完結お礼小話③ 酔っ払い・再び?(2/2)
グレン視点。
さて、どうするかな。
キールとエルに連れられ、エルだけが残った私室で、僕は少しだけぼんやりした頭で考える。
以前は、飲酒したときに、ここまではっきりした意識を保てず、後から覚醒して、起こったことの記憶を思い返していた。
しかし、あの忌々しい銀色の魔獣の魔力を取り入れたときから、僕は酒にほとんど酔わなくなった。正確には、浮遊感と、ある程度冷静な思考力が落ちる程度でとどまるようになり、それ以上、酒の毒が思考力や体力を奪うことがなくなった。この邪魔でしかない銀色の魔力は、少しでもこの体に害があると考えるモノを自動的に排除するらしい。
この状態にとどまるようになったことにはすぐに気づいたけれど、フレディにはあえて伝えていない。言っても僕にメリットはないからだ。言わずもがな、イアンには伝える必要がない。
「ほら、グレン様、レモン水ですよ。召し上がれますか?」
エルが、ベッドに横になった僕に水の入ったコップを差し出してくる。
僕がそれに口をつけないで近くにいるエルを見上げると、エルは「グレン様、なに拗ねてるんです?お水飲まないとお酒抜けませんよ」などと言いながら僕の側のベッドに腰掛け、慣れた様子で僕の頭を自分の膝に抱き起こしてきた。
こいつは、僕に会いたかった、なんて言っておきながら、婚約という形式にこだわったどころか、婚姻自体を四分の一月後にまで延ばしてきた。
長年食べ物にありつけなかった野生動物が、目の前に好物だと分かっている獲物を置かれているのにお預けを食らわされている状態だと自覚しているんだろうか。
押し倒して滅茶苦茶にしてやりたいという封じ込めているはずの仄暗い欲情と、この僕に芽生えた、まだまだ未熟な芽を大事にしてやりたい愛おしさとがないまぜになって、ものすごく複雑だったものの、必死に訴える様子に半月の猶予をくれてやった途端にこれだ。
前から、容姿は、この僕がある程度認めるくらいには悪くはなかった。小姓の時代には、あまりに子だぬきに近い子供っぽい顔立ちだったのと、言動の色気の皆無さと、体格の貧弱さで誤魔化せていただけだ。僕自身も本当に初期の初期は、ミミズやぶさいくな犬と同じくらいに思っていたはずだ。
しかし、今のこいつはよくない。
わずか半年で随分と体つきに女らしさを増し、周囲が目を見張る程度には体格が変わった。伸ばし始めた髪はまだ肩を少し越えた程度の長さだけれど、動くと、故意につけられたものではないおそらく花か何かの甘い匂いが漂う。令嬢らしい畏まった様子がないせいで、本人に自覚はないが、男どもとの距離が貴族令嬢にしてはありえないくらい近い。ある程度打ち解けて会話をしなければ(口の悪さと根性が隠れるので)、今のこいつは、一見、無垢で無邪気でか弱そうな令嬢に見える。
男ならだれでも持つ、この手で汚したいという欲求を、一番ぶつけてみたくなるタイプだ。
マーガレット様に似た顔立ちに、愛嬌を持ち、高嶺の花扱いされるマーガレット様のようなある種の近寄りがたさがないとなれば、当然のことながら、下衆な考えを持った害虫が寄るわ寄るわ。女性官吏がまだまだ希少で女性用の制服がなく、着ている服が男性用のソレだということで、一部の変態の中では更なる拍車がかかる。
貴族の繋がりという意味での下心ではなく、男としての下心を持ったゴミが近づいているのに、こいつはまるで気づいていなくて腹立たしい。
こいつの自覚は、まだまだ子供のそれに近く、内面的な女性らしさという意味では、卵が孵化したばかりといったところだ。のほほんとしているにもほどがある。
誘ってるなら乗ってやろうかと思ったことが何度あったのか、もう数えるのも止めた。
お前は、僕にどこまでお預けを食らわせるつもりなんだ?ついこないだ僕に対して持った、女性としての警戒心をどこに捨ててきた?今お前がいるのは僕の部屋で、ここはベッドの上で、お前と僕は二人きり。膝の上に乗せてるのはお前を食おうとしている男だってこと、分かってる?
