこめかみを零れていく汗を拭き、草むらの上にドサリと仰向けに倒れて、荒い息をつく。冷たい空気が動いて熱くなった頬を撫でていくのが心地いい。
息を乱しもしないままに僕の隣に座ったヨンサムが「うーん、やっぱあれだなー」と悩ましい声を上げる。
「お前、ほんと、剣に向いてねぇな」
「わかってる、んだけどっ、ねっ」
隣に腰を落としたヨンサムが、刃を潰しただけの練習用の鋼の剣を片手で素振りする。座ったままなのにヨンサムの上半身はぶれもしない。下半身で踏ん張ることもできないままにこれができるのは、体幹と体の重心がしっかりとしており、かつ、上半身及び腕の筋肉がしっかりついているからだ。
何度か振って感触を確かめた後、ヨンサムは僕に視線を投げた。
「お前、この素振り、できないだろ?」
「うん……」
「それが多分原因なんだよなー。こう、ぶれんだよ。エルの場合、相手と互角に組み合うと途端に剣の重みに負けんだろ」
「その通りでございますとも……」
剣は苦手だ。それは何も、他人を傷つけるのが嫌だ、というだけでなく、とにかく相性が悪いのだ。
実のところ、魔獣や人の脂や血や体液は、金属の切れ味を直ぐに悪くさせる。よほどの達人が、それらを付着させないほどの速さと最小限の部位を狙うか、もしくは剣が刃こぼれしないように刃に強化魔法をかけた上で、剣の周りを透明な硬い膜で覆う特別な魔法を継続してかけるかしなければ、「切れ」なくなってしまう。
実は、僕たち獣医師課の生徒は、戦争などの国家非常時には医師不足を防ぐため、対人治療に回されることになっている。その関係で、獣医師としての専門授業以外に医師課の余分の勉強を課せられており、剣で切られた怪我や遺体は日常的に診ている。
その傷口を見れば一目瞭然なのだが、剣による傷は、切創(切り傷のこと)よりも割創(鈍器などで強く殴られてできた傷のこと)が多い。鋼でできた剣は、実際には、「切る」ことよりも「重さでたたき割る」ことを目的にしているということだ。
戦場で相手を叩き割り続けることを目指している以上、その刃は、長く重い。
その重量は、女性が扱うには手に余るもので、並のご令嬢なら持ち上げることすら困難な重さで、振るなんてもってのほかだ。
僕の場合、小さい頃から男として育てられているから、剣だこができる程度には剣の稽古はしている。振ったり突いたりする時に剣が震えるようなことはないし、素振り自体はそれなりにこなせる。
が、それでも男子相手に剣を組み合わせられると、技量云々の問題の前に、相手の力と剣二本分の重さに押し切られて重心がぶれ、振り回されてしまうのだ。
これを解決するには筋肉をつけるのが一番の方法(実際に王都の女性騎士のみなさんはそうしている)だけど、僕は女性の中でもどうにも筋肉がつきにくい体質らしく、いまだになよなよとしたもやし体形のままだ。そんな僕に剣術が向いているわけがない。
「でも武術も、ねぇ……」
「自覚はあんのか」
「はは、ヨンサムどころかリッツにすら負けたよ」
「そりゃねぇわ」
筋肉というのは、威力を出すためのものでもあり、自分の防御にもなる組織だ。
その筋肉が少ない僕にとって、剛――すなわち、筋肉量任せの殴る蹴る攻撃は、目も当てられない。大した威力も出ない僕の場合、むしろ殴ったり蹴ったりしたこっちの方が痛みでやられる。ムキムキな相手の腹筋めがけて僕が殴りつけたら、きっと僕の手の骨が折れるってことね。間抜けにもほどがあるでしょ?
