完結お礼小話② チコの本当にあったコワイ話
チコ視点。
時系列は、完結お礼小話①より前です。
ニンゲンって本当におかしな生き物だなぁ。
だって聞いて?エルが魔獣になりかけて、それからニンゲンに戻った後、ボクの首についていたリボンの色が変わったの。赤色から、紫色とキラキラ光る金色になったんだ。
ボクにとっては色の違いなんてどっちでもいい。紫色のリボンをしてくれたのが、エルと似たいい匂いのするニンゲンの女の人だったから、ちょっといい気分になった、ってくらいかな。
でもね、ニンゲンには全然違ったみたい。ボクが、オウジョウって呼ばれてるところでうろうろしていても、いきなり魔法を仕掛けられたり、蹴られそうになったり、捕まえられなくなったんだよ!
大抵はエルと一緒にいるからなんだろうけど、エルと離れてる時だって、怒られなかった。
未だに僕の毛を焼こうとするのは、ただ一人。そう、グレンサマだけ。ボク、グレンサマはいまだに苦手だ。元からボクの毛を焼こうとしたり、ボクを毛皮にしようとする恐ろしいニンゲンだとは思っていたんだけど、あの事件以来、なんていうのかな……逆らえないというか……魔獣の本能として、近寄りがたい感じがするんだ。なんなんだろうね、あれ。
とにかく、そんな危険なグレンサマには近づかないのが一番!ボクの自慢の鼻があれば匂いに先に気付くことだってできるし、安心、安心。
今日、ボクと一緒にオウジョウに来たエルには、どうやら用事があるらしくて、ボクは一緒にいられない――なんでも、サイシュウジツギシケンっていうのに挑まなきゃいけないんだって。よくわかんないけど、いつもと同じ動物や魔獣の治療をするだけだって言ってたから、エルはそんなに緊張してなかったみたい。いつもより汗を酷くかいてるってことはなかった。
そんなわけで、ボクは仕方なくお留守番――ではなくて、せっかくなので、イアンサマからお菓子をもらおうと思う。
なんでも、イアンサマはボクにお菓子をあげることを『心の癒し』にしているらしいし、そう言われちゃったらボクももらわないわけにはいかないよね!
イアンサマが下さるお菓子は結構おいしいから、ボクとしても、もらってあげなくもない。
ボクがイアンサマの匂いを追ってオウジョウの窓のあたりをてこてこと歩いていた時だった。急にボクの体が持ち上がった。
「ネズミ、みーつけた。探してたんだ」
この声の主は一人しかいない。気づいたら匂いでだって、声でだって分かるのに、なんで!?ニンゲンたちの匂いがいっぱいしていたとはいえ、このボクが気づかなかったなんて!
「お前の鼻に気付かれないように厳重に隠した甲斐があったなぁ」
「きゅっきゅっきゅー!」
ボクの自慢のふさふさの尻尾をつかまないで!痛いよー!
ボクが暴れると、ボクの尻尾をつかんでいたグレンサマが僕の言葉を理解したかのようにボクを抱き上げた。とはいえ、胴体が絞められているので逃げることはできない。
グレンサマはボクを捕まえたまま、どこかにボクを連れて行ってしまう。
「暴れたら燃やすよ」の一言を言われたら体が固まっちゃうよね。
それにしても、グレンサマ、ボクをどこに連れて行くの?