「グレン様、さっきから妙に不機嫌ですよね。さっき何があったっけ?イアン様がいつものようにゲロってたことしか思い出せない……あ。もしかして、ヨンサムにヤキモチ妬いてたりします?ははーん、グレン様でも、ヨンサムにすらヤキモチ妬いたりするんですねぇ。そんなに僕は魅力的ですか?」
「……える、ぼくと酒でものもうか」
「はい?」
してやったり顔でにやにやしていたエルが、訳がわからないといった顔で僕を見下ろす。
「何を仰ってるんです?やきが回ってますか?グレン様、それ以上お酒を召し上がったら、もれなくイアン様の仲間入りですよ」
「ぼくの体は、ぼくが一番よく分かってるよ」
「いやいや、変な意地を張るのはやめてください。どう見たってでろんでろんじゃないですか」
「そう?じゃあ、ぼくとの呑み比べで、お前が勝ったら、ぼくがお前の言うこと、なんでも一つ聞いてあげるよ」
僕の甘い誘惑に、エルがぴくんと耳を動かして反応した。釣れたな。
「……何でもですか?」
「うん、なんでも。逆に、ぼくが勝ったら、お前が一つなんでも言うこときくんだよ」
「本気ですか?」
「ぼく、お前とのこれまでの約束はちゃんと守ってるよね?」
「勝つ条件は――」
「降参した時点で負けってことにしようか」
「それって、グレン様、もうほとんど負けてるんじゃ――――いや、待てよ。そしたら僕、ほとんど不戦勝だよね?僕、酒だけはグレン様に負けるとは思えないし、美味しいお酒も飲めそうだし……グレン様がこんなに割のいい勝負を仕掛けて来るなんてなにか裏が……?でも、グレン様、仰ったことは覚えている方だし、裏もなにもそんなにお酒にお強くないし……これは、日頃の僕の行いが報われる大チャンス?……よし、やりましょう!」
聞こえていないと思って邪な考えを駄々洩れにしたアホは、満面の笑顔で僕の賭けに乗り、僕に水を飲ませた後に、るんたるんたと鼻歌を歌いながら、僕が酒を置いている戸棚に向かって晩酌の準備を始めた。
このアホさすら、馬鹿馬鹿しいのに、イライラするどころか可愛い、と思い始めている僕も大分重症だ。分かっている、自覚はある。恋愛純粋培養のどこかの殿下をバカにしまくってたツケが回って来たらしい。くそ、今すぐ滅茶苦茶に抱きつぶしたい。
こいつ、僕の婚約者になってるんだよね?なんで僕は我慢してるんだろう?約束した自分が今になって恨めしい。
僕を散々焦らしている罰だ。とんでもないことを命じて聞かせてやる。ついでに、散々に酔っぱらったこいつがどうなるか見て、もし、泣き上戸や怒り上戸にでもなろうものなら、後でそれをネタに散々楽しんでやる。きっといつものとおりの泣き顔を見せてくれるだろう。
※※※※※
そうしてどれくらい呑んだだろうか。
ベッド脇の小机に酒とグラスを置き、二人でベッドに腰掛けたままでの簡易な晩酌だ。それにしてはそれなりの時間が経った。
純度の高い酒の上手さに舌鼓を打っていたエルの目は、10杯目を越えたあたりから虚ろになってきて、顔がぽーっと赤くなってきた。まぁ、この酒を原液で10杯飲めるだけでも十分酒に強い方だろう。そろそろかな。
僕の方は変わらないので、大げさにしていた演技をやめてみる。
「エル」
「はい……ぐれんさま」
エルは酔っぱらったせいで上体を固定できなくなったらしく、隣に座った僕の肩に頭を預けてきた。
「酔ってるね」
「んー体、ふわふわします……あつい……」
「……服脱いだらさすがに襲うから。僕とした約束守ってほしかったら脱がないことだね」
「うー……あつい……ちょっとだけなら、いいですか?」
そう言って、エルは、シャツのボタンを上から2、3個開け、胸元に風を通すようにパタパタとシャツを引っ張ったりしてから、再びすり寄るように僕の肩に顔を埋めて来る。シャツから覗くエルの頬から鎖骨にかけての白い肌が酒で朱を帯び、さらにその先――以前と違ってできた凹凸が見えそうで、僕はそこから目を逸らした。他の女ならば凹凸など見えても今さら心を動かされることはないのに。この僕が、なんでこいつにこんなに動揺しなくちゃいけないんだ。
こんな勝負を持ちかけたことにも、半月――あと、四分の一月待つと言ったことについても、僕はこの時点で大いに後悔していた。僕も酒に酔っていた、安易な提案過ぎた。
「そこまで」
僕は、エルのおでこを軽く冷やしながら宣告する。
「勝負は僕の勝ちだね」
「しょうぶぅ~……?あーおさけ、のむの……」
「忘れたとは言わせないよ」
「おぼえてますよう……あーもういいです、こうさんです。ぐれんさまの、かちでいいです……」