じゃあ柔――相手の力を利用して倍返しにしたり、関節を決める技はどうかと言えば、こちらも簡単ではない。
柔を極めるには、相手の懐に入れる速さと技術が必要だけれど、俄か訓練の僕は大したことがない。また、鍛えている相手は筋肉だけでなく、関節も強いから、例え技が決まっても効かないこともある。
相手が特に武術もしていない平民男性相手なら僕でもなんとかする余地があるけど、相手がそれなりに訓練を受けている相手なら言わずもがなだ。
「じゃあ魔法でって言ったところで僕は攻撃魔法が苦手だしー……うわぁー大見栄切ったのに勝てる見込みがないー」
「動機がなんとも言えねーけど」
「だーかーら!あれは嘘なんだって!ヨンサムなら、グレン様が僕をおもちゃにするために出場を強制したってことくらい想像つくでしょ?負けたら世にも恐ろしいお仕置きが待ってるんだって……」
「まぁその方が、普段のエルの発言とかからは納得すっけどな。でも、それにしては迫真の演技で」
「ヨンサムが信じてくれなきゃ他の誰が信じてくれるんだよぉー!」
「お前が自分で言ったんだろ」
「あれはクロフティン様をさっさと追い返すための口実!それっぽいこともそれっぽく言わないと騙されてくれないだろ」
「安心しろ。お前も十分性格ねじ曲がってるわ」
自業自得なのは分かっているさ!泣き言くらい言ってもいいじゃんか。
「酷い!あぁやだやだ!人間はなんて薄情なんだろう!君たち以上に優しい友達はいないよねー」
いじけた気持ちでごろりと草に寝転がり、稽古の終わりを悟って群がってきたうさぎさんやミミズクさんをマッサージして現実逃避していると、ヨンサムが不思議そうに首を捻った。
「つーかさ、お前、なんで剣にこだわるわけ?」
「え?弓とかこん棒とか槍とか使えって?無茶言うな」
「じゃなくて。どうしていっちばん苦手だって自覚あるもんで勝負しようとしてんのかなって思ってさ」
「何言ってんだよ、大会って、剣で切り合ったり、派手な魔法で戦うもんなんだろ?どぱーんってさ!」
何を当然のことを、と呆れ顔を向けると、逆に呆れ顔を返された。
「……お前、馬鹿だろ」
「うっわぁ。否定できないけど、4つも必修落としたヨンサムには言われたくない!」
「おい、それが稽古に付き合ってやってる友人に言うセリフか、やめんぞこら」
「すみませんでしたっ!是非この不出来な友人に策をご教授くださいませ!」
「……対人の時でもなんでもさ、相手の弱いとこ狙うのがセオリーだよな?」
即座に起き上がって頭を下げると、ヨンサムの方はむすっとした顔のまま、それでも続けてくれる。このあたりが、こいつが「いいやつ」な所以で、グレン様とは決定的に違うところだ。
「うん。一般的にはそうじゃない?」
「じゃあエル。お前の弱点を自分で挙げてみな?」
ヨンサムに呼ばれて指を折りながら考える。
「僕の弱点?えーっと、力がない。体がちっちゃくて、背も低くて、重量がない。剣は苦手。剣以外の武器なんかもっと使えない。魔力が少ない、攻撃魔法も苦手。それから、戦術の知識も戦闘技能もない、まともな戦闘経験もほぼ皆無……それから……」
「あーおーけーおーけーその辺でいい。お前が案外冷静に自分を分かっていると知って俺は安心した。俺の思ってるお前の弱点とも一致するしな」
ヨンサムが止めてくれなかったら折る指がなくなるところだった。悲しい。
それに多少卑下も入ってたんだけど、ヨンサムも同じことを思ってるってことは、客観的に見てそうってことか。残念だ……。
「で?ダメなところを自覚してなくせってこと?」
「そりゃ弱点がないにこしたことはねぇけど、それは残りの日数じゃ無理だろ」
「じゃあどうして挙げさせたんだよ?傷に塩塗るため?」
「ちっげぇよ。弱点だってお前が分かってるとこ、全部じゃないにしても相手も分かるもんだろ。特に見た目とかは」
「そうだろうね。貧弱なのは一目瞭然だし」
「それを利用すんだよ」
「はぁ?弱点を利用?」
「弱点だからこそだろ」
ヨンサムが月あかりを背に僕を指し、にやっといたずら小僧の笑みを見せた。