しばらく連れていかれた先は、嗅ぎ慣れた匂いのするグレンサマのお部屋だった。
そして――珍しく、とってもいい匂いがする。
「そういうところ、お前は飼い主にそっくりだね」
おっといけない、知らず知らずのうちに尻尾をぶんぶんと振ってしまっていたらしい。
高貴な魔獣のボクがこの程度のニンゲンの食べ物に惑わされるとでも思ったか!……いやそれにしても香ばしいパンの香りもいいし、ちょっと焦げたお肉のいい香りも……
「時と場合によっては、食べさせてやってもいいけど、どうしたい?」
ニンゲンって、食べ物を加工する能力が高い生き物だ。そこは素直に褒めてあげてもいい。
グレンサマの手の中から解放されたボクがぴょーんと飛び出し、用意された皿の近くに行って、パンをほおばり始めると、グレン様は食事に手を付けることなく、机の方に戻っていった。あれ。食べないのかな、じゃあ全部ボクがいただいちゃうぞ。
「グレンサマ、見つかったのですか?――あぁ、無事につかまえたのですね」
その声と嫌なニンゲンの匂いがして、僕は持っていたパンを口に詰め込んでから、背中の毛を全部逆立たせて威嚇して見せた。
ほお袋がいっぱいになっているから立派な牙を見せることはできない。残念だ。
こいつ誰だっけ、こいつもここ最近エルの近くでよく見るし、ボクに最初酷いことをしたやつだから名前を覚えたんだけど――
「机の上で人間と同じものを食べるなど……」
「いいんだよ、放っておいて。それよりフレディの方はいいの?」
「はい、グレン様のご様子を確認してくるようにと殿下に申し付けられまして。またお食事をとっていらっしゃらない可能性があると」
「はぁ。僕のことより、自分の結婚の心配してなよ、あいつは」
「殿下はグレン様のことをそれほど大切に想っていらっしゃるということですよ。最近お仕事を詰められ過ぎているでしょう?……小姓もいなくなったのですし、体調管理とまではいかなくても様子を見る者は必要だと、殿下が仰ったのです」
「この立場になって使える手札が多少減ったから、仕事が少し増えたのは事実だね。でも、まぁ、研究の方は趣味でできるようになったし、これくらいでアルコットから解放されたなら万々歳だけど」
グレンサマが止めたおかげで、そいつがボクから注意を逸らしたので、ボクはそろそろとお皿の近くに戻って今度はチーズを両手に抱えてもぐもぐした。うむ、美味しい。
「どうしてアッシュリートン家だったのです?グレン様ならば、もっとよい家格の家に入ることも可能でしたのに」
「貴族としての魔力値をぎりぎり満たす程度の魔力しか持たない今の僕を受け入れる家なんてほとんどないよ」
「そんなことはございません。グレン様が以前より魔力をお持ちになっていないなんてこと、本当ならありえないことくらい、上位の貴族なら分かります。ただ、何らかの原因で魔力測定器に反応しないだけで……なんなら我がクロフティン家だって――!」
「どうせアッシュリートン家に入るんだ。他の家に入る時間が無駄でしょ?その家に借りを作るのも嫌だし、万が一にも、そんなことをかさに着て妙な縁談を押し付けられたら余計に仕事が増える。鬱陶しい」
「……やはり、どうしてもあいつですか」
「エルドレッドはもうどこにもいないのに、君は本当にあいつが嫌いだね」
「……別に、今は嫌いというほどではありません。ただ、気に食わないだけです。グレン様にとって、アッシュリートン……いえ、エレイン嬢が非常に特別な存在であることは今は分かっております。が、グレン様ほどの方が、どうしてあの女にそれほど入れ込んでいらっしゃるのかは、未だに理解できません。今されている仕事だって、彼女との婚姻を邪魔されないためのものも多くおありになるはずです。あなた様は、もっと上位に立つことができる方ですのに、それを全て放棄しても、彼女が大事ですか?」
「大事だよ、とても大事だ」
僕がお肉をもぐもぐしている間にも、なにやら話し続けている。グレンサマが立ち上がってそいつに静かな瞳で言った。
「だけど、キール、君にそれを理解してもらおうとは思わない」
あ、そうだ、あのニンゲン、キールサマだった。エルがそう呼んでたっけ。
おや?どうしてグレンサマ、ボクの方にやってきたのかな?
「さて、ネズミ、そろそろ食べ終わった?お前、まさかタダで僕がそれだけの料理を用意したと思わないよね?」
とても嫌な予感がして、ボクは、机から飛び降りて脱兎のごとく走り出したのだけど、すぐに見えない壁にぶつかってしまった。あー自慢の鼻がまた潰れた。痛い。
ボクの尻尾が再び掴まれて持ち上げられる。うわぁ、今食べたばっかりなのに、やめてー。
「お前には、これからいくつかの書類の匂いを嗅いでもらう。そこにわずかに残った人間の匂い、紙の匂い、部屋の匂い、インクの匂いを覚えろ。そこに僕が作った書類を置いてきてもらうのと、逆にその部屋からいくつかの紙を持ってくるだけの仕事だ。目的の紙はね、他の紙に比べて汗の付着が多くて……まぁ、細かい条件はそれぞれごとに教えてあげる。ほら、簡単でしょ?」
ふん、ボクがニンゲンごときの命令に従うと思ってる?ボクはエルのためには動くけど、グレンサマのためには動いてあげないんだからね!
「生意気な態度をとるようなら、食べ物を返してもらわないとなぁ。おや?全部食べている――ってことは、全てお前の腹の中か。仕方ないね、僕もとっても不本意だけど、お前の腹を割いて取り返すしかないかなぁ」
「きゅっきゅっきゅっきゅ!!」
このニンゲンはやると言ったらやる!絶対にやる!ボク、殺されちゃう!
