14 小姓の地位はどなたであっても譲りません
僕からにじみ出るお葬式のような気配を意に介することもなく、目の前のご仁は羨まし気に僕を睨んだ後、
「戦いの場はなにも戦闘だけではないと思い知らされた。政略研究会議でのあの明晰な頭脳、話術――」
などと褒めたたえ続けている。最初は「私」だったはずなのにいつの間にか「俺」と砕けてしまっているあたり、かなりの陶酔モードに見える。
グレン様の容姿や能力に憧れる人は、老若男女貴賤問わず結構見てきたけど、ここまでの狂信者は初めてかもしれない。リッツが
「やばい、壊れた……あのクラスでは一番まともそうな人だったのに……!」
と呟いているところを見るに、嵩が外れたようだ。
この人が一番まともとか、絶対選抜クラスには入りたくない。
この調子が延々続くものだから、グレン様の非道なお仕置きに再燃させた怒りの炎も鎮火してしまい、ひいてはなんでこの方と言い争っていたのかすら分からなくなってきそうだ。
正確には、チコにやったこともこの方の絶対認めることのできない主張も覚えてはいるけど、ここで言い争うのが馬鹿馬鹿しくなってきたとも言う。
「というように、あの方はこれほど類まれなる存在であるにもかかわらず、それを驕ることのない謙虚な姿勢――」
「ぶふっ」
「……なぜ噴出す?」
「いいえ、くしゃみを堪えただけです」
僕のご主人様は謙虚の真反対側でふんぞりかえって笑っているような方だったはずだ。
笑いをこらえるのに必死になりすぎて本題を忘れそうになり、頑張って意識を立て直す。
そう考えて、僕は唐突に僕とグレン様のあらぬ噂のことを思い出した。
ここまで情熱を持って語るってことは、もしかしたら、僕とグレン様のあらぬ噂に嫉妬していたりするのかな?
「……あの方は貴族男子の鑑ともいうべき存在だ。……ずっとずっと憧れてきたんだ、俺は!あの方のお役に立つため、俺がどれだけ努力してきたことか……!」
「あのー念のための質問をよろしいですか?」
「なんだ」
「キ……クロフティン様は、グレン様のことをお慕いしていると感じたのですが」
「その通りだ」
「それは、あくまで尊敬ということでよろしいですか?」
「は?」
「そのー……その『お慕い』は恋愛のようなもので、そういう意味での嫉妬はないかと…ふぐぐ!」
朗々と語っていたキール様が呆然としてぽかんと口を上げるわずかな間にヨンサムに口を後ろから塞がれた。そして、リッツの方は、一週間常温で放置された魚を見るような目を僕に向けて
「せっかく意識がそれてたのにこれ以上、火に油を注いでどうするんだお前は二度としゃべんじゃねー」
と小声で脅してくる。
「……なぜだ」
「えっと、何がでしょう?」
キール様がぽつりと声を漏らし、リッツが慌てて答えた。
「リッツ殿はもちろんだが、セネット殿も名前を聞いたことくらいはある。下位貴族の中でも優秀だと。下位貴族でありながら、上位貴族に実力で食い込む君たちのような人間であればまだしも、なぜ見ても聞いても凡庸の枠を越えない人間などが……?」
「あ―――それはですね―――おそらく、こういう人を食ったような態度と、予測できない方向に飛びぬけた思考回路が観察してて面白いと申しますか――」
「リッツ!?」
「え――多分、グレン様はそのー……こいつみたいな、いじりがいのある、へこたれない雑草みたいなやつが物珍しかったんだと――あれです、豪奢な花束に囲まれ過ぎて道端の雑草に目が行く感覚です」
「ヨンサム、フォローしてない!」
二人して、異論を唱える僕を完全に無視し、キール様から僕が見えないように隠す方向に専念し始めた。キール様の方は一人で拳を固く握りしめている。
「…………俺がっ……どれだけあの方を敬愛しているかっ!上位貴族という、貴族内でも身分意識が絶対の世界の中で、一番下に位置する俺が、どれだけ努力してきたことかっ!それが、なぜ、凡庸どころかこんな阿呆な人間などを小姓などという大事な地位に……!お前のような者よりも、俺の方がよほどグレン様のお役に立てるのに……!」
キール様の方がグレン様のお役に立てる――それは確かな事実なのに、最後の一言が妙に耳に残った。
ギリリと音がするくらい奥歯を噛みしめたキール様が僕に向き直る。
「アルコット様は現段階でも先ほどのことをなしうる、数少ない有能な宮廷魔術師だ。その部下の宮廷魔術師として傍にお仕えするのが、俺の夢だった……!二年前、その方がっ、まさか『小姓』を――それも同学年の人間で持つなどと聞いたから、どんなやつかと嫉妬半分期待半分で見た時、何度おのが目を疑ったか……!それでも何かあるのかもしれないと我慢に我慢を重ねてこの二年ほど怒りを抑えていたというのに……!」
怒りを抑えるように一度目を瞑ったキール様が、再びその薄紫色の目を開き、底冷えする目で僕を見下ろした。
「ただの凡庸な人間だったということだけでも屈辱だが、先ほどのような甘い考えを持つようなら、それはあの方にとって、百害にこそなれ、一利にもならない。さっさとあの方の目の前から消えろ。目障りだ」
「それはできません」
即座に拒絶すると、キール様は唸るような低い声を絞り出す。
「どうせ、フレデリック殿下と貴様の姉にあたるマーガレット様のご婚約に乗じて手に入れた地位なのだろう?底辺貴族のくせに貴族らしいやり方をとるものだ。薄汚く貼りついた、大したことも出来ないいい加減なやつよりも俺の方があの方のためになるに決まっている!」
