17 王子と変貌
「……君は、どうしてここに?」
「俺……っ、じゃなくて、私が、連れてきたんです」
ユージーンの陰から出てきたのは、イアンの部下となることがほぼ確定しているエルの友人であるヨンサムだった。
「エルがグレン様を助けにあの山火事に入ると言ったので、その間に応援を呼んだんです」
「君たちは知り合いだったの?」
「はい、グレン様がエルを婚約者お披露目パーティーに連れていくときに、私が、エルの代わりになっている彼の正体に気づいたことで知り合いました」
「あの時か……」
にらみ合うグレンとユージーンの間に挟まれ、雰囲気にのまれたヨンサムが直立不動で言い切った。
ユージーンと呼ばれる少年に私が初めて会ったのは、つい先ほどのことだ。
初対面ではあるが、よくよく見ないと違うと分からない程度にエルと瓜二つの容貌に、メグと同じようなしっかり者の気配がして、エルとメグの兄弟であるという彼の自己紹介は信じられた。
「ユージーン・アッシュリートン」という名前は貴族鑑には載っているが、学園では見かけたことがない。聞けば、アッシュリートン家の跡取りになる人物であるとのことだが、本来は学園で受けなくてはいけない領主教育を受けていないらしい。
「で?エルは?」
「……見ていただいた方が早いですよ、きっと。……殿下、よろしいですか」
「しかし、グレンはまだ――」
「よろしいですよね、殿下」
ユージーンのはしばみ色の目が私に向けられ、不敬にも私を睨みつける。
小柄なのに、睨む力には少年らしからぬ迫力があり、不覚にも一瞬動揺し、すぐにそれがエルに向けられる想いの強さゆえだと分かる。
ユージーンが部屋の中に入った時からすぐに私の横に控えていたイアンが、私への不敬に眉をぴくりと動かし、剣に手を置きかけたのを横目で確認してそれを手で制し、私はユージーンの申し出を許可した。
「……あぁ、分かった。許可しよう」
正直なところ、今の私はここにいる資格がなかった。
エルがああなったのは、私の責任だからだ。私がエルを焚きつけた。
その判断はグレンの主としては間違っていたとは思わないが、その結果は、おそらく今のグレンには到底受け入れがたいものではある。それをグレンに見せたくないというのは私の勝手な都合だ。
「キール」
「はい」
「支えてくれる?」
「はい、かしこまりました」
本調子どころか動くのもままならないグレンがキールの肩を借りて立ち上がり、先導するユージーンの後ろを、足を引きずりながらついて行く。私もその後に続いた。
向かったのは王城の離れにある別棟の地下だ。この地下は、かつて、凶悪な犯罪者や収監者等を一時的に封じ込めるのにも使われていた。
今はそのような受刑中もしくは犯罪の嫌疑のある者は王都からもっと離れた特別な魔術の施された別棟で、専門の魔術師団によって厳重に管理されているものの、かつて同じ用途に使用されていたこの地下牢には一定の拘束具や中からの攻撃に耐えられる魔術防御システムが備わっている。
「キール、人払いを」
「はい」
私の命に従ったキールによって人払いの魔術がかけられる中、ユージーンが躊躇いなくそこに入ったのを見て、無表情だったグレンの眉がぎゅっと寄せられた。
先導するユージーン、その後に続くキールとグレン、さらにその後ろを行く私と、私の周囲を護衛するイアンとヨンサムが縦に並んで歩く。
薄暗い地下牢を暫く進んだ奥の方からは、獣の低い唸り声と、ガシャンという鉄格子に何かが叩き付けられるような音が響いてくる。
地下牢の奥にたどり着いたユージーンが足を止めた向こう側には、鉄格子が嵌められた牢屋のような場所があり、その奥に、体格の大きな犬とそれほど変わらない大きさの四つ足の獣がいて、こちらを見ながら、真っ赤な瞳を血走らせていた。
獣は6つの銀色の尾を警戒する様に大きく広げ、自分に向かってくる私たちに鋭い牙を向けてぐるぐると唸った。
その獣に一人近づいたユージーンが震える声で獣に声をかける。
「……エル」
「これ以上先にはあいつ以外行けません。あいつ以外が行けば噛み殺されます」