「短い手足をじたばたしてるだけでは僕には何が言いたいのかよく分からないなぁ」
「きゅーっ!」
「あ、そうだそうだ、これさ、僕のためだけじゃなくて、エルのためにもなるんだけどな」
ボクが恐怖で全身の毛を逆立ててじたばたしているところで、聞き捨てならない話が聞こえた。
「これからお前にやってもらう仕事に出てくる匂いの人間どもはね、『王家と縁続きになるアッシュリートン』っていう立場を狙って半ば強引にエルを嫁にとろうとしてるんだ。あわよくば、アッシュリートンを乗っ取ろうって算段のところもあるかな。中にはもう50を超えた領主から、40過ぎて独身の脂ぎった冴えない引きこもりのおっさん――あぁ違った、遠縁の弟をどうか、とかも来てるけど。こういう輩にエルが渡ったらどうなるかなぁ。まず宮廷獣医師の仕事はできなくて、部屋に閉じ込められて。うーん、一応若い女だし、最近そこそこに色々と育ってきて女っぽくなってきたみたいだし、いい感じに身体を使われて、悪くいくと、監禁凌辱いつの間にか体壊して、はい、おしまい、よくて妾扱いってとこかな。アッシュリートンの家格の低さから言えば、その次女なんて、まともな待遇してもらえるかどうかも怪しいよね」
「あの……グレン様、言われるたびに、手に力がこもっていらっしゃるような気がするんですが……私は一向に構いませんが、そのままだとそれの尾が千切れます」
ボクは初めてキールサマを見直した!
グレン様の手から解放された僕の尻尾は、グレン様の手の汗と力で見る影もなくへしゃげてしまっている。途中から痛みを越えて尻尾の感覚がなかった。どうしよう、どうしよう。エル、後で治してくれるかな。あ、いた、ちょっと動かすだけで滅茶苦茶痛い。痛いよう、痛いよう。うぅ……。
「そういう目にあいつがあってもいいと、お前は思ってるのかな?」
「きゅ!」
グレンサマのことはほんっとうに許せないけど、でも、よくわかんないけどエルが酷い目に遭いそうだってことを聞かされちゃったら、ボクのこの優秀な鼻を役立てることに異議はないよ。
尻尾が痛いので、なるべく尻尾を動かさないようにしたまま、グレンサマが指示した書類に近づいてクンクンと匂いを嗅ぐ。――なーんだ、この程度、ボクの鼻なら一発だ。どこにその部屋あるのか、ニンゲンが近くにいるのか、どの紙かまで、すぐに分かる。匂いの濃さも違いも歴然だもの。
ボクが任せておけ、と後ろの二本足で立って、痛い尻尾で一度ぱしんと机をたたくと、ようやくグレンサマがにやりと笑って他の紙の束を取り出した。なにやら、よくわからないけど、どこかのたくさんのニンゲンがエルに酷いことをしようとしていると、グレンサマの調査で分かったらしい。ボクに一応その内容の説明をしてくれたけど、詳しくはよく分からない。
聞くたびに近くにいるキールサマが「ここまで考えるとは、アザリーノ家も外道……フンボルト家もさすがにこの態度は……ぬ、こちらも……」などと呟いていたけど、ボクにはそんなことはどうだっていい。
グレンサマは酷いニンゲンだけど、その指示は的確なので、僕にはちゃんと理解できる。そして、その指示だって、ボクには造作もないことだ。ふふん、ボクの鼻は優秀なのだ!
「あ、この話、エルには言うな――って、言えないか。その尻尾のことも、他言無用だけど分かってるよね」
書類の説明をし終えた後の、ニッコリ笑顔のグレンサマは、いつにも増して本当に恐ろしかった。キールサマですら、震えてたくらいだった。
ボクはその後、エルのところに走って行って、サイシュウジツギシケンが終わったエルに「チコ、この尻尾どうしたの!?こんな大怪我!なにをしちゃったの!?」と言われながら尻尾を治してもらった。
その後は、「イアンサマがボクがいないとストレスで胃に穴が空くみたいだから、ボクを暫く貸すように」という内容のグレンサマの匂いのする手紙を受け取ったらしいエルに、「イアン様、多分夜会に行かなきゃいけないんだ……女性とお酒っていう二大苦手なものがあるものなぁ………チコ、イアン様を癒してあげてね」と言われて送り出され、2、3日ほど、グレン様の部屋に滞在することになった。
グレンサマに言われた指示をこなして数月経った頃、ボクが忍び込んでグレン様に言われた匂いのする紙と取り出したり、ボクが紙を置いてきた部屋の匂いの主であるニンゲン達が、一人残らずオウジョウから消えていて、臭いすら残していなかったのは、とっても怖い、本当の話。
グレンサマには、エルがいる時だけ、近づくことにしようっと。
ボクは今回のことで、再び心に誓ったのだった。
おしまい。