説明するのがと―――っても面倒な事情があるし、どちらかというと僕とグレン様の主従関係の方が先に出来ているけれど、事情を知らない人にそう見えるのも無理はない。
経緯も、いつもの僕の仕事ぶりも知っているヨンサムが「それは!」と真面目に反駁しようとするの静かに首を横に振って止めてから、妙に落ち着いた気持ちで、キール様に向かい合う。
「もう一度申し上げますが、それはできません。グレン様の小姓は僕です」
グレン様は、ドSで、鬼畜で、人を人とも思っていないお方だ。本性だけで言うなら人間として最低な人種に入る。
でも、ご自分が正しいと信じた道が、どれだけ一般の感覚と離れていてもそれに物怖じしない人だからこそ、あの方なりの基準で、全ての物事に対して筋を通そうと考えているのも知っている。
その方が、「殺す必要がないのなら殺さない方がいい」と言ったんだ。あの方の考えは、目の前のキール様の主張とは違う。
本当に、本当に、本当に最低な人だし、酷いこともいっぱいされているのに、性別の違いで今のこの生活が――あの方の小姓である今がなくなることを僕は心の底から恐れた。
あぁ認めよう、僕だって、あの方のことをある面では尊敬しているし、信頼しているし、お慕いしている。もちろん、小姓として主を想う気持ちだけど。
稀に垣間見える優しさも、寂しそうな様子も本物で、でも意地でもそれを素直に見せようとしない意地っ張り。器用なようで不器用な生き様を続ける、矛盾だらけのあの方を、僕は放っておけない。
この地位を、誰に譲る気もない。譲りたくない。
目の前の優秀な人材ではなく、僕こそがグレン様の小姓なのだと認めてほしい。
それは、今まではどこかぼんやりとしていて、明確に意識したことのなかった感情のはずだった。
なのに、見えた途端、色がついたようにはっきりと光ってうるさいくらいに主張して来る。
そっか。僕、グレン様の小姓でありたかったんだ。
こんなにも、強く。
「あなたが僕のご主人様に対して並々ならぬ思いがあるのは分かりました。僕が無能であることがお気に召さないことも分かります」
「ならば――」
「それなら、無能でなければいいということですよね?」
「は?」
僕の声音が変わったからだろうか、それとも申し出が意表を突くものだったからだろうか、キール様が初めて僕に侮蔑以外の表情を見せる。
「見ていてください。僕が無能ではないことを大会で証明いたします」
「特殊課のお前が……大会に?」
「はい、先日事情があって、参加を申し出ました。本戦まで勝ち上がって見せましょう」
「その事情とはなんだ?」
「なにって……」
「予選を勝ち抜くのは騎士課や魔術師課でも高学年の優秀層だけだと知らないわけではないだろうな。それとも、学園選抜大会が特殊課で特に訓練もしていないお前のようなやつが這い上がれるような生ぬるいものだと思ったのか?」
「いいえ全く!僕だってできれば出ないままでいたかったのですがそういうわけにはいかない事情ができただけで……」
「だから尋ねている。その事情とはなんだ?」
「それは……っ」
しまった。敬愛するご主人様に女装(本来の性別に合った姿とはもっと言えない!)させられて婚約者選定会に出されそうでそれを回避する唯一の方法を確保するための取引が原因です、だなんて言えるわけがない。グレン様を崇拝しているこの方に、「ご主人様の気まぐれな遊びだ」なんて言っても絶対に信じてくれない。
げ、リッツとヨンサムも興味深そうにこちらを見てる!
この二人は僕が余程の理由がなければ出ないくらい大会に興味がなかったことも知っているから、生半な理由じゃ納得させられまい。
二進も三進もいかなくなった僕は、全身に冷や汗をかいたまま藁にも縋る思いで苦し紛れに叫んだ。
「グ、グレン様への僕の愛を証明するためでございます!!」
「……は?」
キール様だけでなく、他二人の目も点になっていることは雰囲気で分かるが、こうなったら仕方がない。
毒を食らわば皿までだ!!
「クロフティン様もあの噂をご存知でしょう?僕とグレン様が……その、恋仲であるというものです」
「だがそれはデマだろう……?」
「ははっ、まさか!僕とグレン様の恋は、熱く、他の介入を許さないほど燃え上がっておりますよ!が、この恋が道ならぬものであるのも事実。グレン様がご婚約者様を選ぶ時期になって参りましたことで僕は不安にかられ始めたのでございます。そしてつい先日、僕の様子がおかしいことを察したグレン様が『お前は本当に僕が好きなの?』とお訊きになりました。『無論でございます。何に代えることもできません。例え(女性と)ご結婚されようとも、心からお慕いしております』と申し上げたところ、『そう言われても不安だから、僕への愛の程度を大会で勝ち抜いて証明して』と仰ったので、急遽参加することにした次第であります」
ああああ―――よくもまぁこんな嘘でまかせがポンポンと!話すだけで胃が荒れていく気がするのに舌は絶好調で滑らかだ。食欲なんかすっかり失せた!
胃液が遡りそうになるのをぐっとこらえて、キール様を見上げて、せいぜい自信満々の顔を作って堂々と胸を張る。
「僕とグレン様の間の熱は、どんな氷でも溶かすことはできないでしょう!!僕は何をしても這い上がってみせます!当日は僕とグレン様の相思相愛の程度をとくとご覧くださいませ!!」
僕の宣言に、ぴしっと、食堂の空気が凍る音がした。