ユージーンだけが鉄格子の真ん前に行き、その手前でキールがグレンを止めた。
グレンは目の前の光景に大きく目を見開いていた。
「あいつがエルです。……いえ、エルでした」
「エル……?」
「それは、私から説明します」
あくまで護衛騎士として私の傍に控えたヨンサムがグレンに報告する内容は、つい先ほど私が聞いた内容と同じだった。
「私とユージーンが現場に着いた時、あの山火事は跡形もなくなっていて、その代わりに氷山――というのか、氷の檻のようなものができていました。その中にグレン様とあいつが――エルが倒れていました。私たちが、その檻の一部を壊し、お二人に近づいたとき、急にエルが立ち上がったかと思いきや、大きな声で鳴いたんです。……まるで狼みたいな声でした」
ヨンサムは全身を震わせ、一度言葉を切ってから話を続ける。
「……次の瞬間、エルの姿がみるみる変わっていって……ああいう姿になって、それで、……俺を見て、襲い掛かろうとしたんです。あいつは……迷わず俺の首を狙っていました」
ヨンサムの言葉に、グレンの奥歯が噛みしめられるぎりりという音がした。
ヨンサムは、口を戦慄かせ、言葉遣いがいつも通りになっているのにも気づかず、必死で話を続けた。
「それで?」
「……俺、わけわかんなくなって、動けなくて、そのまま噛み殺されそうになったときに、ユージーンが持っていた道具でエルを弾いたんです。そのまま、その道具でエルを拘束しました」
「なぜユージーンはそれを?」
「『呪いがどういう形で現れるか分からなかったけれど、エルがこうなるかもしれないって予想はあったから』と言っていました。捕まったエルは暴れて、森に逃げようとしたんで、必死で押さえました。ユージーンが、ここでエルを逃したら、多分二度と帰ってこないって必死で……なんとか拘束したんですけど、隙あらば逃げようとして襲いかかってくるので、こうして閉じ込めていないとダメで……殿下とご相談して、ここしか王城の人に見つからない場所がなかったため、一時的にここにエルを閉じ込めているんです」
ユージーンが鉄格子の前に立った途端、魔獣――いや、エルが奥から走り出てきて、がしゃん!と鉄格子にぶつかる。
特別な魔術のかかった鉄格子に跳ね返され、ぎゃん!と鳴き、奥に転がったものの、正気を失ったエルは再び突進してくる。
「エル……エル、目、覚ましてくれよ……!」
「ぐるるるるる!」
「危ない!」
鉄格子の前に膝をついて、その先に手を延ばすユージーンの手に鋭い牙が刺さりそうになったところで、キールがユージーンを後ろから羽交い絞めにして引っ張った。
「つっ!」
間一髪、エルの牙を逸れたものの、それでもユージーンの手に獣の歯がかすって切れたらしく、ユージーンの手からは血が伝っていく。
「そんな……!さっきまでは、ユージーンだけは襲おうとしなかったのに!」
ヨンサムが愕然として叫び、ユージーンは「エル……!エル……!」と言いながら、流れる血を気に留めることもなく、目に涙を溜めてエルに近づこうとし、キールがそんなユージーンを羽交い絞めのまま檻から遠ざける。
その光景を見ていられずに私は目を逸らした。
エルがグレンの魔力を取り込めば、きっとエルは魔力に耐えられずに破裂して死んでしまうだろうと思っていた。それでもグレンを死なせるわけにはいかなかった。
だからエルにグレンを助けるように示唆した。
結果的にエルは死ななかったが、どういうわけか、エルは理性のない危険な魔獣になってしまった。
人間であったときには、人にも動物にも魔獣にさえ、その優しさを振りまいていた少年――いや、少女が、今や、人間を見るや憎しみを込めて襲い掛かるほどに変貌している。まさに逆の性質に変わってしまったかのようだ。
このように人を害する魔獣を、国は放っておかない。この場所とてずっと使えるものではない。このままでは、エルは見つかり、エルを治す術が見つかる前に、害獣としてそう遠くない未来に処分されてしまう。
せっかく、グレンが助かり、生きる希望を見つけたというのに……!