なんでも一つ、か。何を聞かせてやろうか。エルが僕に逆らえるわけないし、今回は言質も取った。理性が戻った時にエルが涙目になるのが分かっていて、想像すればぞくぞくする。その姿を想像すると理性が押し負けそうになったので、頭の中にさっきの蹲ったイアンがトイレに走る姿を思い浮かべた。――よし、理性が戻った。イアン、君の惨めな姿に感謝するよ。
「あーぐれんさまが二重にみえる……」
「水飲まないと明日動けなくなるから飲みなよ」
「それ、ぼくのせりふ……」
「飲まないで一晩どころか明日も一日ここで過ごしたいなら無理に飲めとは言わないけど、残りの猶予期間は放棄したものとみなすよ」
僕の言葉の意味とこいつにとっての危険性は辛うじて認識できたのか、エルが僕から受け取った水の入ったコップを両手で持ち、こくこくと喉を鳴らして飲み干した。
白い首筋に口の端から零れた水が伝って、胸元まで濡らしていく。これをわざとやっていないんだから余計に腹が立つ。せっかく逸らした意識がそっちに戻るのを無理矢理ねじ伏せる。
エルは、両手に持ったコップを小机に戻すと、僕の方を向き直り、ぼーっと僕の顔を見つめていたかと思うと、おもむろに手を伸ばし、僕の頬を片手で包んだ。
「こしょうのときから、つねづねおもってたんですけど、ぐれんさま、本当に、おきれいですね」
それは、僕の中で、思い出したくもない遠い昔に言われ続けていた忌まわしい言葉だった。僕に商品としての価値があるという意味の言葉であり、人間の下劣な欲情を滲ませた汚い言葉の一つでもあったからだ。貴族になってからも、言われるたびに笑顔の奥で腸が煮えくり返るような怒りを感じた。
でも、不思議と。
「……お前に言われるのは、悪くない」
「えへへ」
僕の言葉に、エルは、はにかんで笑った。
「だいすきです、ぐれんさまー」
そう言いながらすり寄られて、頬にキスまでしてくる。
「お前、酔うとそうなるの?」
「んーどうなんでしょう……」
「誰にでもするようなら家から出さないよ」
「まさかーぐれんさまだけですってー」
「……分かったからには、外でそれだけ酒呑んだら3日は家から出さないから。呑むのは僕の前だけにしておいて」
どうして僕はこいつを押し倒しちゃいけないんだろうか。自分で自分に嵌めた枷に囚われてて、フレディにバレたら数月は笑われるだろうことが予想できた。
僕がベッドから立ち上がり、エルの肩を押すと、エルは簡単に後ろに倒れた。倒れた姿から目をそらしたまま、自分のベッドに押し付けて毛布をかぶせると、エルは、赤ら顔を毛布から出して、不思議そうな顔をする。
「もう寝なよ。今日は特別にそのベッドを一人で使わせてあげる」
「えーいいんですかー……?ぐれんさまも、いっしょにねましょうよ……」
「なに、猶予は放棄するって?起きたら、夫婦になってました、でいいの?これ以上は念押ししないよ?」
「ふうふ……」
「今回は僕のミスだよ、認める。お前がそうなるっていう想定はなかった。さっさと寝なよ。あと日が6回落ちるまではお前には手を出さないであげる――そういう約束だからね」
「ぐれんさまはどこでねるんです……?」
「僕は――あっちのソファで寝るから。いいから早く寝なって」
「はぁい。おやすみなさい、ぐれんさま」
僕がエルの頭をひんやりさせた手で触ると、エルはふんわりと笑って目を閉じ、そう時間をかけずに寝息を立て始めた。
その寝顔を見てから、僕は執務室に戻り、やっていた仕事の続きを引っ張りだす。一晩中そうして意識を逸らしておくしかない。
酔った勢いで無意識に僕にすり寄って甘えてくるくらいには僕は求められているはずだ。あと6日が恨めしいほどに長い。
「――寝られるわけないでしょ、ほんとバカだよね、あいつは」
僕は舌打ちをしてから、寝室に目を向けないようにして、朝までの時間を過ごした。
その6日後に、僕が美味しくエルをいただいたのは、紛れもない事実だ。
おしまい。
※ 本編の糖度が低めなので、完結お礼小話は糖度200%(当社比)でお送りいたしました。楽しんでいただけているといいな。
これにて小姓は一旦完結扱いとさせていただきます。が、また不意に番外編を投稿することがあろうと思いますので、そのときは覗いていただけたら嬉しいです。
※ なんと、またコミカライズをいただきました!一体どの話がコミカライズされたのか等々、3/13の活動報告をご覧ください。本当に素敵なコミカライズなので。グレン様が超イケメンです。是非。