「フレディ、見ろ……!」
ぐ、と奥歯を噛みしめ、目を逸らした私の肩をイアンが叩く。
「イアン、例え私が招いたことだといえども、私には正視に耐えがたい……!」
「違う、よく見ろ、グレンの様子を!」
「グレン?」
私が顔を上げると、グレンは一心に魔獣――もといエルを見ていた。
エルはといえば、ユージーンに歯がかすったことで口元を赤く汚している。
魔獣になったエルは、エル、エル、と呼びかけるユージーンの声にびくん!と耳を跳ねさせ、唸るのをやめ、頭を数度振り、尻尾を下げたまま鉄格子の中をうろつき、くるるるる……と鳴いて奥に引っ込んでいく。
奥に引っ込んでこちらを警戒するのかと思えば、落ち着きのない様子でうろうろとその辺りを動き回り、くんくんと鳴き始めた。
「……フレディ」
グレンが鉄格子の中のエルを見ながら、私を呼んだ。
「僕、鉄格子の中に入るよ」
「グレン様!?」
「何を言ってるんだ!」
イアンが怒鳴ってもグレンは冷静な表情を崩さない。
「エルは完全にいなくなったわけじゃない」
「……どうしてわかる」
「今、ユージーンの血を取り込んだことで一瞬獣の目が揺らいだ。まだ人の心が――エルがいなくなったわけじゃない」
「グレン、そんなもの、偶然かもしれないだろう?大体、さっきまで、あの魔獣はユージーンを襲っていなかったのに、今度は襲った。段々理性を失くしているんだ、そんなところにまだ魔術さえ使えないお前を入れるなんて許可できない」
私がグレンの肩を掴むと、グレンは無言で自分の右手首を私に突き出してきた。
そこには、グレンが普段魔術で隠している小姓契約の紋章がある。小姓契約がどうしたんだ?どういうことだ?
グレンの目は、一心に魔獣となったエルだけを見つめている。
この状況に誰よりも絶望してもおかしくないグレンが、満身創痍で魔術も剣術もろくに使えない状態になっているはずのグレンが、この場で一番この状況を冷静に見て、明晰な頭脳をフルに回転させ、打開策を考えているのが分かる。
その目は、こうまで変わってしまったエルを見ても、全く諦めていなかった。
「第二王子殿下、私からもお願い申し上げます。グレン様だけが今のエルを助けられる可能性のある方なのです」
地下牢の入り口から声が聞こえ、私たちが振り返ると、エルとユージーンによく似た面差しの壮年の男性が立っていた。
「父さん……!」
「ご無沙汰しております、フレデリック第二王子殿下」
エルの父親――アッシュリートン男爵は、呼びかけたユージーンには反応せず、私に対してすぐさま臣下の礼を取った。
「なっ、いつの間に……!人払いをかけていたのに」
「ジェフィールド殿、クロフティン殿。驚かせてしまって申し訳ない。私に気付かれなかったのも無理はないのです。ご安心ください。ここの人払いの魔術が効いていないわけではございません。私は予めこの場所のことやここにエルがいることをユージーンから聞かされていましたので、効きづらい状態にあるのですよ」
人払いの魔術は、認識機能を錯乱させ、その場所を認識させにくくすることを原理にしているので、分かって目的地にしている者には効きにくい。
「しかし、イアン様すらも気配に気づかなかったのは一体……!」
「殿下、最初にエルが殿下方に近づかれた時、エルには気づかれなかったでしょう。私も同じやり方を取っただけです。私に殿下方を傷つける意図はございません。どうか警戒をお解きください」
「よい。グレンだけが今のエルをなんとかできるかもしれない、と申していたな?」
私の言葉に、アッシュリートン男爵は、ちらりと檻の中のエルと、それからグレンの右手首を見やってから告げた。
「えぇ。殿下、ここからのお話は……」
アッシュリートン男爵の言いぶりに私は小姓契約のことを告げられるのだろうと察することができた。
「キール、ヨンサム、入口のところで人払いをせよ」
「殿下。あまりに警備が少なくなりすぎます!」
「イアンがいる」
「しかし、グレン様は――」
「キール。殿下の護衛である君が殿下の命令に逆らうつもり?」
キールは、その言葉にぐっと詰まった後、自分が押さえている、今にも飛び出しそうなユージーンを見やった。
「しかし、私が押さえなければこの者は再びあの檻に近づいてしまいます」
「ユージーン、私がいいと言うまで、エルに近づいてはいけないよ」
「父さん!」
「ユージーン、聞きなさい。一刻を争うんだ。お前のせいで、今なら助けられるはずのエルを助けられなくなるかもしれないぞ」
父親の言葉に、いきりたっていたユージーンも黙り込む。
ユージーンの体から力が抜けたのが分かり、キールとヨンサムは私の命に従って外に出ていき、地下牢には、鉄格子の向こうでうろつく魔獣のエルと、グレン、ユージーン、私にイアン、そしてアッシュリートン男爵だけが残された。
「では、準備も整ったところで、少し事情をお話させていただきましょう」
そう言ってから、男爵は、かつてのエルに何があったのか、エルがこう変わってしまった呪いについて話し始めた。
 




